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そして、土曜日。いよいよテレビ取材の日がやってきた。
久しぶりに一家全員が勢ぞろいした伊奈家は、朝から大騒ぎだ。
「ねーねー、そのイケメンタレントってまだ来ないの? 待ちくたびれちゃったよ」
「咲ねえ、さっきからそればっかり。そのうち来るんだから大人しく待ってなよ」
「もー、萌子はなんでそんなテンションなのよ!? 芸能人が来るのよ、芸能人! ああ、伊奈青果店もとうとう全国区になるのね!」
「だから、ローカル番組だって言ってたじゃん。この辺りでしか放送しないんだって」
芸能人に会えるのよー、と嬉しそうに子どもたちに話している咲子さんと、いつも通り冷静な萌子ちゃんの会話に思わず笑みがこぼれる。「伊奈青果店」の文字が入ったお揃いの前掛けを着けて、私たちは少しそわそわしながらテレビクルーが来るのを待っていた。ロケの本番を始める前に、一度タレントさんも一緒に挨拶と打ち合わせに来る予定らしい。
みんなでお店周りの掃除をしながら待っていると、カメラや機材を持った人たちがやってくるのが見えた。やっと来たか、と呟く伊奈さんの後ろに立って、私も彼らを出迎える。
「お待たせしてすみません、SNUテレビの者です! 今日はよろしくお願いします」
「いえ、こちらこそよろしくお願いします。店主の伊奈周一郎と申します」
いつも以上に取り繕った笑顔……いや、爽やかな笑顔で名刺交換をしている伊奈さんを見て、萌子ちゃんがぶふっと噴き出した。私も思わず笑いそうになったけれど、ギリギリ堪えた。伊奈さんにはぎろりと睨まれたが、気づいていないふりをする。
「えーとそれでですね、こちらが今日ロケに出てくださるDAIKIさんです! モデル業もこなしながら、ネット配信チャンネルでも若者に大人気の将来有望な若手俳優さんでね!」
「初めまして、DAIKIです。そんなに持ち上げられると、かえって緊張しちゃうな」
そう言ってはにかんだのは、色白で凛々しい瞳が印象的な若い男の子だった。すらりとした長身で、さすがモデルというだけあって顔もスタイルも抜群に良い。
「初めまして、伊奈です。今日はよろしくお願いします」
「ああ、あなたが……ふふ、なるほど」
「……なるほど?」
「いえ、すみません。格好良い店長さんですね」
「ははは、光栄ですね」
何やら意味深な笑みを浮かべるDAIKIさんに一瞬怪訝な顔をする伊奈さんだったが、作り笑いは崩さずに愛想よく対応している。後ろでは咲子さんとお母さんが「かわいー!」と黄色い声を上げているが、伊奈さんの隣に立つ私は緊張から微動だにできずにいた。
「いいいい伊奈さんっ、私は何をすれば……!?」
「別に何もしなくていい! いいか、おかしなことするなよ! お前は大人しくしてろ!」
「おかしなことって何ですか! そんなことしませんよ!」
「いや、お前は何をしでかすか分からないからな。黙ってにこにこしとけ」
声を潜めながらそんなやり取りをしていると、DAIKIさんの視線がふとこちらに向いた。言われたとおりにぎこちなく笑顔を作ると、彼はにっこりと笑いかけてくれる。
「可愛らしい店員さんですね。ずっとここで働いているんですか?」
「えっ!? あっ、いえ、私はあの、お店の方にはたまにしかいないというか、お手伝いといいますかっ」
「ああ、アルバイトの方なんですね。ふふ、そんなに緊張しなくても大丈夫ですよ。それでは、また後程よろしくお願いしますね」
そう言うと、DAIKIさんは半ば強引に私の手を取って両手で握手をした。あふれ出る芸能人オーラに圧倒されてばかりの私は、目を瞬かせながら「よろしくおねがいします……」と返すだけで精一杯だ。
スタッフとの打ち合わせは一瞬で終わり、DAIKIさんたち一行はすぐ商店街の別の店へと移動していった。緊張が解けた私は、へなへなとその場にしゃがみこむ。
「き、緊張した……!」
「イケメンタレントって誰かと思ったら、DAIKIくんだったのねー! もう、めちゃくちゃ可愛かったー! いいなあ桜ちゃん、握手してもらって!」
「え……咲子さん、知ってるんですか?」
「もちろん知ってるよー! この前、ネットドラマで主役やってたのよ! 年上OLに恋するコンビニ店員の役! あー、早くもう一回来てくれないかなぁ」
「咲ねえ、はしゃぎすぎ。ていうかあのDAIKIって人、明らかに桜ちゃんのこと気に入ってたよね」
楽しそうにはしゃぐ咲子さんを横目に、萌子ちゃんが苦笑いする。緊張していたから気に入られたかどうかは分からないが、アルバイトだと勘違いされてしまったことだけは覚えている。
「……おい、桜。旦那の目の前で堂々と浮気か?」
「はい!? ど、どうしてそうなるんですか!」
「何がアルバイトだよ、妻ですって言えばよかっただろ! しかも、ニヤニヤしながらこれ見よがしにしっかり握手しやがって……!」
「だ、だって緊張してたから……ていうか、握手しただけで浮気になるんだったら、普段の伊奈さんの方がよっぽど浮気者ですよ! キレイな人に片っ端から声かけて!」
「人聞きの悪いこと言うな! 俺のはただの呼び込みだろ!」
「そう言うなら、私だってお店のためにニコニコしてただけですー! 怒られる筋合いはありません!」
何やら妙に機嫌の悪い伊奈さんは、眉間に皺を寄せながら私を叱りつけてきた。私が反論したことで眉間の皺はさらに深くなったけれど、私だって黙ってはいられない。伊奈さんに言われたとおり愛想よくしていただけだし、握手だってDAIKIさんの方から求められたのだ。あの場で断れるわけがないし、そもそも断る理由もないだろう。
すぐ近くでは萌子ちゃんが「またしょうもないケンカを……」と嘆息するのが聞こえたけれど、お母さんは「いつものことよぉ」とけらけら笑っている。誰も仲裁する気は無いらしい。
「ちっ、どうにも胡散臭い男だったな……ああいう気取ったやつが一番苦手だ」
「ちょっとー、DAIKIくんの悪口言うのやめてくんない? ていうか、周にいが『妻です』って紹介すればよかったじゃん!」
「そうだよ。周にい、そうやって桜ちゃんのこと怒ってばっかりいたら、そのうち愛想つかされちゃうよー?」
妹二人に責められて、伊奈さんは面白くなさそうに口をへの字に曲げた。ついさっきまでよそ行きの顔をしていたのに、本当に大人げない人だ。
すっかりへそを曲げてしまった伊奈さんは、そのまま無言で店の奥に行ってしまった。追いかけようとしたけれど、ちょうどお客さんが来たので慌てて接客をする。形のいいじゃがいもを選んで袋詰めをしながら、ロケ本番が平穏に終わることを祈った。
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