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「ねえ、桜ちゃん。桜ちゃんさ、周にぃとやることやってんの?」
店番の最中、まるで「ご飯食べたの?」と気軽な質問でもするかのように萌子ちゃんがとんでもない疑問をぶつけてきた。私は思わず咽込んでしまったというのに、彼女はなんでもない顔をして私の返事を待っている。
もう結婚したとはいえ、さすがに彼の妹さん相手にそんなあけすけな話をしてもいいのかと迷っていると、萌子ちゃんは焦れたように言葉を連ねた。
「だってさ、結婚して一緒に住み始めたってのに、二人とも相変わらずなんだもん。家でももっとイチャイチャしていいのに」
「いちゃいちゃって……そ、そんなこと言われてもっ」
「やっぱり家族と同居してたら、そういう気分にならない? 心配なんだよ、あたしらがいるせいでレスにでもなって、二人の仲が悪くなったりしたら。赤ちゃんだってできないしね」
どうして突然そんな質問をするのかと思えば、萌子ちゃんなりに私たち夫婦の仲を心配してのことだったらしい。少しほっとしたけれど、それでも即答しにくい質問には変わりない。
それに言いづらいけれど、夜の営みはそれなりにしているつもりである。お家をリフォームしてからは以前のように床が軋むこともなくなったし、周一郎さんいわく壁も少し厚くなった、とのことだ。まあ、だからといって無遠慮に大声を出したりはしないけれど。
「あ、あの、萌子ちゃん? 心配してくれるのはありがたいんだけど、たぶん大丈夫……だと、思うんだ、うん」
「本当? でもさ、周にぃももう30後半じゃん? 桜ちゃん、不満ない? 周にぃじゃ物足りなくなって浮気とかしない?」
「しっ、しないよ!? 大丈夫だってばっ、物足りなくなったりしないから!」
慌てて否定したけれど、萌子ちゃんはまだ納得がいかないようだ。そんなに心配になってしまうくらい仲が悪いと思われているのだろうかと、逆に心配になってしまった。
「結婚したら急に相手に飽きちゃった、とかよく聞くからさ。だから浮気したり、ちょっと危ない橋も渡ってみたくなる、みたいな」
「え……そ、それって、男の人も……?」
「まあ、男女どっちにも言えるだろうね。夜の生活も大事だって言うし。いつもおんなじだと刺激が足りなくなるのかなぁ」
「い、いつも、おんなじ……」
「うん。まあ、桜ちゃんなら大丈夫か。ごめんね、余計な口出ししちゃって。ちょっと心配になっただけだから、あんまり気にしないで」
萌子ちゃんがそう言って話を終わらせたあたりで、配達に出かけていた周一郎さんが帰ってきた。おかえりなさい、と彼の脱いだ上着を受け取ると、それと一緒になにやら白い封筒を手渡される。
「えっ? これ、なんですか?」
「温泉旅館の宿泊券だとよ。パン屋のおっちゃんが結婚祝いだっつってくれた」
「え、温泉!? あっほんとだ、この前テレビでやってたとこ……」
「ああ。次の休みにでも行くか」
「えっ、本当ですか!」
珍しく嬉しそうに帰って来たかと思ったら、素敵なプレゼントをもらったらしい。横から私の手元を覗き込んでいる萌子ちゃんも、「よかったねぇ」なんてにこにこしている。思いがけないプレゼントに私も手放しで喜んでから、そこではたと思いつく。
──結婚したら、急に相手に飽きちゃった。いつもおんなじだと刺激が足りない。
つい先ほど萌子ちゃんから聞いた言葉が、頭の中でこだまする。きっとこれは、「この機会になんとかしなさい」という神様からのお告げではないだろうか。
周一郎さんに対する不満なんて、私は一切抱いていない。でも、彼も同じかと問われれば、自信を持ってイエスとは言い難いのが現実だ。
だって周一郎さんは結婚した今でも、女性のお客さんにきゃあきゃあ言われているのだから。平々凡々な私なんかほっぽりだして、魅力的な奥様によろめいてしまうことだってあるかもしれない。
そんなの、絶対に嫌だ。
なんとかして、周一郎さんの心を掴んでみせようじゃないか!
封筒を握りしめながら、私の心の中では熱い闘志がふつふつと沸き起こっていた。
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