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 轟音が途切れ、トンネルを抜ける。幸いにも、電話はつながったままだ。 「電話を切るなって言ったのはそっちだろ」葛木は相手を責めるような口調で言ったが、胸を撫で下ろしたのは自分自身だった。 「トンネルのことは想定していなかったのか?」  葛木がそう言うと、《あとは運だね》と犯人は笑った。 《きみが意図的に切るのはなしだよ、って意味さ》 「通話が切れたら、どうしたらいい?」 《その場合は、品川くらいで掛けなおすから。そんなことより、質問しなくていいのかい? 時間は待ってくれないよ?》  熱海を出ると、小田原、新横浜、品川、そして東京まで、それぞれの駅の間は十分から十五分ほどの間隔だ。東京まで、あと四十分ほど。 「よし、じゃあ質問を再開する。爆弾が置いてあるのは客席か?」 《ノーだ》 「網棚か?」《ノー》「トイレか?」《ノー》「運転室か?」《ノーだ》 「デッキか?」 「ねえ、ちょっと」  葛木が振り返ると、東野がいつの間にか後ろにいた。「さっきから、何の電話なの?」 「それは――」 「どうせ、言えないんでしょ。まあいいけど」東野が首を振って窓の外を示す。 「小田原駅よ」  ああ、そうか。窃盗犯を引き渡さないと。 「あの、悪いんですけどーー」  引き渡しもお願いできませんかと続くことを読み切ったかのように、東野は「いやよ」と、ピシャリと言い切った。 「それはあなたの仕事でしょ」  まあ、そうなのだが――窃盗犯は逃げないが、爆弾のタイムリミットは刻々と近づいている。今さらになって、余計なことをしたかとちょっと後悔の念が沸いてきたが、しかしやはり、目の前の犯罪を見逃すわけにはいかなかったのだと、自分に言い聞かせてその後悔を打ち消す。 「ちょっと中断」  葛木は電話に向かって言い、犯人も《またか》と呆れたふうに言った。《ま、僕はいいんだけど。時間を使って困るのはきみだから》  他の駅と比べて、小田原駅は停車時間が少しだけ長い。偶然だが、引き渡しにはちょうどいい。小田原駅に待機していた鉄道警察隊の刑事に、窃盗犯を引き渡したが、そこでちょっとした押し問答になった。  事件が起きたのは熱海の手前だから、静岡県内になる。だとすれば静岡県警の管轄だ。しかし小田原駅は神奈川県だから、ここにいるのは神奈川県警の鉄道警察隊。つまり、相手の刑事が主張するのは、静岡県警の鉄道警察隊に直接引き渡せ、ということだった。さらに面倒なことに、被害者の関西弁の男が、いなくなってしまったのだ。どうやら、小田原に着いた途端に下車してしまったらしい。現行犯逮捕に必死で被害者の身元確認をしていなかったものだから、被害の確認が取れないということになり、そうなると場合によっては窃盗罪そのものを立証できなくなり、現行犯逮捕も無効になってしまう可能性すらあった。  葛木はさすがに蒼ざめたのだが、結局、窃盗犯の正体が新幹線を主戦場とする連続窃盗グループの一員だと解り、自分たちの成績につながると判断したらしい刑事たちは掌を返し、男を連れて行ったのだった。  出発まであと二分。葛木が車内に戻ろうとしたとそのとき、ふと目に留まったのは、ホームで忘れもの点検をしているらしい、女性の駅員の姿だった。彼女を見たとき、咄嗟に何かが足りない――と感じた。
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