De Angelis - デ・アンジェリス(天使) -

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……居心地が悪い。  後ろ暗い思いをするイレネオは伏せた目を()らす。視界の(はし)にエットーレが首筋を見ていることに気づき、わずかにまつ毛が震えた。  彼は噛み跡ひとつない自分の首筋をつまらなそうに見ていた。そうだ、イレネオは見える箇所にだけは絶対に何も残さなかったのだ。  ただでさえいい()()の大人がはしたない真似をしたんじゃないか。二人の視線が鏡越しにぶつかった。エットーレが目尻で見るような目付きでイレネオを射抜く。見事な流し目だった。  密生した長く厚いまつ毛が伏せた目に覆い被さっている。  涼しげな眼差し。何度も口づけて未だにふっくらとしたままの唇、彼の動きに合わせてわずかに黒髪が雪崩れて――相手を翻弄せんとする笑い顔がイレネオの体を熱くする。  とんだ悪事を働こうとする水兵さんだ。  エットーレは鏡に映る自分の姿をしばし眺めていたが、やがてそれも飽きがきたようで頭に乗せた水兵帽を適当な場所へ(ほう)ってしまった。  まったく場違いなところに置き去りにされた帽子が服の山の上で浮いている。イレネオは仕方なしに元の場所へ戻すはめになった。何の前触れもなく気まぐれを起こすのは勘弁してほしい…… 「君が悪ノリするからだろう!」 「………君? お生憎だが、俺はあなたにそう呼ばれるほど親しくはないつもりですが」  一人で勝手に退店し、前を行くエットーレの背にイレネオが言葉を投げつける。すると、あろうことかエットーレはそんなことをのたまったのだ。  彼らは互いに謝罪をする気など毛頭(もうとう)なかった。エットーレはイレネオの頭に水兵帽を乗せて()()したし、イレネオはその手をはたき落とした。どちらも悪いのは相手だと思っていた。  親しくないだと? 自分の縄張りに引きずり込んで、イレネオをいいように翻弄したくせに? (なじ)ってやろうにも到底外で口に出せることではない。  悔しさと憤怒と羞恥で(ほぞ)を噛む。唇の隙間から「おまえの……せいだろ……っ」と()()(はら)んだ声が漏れた。 「あなたが先に押しかけてきたんじゃないか」  いよいよイレネオの頭に血が(のぼ)る。そうだ、イレネオは今日なんの約束も当てもなくこの男を探し回り家へとやってきた。よく知りもしない女に彼が侮辱されたからだ。  エットーレとそう()()のないイレネオは走らずとも簡単に追いつくことができた。その耳元で毒吐く。 「これほど()(ろう)されるなら、アンタの肩なんか持たなきゃよかった。大人しくあの女の相手でいりゃよかったよ」
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