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鏡に映るエットーレ自身の姿は茹だった頭にもふさわしく血の揺れが感じられる薄桃の肌をしていた。中でも一際濃い紅色の頬。虚ろな瞳、小さくもはしたなく開いた口。
……食うにも食われるにも悪くない表情だった。
心持ち頬の筋肉を緩め、笑いかけてみせる。鏡の中のエットーレが遠慮がちに微笑むもその顔つきは本来の底意地の悪さがひそんでいる。
はたしてこれは悪くない顔だろうか? 本当に? エットーレが答えを見つけるより早く向かい合わせになった虚像の自分が吐き捨てるように思えてならない。
今ここで鏡に映る自分の口許が勝手に動いたとしてもエットーレは怖さなど微塵も感じないのだろう。
己の顔を凝視してありありと想像する。自分の、血の色をした鮮やかな赤い唇が――きっと片側だけ口角を上げて笑む。
ナイフで口を裂いたかのような笑い顔は、ちらっと白い歯が覗いて。さらにその奥、蛇のごとく自由に這い回る舌を仕舞い込んでいる。
口内に溜まった唾液の中に沈み、潤った舌。行儀よく相手の唇をノックなんかしてやらない品の無さと奔放さはエットーレそのものだ。
彼はいつだって満足していた。
常に乱されながらも常に相手を翻弄することができていたから。ところが今はどうだ? イレネオ・デ・アンジェリスに関しては技がまるで効かない。
まだ敵わないのかと痛感する度、エットーレは奴を自分の手練手管で落としてやりたくて仕方がなくなった。
本能だった。
野性的で獰猛な美しき淫獣――。少年の頃よりまさにそういった存在だったエットーレは、いまやだらしなくよだれを垂らしていた。もちろん本当に垂れていたわけではないが。仮に彼が獣だったのなら間違いなくそうであっただろう。
極上の餌が目の前に控える中で「待て」を食らわされている……しかし彼は大人しくしていられるほど品行方正な男だろうか。
そんなはずがないだろう!
エットーレは今度こそ本当に笑った。
あいつが動かなければこちらからけしかけるまでだ。手始めにあの女はどうだろう? 名前も年齢も覚えていない、エットーレの恋人になりたがっていた女。イレネオが誘われ、のこのこと家にまで上がり込んだ女……そこでエットーレは侮辱されていたらしい……たしかに彼女は恥をかいたことだろう。
しかしそれはエットーレはあずかり知らないことである。
自然と彼の足は街中のカフェへと向いていた。洒落ついた音楽が流れていた場所。
彼女と顔を合わせたのは一回きりだったか、もしかすると二・三はあったかもしれない。エットーレの記憶は明確ではなかった。
家を出ると風で髪が雪崩れた。不快極まりないが、そうなることでエットーレの不均等な色気がいっそう滲み、彼をなお、魅力的な男にした。
さらに都合がいいことに例の女はいた。顔が白く固まり細い喉は驚愕に引き攣っている。さしずめ自身が吹聴したことがエットーレの耳に入り、本人が復讐に来たとでも? そう思っているのだろうか。面白い。
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