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オフィスフロアは数多の気配を抱え込んでいる。
そこで取引という企みを現実へと叶えるべく
我々は錬金術を成す呪文を唱える集団のように
さわさわと、熱を持ちながら蠢いている。
まるで会社という体、その組織を構成する“細胞”だ。
その中で、優秀な“キラー”が口を開いた。
「…手を出すなら今か……。よし。明後日の予定を今日の午後に前倒す。小嶋、出るぞ。準備しろ」
まるで将棋の一手を打つように
重要な案件のアポイントを動かして
補佐である小嶋の度肝を抜いた。
「え?明後日の……って、私が内野さんから指示をもらったの昨日の午前ですよ?資料がまだ完成してませんよ!ってか、先方にアポイントは!」
「午後、20分だけ空けられるって言うからそこを取った。出来てるところまででいい、見せろ。今から俺がチェックするから」
「う、うわぁぁ……。き、共有フォルダを確認ください…って、いつも言ってますけど!いくらなんでも急ですよ!」
「そうだねぇ、急だねぇ……って、何だよ。出来てるじゃん。これでいいよ」
ざっと目を通したキラー細胞は
ゴーサインを出してノートPCを充電から外すと
ブルーライトカットグラスを外した。
「優秀な補佐にはランチをごちそうしよう。1時間後に出るから。なに食いたいか、考えておいて。俺はポンちゃ……じゃなかった、本城部長に話を通してくる。」
さっと席を立ち、悠然と微笑む。
出た、魔王の笑顔だ。
僕も『弟子時代』はこれで何度も黙らされた。
だが、小嶋は黙らなかった。
「ううう…鬼、悪魔!…もう……っ!私、カツ丼を希望します!」
「ええー?カツ丼?もっと良いもの食おうよ。寿司とかカジュアルなフレンチとかさ…士気を高めないと」
「そんなオシャレなご飯で士気があがりますか?午後の必勝祈願ならカツ丼!験を担ぎつつパワーを付けて!たたみかける気なら徹底的にやりましょう。それに何でもいいって言ったのは内野さんですよ?」
補佐のおねだりに
内野さんは軽く吹き出した。
「……俺より戦闘態勢じゃんか。カツ丼て。なんて男らしい子だよ、全くもう……いいよ。うまいとこ知ってるから連れてってやる」
呆れるように、喜ぶように
小嶋の頭をポン、ポン、と叩くと
本城部長のデスクへと向かう。
ポンポンされて、
耳がぽわっと桃色に染まる補佐。
それを見やりながら
斉賀さんの同期である野村レイ女史は
「まーた、社内でイチャついて……今日も平和ねぇ、よきよき」
と、ニヤリと笑いながら呟いた。
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