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イレネオは孤独だった。
肉親をすべて亡くしている彼はじきに社会の大海へと一人で放り出されてしまう。
残りわずかな卒業を待つだけの大学生活は学費を払い終えていることこそ幸いしたが、長い人生に不安が募る一方だ。
彼は二十二歳の成人だったが、イレネオにとって時の流れはあまりに早く、孤独になるのもまた早すぎた。だが、故郷である地中海の町に戻るわけにもいかない。幼くしてあの場を離れた自分に頼りなどない。
おそらく自分はこの異国で骨を埋めるだろうとイレネオは予感している。彼は何の力も持ち得ず――そう、あのエットーレ・クリスタルディのように。
不可思議な奴だった。突如としてイレネオの前に現れた脚本家。間違いなく華やかな世界に身を投じようとしている男。イレネオとは異なり大海の波に漂うことができる……いわば流浪の民。
しかしイレネオはあの男のほとんどを知らない。ふと思い立った彼はパソコンを起動させ、エットーレについて調べてみることにした。
[エットーレ・クリスタルディ(199✕年、1月7日)はイタリアの脚本家――]
さほど興味もない基本情報のさわりを男の全身写真とともにマウスのホイールボタンを使って飛ばす。既に単独の記事があるとは驚きだ。【略歴】には、名商・クリスタルディ家の末子であり[自主制作の短編映画「I Tego Arcana Dei(隠された神の秘密)」で注目を集める。]とある。
また[英国俳優のジルベール・グロリオーサ・マーレイがクリスタルディ脚本の作品に出演する可能性を示唆した。]などと追記されていた。
口を曲げたイレネオが「………ふぅん」と独り言ちる。ひどく退屈な気分だった。
その役者は子役の頃から二世としても美少年としても名を馳せていた。今や若年ながら中堅俳優の最有望株との呼び声も高い。なるほど、他人の権勢をかさに着てやるつもりかと思うとますます面白くない。
名商の末子に生まれ富にも容姿にも、はては仕事にも恵まれたはずの男が視力を失うほどの大怪我を……? とは、とても結びつきそうにない。エットーレ・クリスタルディ、謎が多い男だ。
イレネオはもう少し調べてみようと姿勢を正した。続け様にクリスタルディ家のページにアクセスする。するとどうだろう?! 末子であるはずのエットーレの情報が、一部すっぽりと抜けていたのだ!
「…………はっ?!」
大きく開けた口から漏れた声に言葉を返す相手はいなかったが、イレネオはそう言わずにはいられなかった。一人の人間の経歴が消えている? これは、いったいどういうことだろう。
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