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十三号車、十二号車、十一号車――各車両の客席、デッキ、トイレや洗面所を片っ端からチェックしつつ、葛木は最後尾に向かって走る。列車は横浜の街に入り、車窓から見える風景は、長閑な自然から大都会のコンクリートとネオンサインのジャングルへと変わっていた。新横浜まで、あとわずか。その次が品川、そして終着駅の東京。
終着駅。そのワードに、葛木の脳裏に何かが引っかかった。
何だろう、この違和感――
七号車の喫煙室を覗く。目つきの悪い中年男が、一人で煙草を吸っている。ここにもいないのか――いや、あれは?
男の足元に、ジャケットが落ちている。「ちょっと失礼!」葛木はしゃがみ込み、そのジャケットを拾い上げた。
金の三つボタンのジャケット。胸には西日本のエンブレムと、『東野』というネーム。
あいつ、ジャケットを捨てたな。自分がニセ車掌だということに気づいたか。
「このジャケットを捨てた女性、見ませんでした?」
葛木に尋ねられ、男は面倒くさそうに無言で首を横に振った。
新横浜、新横浜――アナウンスが流れ、葛木は慌ててホームに飛び出した。
制服を捨てたということは、彼女は他の乗客に交じって下車し、逃げるかもしれない。目を凝らしてホームを見渡すが、褐色のポニーテールを見つけることはできなかった。見逃してはいないはずだ。葛木はそう自分に言い聞かせ、デッキに戻る。
ポケットの中で、ケータイが鳴り出した。犯人だ。
「もしもし!」
《その声は、答えが解った反応かな?》と、犯人は先ほどと何も変わらない、余裕しゃくしゃくの声で応えた。
「ああ、解ったよ。爆弾は、ニセ車掌の持っていたカバンの中だ」
少し間がある。その間が、葛木の不安を掻き立てる。
「それ、ファイナルアンサーなの?」
唐突に背後から声をかけられ、葛木は反射的に飛び退いて、相手との間合いを取る。ポニーテールのニセ車掌の東野――いや、それも偽名かもしれない――が、そこに立っていた。手には、あの大きなカバンを提げている。
「違うのか?」
「違うわよ」
彼女はニヤリと笑い、「じゃあ、確かめてみる?」とカバンを差し出した。その態度にはあまりに余裕があり、葛木は少しためらう。
「どうしたの?」
いや、これはハッタリだ。ここ以外に考えられない。そもそもこいつら、本当に爆破する気なんかないのかもしれない。何しろ、爆弾を仕掛けたことによる要求が、俺への挑戦だけなんだから。
葛木はカバンをそっと慎重に受け取った。随分と重みがある。床にそっと置いて、チャックを開けた。
違った――自信をもって開けたカバンにぎっしりと詰まっていたのは、爆弾などではなく、どこからどう見ても、ところてんのパックだった。
葛木潤は額の冷や汗を拭う。
どうして、ところてんをこんなにたくさん――いや、それよりも、ここにないということは、爆弾は一体どこにある。「だから、違うって言ったでしょ」ニセ車掌は腕組みをして得意げに言う。口元には不敵な笑みを浮かべて。褐色のポニーテールが揺れている。
間もなく品川に到着します――アナウンスが流れ、客席がざわめき出す。東京駅到着まであと十分もない。東京駅に着いたら、爆弾が爆発してしまう。答えを外したことで、葛木は完全に動揺し、先ほどまでこの犯人は爆発させる気なんかないんじゃないか、という考えも、すでに消え去っていた。
「どこなんだ、爆弾は!?」
葛木は思わず叫んでいた。
「それを探すのが刑事の仕事。あなた、刑事なんでしょ?」
彼女は大げさに肩をすくめて見せた。「私が本物の車掌じゃないって見破ったことは褒めてあげる。でも、詰めが甘かったわね。このまま爆弾の在処を言い当てることができなければ、あなたの負けよ?」
「もう、勝ち負けの問題じゃない。人の生命がかかってるんだ!」
「だから何? その、人の生命を守るのが、刑事の使命でしょ? その使命、全うしなさいよ」
高飛車な彼女の言葉に対する怒りなのか、無力さを突き付けられた自分への怒りか。
くそっ、どうしたらいい――
新幹線が、品川駅のホームに滑り込んだ。
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