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ーーー運命の出発点ーーー
カサンドラは二人を店のバックヤードへと招き入れた。
部屋全体が不思議色に包まれた見慣れぬ世界。
「お店の裏はこういう空間になっていましたのね。」
「ようこそ。ここはこのガイアで最も神域に近い場所の一つといえる、本来は人が踏み入れる権利すらない場所よ。ただ…。」
「ただ?」
「指輪の持ち主を除いてはね。」
時魔道士と王女は驚いて顔を見合わせた。カサンドラは不思議にも指輪の事について何か知っているようだ。
「王女様はもう指輪の運命の…、そうね、半分くらいは知っているかもしれないわね。時魔道士さんはまだ、何の出来事にも触れていないというところかしら。」
「わたくし、これでもこの指輪は使いこなしているつもりですのよ。」
カチンときたのか、少し前のめり応える王女だったが、
「ふぅ。その様子だと、まだまだ理解に乏しいようね。時魔道士さんは最近変わった事はあった?」
「私、昔の帝国から未来のこの砂漠の国に来ちゃったみたいで…。あと、なんか不思議な声と何か約束をしたような気もしてて。」
「そうね、それも指輪の導き。指輪の導きには決して逆らえない、逆らってはいけない。覚えておいて。」
突然の話に戸惑い、空気が重くなる。沈黙の奥からつぶやき声が洩れる…。
…なのに、なのに、と。
「指輪たちは本来、助け合い補い合って世界を導く物なの。なのに、見えてしまった。」
「もしかして今から預言の内容を伝えてくださるのかしら。」
「王女様、預言ってなんですか?」
「詳しいことは後で話すわ、カサンドラの予言の内容をよく聞いていて。」
カサンドラはコクリとひとつ息を呑み、話し始めた。
「今、大きな禍の種がガイアのあちこちに撒かれ、芽吹こうとしている。その禍の芽を摘み取るのが指輪の持ち主たちの役目であり、運命なのです。なのに、なのに。見える未来は、指輪の持ち主たちが出会い、共闘の末そのどちらかが必ず命を落とす瞬間。あなたたちは既に出会ってしまった。悪い事は言わない、すぐにでも離れなさい。」
カサンドラの預言は人の身である者には、あまりにも重たいお荷物であった。その悲劇の預言は、名だたる神であっても忖度に余る程に深い意味と未来を含んでいる。
「ほほほほ、そんな預言当たると思いまして?」
突然にあっけらかんとした返答。カサンドラの顔がハッとした表情に変わる。
「わたくし、カサンドラさんの預言に関しては興味がありまして、結構古書を読み漁っておりますのよ。すぐにあなたが『あの』カサンドラ王女だとわかったのもそのせいですの。ですけど、預言に関しては学問的に分析する余地はございましてよ。」
「ちょっと、あなた、なんて事を言い出すの。私の預言はこれまでも当たってきた。」
「それもそうですわね。でも考えてもみて。貴女自身が預言した出来事に介入して『預言の自己成就』に手を貸してしまったとも考えられますわ。そもそも預言なんてしなければ、事件や事故は起こらなかったかもしれない。運命の糸を引いているのは実はご自身でなくって。」
「そんな事。こんな能力なんて欲しくて宿った訳ではないのに…。」
「あの、預言の自己成就っなんですか?」
「預言をしてしまったが故に、相手がそれに従った行動を取ってしまってその結果、預言通りの結果を招いてしまう事を学問の世界ではそう呼ぶのですわ。まさにカサンドラの考えとは真逆ですわね。」
「だって、だって見えてしまうんだから。そうなってしまうんだから!」
王女の得意げな顔と、カサンドラの今にも泣き出しそうな顔。
「二人とも、ちょっと待ってください。さっきからお互いに傷つけるような事を言ったり、考えを押し付けあったり、嫌です。カサンドラさんは私たちのこと心配してくれてるんですよね。形は違うけど、みんな思いやりの結果じゃないですか。仲良くしましょうよ。」
場の空気にやっと命が吹き込まれたように感じられた。
時魔道士の意を汲むように、カサンドラは話をまとめにかかろうとする。
「預言はここまでよ。二人には別々に行動して欲しいけど。そうしてもらえる?」
「それはお断りしなければいけませんわね。わたくしたち、一緒にお仕事しなくてはいけませんの。」
「それなら仕方ない。具体的には何をするのか聞かせて貰えるかな。」
悲劇の預言者もとうとう折れるしかなくなってしまった。
「貴女になら話しても良さそうですわね。よろしいですわ。現在世界各国が、武力衝突の火種を燻らせておりますの、ご存知でしょう。わたくしそのひとつひとつを火消しに回っておりまして。今、この砂漠の国の調査を終えて、報告書を手の者に手渡して、今日にも北の国に出発しようと思っていますのよ。時魔道士さんも、それでよろしいですわよね。」
「はい、私はどこへでも着いていきます。」
「やれやれ、強引な人たち。いいでしょう。役目が終わったら早い目に解散する事。そういえば時魔道士さんの洋服が必要ね。待ってて。」
カサンドラは再び店舗スペースに入ると、一着の薄手のローブを手にして戻ってきた。そのローブは可愛らしいクマ耳があしらわれており、淡いブルーがキラキラと輝く逸品である。その生地は砕いて粉にしたラピスラズリを、魔物草という森の国に棲息する魔物の脂と一緒に煮込み、抽出された染料に漬け込まれたもので、今でも職人の手によって一枚一枚、手作りされている。
「それもマジックアイテムですの?」
「そうよ、ただこれはこのオアシズの町では普通の雑貨屋でも手に入る、普通の品。プレゼントよ。砂漠の蒼と呼ばれる魔石ラピスラズリの、質の悪いものを粉に挽いて染料に練り込んであるの。ラピスラズリ採掘の副産物として量産される、砂漠の国の名産品ね。」
砂漠の国にはやはり今でもラピスラズリ産業は深く根付いているのだ。時魔道士は試着室に駆け込むと、いそいそと囚人服を脱ぎ捨て、新しく手に入ったローブを頭からすっぽりと被った。内側はふさふさの毛皮で裏打ちされているのだが、不思議なことに暑くはない。この毛は北の国にいるブルーベアのもので、暑い中では涼しく、寒い地方では温かく体温を保ってくれるのだ。
「クマ耳は可愛いけど、ちょっと恥ずかしいです。」
「だってそれ、子供用だもの。」
「貴女、この子を馬鹿にしていますの。」
やっぱり時魔道士は子供だから、子供用でも違和感はないのだ。
「そのクマ耳、ある程度の魔力を持っている人には特別な力を与えてくれるのよ。試しに、そのままクマになったイメージしてみて。」
クマになったイメージなど、生まれてこの方そんなにした事はないのだが。…と、時魔道士の体が青く光り始めやがてその姿を変える。
「きゃあ!ブルーベアが、いつの間に。」
「王女、剣を抜いちゃだめよ。」
するとブルーベアが話しかけてきた。
『あの、どうかしましたか。何かありました?』
「ひぃいい!クマが喋ってる。」
「まだわからない?変化魔法よ。」
なるほど、このブルーベアは時魔道士の変化した姿。さすがクマ耳ローブだ。
「わ、わ、わたくしはそんなの、し…、知ってましたわよ。」
王女の顔が激しく引きつっていた事など、その周囲にいれば誰しもが確認出来た。
「さ、私は私に出来ることの全てを為したわ。お二人さん、また会う時もあるかもね。その時まで元気で。」
カサンドラは先程とは打って変わって、元気に二人を送り出そうとするのだ。
「カサンドラさん、何から何までありがとうございました。カサンドラさんもお元気で。さようなら。」
「わたくしたち、自分たちが行動することで、きっと預言なんて外させてみますわ。だって、自分の運命は自分で掴みたいんですもの。ガイアはこんなに広いから、夢は果てを知ることはない。どこまでも、走ってみせますわよ。」
…面白い人たち。カサンドラは心の中に、今までにない期待の念を抱いていた。本当にこの二人なら、運命の名の下に世界を動かすのではないか。自分の預言など始めからなかったかの様に、見事に幸せを掴み取ってくれるのではないか。もう、悲劇の預言者などと呼ばせない…。
ガチャ!
時魔道士が潜ったドアの先は、熱い日差しの降りかかる砂漠の町。振り返れば、緑色のドアがそこに。掲げられた看板は【セレクトショップカサンドラ】
夢のような、素敵に満ち溢れた私だけの小さなお店。いつかまた出会えるだろうか。そして次はきっと幸せな預言を期待するのだ。
そのためにやるべき事は前に進む事。
ここが運命の出発点。
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