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「キスしてみろよ」
赤く潤ませた唇を寄せ、エットーレはイレネオにしなだれかかる。さながら女豹のようだ。
黒黒とした瞳の奥に金の光がある。獰猛な獣の眼差しが突き刺してくる……
思わず「冗談は止せ」と鼻で笑った息がエットーレへとかかり、イレネオは自身の吐息の熱さにくらめいた。
頬を薔薇色に染める青年にエットーレは恍惚とした。興奮が体内で大きく膨らんでは、さあ? ここから先はどうやって甚振ってやろうか? という気にさせられる。
片側の口角を上げたエットーレが吐息混じりの笑い声を漏らす。「……どうした………?」などと余裕綽々な様が疎ましい。
「いいのか」
「なにが?」
自分は強引に迫られて胸をときめかせる女の子じゃないのだから。
イレネオは再び己に言い聞かせなければならなかった。息を詰め一度口を固く結ぶ。
「女にしたように、あなたにもキスしていいのか。お望みならなぞったっていい」
「お望みだ」
まったく笑わせる、意味が分からない。数分前までは「他の女に噛みついた口で俺を語るな……」などと言ったくせに、お望みだ? いったいどの口が言う?
イレネオが自分から手を伸ばす。しかし次の瞬間には迷いが生じた。これは頬に触れるべきなのか、はたまた両手で顔を挟んでやるものなのか。女が相手なら、経験をもとにした裏づけがある。
ところが同性・男同士ともなればイレネオには役どころが分からない。宙を彷徨う指先が、捕まった。
不意打ちだが、エットーレの表情が「遅い」と語っている。
立っ端の差もそう無い彼らに絵になるシルエットなど作れもしなかったが唇を簡単に奪うことはできた。
互いに己とは違うものを感じていた。一人は相手の頭を抱き、もう一人は同性の広い背にしがみつく獣まぐわいのキス。深く沈めた舌を二人の口内に閉じ込める。目を強く閉じるほど、瞼の裏には相手の姿が浮かんでくる。
溢れて、守りきることのできなかった吐息が口唇の端からこぼれて落ちた。それさえも惜しい。
人肌の熱で火傷をしてしまいそうだ。
いくら貪欲に求めようとも満足などできない。彼らはどちらともなく「……足りない………」「まだだ」と呻いた。
男の声は低い。まさに獣そのものだ。淫らにふしだらに濡れていたのは意外にも、この脚本家だった。耳のふちから首筋に至るまでを桃色に染めている。
白い肌が色づく艶めかしさは想像をはるかに超えていた。……情欲をそそられる。
イレネオはその双眸に映るのは自分だけだと実感した。しかしエットーレの心が大きく揺れていることを知らない。
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