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その国は、世界で最初に夜が明ける事から明仄の国と呼ばれている。
光と炎雷の大精霊・燦が守護している、世界最古の国でもあるのだが、その大精霊は今、堪忍袋の緒が切れる寸前だった。
堪忍袋がぶち切れる前に燦は、守護している国の民だけでなく、世界中の人々に知らしめる為、生きとし生けるものの頭の中に自分の声と自分の目が映すものを送り付ける事にした。
送り付けられた者たちからすれば傍迷惑なことだったが、皆を証人にする為でもあった。
「我は明仄国の守護、光と炎雷の大精霊・燦である。この声と映像は、この星の生きとし生きる者の頭の中へ送っている。老いも若きも例外はない。言葉の通じないものや幼すぎてわけわからん者もいるだろうが、今はそんな事はどうでもいい。我は怒っているのだ。何故我が怒っているのか、それを今語る」
世界中の生きとし生けるものの頭の中に突如、大精霊と名乗る存在の声がいきなり響いたことから、各々が戸惑い混乱する事になったが、強制的に送られてくるそれを拒む術を持つ者は皆無だったので、皆その場に茫然と立ち尽くし──その声と映像を見守るしか出来なかった。
「本日は先帝ロイド崩御に伴い皇位継承の儀を行う予定であったが、継承者である現皇帝が──というより現皇室が、我が主であり初代女王エレナと交わした契約に違反したことから、継承の儀は履行されなかった。
何故、継承が履行出来なかったかを現皇室は──特に皇太后は理解できていないようなので、理解できるように教えてしんぜよう」
名指しされた皇太后は顔を青くしていた。人知を超えた存在の怒りを肌で感じているからだ。
大精霊の語り口は静かだが、その全身からは触れれば一瞬で凍りついてしまいそうな冷気が漂っており、建物の上空には雷雲が集まっていた。
ゴロゴロと空が鳴り出し、夕立が降る直前のように周囲を湿った強い風が吹き始めていた。嵐の前触れである。
炎雷という通り名を戴く大精霊の赤い瞳が高温のマグマのように白く輝き、プラチナシルバーの髪が波立っていたことからも、立腹しているのだとわかる。
「ちなみに、我の許可なく発言する事は許さないので覚悟召されよ」
そう宣言してから、大精霊は語り始めた。
「まず最初に、儀式が履行できなかった最大の要因だが、今代の皇帝となる予定だったその男が先代ロイドの血縁とは言えない赤の他人だということだ。本物は幼少時に流行り病で亡くなっている。その時にその偽物と取り替えられ今日に至るのだが、ロイドは本当の子の死を知らされることなくその男をずっと息子と思っていたのが哀れだった」
継承の儀を経て正式に皇帝となるはずだった男を『その男』呼ばわりする大精霊。皇帝の血筋ではない、と断言された男は顔色を悪くし、衝撃の事実を知らされた人々はただただ驚愕するばかりだった。
「取り替え子を命じたのはそこにいる皇太后だ。輿入れ前から取り替え子をする計画があったのだろう。そうでなければ、皇子が亡くなった翌日に皇子のスペアとしてこの男を偽の皇子として用意出来るはずもない。皇太后の父であるローランの前国王は子沢山だったようだから皇子に似た男児の選出も難しくはなかった筈だ」
皇太后と皇帝(偽)と、二人の後ろに控えていた従者たちが息を飲む。
大精霊が告発した通りだったからだ。
「皇子が死んだ数年後──今から四十年ほど前、ロイドが病に倒れた時にこの女はあろうことかロイドに遅効性の毒を盛って弑したばかりか、かつての恋人であった男に邪法を用いてロイドの姿を移し、堂々と皇帝と名乗らせた。
皇子の死の隠蔽が上手く行ったので味をしめて欲が出たのだろうが、見事な簒奪──というよりも、これは国の乗っ取りだな。皇太后一味は本物のロイドの死後、本日に至るまで純朴な民を謀っていた。
今考えると、ロイドの婚約者をこの国から追放し、皇太子妃の座を確固なものにした時から乗っ取りは計画されていたのだろうな」
嘆かわしいと言わんばかりの声音で語る大精霊。
しかし、病死した皇子が取り替えられていただけでなく、崩御した皇帝も偽物だったと告発された明仄国の民は愕然とするしかなかった。
「何故知っているのか、と言わんばかりの顔をしているな。最初から最後までお前たちのやっていることはこの目で見ていたのだから当然だ。無論、先代ロイドの兄──当時の皇太子だったハリーに刺客を送り暗殺しようとしていた事も知っているぞ。巫女が先見で察知できた事から回避出来たことではあったが、古の契約があるが故に介入出来ず、ただただ歯痒いだけであった」
先代皇帝の兄ハリーは公的には事故死したと伝えられていたが、帝国と所縁のある国へ素性を隠して亡命し、ひっそりと暮らしていた。それを知る者はごく僅かだ。
「この国が他国の元王族に乗っ取られても、契約の制約から放置することが出来たわけだが、その契約にも例外があってな。正当な継承者ではない者がこの『宣誓の間』で継承の儀式を行った場合にのみ、我に全権が与えられ、異分子を排除することが出来るようになっている。
DNAと言ってもわからんだろうから簡潔に言うが、この神殿はエレナの直系の者しか継承できない仕組みになっている。例えこの男にほんの僅かばかりのウィスタリアの血が流れていようとも、この神殿がエレナの子孫だと認めなければ継承者たりえないのだ」
この世界にはない《DNA》という言葉を口にしつつ、燦は凄絶な笑みを浮かべる。
「ここからが本題だ。お前たちは半年前、ハリーの孫息子セトとその妻エマに刺客を送り事故を装って殺したな? それだけに留まらず今現在、正当な継承者たりえる孫娘エレナとセトの遺児の命も狙っている」
その時、ドーン! と轟音を響かせて雷が落ちた。大音量で空気を激しく震わせたそれは、燦の怒りだった。
雷が落ちた場所は建物の入り口で、落雷の影響で地面がえぐれ、焦げた匂いと黒煙が立ち昇っていたが、その黒煙をかき消すように、ザァーッと音を立てて雨が降り始めた。
「お前たちは二人の死亡報告を首を長くして待っていただろうが、無駄だ。言ったであろう、最初から最後までお前たちのやったことはこの目で見ていたから知っている、と──」
神に近いと言われる大精霊から殺気を向けられて、正気でいられるものは少ない。皇帝と称されていた男と皇太后の側近たちは大精霊への畏怖に耐えきれず膝から崩れ落ちた。恐れをなして逃げ出す者も居たが、『宣誓の間』の出入り口に見えない壁が出現していたので外に出ることはかなわなかった。出られたとしても、すぐに追跡されて見えない力で捕縛されて連れ戻されていたことだろう。
「お前は皇帝の配偶者でしかないというのに、皇后という地位を得てしまったが故に勘違いしてしまったのだろうな。この国の全権を得たと勘違いし、好き放題しだした。
長く続く伝統には意味があるというのに、自分はこの国の頂点であるからと、たかだか五十年の新興国ローランの流儀に改変してしまい、お前は建国から存在する古の契約について知る事を疎かにした。
──まぁ、それを知る者たちをことごとく失脚させ、空いた席に身内の者を入れていれば、契約について知る機会も皆無だったであろうが、お陰で建国から皆無だった大規模な自然災害が発生するようになってしまったではないか。
ロイドの死の隠蔽で、国の護法の楔であった正統な皇帝が四十年ほど不在になってしまったのだからな」
色々ぶっちゃけている大精霊。その告発は、明仄国の民を一瞬で激怒させる内容だった。
「それまでは小規模なものはあっても、強固な結界で大災害は防がれていたというのに、誠に残念な事だ」
皇帝ロイドの死を隠蔽せず、正統な皇帝が新たに立っていれば、数多の悲劇は起こらずに済み、それ以前に皇帝ロイドの兄の皇太子ハリーの暗殺計画自体がなければ、千年以上続く明仄国は平穏無事なまま緩やかな時を刻んでいたのだと大精霊に示唆されれば、どんな人間でも怒りを覚えるだろう。
「皇太后の権限が増すばかりの帝国を不審に思いながらも、帝国への忠義で仕え耐え忍んでくれていた者たちには心身ともに苦労をかけたが、それも今日までだ。
──我の権限で、明仄国皇太后ヴァルヴァーラ及びその関係者を国外追放する。今後、明仄の地へ足を踏み入れられると思うな」
大精霊が下した沙汰は国外追放だった。どのような罰を下されるか戦々恐々としていた皇太后たちは内心ホッとする。
「本来なら斬首の上晒し首が妥当であろうが、ロイドを弑しハリーの孫息子のセトとその妻エマを殺した罰としてはぬるい。
初代女王エレナが遺したこの国と、我が愛し子達に今後手出しなど1ミリも考えさせない為、悪いがローランには消えてもらうことにした」
死罪を免れたものの、急に母国の名が出たので皇太后たちはえっと言わんばかりに顔を上げた。
燦はぱちん、と指を鳴らして、隣国ローランの王城を空中に映し出す。
王城は小高い山の上に建つ赤煉瓦の城で、こじんまりとした印象の城だった。
麓に広がる市街地が映り、市街地でこの中継を視ているはずのローランの民の姿が一切ないことを確認すると、燦はふっと笑みを浮かべた。
それは、全てを魅了するような笑みだったが、その微笑は残念ながら燦の目に映るものではなかったので、燦が発信している映像で目にすることは出来なかったが。
「カム着火インフェルノォォォォオ!!!!」
ノーモーションで燦が言葉を発した瞬間、王城は光に包まれ──跡形もなく消えた。王城だけでなく、活気のあっただろう市街地や、その他諸々。
ローラン国の国境線の中のもの全てが──、一瞬で消えた。
数瞬遅れて、消えた国を襲った衝撃が空振と地震に似た地響きを伴って『宣誓の間』へ到達する。
「己が何をしたのかを後悔しながら生きて行くがいい」
燦は呪うようにそう告げると、再び指を鳴らした。
ぱちんと軽い音が響くと、皇太后達はローランの首都だった場所へ一瞬で飛ばされ──彼らは自分が生まれ育った国がどうなったのかを目の当たりにする事になる。
数分前まで存在していたローラン国は、跡形もなく綺麗さっぱり消えており、そこにあるのは鋏で綺麗に切り取ったかのように国境の形でえぐられた巨大なクレーターだった。
「…………」
更地と化した祖国を目の当たりにして茫然としている皇太后達の姿を冷たい目で一瞥した後、燦はその映像を閉じた。彼らはまだ知らないが、追放と同時に簡単には死ねない呪いを燦はかけていた。すぐに死んだほうがマシだと思うだろうが、そのような呪いをかけられる様な事を自分たちはしたのだと思い知ることになる。
「……明仄国皇太后及び偽皇帝一派を国外へ追放した。ローランの民には悪い事をしたと思うが、恨むのなら我が愛し子達に手を出したあやつらを恨むがいい。
それから後日、我が国の後継者のお披露目をするので刮目せよ。──以上だ」
そう締め括ると、大精霊・燦は全世界チャンネルを閉じた。
弾劾が終わり、『宣誓の間』に静寂が戻った瞬間の事──。
「──ハリー、付き合わせてしまってすまない」
燦は後ろへ振り返り──弾劾を開始する前に不可視の術で姿を隠していた、先代皇帝の兄ハリー・マナセ・ウイスタリアを気遣うように声をかけた。
「いいえ」
隠されていた彼の姿が現れ──ハリーは頭を横に振った。神官用の白いローブを纏ったハリーは、ウイスタリア家特有の青紫色の瞳を持った老人で、燦が用意した簡易椅子に腰掛けて燦が行った弾劾を終始見守っていた。
「燦さまのお怒りは我が事のようにわかりますので。古からの契約だったとはいえ、指をくわえて見ている事しか出来ないのはさぞかし歯痒かった事でしょう」
大精霊の心の内を察するハリーは、静かな眼差しで燦を見上げた。
「セトとエマを救えず申し訳ない」
「いいえ。あなた様の加護のお陰で孫娘と曽孫は助かりました。ローランの民は不憫ですが、先程の“光の鉄槌”のお陰で、こちらにちょっかいを出そうと考える輩は格段に減ったでしょうし。──燦さまには感謝しかありません」
「だが、エレナに明仄を継ぐ意思を聞かずに強引に進めてしまった。このままひっそりと暮らす事も出来たはずなのに」
明仄に根を下ろし国を食い荒らした諸悪の根源の排除に成功したものの、これからやらねばならない数多くのことを思うと、国の守護たる大精霊は憂えずにはいられなかった。
「今後の事はお互い納得が出来るまで話し合いましょう。“お披露目”出来るかどうかは話し合い次第という事で。まぁ、なるようになるでしょう」
「……そうだな」
一人の老人と一柱の大精霊の会話が途切れた時、「ここは冷える。体を冷やすのは良くない」と大精霊は老人に手を差し伸べた。大精霊の意図を汲み取った老人はその手を取る。
刹那、大精霊と老人の姿は何処かへ消え──明仄国の中枢にある『宣誓の間』は、次の継承者を迎える時まで人の侵入を拒み、しじまに包まれた──。
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