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「さて、次はどんなお店があるんでしょうか。あっ、見てください! 八百屋さんが見えてきましたよ」
カメラやマイク、照明、それにたくさんのスタッフに囲まれながらDAIKIさんがうちのお店に近付いてくる。
こんにちはー、という彼の声を合図に、伊奈さんを先頭にして私たちはそれぞれの配置についた。できるだけ普段通りにしてほしいと言われていたけれど、見慣れない大きなカメラを目にするとやっぱり体が強張る。冷蔵棚の奥にスタンバイした私は、DAIKIさんと伊奈さんのやり取りを見守ることにした。
「お店の方にお話を伺ってみましょう。とてもおしゃれな店内ですが、八百屋さんにしては珍しい作りですよね?」
「はい。昔からの常連さんだけでなく、通りすがりの若い方にも立ち寄っていただきたいと思って去年リニューアルしたんです。最近では、若い女性や学生さんもいらっしゃいますね」
「へえ、そうなんですね。おすすめの品はありますか?」
「今の時期ですと、山梨県産の桃が入荷してます。びっくりするくらい甘いですよ」
打ち合わせ通り、すでに切り分けておいた桃を冷蔵庫から取り出してそっとDAIKIさんの方へ差し出す。DAIKIさんは穏やかな声で「ありがとうございます」と微笑みながらお皿を受け取った。伊奈さんからの視線が痛いほど突き刺さっているが、そっちは見ないことにする。
「本当だ、甘い! 柔らかくてとろけますね」
「はい。ちょうど今が食べごろで……」
「そちらの可愛らしい店員さんも、この桃は食べたことあるんですよね? とっても美味しいですね、びっくりしました」
「ぅえっ!? あ、はい、おいしいですよね……?」
打ち合わせでは店主である伊奈さんにだけ話を聞くはずだったのだが、DAIKIさんはなぜか私の方にも話を振ってきた。咄嗟に答えてしまったけれど、これで良かったのか、とスタッフの方をちらりと見やる。特に止められることは無かったので、DAIKIさんのアドリブに応えることにした。
「店員さんのおすすめも教えていただけますか?」
「え、えーっと……あっ、今年はきゅうりの当たり年なので、良いものがたくさん入ってますよ!」
「へえ、きゅうりかぁ。僕、実は料理が趣味なんですよ。兄が料理上手なのでたまに教わってるんですが、きゅうりはサラダに入れるくらいしか思いつかなくて」
「ああー、そうですよね。お母さんに教わったレシピなんですけど、きゅうりを縦に切ってベーコンで巻いて、ブラックペッパーを振って焼くとおいしいですよ! 簡単だし、おかずにもおつまみにもなります!」
「それはおいしそうですね! 僕も今度やってみます」
DAIKIさんの優しい話し方のおかげか、少し緊張が解れてきた。普段お客さんと接するときのように応じていれば大丈夫かもしれない。
だんだんと自然に笑えるようになってきた私を見て、DAIKIさんがふっと笑う。
「やっと笑ってくれましたね。よかった」
「あっ……す、すみませんっ」
「いえいえ。それにしても、八百屋さんでレシピの相談に乗ってもらえるなんてありがたいですよね。店員さんは──」
「妻です」
突然割って入ってきた声に、私とDAIKIさんはそろって「えっ」と振り向く。その先には、張り付いた笑みを浮かべる伊奈さんが立っていた。
「紹介が遅れて申し訳ありません。こちら、俺の妻の桜です」
「えっ……い、伊奈さ」
「そうだ、桜。DAIKIさんにきゅうりも試食していただこうか。一本差し上げてくれ」
「あっ……は、はい、周一郎さん……」
見るからにご機嫌ななめな伊奈さんの圧にたじろぎながら、店頭に並べてあったきゅうりを一本取って店内の水道で洗う。それを伊奈さんに手渡すと、彼はそれをDAIKIさんへ差し出した。微笑んではいるけれど、明らかに目が笑っていない。
「えー、僕が食べてもいいんですか?」
「どうぞどうぞ。俺の妻のおすすめですからね」
「ふふっ、そうですね。可愛らしい奥さんで羨ましいなぁ」
「ははは、そうでしょう。俺の妻ですからね」
俺の妻、と妙に強調して言った伊奈さんに怯むことなく、DAIKIさんは淡々と返している。一気に居心地が悪くなって萌子ちゃんたちに助けを求めようと振り返ったけれど、私と伊奈さん以外の家族はみんなお店の奥で震えながら笑いをこらえているだけだ。助け舟を出す気は無いらしい。
というか、よくよく見てみるといつの間にやら伊奈さんの左手の薬指には結婚指輪が光っている。私が憧れていたショップでお揃いのものを買ったはいいが、「邪魔だから俺はいい」とか言って彼は結婚式当日しかつけていなかったのだ。
「あーあ、DAIKIくん相手にあんな敵意むき出しにしちゃって。ほんと子供っぽいんだから」
「ていうか周にい、これテレビで流れるの忘れてないよね? 俺の妻だーって連呼してるけど。後から恥ずかしくなって引きこもっちゃうんじゃない?」
それウケるー、と咲子さんと萌子ちゃんは笑い合っているが、怖いくらい引きつった笑みを浮かべている伊奈さんと、何を考えているのか分からないDAIKIさんの二人に挟まれてしまった私の身にもなってほしい。何も悪いことはしていないのに。
居心地の悪すぎる空間でじっと耐えていると、DAIKIさんの食レポが終わったところでやっと撮影が終わった。特大級のため息をついて、何とか無事にロケが終わったことにほっとする。いや、無事ではないのかもしれないけれど。
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