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 キクは盛大なくしゃみをした。  室内に、埃が舞っている。  窓から入り込む光にキラキラと光るそれは、きれいにも見えたが、鼻に入ると凶器と化す。  くしゅん、くしゅん、くしゅん。  くしゃみを連発するキクを、脚立に上った青年が、呆れ顔で見下ろしてきた。 「マスクをしないからだよ」  そう言った彼の顔には、白いマスクがある。  キクは鼻を啜って、顔にくしゃっとしわを作った。 「せやかて、マスクしたら、耳が痛うなるし……」 「ちょっとの時間だったら大丈夫だって。っていうか、あ~き~た~っ。なんで菖蒲(あやめ)たちが掃除させられてんの?」  脚立の上でじたばたと足を踏み鳴らした彼……菖蒲は、マスクを外して、ぷぅっと頬を膨らませる。  キクは菖蒲を見上げて、小首を傾げた。 「キクは、罰やいうてここへ連れてこられたんやけど……菖蒲さんはなにしはったんどす?」 「さんとか付けなくていいって。僕はアレだよアレ。超ビッチだからさ~。苺にもそれでよく怒られるんだけど。今回はでも運が悪かったんだよね。一回男衆の味見がしたくって誘ってるとこ、青藍にばっちり見つかっちゃって。あのお節介バカが楼主にチクったから、僕がこんな目に遭ってるってワケ」 「はぁ……」  キクは地味だ地味だとよく言われる目をパチパチと瞬かせた。 「なんや、知らん名前ばっかり出てきますけど……っていうか菖蒲……ちゃん? のこともキクは知らんのやけど……もしかして、ゆうずい邸のお方なんどすか?」 「そうそう。菖蒲はゆうずい邸の男娼なんどす~」  軽い調子で頷いた菖蒲が、脚立から降りてきて着物の裾を整えた。    ゆうずい邸、というのは現代の遊郭・淫花廓の中に於いて、客を抱く立場の男娼が揃う場所だと聞く。  対して、キクの居るしずい邸は、客に抱かれる立場の男娼(そう、男娼、である。ここで働く者は皆男性だ)が所属していた。   「ゆうずい邸のお方は、こっちへは()ぃひんと思うてました。行き来は禁止やて言われた気が……」 「ふつうはそうなんだろうけど、僕に限ってはたぶん、こっちに追いやる方が罰になると思ったんじゃない? だって、すれ違う男娼すれ違う男娼、みんな雌臭いんだもん~。菖蒲こんな場所我慢できないよ~。あ~、早くあっちに戻りたい~」  早く戻りたい、という割りに菖蒲の手は遅い。  二人はいま、楼主からの言いつけで、しずい邸の敷地の奥にある倉庫の清掃を行っていた。  ここをきれいにすれば放免されるはずだが……掃除なんてさらさらする気のない菖蒲と、要領の悪いキクの組み合わせなので終わるものも終わらない。  室内はすでに、散らかしているのか片付けているのかよくわからない状態だ。 「それで?」 「へ?」 「キクちゃんはなにをしてお仕置きされてるワケ?」  問われて、キクはへぇと頷いた。 「キクは昨夜、お客様のお膳をひっくり返してしまったんどす」 「へぇ~」 「あと、出したらあかん言われてたお客様の上着を、洗濯用のカゴに間違えて入れてしもうて……朝になって気づいたんやけど、まだ乾いてへんて言われて……」 「あらま」 「お客様より寝坊もしたし、なによりお客様に満足してもらわれへんかったみたいで……もう指名せぇへんってカンカンに怒らせてしもて……」  菖蒲が、キクのくせのない髪をさらりと撫でてきた。  彼の手には綿埃があったので、キクの頭についていたものを取ってくれたのだろう。 「おおきに」  キクがお礼を言うと、菖蒲が顔をしかめて眉間にしわを寄せた。 「っていうかそんな一回のミスぐらいでペナルティって、ちょっとあんまりじゃない?」 「一度やないんです」 「え?」 「もう何度目かわからへんクレームやったから」 「そ、そっかぁ……」  菖蒲がさすがに絶句した。  キクはしょぼんと肩を落として、 「キクは男娼に向いてへんのどす」  と呟きを落とした。 「なんで?」 「キクは……キクは、エッチが大好きなんどす」 「えっ! 菖蒲も! 菖蒲も菖蒲も!」  ものすごい食いつきを見せた菖蒲が、キクの両手をガシっと握ってくる。 「いいじゃん。エッチ大好き。なんにも悪いことじゃないじゃん」 「しずい邸の男娼はそれじゃあかんのやと言われます。キクはいつも、自分が気持ちようなることばかり考えてしもうて……お客様に喜んでもろてこその男娼やて、いつも叱られます」 「え~、でもさ~」  菖蒲がくりくりとした大きな瞳にキクを映して、可愛い顔で笑った。 「アソコにおちんちん挿れてもらったら、頭ふわふわしてもうエッチのことしか考えられなくなるよね~」 「そうどす! そうなんどす!」  今度はキクが菖蒲のセリフに食いついた。  何度も頷き、彼の手に指を絡めてぎゅっと握る。 「キクは阿呆やから、エッチのことしか考えられへんくなるんどす!」 「一緒一緒。僕も一緒~」  にこにことそう言った菖蒲が、キクの唇にちゅっとキスをしてきた。  キクは驚いて目を丸くする。 「菖蒲、キスも好きなんだよね」  ちろ……と舌先を覗かせて。  一気に色香を纏わせた微笑のままで、菖蒲が深いキスを仕掛けてくる。  くちゅ、ぺちゃ、と濡れた音を立てながら、彼の舌がキクの口腔を這いまわる。 「ふ、あ……」 「ん~、キクちゃんの唇、やわらかい」 「あ、菖蒲ちゃん……」  舌を引きずりだされ、ちゅばちゅばと吸われた。  お互いの唾液が混ざりあう。  キクの頭がふわふわしてきた。  気持ちいい。  菖蒲の巧みなキスに、体に火がともってくる。    キクの背が、棚に当たった。  キスをしたまま、至近距離で菖蒲の目が笑みの形に細まった。  菖蒲の手が、キクの腕を下へと引っ張る。  それにリードされるように、キクはずるずると座り込んだ。  埃っぽい床の、ひんやりとした感触を尻の下に感じる。  菖蒲がキクの体を左へと押した。  キクは逆らわずに、横倒しになった。  清潔とは言えない場所だったが、そのことを気にする余裕はどこかに飛んで行ってしまう。  キクは菖蒲の口づけを受けながら、自分でごそごそと帯をほどき、着物を開けさせた。襦袢の襟ぐりも左右に開いて……乳首をこりこりとつまんで弄りだす。 「ん、んん~っ、んっ、んっ」 「あ~、ずるい、キクちゃんだけ」  キクの手遊びに気づいた菖蒲がキスを止めて、自分の着物の帯をキク同様にほどいた。  そして、改めてキクに覆いかぶさる体勢になって……そこでピタリと動きを止めた。 「ど、どないしたん?」 「いや、あの箱なんだろ?」  菖蒲が地べたに置かれている段ボールを、腕を伸ばしてずりっと引き寄せる。  麻紐できっちりと縛られている、その結び目を苦戦しながらほどこうとする菖蒲に、身を起こしたキクが協力した。  そして、ようやく箱を開けることに成功した二人は、中身を見て……歓喜に目を輝かせた。 「これ、使っていいってことだよね?」 「使うてへんものやし……借りてもバレへんのとちゃいますか?」 「よし、使おう」 「使いましょ」  互いに、頷き合って。  キクと菖蒲は箱の中に手を突っ込んだのだった。     
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