彼女が消えた日

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彼女が消えた日

『さぁて……長い歌……長い記録……長ーい物語……。時が未来へ進むのがこの世界の理なら、時代が作られるのは人の営みでしょう。そしてそれを伝えるのは……誰の役割なんでしょうね?フフフ』   ーーー彼女が消えた日ーーー  白馬に乗っての凱旋(がいせん)。街道には(かご)いっぱいの花を舞い散らせる女、子どもたち。世界中に笑顔が(あふ)れていた。そうなる筈だった。ーーなのに、なのに。やっと魔王城から帰った時魔道士は、帝国軍の士官によって捕らえてしまう。扱いこそ荒くはなかったが、尋問官の取り調べは長期に渡った。  理由?ーー勇者を欠いて帝国に帰って来たからに決まっている。他のメンバーも何処を探しても見当たらない。人々は勇者こそ人類にとって絶対的存在だと信じていたのだから、魔王が倒されたと聞いて、そこに勇者がいないとなると納得がいかないのだ。  果たしてそんな状況で、世界が平和になったという真実など、何の意味があろうか。  時魔道士は尋問に対し、全てを包み隠さず喋った。だがそれは、無脳な軍部を納得させられるのに十分な説明ではなかったようだ。尋問官は乗っけから全てを決めつけで判断していた。むしろ、時魔道士こそが一番初めに負傷し、なんなら勇者の盾となり、ともすれば帰ってこないものだというストーリーを描いていたのかもしれない。  誤算だ、誤算…これは誰にとっても誤算であったのだ。  事情聴取とは名ばかり。はじめの頃は丁寧なやり取りがなされたものの、お互いに何ひとつ噛み合うところが無い日々が過ぎてゆく。真実を伝える事が正しき道だと信じる時魔道士と、絵に書いた餅を喰わせようとする帝国政府。軍部の操り人形は段々と腹を立て、そのうち、時魔道士を(なじ)るためだけに部屋の鍵を開けにくる、怠惰(たいだ)な看守へと化した。また、時魔道士の腕には、流石に後ろ手では無かったにせよ、魔力封じの手枷がかけられ、着替えには囚人服が与えられるようになった。 ーーー 「おはようございます、いい朝ですよ。と言っても、明かり窓からの光だけではなんだか気が滅入ってしまいますよね。ごめんなさい」  時魔道士には牢屋ではなく、保護室の一室が与えられていた。一人が十分に暮らせる広さの木の床と、割と柔らかいベッドと、洗面台とトイレ。窓際にはこじんまりとした机と椅子まで用意され、手紙のやり取りも出来るらしい。 「誰かお手紙をやり取りなさる方はいらっしゃいませんか。いつでもおっしゃって下さいね。あ…差し出がましいことを…申し訳ありません。ただ、こんな部屋ですから退屈なさらないかな、と思いまして」  部屋は客人が逃げ出さないようにと、窓が頑丈に板で打ち付けられ、明かりを取るのに天井近くの明かり窓だけがぽっかりと開いていた。毎日の世話には、気立ての良い若い女性衛生兵が当てがわれ、なるだけ衛生面や気晴らしにも配慮がなされた。 「シャワーが毎日使えたら良いんだけど…。ごめんなさい、我慢して下さいね」 よく謝る女である。 「花瓶はここでいいですか」 毎日色とりどりの花を取り替えてくれるのが、少しばかりの心の救いとなっていた。花は季節の風を運んでくれる。淡い香りが涙を(ぬぐ)ってくれる。  さて(ちまた)では、どこから情報が漏れたのか、時魔道士について、あらゆる噂が飛び交い始めた。時魔道士が道中に勇者一行を罠にはめて暗殺したのだとか、だから魔王の手先なのだとか、それこそ魔王が成り代わっているのだとか、不安を(あお)る情報が数多飛び交い、誰もが真実を知る由もなかったのだ。軍部、政府の人間だけでなく、とうとう街の人々まで時魔道士を信じてくれなくなり、まさにその身は絶望のどん底に叩き落とされるかと思われた。  そんな中、広場や路地裏では、太陽がてっぺんに昇りきらない午前と、市民がお茶を楽しんでから夕焼けまでのほんの少しの間、琴の音に乗せた透き通った女性の声が聴かれるようになった。その主は一体どこから来たのか、不思議な雰囲気を漂わせる放浪者のようなのだが、なるほど、これが詩を歌いながら旅をする、吟遊詩人(ぎんゆうしじん)というものなのか。  女性はエキゾチックな風貌をしていた。それに自在に動く美しい指で、ピンと張られた弦を爪弾く仕草は、まるで宝珠を撫でるようで、見るものを夢の世界へと誘う。繊細な彫刻を施された指輪を光らせながら、妖しげな眼光で近寄ろうとする者を危い距離で足止めする魅惑の詩人は、瞬く間に人々の人気を(さら)っていった。詩人は唄う。今、まさに世界は救われ、光に満ちたではないか、と。そこに何の邪悪な企みがあろうか、救世主に対して疑いを持つより、素直に祝福を贈ることが自分たちの幸せに繋がるのだ、と。  いつしかその歌を誰もが口ずさむようになっており、その文句は街の人々の瞳に輝きを取り戻そうとしていた。長い間戦って来た暗黒の時代との決別の讃歌として、国民は歌を愛したのだ。そしていつしか生まれたひとつの歌が大きな変化をもたらした。  大陸中から集まった有志が大行列を成し、帝国の街道を音楽を携えて行進するという運動が湧き起こったのだ。中には奴隷階級の者があれば、軍人や商人もある。音楽家達は集い、それぞれ得意な楽器を持って讃歌に編曲を施して、目一杯の音量で演奏し、民はその伴奏に合わせて声高らかに歌った。今、国民は立ち上った。時魔道士を解放せよ、と。そして英雄として(たた)えよと。後の世に語り継ぐべきだと。  さすがにここまで騒ぎが大きくなっては、時の帝王とて関心を逸せる訳にはいかなかった。今までならば、大臣級までが頭を揃え、密室での会議でことを握りつぶして有耶無耶にする程度で事足りていた。しかし事態は、とうとう大陸全土にまで知れ渡ろうとしているのだ。  すぐさま臨時会議が開かれて、時魔道士の処遇についての議案が持ち上がり、血相を変えた重鎮達が何日にも渡って、すっかり禿げ上がった頭を悩ませた。右からは、式典を(もよお)して英雄として祭り上げて、今までの冷遇を無かったものにしてしまえ、だとか、いや左からは、むしろ日の昇らぬうちに亡き者にしてしまえば、そのうちいい噂も悪い噂も消えてしまおう、などという極論まで飛び出す始末。  勿論、教会の関係者はそんな安直な考えには頷く筈もなく、議論は混乱のうちに決裂するものかと思われた。だが数日後、魔界の状況を確認しに出兵していた帝国の聖槍騎士団が奇跡の生還を果たし、時魔道士の供述にほぼ間違いの無いことが伝えられる。何せ手土産に、勇者の遺品である勇気の剣と、勇気の紋章を持ち帰って来たものだから、議会はとうとう、民にその真偽を示さざるを得なくなったのだ。議会は一気に時魔道士を讃える方向へと傾く。  ただし…、帝国などという古く大きな組織では止められぬ意志、と言うものも働くのだ。元々勇者の選定、派遣からして反対派であった元老院のお偉方は、本意とは裏腹の決議に怒り、議会の裏でこっそりと影の者に伝令を伝えると、すっかり濁り切った瞳に深い闇を宿すのであった。  ーー本件については、意外にもあっさりと決着が見出された。時の帝王が騎士団の報告を聞きつけ、時魔道士の置かれた状況に心を痛めたため、是が非でも助け出したいとの思いを抱かれたのだ。帝王直々の命令が下り、時魔道士は身柄を解放、新たに『勇者』の称号を与えられ、魔王討伐の褒美と共に自由に暮らせるよう取り計らわれるように決議された。  さて、看守の中でも特に自分の仕事を誇りに思っている髭の二等兵が、いつもと違う仕事…時魔道士に歓びの知らせを伝えるために部屋の鍵を開けようとしたところで、彼は異変に気がついた。いつもは締め切られた窓辺の椅子に腰掛けて、つまらない尋問の時間を待っているはずの時魔道士が見当たらない。どうしたことかと室内を調べようと一歩踏み入った瞬間…。  シャッ。  髭の二等兵は、背後から何者かに組み敷かれ、喉元には刃物を突きつけられていた。敵らしき人物は二人。黒づくめのなりをしており、その動きは相当鍛えられていると思われた。 「罪人を何処へやった」  もう一人の黒づくめが突然おかしな事を言うのだが、その尋問の口調は非常に穏やかであった。男か…女か…判別の付かない声。声色を自由自在に操るのがこの人物の特技らしい。 「お、お、お、お前らは何者でおじゃるかっ?」 動揺を隠せない二等兵。 「おいおい、こいつ、兵士のくせにビビってやがるぜ」 身体の自由を奪って来た敵は、包み隠さず悪党じみた男の声で笑ってみせた。 「私語は慎みなさい。ね、早く答えなさい、兵士さん」  黒づくめの二人は髭の二等兵が喋らなければ、直ぐにでも命を奪う覚悟のようだ。髭の二等兵は困った。何せ、自分が部屋の鍵を開けた時には、もう時魔道士の姿がなかったのだから。何処にいるかなど答えようがない。 「知らぬでおじゃるよ、知らぬでおじゃる」  声色の達人が合図をすると、黒づくめの男の方は、忍ばせていた毒針を取り出し、髭の二等兵の首筋にチクリと一刺しした。 「本来なら私たちを見た者は、確実に始末しなきゃいけないの。でも、何だか人間味ってのが出ちゃうのさ。万年眠り草の毒で、少しの間眠ればいい。この国の闇が(つい)えるまでの、ほんの僅かな月日だけ」  黒づくめの二人は髭の二等兵を担ぐと、何処かへ連れ去ってしまった。  ーーしかし、時魔道士はいったいどこに消え去ったと言うのだろう。  魔力封じをしてあるのだから、魔法を使って逃げ出した訳では無いだろうし、力任せに何かを破壊して逃れた形跡もない。  黒づくめの二人組が暗躍してからはや2時間、開けっ放しの扉に気付き、慌てた兵隊たちは血眼(ちまなこ)になって時魔道士の行方を探したが、とうとう捕縛されることはなかった。  一説には、同情した一部の兵士たちが協力して南の楽園に逃した、のだとか、その働きが認められて女神様に召し抱えられて、天の神殿で位を授かったのだ、とか、何せ温かい結末を望む国民の噂が飛び交った。  時魔道士が姿を消した後、密かにその事実を書き残した者がいるという。  朱雀の暦192年3月3日。  歴史書に魔王を倒した救世主の名が、最初で最後に刻まれた日である。  
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