一 突然の依頼

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一 突然の依頼

 それは、ある夏の日の、まだ夜の涼しい空気がわずかながらに残る朝のことだった………。  ジリリリリリリーン…! ジリリリリリリーン…!  突然、古風な電話のベル音が廊下でけたたましく鳴り響いた。 「ふぁ~あ……はいはい、今出ますよぉ~」  自堕落な生活になりがちな夏休み中ということもあり、朝食後、いつの間にやら居間のソファでうたた寝してしまっていた僕は、気だるい体を起こして廊下へ向かうと、その昭和な音を響かせる黒電話の受話器を取った。  ちなみにこの黒電話、レトロな見た目やベル音に反し、性能はいたって現代的な普通の電話な上に光回線仕様という、なんとも珍妙な一品である。 「もしもし、御林ですけど……」 「おはやし? ……あの、そちら、秋津探偵事務所ではございませんか?」  電話に出て名前を名乗ると、相手の礼儀正しい男性の声は、なんだか訝しげな様子でそう尋ねてきた。 「ああ、秋津先生にご依頼ですね。ええ。間違ってませんよ。秋津はうちにおります」  普通なら間違い電話で終わるような質問だが、僕にそれだけで相手の要件がすぐにわかった。 「僕が先生の窓口になってますんで、どうぞこのまま僕にご用件をお話しください」  秋津先生――秋津影郎(あきつかげろう)は、僕の家に下宿している私立探偵である。  メディアへの露出は皆無だが、意外や数々の難事件を解決した影の立役者であるらしく、その道ではけっこう名の知れた名探偵だったりもする。  では、なぜそんな名探偵が一つ屋根の下に同居しているなどというヘンテコな状況になっているかといえば、偶然、家の前で行き倒れているところを僕の母が発見し、とりあえず家に上げて看病している内にどうやら母は彼のことが気にいったらしく、何やら深い事情があって以前貸りてたとこを追い出され、行く当てもないというのでそのまま居候することになったのだ。  思い起こせば、もう三年ほど前になるか……当時は僕の父が亡くなった直後であり、僕と母の淋しい二人暮らしだったので、母としては人恋しいという思いも多少なりとあったのかもしれない。  それに、一家の大黒柱を失い、経済的に困窮していた我が家にとって、先生から頂く家賃がたいへん助けになったという現実的な理由もあったりなんかする。  うちはもちろんアパートでもマンションでもなくただの民家だが、なんでも祖父母が薬屋だかをやっていたらしく、昭和初期に建てられた「看板建築」という前面だけを洋館に見せかけた細長い三階建ての建物だったため、物置に使っていた最上階の部屋がまるまる空いていたこともその追い風となった。  ともかくも、そんなこんなで我が家の空いている部屋で寝起きするとともに探偵事務所も兼用するようになった秋津先生であるが、わざわざ電話を引くのも面倒だし、その上、先生は諸事情(・・・)によりケイタイも含めて電話に出ることが困難であるため、僕や母が代わりに電話番をしているのである。  ああ、自己紹介が遅れたけど、僕は御林芳祢(おはやしよしね)といいます。高校生一年生です。 「そうですか……それでは、秋津先生にお伝えください。なるべく早く……できれば今日中にお会いすることはできないでしょうか? あ、いえ、私ではなく、当方の主人、花小路(はなこうじ)とでございます――」  慇懃に穏やかな声で話す男性の要件は、そんなものだった。どうやら彼は依頼主ではなくその執事だかをしている人らしく、本当の依頼主である主人の話を聞くために、市内にあるエドガー記念病院へ来てほしいとのことだった。 「了解しました。今、先生は特に請け負ってる仕事もないのでたぶん行けると思います……はい。では、また確認して後程……」  用件を聞き終わると電話を切り、僕は先生に確認するため、三階にある探偵事務所兼先生の居住スペースへ行こうと振り返ったのだったが。 「お仕事の依頼ですか?」 「わっ! せ、先生、いらしたんですか!?」  まったく気づかなかったのだが、いつからそこにいたものか、背後に秋津先生が立っていた。  年の頃は30代半ば。背が高くスラっとした体型にビシっと淡いグレーのスーツを身に纏い、目鼻立ちの整った顔に黒髪をオールバックに整えている……いわゆる美男子の部類で、まさにシャーロック・ホームズとか明智小五郎といった典型的な名探偵を思わせるような外観なのであるが、その普通なら目立つであろう容姿に比して、いかんせん先生はとても影が薄い(・・・・)。  なので、僕ですら今のようにその存在を認識できない時があったりなんかするのだ。
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