ちんちくりんな、私でも

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 お風呂からあがってふとスマホの画面を見ると、一件の不在着信が入っていた。  少しどきどきしながら画面をタップすると、その相手は案の定伊奈さんだった。きっと、仕事が終わってすぐ電話をしてくれたのだろう。  彼の名前を見ただけでふっと心が軽くなるような気がしたけれど、今日は伊奈さんと会えない。もうこうして家に帰ってきてしまったし、明日の話し合いとやらを終えるまでは無理だ。  自分で決めたこととはいえ、彼に会えないことも、彼に事情を打ち明けられないことも辛くて仕方なかった。  深い深い溜息をつきながら、伊奈さんになんと返事を打とうか考える。  電話をした方がいいのかもしれないが、それだと余計なことまで口走ってしまいそうだ。  そんなことを考えながらリビングでスマホを片手にうんうん唸っていると、突然玄関のインターフォンが鳴った。  一瞬びくついてしまったけれど、そういえば昨日ネット通販でCDを買ったんだった。それできっと、いつもの宅配業者さんが来たのだろう。  随分早く届いたんだなぁと思いながら、部屋着の上にパーカーを羽織って玄関へ向かう。  そして、何も考えずに鍵とチェーンロックを外して、ガチャリとドアを開けた。 「ありがとうございまーす。あ、ハンコ無いんでサインでもいいですか?」 「……は? 何言ってんだ、お前」  しかし、ドアを開いた先にいたのはいつもの配達員さんではなかった。  聞き覚えのある低い声に驚いて顔を上げると、そこにはスーツ姿の伊奈さんが仏頂面で立っていた。 「えっ!? どうして伊奈さんがここにっ……!?」 「お前、誰が来たのか確認もしないでドア開けたのか。不用心だな」 「す、すみませ……じゃなくてっ、え!? あの、私、伊奈さんに家の場所教えてないですよね!? な、なんでっ」 「バカ、前に住所聞いただろ。電話しても出ねえし、直接家に行った方が手っ取り早いと思ってな」  何でもないことのようにそう言うと、伊奈さんは遠慮なくずかずかと部屋の中に入ってこようとする。  驚きのあまり立ちすくんでいた私だが、現在の部屋の散らかり具合を思い出して慌てて彼を引き止めた。 「ま、待って! いっ、今めちゃくちゃ部屋汚いんです!」 「あ? まさかお前、仕事帰りにわざわざ家まで来てやったってのに追い返すつもりじゃねぇだろうな」 「お、追い返したりしません! しませんから、その、5分だけここで待っていただけないでしょうか!?」  必死の形相で頼んだ結果、伊奈さんは渋々ながらもこくりと頷いてくれた。ほっとする間もなく、早速一人部屋に戻ってバタバタと片付けに取り掛かる。  5分程度では綺麗に片付かないだろうけど、せめて出しっぱなしのコップや、部屋干ししている下着くらいは仕舞っておきたい。まあ、よく考えたら伊奈さんには下着どころかその中身まで見られてしまっているのだが。 「おい、もういいだろ。5分経ったぞ」 「ええっ、もう!?」  まだ彼を招き入れる準備も整わないうちに、玄関に放置してきた伊奈さんが勝手にドアを開けて入ってきてしまった。  何とか恥ずかしくない程度には片付けられたけれど、こんなことになるなら日頃からちゃんと部屋を綺麗にしておけばよかったと深く後悔する。 「なんだ、思ったより片付いてるな。あんなに慌てるから、もっとゴミ屋敷みたいになってるかと思った」 「さ、さすがにそこまでではないですけど……あんまり細かいところは見ないでほしいなー、なんて……」 「分かった分かった」  そう言うと伊奈さんは、仕事用の鞄を置いてから私がいつも座っている座椅子にどかっと腰掛けた。息を吐きながらネクタイを緩めている姿を見る限り、どうやらお疲れの様子だ。 「あ……お仕事、お疲れ様でした。大丈夫だったんですか? 急なトラブルって……」 「ん? ああ、よくあることだからな。それより、お前の家に来るまでの方が疲れた。駅から遠くないか、このアパート」 「えっ? す、すみません……その、駅近だと家賃が高くて……」 「別に謝らなくてもいいけどよ」  そうは言ったものの、伊奈さんはいつもよりどこか不機嫌な様子で私の顔をじっと見つめた。  突然のことに驚くだけだった私だが、その目に見つめられたことで先ほどの出来事を思い出してしまう。  そうだった。  伊奈さんには、加茂さんのことを話しちゃいけないんだった。 「あ……っ、あの、何か飲みますか!? コーヒーとかお茶とか、いろいろありますけどっ」 「水」 「え。お、お水だけでいいんですか……? あ、チャイとかレモネードなんかもあるんですがっ」 「いい。水分補給だけしたら、お前に聞きたいことがある」  いやに真剣な眼差しで見つめられて、私はそれ以上何も言うことができなくなった。  どうやら伊奈さんは、お茶を飲みながら楽しくお話しをするために私の家に来たわけではないらしい。  聞きたいことって、なんだろう。あんな真剣な顔の伊奈さんは初めて見た。もしかして、加茂さんの件がもうバレてしまったのだろうか。  でも、私はまだ伊奈さんに何も話していないし、唯一事情を知っている萌子ちゃんだって彼にあの話をしているはずがない。伊奈さんにはこのことを話すなと加茂さんに脅されているし、そのうえ伊奈さんは自分の家に帰る前にこの部屋に来てくれたのだ。  それなら、彼の聞きたいことというのは加茂さんの件ではないのだろうか。でも、その他に思い当たる節が無い。伊奈さんにあんな真剣な顔をさせる出来事に、私は全く心当たりがなかった。
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