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トントン…。
と、そこへ再びドアをノックする乾いた音が聞こえてくる。
皆、音につられてドアの方を振り返ると、開いたドアの向こう側には、淡いピンクのワンピースを着た若い女性が立っていた。
「失礼いたします。柾樹さん、こちらが名探偵の秋津先生でいらっしゃいますのね」
その麗しい黒髪をおかっぱ頭にカットしたかわいらしい女性は、キラキラとつぶらな鳶色の瞳を輝かせながら、弾んだ声でそう尋ねる。
「ああ、桜子さ…じゃなかった、お姉さん」
対して柾樹青年は、なんだかまた言い間違えをして訂正しながらも、どこか嬉しそうに暗かった顔を綻ばせた。
「秋津先生、ご紹介いたします。こちら、僕の姉です」
「どうも初めまして。柾樹の姉の花小路桜子と申します。先生、この度はご無理なお願いをいたしまして、まことに申し訳ございません」
続けて僕らに紹介すると、その姉だという桜子なる女性は、自らも名を告げてから深々とこちらにお辞儀をする……のだが、案の定、いつもの如く相手を間違えている。
「あのう……僕は先生ではなく、秋津影郎はこちらの方でして……」
僕に対して挨拶をするその桜子さんに、僕はおそるおそるいつものように間違いを訂正した。
「え? ……まあ! なんて失礼なことを! 申し訳ありません! どうしてかしら? わたくし、探偵小説も好きでよく読むのですけれど、よく見れば明らかにそちらの方の方が探偵然りとしたお姿だというのに……ほんとなぜかしら? なぜだかあなたの方に目がいってしまい……」
僕が指し示した先生の方を見て、ようやくその間違いに気づいた桜子さんは口元を手で覆いながら、あわあわと慌ててその無礼を詫びている。
歳は二十歳前後だろうか? 〝探偵小説〟という言い方も古めかしいし、その年齢のわりにはとても落ち着いた、そして、同じ年頃の女子には見られないような非常に上品な言葉使いをする人であるが、こうして不慮のアクシデントに見舞われた時に見せる素の仕草はやはり年相応という感じでなんともかわいらしい。
もちろん、容姿も良家のお嬢様というのが一目でわかるような、清楚で凛とした美しさを持っている。着ている薄ピンク色のワンピースがほんとによく似合う、なんとも可憐な乙女……いや、表現がものすごく古臭いが、まさにそんな言葉がぴったりな美しい女の人なのである。
「ああ、いえいえ。日常茶飯事なのでお気になさらず。どうも、秋津影郎です」
「あの……それではこちらの方は?」
こちらもいつものことなので、はにかみながら頭を上げるよう先生が言うと、今度は僕の正体に疑問を持ったらしく、そのつぶらな瞳で僕の顔をまじまじと見つめ、桜子さんはそう問いかけてくる。
「ハッ! ……あ、あの、先生の助手で、お、御林といいます!」
はからずも彼女に見惚れてしまっていた僕は、目があった瞬間、カァーっと全身の血が沸騰するように熱くなると、慌てて視線を逸らしてドギマギしながらそう答えた。
「まあ、先生の助手さんですのね! こんな立派な助手さんまでいらっしゃるなんて、ますます頼もしいですわ。先生ともども、よろしくお願いいたしますわね」
「あ、はあ……」
対する桜子さんの方は特に何も感じてはいないらしく、大きな目をさらに大きく見開き、うれしそうに僕を見つめ続けながら期待をかけてくれるのだが、僕は恥ずかしさに俯き加減のまま、そう生返事をすることしかできなかった。
「ああ、柾樹さん。そろそろお昼ですわ。ちょうど皆さん揃うことですし、ここは先生達にもご一緒していただいて、ついでに他の家族をご紹介なされたらいかがかしら?」
だが、そうした僕の心の内など知る由もなく、桜子さんはあっさりと僕から視線を移すと、思い出したかのように柾樹青年へそんな提案をする。
「そうですね。まだ、お父さん達にも紹介していませんし、それがいいです。では先生、御林さん、先にお昼にいたしましょう。調査はまたその後ということで」
彼もその提案には賛成のようで、二言なく頷くと僕らを部屋の外へと誘った。
花小路家の昼食かぁ……こんな大豪邸の食事だから、きっとすごい豪勢なものなんだろうなあ……でも、家族がみんな揃うようなこと言っていたような……上流階級の家族が一同に会する食卓……スゴいプレッシャーだ。なんか、緊張して味わかんないかも……。
完全に勝手なイメージなのだが、僕は大きな長テーブルを煌びやかに着飾った紳士淑女達が取り囲む食事シーンを妄想して、密かに独り少し尻込む。
「ああ、そういえば、おなか空きましたねえ。では、ご迷惑でなければ、ご一緒させていただくことにいたしましょう」
一方、いつもの如く暢気な様子で快諾する先生のおかげで、僕らはなんとも恐ろしげな昼食会へ向かうこととなったのだった……。
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