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捲った袖口から白い腕が伸びている。太く青白い血管こそ浮いているが筋骨隆々とは言い難い。大した厚みもない手が二つのグラスを掴み、イレネオへと突き出してくる。
彼が受け取ると、エットーレの指先がアクア・メンタのシロップが並ぶ戸棚の前で彷徨った。「お好みは?」と問いかけられる。
「何の種類があるんです?」
「レモンにオレンジ、アーモンド味にラズベリー味。何でもござれ」
「じゃあアーモンドで。店でも開く気ですか」
「まさか。昔に約束を破られたもので、その恨み節みたいなものですよ」
大層本格的な顔ぶれにイレネオが驚くも家主は乾いた笑いを浮かべ、グラスにアーモンド味のシロップを注いでいる。自身はラズベリー味に決めたらしい。
「水で割ります? それともミルク?」
玄関内へ引き入れられたイレネオは、いとも容易くリビング・ルームまで通されてしまっていた。白を基調とした室内は嫌というほど殺風景で、ぽつぽつと点在する観葉植物の緑が映える。次いで彼は言葉少なに「ミルクで」と返した。
窓辺に置かれたハートカズラがつるを伸ばし――日当たりがいいところを好むため、ブラインドが開いている――そこから部屋を支配しようとしているかに見える。
その「恋が実る」と言われる植物がいやにイレネオの目についた。
「どうしました?」
「ハートカズラなんて置くんですね。意外だなと」
「いいや。それが案外俺らしいかもしれませんよ。――恋に支配されているような」
客人の視線に気づいた様子のエットーレが笑う。――恋に支配されている? 誰との? 不意に二人の眼差しがぶつかり、イレネオが思わず息を呑む。
部屋は広く家具も大きいが生活感がなく見るからに一人暮らしだと分かる。L字型のソファも人が座った形跡がない。ガラス製のテーブルにすら物が一切ないのだからカウンター席など必要なのだろうか? 甚だ疑問である。
ひんやりと靴底から冷える床は大理石で、乳白色の中に自然と黒い斑が入り混じる。いわく「頭をぶつければ、一発」などと不謹慎だ。
ここにボルゾイ犬でもいればさぞ優雅だろうが、この男がペットを好むようには見えない。それどころか女を連れ込むことすら嫌がりそうだ。
ならば、なぜイレネオを? 男だから?
考え想像して、イレネオが妄想に囚われる。その様子をエットーレは楽しんでいるようだった。
この家の主は「いくら見渡しても何も出てきやしませんよ」と言う。
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