絶望のたまごサンド

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絶望のたまごサンド

「かの子」  自分の名前を呼ぶ声がした。男性の声だ。目を開けるとそこは水の中だった。水面から舞い降りた光が、網目状にゆらゆら動いていて、裸足を白く照らして染めた。砂は無く、青くて平な地面が見える。私はどうしてこんなところに潜っているのかわからない。水は足元を冷たい手でくすぐるように撫でていく。その瞬間、物凄い勢いで水流が襲い掛かり、私は息をしたいのに水の中でひっくり返っている。  誰かの手が目の前に伸びていた。私はその手を一生懸命掴み、ザブンと音を立てて水の外へ顔を出した。太陽が照り付け、目の前には男が立っていた。その男の顔は、フィルム写真を漂白剤で一部溶かしたみたいに、白く光っていて凝視することができない。自分よりも遥かに身長が高く、私の腰まである水面が、その男の膝くらいまでしかないように見える。白く光る男の顔の向こうで、真夏みたいに高い位置で太陽が揺れていた。 また、あのプールの夢だ。  この夢の中の男と、話がしたい。そう思うと夢が終わってしまうのだった。  夢とは、寝落ちた後に突然始まり、ある場面で突然打ち切られ、瞼を開くと現実の世界にいきなり戻れるものだと友人は口を揃えて言う。私だけが、夢への入り口と現実世界への入り口、二つのドアを確実に行き来する、トンネルのような異空間を持っていた。  その異空間の通路は、天井や壁の境目がはっきりせず、地面に足をつくことができなかった。ふわふわと浮いた状態で、水の中をもがくように進むと、夢への入り口がある。トンネルの壁の色は桃色だ。幼少期から大人になるまでの現在まで、このトンネルをくぐらずに夢への行き来をしたことは一度も無い。  私はトンネルを泳ぎ切ると、現実世界へのドアを開いて外へ出た。  眠い目を擦ると、その指先に、まつ毛エクステでつけたばかりの人工毛と、水分の交じった目やにが付着していた。  ベッドから腰を下ろし、ため息をつく。現実世界の朝を迎えてしまったのだ。小さなダイニングテーブルには、赤いギンガムチェックのテーブルクロスが引かれ、母が作ったサンドイッチが置かれていた。濃い水色の平たい皿に、ふわふわのタマゴが挟まった白い三角のご馳走は良く似合う。  私は白と黄色のマーブルみたいな、世間から見たら夢のような具の詰まったサンドイッチを頬張った。  我が家のサンドイッチを食べたのは、二年ぶりだ。一階ではサンドイッチハウス「正夢」で母と叔父とアルバイト店員の子たちが、一生懸命サンドイッチを売っている。私だけが、社会から隔離されたこの灰色の空間で、朝食を食べている。 「平成最後に、あなたは何をしたいですか?」  キッチンの、食器棚の上に高く置かれたラジオからそんな声が聞こえた。天皇陛下が生前退位の意向を示されて以来、テレビやら雑誌やらのメディアで飽きる程聞いたセリフだった。まったく、くだらない。  顔を洗い髪の毛を適当に後ろで結ぶと、私は昭和モダンな、白い丸襟のついた真っ赤なワンピースを着た。レトロな洋服の集まる高円寺の古着屋で買ったもので、よく見るとチューリップの刺繍が細かく施してある。鏡を覗き込めば頭皮はすっかり地毛の黒に戻っており、この先の期待や希望に満ちて美容室のドアを開けた、あの時の自分が醜く思えた。そういえば、前に髪を切った時以来、ハギちゃんに会っていない。  私は部屋の隅に転がった鞄から小さなビンを取り出して、ポケットにしまった。  昨日、私は原付バイクに跨り、生まれ育ったこの吉祥寺の街に帰ってきた。 全てを、終わりにするためだ。 「私たちはさ、平成に生まれて幸せだったよね」  家を出て、中道通りを歩きながら、ふと椿が口にした言葉を思い出した。雨が降ったのか、敷き詰められたレンガは濡れていて、歩き慣れた中道通り商店街は人通りが少なく見えた。  二年前に家を出て年上の恋人と同棲を初めることになった時、同じように駅に向かってこの商店街を歩いた。あの時と比べ、道の両脇に並ぶ店の顔が少しずつ入れ替わったように見える。  ガラス戸に貼り紙のある建物を覗いた時、私は思わず足を止めた。「閉店」とだけ書かれた貼り紙には次の行き場所も店主の挨拶も書かれておらず、店の中には空になった棚が置き去りになっていた。昭和のおもちゃやキッチン用品、アイドルのポスターが並んだ、私が大好きだった場所で、店の名前は「銀杏堂」といった。いわゆるガラクタ屋というやつだ。祖父や祖母の時代からずっと続いていた店だった。  どこへ行ってしまったのだろう。ほうじ茶をこぼしたような茶色のベストを着て、モンブランのてっぺんみたいな栗色で編んだ帽子をちょこんとかぶった、店主のおじいさんが大好きだった。情報社会になって余計なものばかり増えた平成に、昭和のガラクタを夢のかけらとして持ってきてくれたのだと思っていた。平成が終わって新しい元号「令和」になるから、昭和なんてもういらないと、撤去されてしまったのだろうか?  そんなことを考えていたが、私には関係ないことだと前を向いて、再び歩き出した。住処として吉祥寺からは二年離れていたし、平成最後にやりたいことは、新しい時代へは行かずにこの世を去ることだから。  中道通りを出て、大型商業施設と駅前の大通りに面する交差点で信号待ちをする。車がまだ到達しないことをいいことに、キャップを被った大学生くらいの青年が、アスファルトを擦るような音を立てて横断歩道をスケートボードで走り抜けていった。信号待ちの人々は、若者への羨望か、憐みか、何かしらの感情を抱いて青年を目で追った。 ──三十年前、この交差点の真ん中で、父は死んだ。  車のブレーキの音や、幼い男の子の転がった靴、血の跡、目を両手で覆ってその場にしゃがむ女子高生、見物する群衆。そして、それを見てしまった私の母、たま子。この場所を歩く度に、決して豊かではない想像力を発揮して、当時一九八八年のクリスマスを思い浮かべた。この世に生まれおちていないお腹の中の私は、母親の愛に包まれた暖かいクレープみたいな場所で何も知らず、ゆらりゆらりと眠っていた。  当時妊娠五か月だった母は、祖父と祖母の経営するサンドイッチハウス「正夢」のウェイトレスを体調の良い時に手伝っていた。父は中野の一般企業に勤める会社員で、当時は母と二人で西荻窪の安いアパートに住んでいたという。その一九八八年のクリスマスは日曜日で、二人は吉祥寺のデパートに買い物に出ていたらしい。  これから父親と娘として出会い、衝突しながら家族になっていくはずだったのに、父は娘を知らず、娘は父を知らないまま、二度と会うことはなく引き裂かれた。父は母を置いてこの世を去り、母が虚無感と絶望で震えている中、翌年一月に昭和天皇が崩御し、慌ただしくこの世は平成を迎えた。  あれから平成が三十年続き、終わろうとしている。あと一週間経てば、日本は新元号「令和」を迎え、父の過ごすことのなかった平成はあっという間に過去の時代となる。  吉祥寺駅の中を通り抜け、南側の公園口へ出た。日中は雨の予報が無いらしく、傘を持った人はほとんどいない。人通りの多い路地を抜け、井の頭公園への道を歩いた。平日ということもあり、公園内のベンチは全てカップルで埋まっているというわけではなさそうだった。
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