後日談・あなたは私の大切な

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後日談・あなたは私の大切な

「え? テレビ取材!?」  とある平日の夜、仕事から帰ってきた私は伊奈さんのその話に驚いて声を上げた。  どこか上機嫌な彼は、夕飯の支度をしながら教えてくれる。 「ああ。ローカル番組らしいんだが、ここの商店街でロケをするからうちの八百屋も紹介させてくれってよ。今日テレビ局から打診があったんだ」 「えーっ、すごいじゃないですか! いつ取材に来るんですか!?」 「今週の土曜。まったく、急だよなぁ」  そうは言いながらもやはり嬉しいのか、伊奈さんは珍しくにこにこしながら私のお茶碗にご飯を盛ってくれる。ちなみに、今日の夕飯は伊奈さんお手製の麻婆茄子だ。おいしそうな匂いが部屋中に広がっている。 「嬉しいわよねぇ、テレビ取材なんて初めて! 私、明日美容院でも行ってこようかしら」 「おいおい、母さんを取材しに来るわけじゃないんだから……」 「えー、でもお母さんもテレビに映るんでしょう? 私も一緒に行こうかなあ」 「あら、いいわね! 桜ちゃん、明日お仕事終わったら一緒に行こっか!」 「はい!」  きゃあきゃあと盛り上がっている私たち二人を見て、伊奈さんは苦笑した。  社会人になった萌子ちゃんは、今は彼氏さんと半同棲していてあまりこの家に帰ってこないけれど、話を聞いたら喜んで来てくれそうだ。咲子さん一家も、取材の日はきっと家族総出でやって来るだろう。急にやってきた大イベントに、私はすでにわくわくしっぱなしだ。 「そういえば、ロケって芸能人も来るんですよね?」 「あー、来るらしいぞ。俺はよく知らないんだが、何て名前だったかな……今話題のイケメンタレントだとか何とか」 「えーっ、誰だろう!? もうっ、ちゃんと名前くらい覚えといてくださいよ! 伊奈さん、ほんとそういうのに疎いんだから!」 「うるさいな! 当日来れば分かるんだからいいだろ! ていうかお前、また『伊奈さん』って呼んだぞ! いい加減名前で呼ぶの慣れろ!」 「うっ……! それは、えーっと……ごめんなさい」  ごもっともな指摘に思わず縮こまる。自分でも気を付けてはいるのだが、結婚してしばらく経った今でも、気を抜くとどうしても「伊奈さん」呼びに戻ってしまうのだ。でも、「周一郎さん」より「伊奈さん」の方が文字数が少ないし、ずっと呼びやすいのだから仕方ないところもある……と思いたい。そんなことを言ったら絶対に怒られるから言わないけれど。  伊奈さんに怒られてしゅんとしてしまった私に、お母さんが優しくフォローを入れてくれる。 「まあまあ、確かに呼びにくいよねえ。桜ちゃんは今までずっと苗字で呼んでたんだし、仕方ないよ」 「はあ……母さんがそうやって甘やかすから、なかなか直らないんだろ。たまに来るお客さんなんか混乱してるぞ。結婚したんじゃないのか? って」 「あー、それはそうねえ。周一郎は結婚指輪もしてないし、まだ独身だと思ってるお客さんは結構いそうね」 「えっ……」  お母さんのその言葉に反応すると、伊奈さんはちらっと私の方を見て、それから意地悪な笑みを浮かべた。 「まあ、逆にいいかもな? 独身だと思われてた方が、俺目当てで来る女性客は増えるだろうしなぁ」 「なっ……! そ、それはダメです!」 「だって、お前が嫁さんらしくしないから悪いんだろ」 「私のせい!? 伊奈さんが指輪すればいいじゃないですか!」 「ほら、また『伊奈さん』だ。指輪はなんか……邪魔だから嫌だ」 「なんですかそれ!」 「あーもう! あんたたち、いい加減にしなさい! ほらっ、ご飯食べるよ!」  ケンカをし始めた私たちの間に、お母さんが慌てて割って入る。ごめんなさい、と謝りながら席について、全員そろったところで食べ始めることにした。  それにしても、今のは伊奈さんだって悪いと思う。彼はいつも軽々しく「俺を目当てに女性客が来るから」なんて自信過剰なことを言うけれど、私は割と本気でやきもちを焼いているのだ。  伊奈さんは常連以外のお客さんの前ではいつも笑顔で爽やか――つまり、「綺麗な伊奈さん」の姿で接客しているから、初めて会った時の私のように目をキラキラさせながら彼を見つめている女性客が大勢いるのだ。彼自身は集客のことしか考えていないのが明確なので浮気の心配はしていないが、自分の夫が女性に人気があるとなるとなんだか複雑だ。正直言って、面白くない。  しかも、このやきもちを伊奈さんが軽く捉えているのがまた私をもやもやさせているのだ。接客業なのだからお客さんに愛想よく接するなとは言わないけれど、せめてもっと既婚者アピールをしてほしい、というのが私の本音である。  隣に座る伊奈さんを横目で見ると、まだ納得がいかない顔で黙々とお箸を口に運んでいる。お母さんは私たちのこういった些細なケンカに慣れてしまったのか、もはや気にする様子もなく「これ、よく出来たじゃない」と伊奈さんの作った麻婆茄子を褒めている。 「なあ、周ちゃんや」 「あ? どうした、ばあちゃん」  突然、それまで黙って座っていたおばあちゃんが伊奈さんに声をかける。おばあちゃんはお茶を一口飲んだあと、にこにこしながら言った。 「周ちゃん、桜ちゃんが来てから毎日嬉しそうだねえ。きっと、じいちゃんもあの世で喜んでるよ」 「なっ……そ、そうだといいな……」  おばあちゃんのその一言にすっかり毒気を抜かれてしまったのか、苛ついていた伊奈さんも小さく「悪かった」と謝ってくれた。  さっきとは打って変わって素直になった彼に目を丸くしてから、私はお母さんと顔を見合わせてくすくすと笑った。
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