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最後は始めた勢いのまま引き剥がす。
さて、これからどうなるのだろう? という期待をイレネオ自ら打ち砕いた。腫れた口で大袈裟に息をする。
こんなむさ苦しい経験は初めてだ。
「悪くなかったろ……? すぐ熱くなるのが俺の性分でね」
口づけの名残――後味――を堪能するかのように舌なめずりをして、エットーレが赤い舌を覗かせる。彼は己の肌が染め上がっていることも知っているのか。
「そっちは、満足したらしいな」
「不満かな?」
完全にしてやられた形になったイレネオが臍を噛む。肌の火照りを隠そうともしない扇情的な顔つきが憎らしい。
手練の女がするようにエットーレはイレネオの手を取り、時おり指の腹で手の甲や節を撫でつけた。 厚みがあるまつ毛の層の下、右目の視線が熱い。
どんな些細な反応も見逃してなどやるものかという執着を感じさせる。息が詰まり胸の奥が苦しくなったイレネオは相手の両の手で喉元と心臓を鷲掴みにされているような気がした。
俺の心に直接触るな。
そう言ってやれたならどれほどいいか。だがイレネオが口にすることはできない。万一にでも白状してみろ、自分の中にこの脚本家が入り込んでいくことを自白するはめになるのは御免だ。
「やり直しを命じても?」
「おかわりなら受けつける」
「おねだりの間違いなんじゃないか?」
「そうかもな」
不敵な笑みを浮かべたのも束の間、意外にもエットーレがはにかんだ。暗に肯定だとも取れる発言は過去にねだったことがあるとでも言うのか。
不覚にもイレネオの胸が焼けていく。
「無礼な振る舞いは謝罪しよう。お詫びに、またアクア・メンタでもどうです? 店では水くさい物しか飲めなかったでしょう」
この男は何かあるとアクア・メンタを勧めてくるらしい。イレネオは思ったことをそのまま口にした。
「好きなんですね」
「ああ……えぇ、好きだな。美味いので」
不意にエットーレの肩が揺れ、彼がイレネオの「好きなんですね」の一言に反応したのは火を見るより明らかだった。
「それで、どうするんです? 飲むのか、飲まないのか」
「あなたのことだ。それも、この様子じゃあ何か仕込む気でいるんじゃないですか?」
「たとえば?」
「媚薬とか」
まったく馬鹿けた話だが案外その台詞はすんなりと口を突いて出た。一方のエットーレは「……なるほど?」と言ったきり押し黙り笑みを深くするばかり。本当に腹の底を見せない男だ、食えない。
「でも、どうせなら俺には媚薬より自白剤を仕込んだ方がいいかもしれませんけどね」
また、わけが分からないことを言っている……
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