アルタイル

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暗く、けれど空を見上げれば月と星が輝く夜。 ガタゴトと音を立て、一台の荷馬車が走っていた。 道がよく舗装されていないのか、荷馬車の性能が悪いのか、あるいはその両方か。時折縦に横に大きく揺れながら、その荷馬車は進んでいた。 その、お世辞にも乗り心地がいいとは言えない乗り物の背に、ゆったりと座る男性がいた。 ボサボサとした灰色の髪。剣と一緒に片足を抱え、もう片方の足は横に投げ出している。左腕には丸い盾。荷馬車の縁を見つめる頭上には青緑色に輝く魔法陣が広がり、彼が魔法使いであるということを示していた。 ーーと。ガタン、と荷馬車が一段と大きく揺れた。彼の長めの前髪が揺れ、その下につけている額当てがチラリと覗く。特徴的なーーそう、まるで、二本の角のような意匠がついた、額当て。 それがあらわになったのはほんの一瞬で、すぐに前髪の奥に隠された。そしてその間、男性の正中線がブレることはなかった。彼の緑がかった灰色の瞳は、変わらず荷馬車の縁を見つめている。 「うっわ、今めっちゃ揺れたね。石でも踏んだかな? イル、大丈夫?」 荷馬車の前方、操作席に座る女性から声がかかる。そこで初めて、イルと呼ばれた男性は視線を上げた。 「ああ。カタリナさんは?」 茶色いポニーテールを振って、女性は振り返る。ニッカリと笑ったその顔は、「女性」というより「少女」のようだった。 「ヘーキヘーキ。私だって、馬車旅慣れてるんだよ? あれくらいよくあるって」 「そうか」 男性は応え、また縁を見つめた。 男性の向く方、つまり荷馬車の後ろ側の扉は開放されていた。前方の扉も同じく開放されていて、冷たい風が吹き抜ける。荷馬車自体はそう広いものではなかったが、積荷が少ないのもあいまり、窮屈感は感じなかった。 「イルってさー。今いくつだっけ?」 操作席の女性、カタリナが唐突に話しかける。今度は縁を見つめたまま、イルは応えた。 「16。今年で17」 「あー、よかった。同い年じゃん! イル、アタシのことは呼び捨てでいいよ。敬語もナシで」 はあ、とイルが返事をするのに畳み掛けるように、カタリナは喋り出す。 「あの受付の子、ジェリコって言ったっけ? に、なるべくアタシと年が近くて腕が立つ男の子をお願いします、って言ったのね。まさか、ドンピシャで同い年の子がいるとは! あーよかった! ほら、これってアタシが雇い主になるわけじゃない? だから、あんまり年上のおじさんとかだったら気まずいなーって思って。それに申し訳ないけどちょっと怖いし。女の人ならその辺は安心だけどさ、実力面でちょっと心配っていうか。だからさー、ちょうどイルがいてよかったよ!」 「……はあ。そりゃよかったな」 イルの口調はどこか呆れたふうでもあった。それに気づかなかったのか、カタリナはニコニコとご機嫌だ。 「イルってさ、学院通ってるんでしょ? 資料に書いてあった。こんな夜まで働いてて平気? 明日は授業ないの?」 カタリナの言う「学院」とは、「王立総合学院」の通称である。そして王立総合学院といえば、魔法、剣技、一般教養、その他すべてにおいて国内最高峰の教育機関として認知されていた。 「いや、明日も授業はある。だが、目的地はヘパイスの町だろ? そこからなら転移で戻れる」 「あーいーなー、魔法使いは。転移で一瞬で移動できるもんね。アタシもホントは、王都からミルザンの街まで転移したかったんだけどな〜。ミルザンからヘパイスまではすぐだし。でも転移門って高いからさあ」 「まぁな。……だが、用心棒として俺を雇うのだって、安くはなかっただろ。ヘパイスなんてそこまで遠くないし、交通量も多い。朝まで待って出発すれば、用心棒なんていらなかっただろうに」 「……うーん。まあ、それはそうなんだけど」 カタリナの歯切れが悪くなる。イルは体ごと振り返った。 「どうしても急ぎの理由があるのか。悪いな、無理に言う必要はない」 この話は終わり、と言わんばかりの勢いにカタリナはゆるゆると首を振った。 「いや、別に。言えないってわけじゃないよ。ただちょっと、恥ずかしくて」 「恥ずかしい?」 「うん。アタシさ、弟がいるんだ。2つ下の。そいつがちょっと、体弱くてね。薬がないと生きていけないんだ。で、その薬がもう残り少なくて。行きは父さんと一緒に大きめの商隊に混ざって、王都まで色々売りに来てさ。で、まだ商品は残ってるんだけど、とりあえず薬は買えたから。アタシだけ先に帰って薬を届けることになったんだ。……だから、急いで帰りたいんだ。弟に比べたら用心棒代なんて安いもんさ」 「そうか……。だがそれは、恥ずかしいことじゃないねェだろ」 「えっ、そう? イル、案外優しいんだね?」 「いやそうじゃなくて」 よいしょ、とイルは座り直した。荷馬車の壁に背中を預け、体を半分だけカタリナに向けて。 「俺も妹がいる。今は離れた村に住んでんだが、こっちに呼び寄せたくてな。こんな夜まで仕事を受けてんのも、その資金を稼ぐためだ」 「へぇ……。なんか、意外かも」 くすくすと笑いだしたカタリナを、イルは怪訝そうに見た。 「チッ、なんだ。悪いかよ」 「いや、ごめんごめん。馬鹿にしてるわけじゃなくて。イルってさぁ、結構背高いし目元も鋭いし、もっと怖い人かと思ってたんだよ。それが、そんなに妹想いだとは思わなくて。ちょっとびっくりしちゃった」 「チッ、さっきは散々俺でよかったって言ってたクセに」 「アハハ、イルがいてよかったって思ったのはホントだよ? でも、会った時怖いなーって思ったのも本当。ごめんって」 ケラケラと笑いながら言うカタリナを見て、イルも苦笑いを浮かべた。良くも悪くも、この人は思ったことを全部口に出すんだろうな、と思う。 カタリナはひとしきり笑ってから、 「ねえねえ、さっきから気になってたんだけどさ。その魔法って、どういうやつ?」 「その魔法」というのは、先程からイルの頭上で輝いている青緑色の魔法陣のことだ。王都を発ってすぐにイルが展開し、道中ずっと保持されていた。 この世界における「魔法」というのは、すぐに使えてなんでもできるような便利なものではなく、できることは限られるし発動までにいくつかの手順が要る。発動までには、まず、世界中に広がる「マナ」と呼ばれる目には見えない物質を、体内で生成される「魔力」によって捕集・配置し、「魔法陣」を形成する必要がある。その魔法陣に魔力を流し込むことで、初めて魔法は発動するのだった。 また、魔法には属性があり、魔法陣の色とその属性は一対一で対応していた。属性の種類は基本と派生、合わせても数十ほどであり、覚えるのはそう難しくない。そして青緑色といえば、基本属性のひとつ、「風」の属性の魔法だった。 しかしカタリナにわかるのはそこまでだった。 その魔法陣の輝きから道中ずっと魔法発動中であったことは伺えるが、具体的な効果というのは、発動者でないカタリナには感じられなかった。 属性の数は数十でも、魔法の数は数百を超える。そのすべてを魔法陣を見ただけで当てられる者は、相当な魔法オタクだ。 カタリナがわかったのは2つ。 属性が「風」であること。 そして、その魔法陣を1時間は発動させたまま保持しているイルが、相当な手練れであること。 「反響魔法。風魔法索敵型。目じゃ見えねェけどな、風の波がここから周囲に向かって放出されてる。なにか障害物があればそれに当たった波が返ってきて、だいたいの距離とか大きさなんかがわかる」 「へえ。それ、どのくらい先までわかるの?」 「今は10ハーパンくらいに設定してる」 自分の実力ではその距離が最大だということを隠して、あたかもまだ余裕があるようにイルは言う。 カタリナは言葉通りに受け取ったのか、 「ほーすごい。夜だもんね。視覚強化よりもその方がいいんだ?」 「ああ、それもあるし、視覚強化だと結局自分が見た方向しかわかんねェからな。これなら360度対応できるから、複数相手のとき対応しやすい」 「なるほどね。それを1時間も持続してるなんてすごいねえ」 「そうでもねェよ。チッ、荷台の上からならもっとやりやすいんだがな」 「あー、この馬車、屋根には乗れないもんね」 カタリナは振り返って、半円を描く荷馬車の屋根を見上げた。雨が溜まらないための仕様だったが、それは上に荷や人が乗れないということでもあった。 「カタリナ、前。そろそろ登り坂だぞ」 「オッケーオッケー、わかってるって」 この先は小高い丘になっているようだった。まだ登り坂はなだらかだが、先に行くほど急になっている。 とはいえ周りは見通しのよい平野であり、万が一賊が出ても、よほどの人数でない限り囲まれるということはなさそうだった。 「イルさー、さっき妹がいるって言ったじゃん? 王都に呼び寄せるくらいなら、イルがそっちの村で暮らした方がいいんじゃないの? 王都で暮らすならなにかとお金もかかるし、生まれ育った村の方が勝手もわかってラクじゃない?」 荷馬車はガタゴトと音を立てて進む。それに紛れて、イルがギリっと奥歯を噛んだ音はカタリナまで届かなかった。 「……生まれ育った村、じゃねェんだ」 「え? あ、みんなで引っ越したの?」 「……俺の生まれた村は、前線からは少し離れたとこにあった。だが、俺が10歳の時……。魔人からの攻撃を受けて、村は半壊した。俺の両親はその時に死んだ。チッ、結局住む人がいなくなって村自体も廃村になった。俺と妹は運良く生き延びて、そこから近くの村の親戚に世話になってる。だが、そこだってまたいつ魔人に狙われるかわからねェ。王都なら周囲を強力な障壁魔法で守られてるし、前線からもだいぶ離れてる。あの村よりはずっと安全なハズだろ」 「ああ……なんか、ごめんね。前線近く出身なんだ。……魔人、ね。アタシはずっとこの辺りに住んでるから、イマイチ実感湧かないんだよね」 「……幸運なこったな」 吐き捨てるようにイルは言う。 この国で「前線」と言えば、大概の場合「魔人」との戦争の前線を指す。 そして「魔人」と言えば、この国の憎悪の象徴でもあった。 象徴。しかしそれは「概念」などと言う生やさしいものではなく。しっかりと実体と魔力を持ってこの国を侵攻しているのだった。 人に似て、しかし人とは決定的に異なる姿。人間を遥かに上回る、魔力の量と魔法の技術。 その容姿からくる不快感か、あるいは魔法の秘密を求めてか。もはや始まりの理由を知る者はいなくなっていたけれど。 この国と魔人の国は、400年近く戦争を続けていた。 しかし数百年を経てなお続く魔人との戦争は、いつしか日常の一部になり下がり。実害を受けたことのない人間にとっては、都市伝説のように扱われることもしばしばだった。 「……魔法をちゃんと学んだ今ならわかる。アイツらの魔法はヤバイ。あの時、魔人どもの魔法によって俺の村は破壊されたが、どこにも魔法陣なんて見えなかった。目視できない距離からの魔法攻撃が、どれだけ高度な技か……。あるいはとんでもねェ魔力量だ」 伝説によって日常を壊された男は語る。剣を握る腕に、血管が浮かび上がる。 「だが……そいつらをぶっ殺すために、俺は腕を磨いてる。学院に入ったのもこの仕事をしてるのも、全部強くなるためだ。特に用心棒はいいよな、金も稼げるし実戦も積める」 「へぇ……。いいね、夢があって」 イルの目がギラギラと光る。対照的に、カタリナはつまらなそうに言った。 「うらやましいよ」 その言葉は、荷馬車の前進音にかき消され。誰にも届くことなく、ポツリと消えた。
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