第一章

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第一章

            1 平成十年 春  ――だから、あれだけ言ったのよ!   思わず、そんな言葉が口を吐いて出そうになるのを、  タクシーの車内で必死になって押さえ込んだ。  最初は、家の車で向かおうかと思ったのだ。  しかしキーを差し込もうとした時、  指がカタカタ震えていることに気が付いた。  心臓の鼓動も激しくて、気付けば足元は突っ掛けサンダル。  このまま運転して、もしも事故でも起こしたら、  ――親子揃って、警察の世話になるなんて、絶対だめよ!  そんな恐怖が先に立ち、真弓は慌てて車を降りた。  家の中からタクシー会社へ電話をかけて、  ジリジリしながら到着を待つ。  車の音がする度に玄関まで走って、  終いには門のところでタクシーの到着を待ったのだ。 「吉崎涼太さんは、そちらにお住まいですか?」  はい、吉崎でございます……と、いつものように電話に出ると、  相手はぶっきらぼうにそう聞いてきた。  それから警察なんだと知らされて、  その後の話は半分くらいしか覚えていない。  それでも、息子である涼太が暴力事件を起こした。    だからすぐ来て欲しい。  大凡そんな感じを理解して、彼女は慌てて夫の仕事場に電話を掛けた。  普段から、夫である謙治にキツく言うよう頼んでいたのだ。  ここのところ、涼太の様子が普通じゃない。  帰りがどんどん遅くなり、  何を言っても反抗的で、最近では口を開こうとさえしてくれない。 「あなたから、ちゃんと言ってくださいよ」 「まあ、あのくらいの年頃ってのは、大方そんなもんだろう。ほっとけばい  い。いずれ知らないうちに、元のあいつに戻るだろう」  ほとんど家にいない夫は、こんなリアクションしか返さないから、  〝それ見たことか〟と散々言って、彼にも警察に来るよう頼み込んだ。  結果、相手は三人で、札付きのチンピラだったことが幸いし、  厳重注意と始末書だけ済む。  もちろんチンピラの方も多少の傷くらいはあったらしいが、  涼太の方はそんなもんじゃなかった。  身体中がアザだらけで、右の肘辺りが異様なくらいに腫れている。 「よくてヒビ、悪けりゃ折れてると思うぞ……」  だからすぐに病院へ行け。  玄関口まで見送ってくれた警官にそう言われても、  涼太はあらぬ方を向きっぱなしで返事もしない。  さらに夫の方は最後の最後でやっと現れ、  結局真弓は最初っから最後まで、  ひとり署内を走り回って、散々頭を下げまくったのだ。  そうしてやっと解放されて、親子三人で最寄の駅に到着すると、 「じゃあ、病院に戻るから」 「え? ちょっと、帰っちゃうの?」 「夕方から、うちの科のチームカンファがあるんだ……お、そうだ、なんな  ら、うちの病院で診てもらうか?」 「いいわよ、もし通うことになったら、あなたの病院じゃ遠すぎるし……」  ――涼太が、いい顔する筈ないじゃない。  なんて感じを視線と表情で訴えると、  謙治はこれ幸いと改札口に向かって歩き出してしまった。  そうして涼太と二人になって、  真弓は家から近い国立病院へ向かおうと決める。  結果、涼太の右腕はギブスと釣り用サポーターで固定され、 「まあ、利腕だから大変でしょうが、あんまりジッとしてばかりで、動かさな  いのはかえってだめですからね」    できるだけ、肩や指などは動かすようにと医師から言われた。  それから家までの道すがら、  喧嘩の理由など聞き出そうとするが、  例によって涼太は視線さえも合わせない。
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