四 はじまりの密室

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「……あのう、先程、彩華婦人がおっしゃっていたことは本当のことなのですか? あなたのお母様がここの使用人だったという話です」  その呟きを拾い、先生がちょっと訊きづらそうに、だが、まるで遠慮することなく、ずけずけと柾樹青年に尋ねる。 「はい。本当です。僕の母は桂木菊枝(かつらぎきくえ)といいまして…ああ、僕も以前は桂木姓を名乗っていたんですが……母はここの女中をしていたんだそうです。まあ、それを知ったのは僕がここへ来る直前、つい一月ほど前のことなんですけどね。その女中をしていた頃にこちらの父といい仲になって生まれたのが僕なんだそうです。驚きましたよ。生まれてこの方知らなかった僕の父親が、まさか旧伯爵家の当主だったなんて。今でも正直、信じられないというのが本音です。生前、母もそのことは一切話してくれませんでしたしね」 「と、言いますと、お母様はもう…」 「ええ。昨年、辛労がたたったのか病で亡くなりました。僕を身籠った頃、当然、父には継母(はは)という立派な妻がいたので、父との関係がばれて母はこのお屋敷から出されたそうです。その後、となり町にある実家に戻って僕を生んだんだそうですが、家族に迷惑がかかるということで僕が物心つく時分には実家も出て、それからは女手一つで僕を育ててくれたんです」  先生の言葉を継ぐ形で、柾樹青年は自らの出自についての説明を続ける。 「そんな母も昨年亡くなり、東京で工場に勤めながら一人暮らしをしていた僕の所へ一月前に執事の藤巻さんが尋ねて来て、そこで初めて知らされたんです。僕の父が花小路幹雄であること。男子に恵まれなかったその父が、僕を跡取りとして花小路家に迎えたいと思っているということを……そして、父の願いを断り切れずに、まるで狐にでも摘まれたような心持ちのまま、僕は花小路家の一員としてこの家に移り住むこととなったというわけです」  それが、彼が花小路家に来た経緯か……だから、継母である彩華夫人や叔母である咲子夫人があんなにも彼のことを邪険にしていたわけだ。  時折、家族を他人行儀な呼び方で呼んでいるのも、彼自身、それまで育ってきた世界とはまったく異なるこの環境に今もって違和感を感じているためなのかもしれない。 「継母(はは)や叔母が僕を嫌うのも無理はないんです。父の浮気相手の子供が突然現れて、跡取りだなんて急に言われてもね……僕は、そんな不倫の子なんですよ」  柾樹青年はなんとも淋しそうな笑みをその顔に浮かべて、そう、最後にぽつりと付け加えた。 「あのう、ところでこの部屋は以前、どのような人がお使いになっていたんですか?」    普通ならみんな押し黙ってその場を沈黙が支配するような、そんな重苦しい話を聞いた後なのであるが、先生はさして気拙くなる様子もなく、気になったそのことを率直に尋ねている。 「……え? ……ああ、それがですね。寄寓にもこの部屋を最後に使っていたのは、なんと女中だった頃の母らしいんですよ」  ……!?  しかし、その意表を突いた彼の答えには、僕ばかりでなくさすがの先生も眼球が飛び出るほどに目を見開いた。  まさか、茂氏が死んでいたというこの部屋に、以前、彼の母親が住んでいたとは……その偶然にしては出来すぎた事実に、何か因縁めいた、なんとも不気味な繋がりを感じずにはおれない。 「すでにその頃から使用人は少なくなっていたらしく、母がここを出た後は、もう誰も使ってはいなかったみたいですね」  だが、驚く僕らを他所(よそ)に、柾樹青年はそれほど気にする風でもなく、さらに淡々と話を続ける。  僕らは初めて聞く話なので驚いてしまったが、案外、本人の中ではこの奇妙な因縁を運命としてすんなり受け入れてしまっているのかもしれない。  ……にしても、やっぱり因縁めいた話ではある。以前、この屋敷で働いていた女中の息子が20年ぶりに帰ってきたと思ったら、その女中の使っていた部屋で叔父が服毒死する怪事件が起きなんて……。  ああ、因縁といえば、柾樹青年の話ですっかりスルーしてしまっていたが、この右どなりが薫君の部屋だとすると、つまり、薫君にしてみれば、父親が自分の部屋のとなりで死んでいたことになる。しかも、一週間も死体はそのままに……息子の薫君としてはなんともやりきれない話であろう。  これならば、柾樹青年や薫君でなくとも、茂氏の死が単なる自殺ではなく、もっと別の真実があるのではと疑ってみたくもなるというものだ。しかし、とするならば、やっぱりこの部屋は密室ではなかったということになるのか?  その事件当日、密室であったというこの部屋の中を僕は改めて見回してみる。 「うーん……そうですかあ。では、お母様がここを出て以来、この部屋はずっと使われてなかったということですね?」    先生も部屋を見回しながら、柾樹青年に改めて尋ねた。 「はい。まあ、掃除は時折していたようですけど」  その返事に答えることなく、先生は窓際の右に置かれたベッドの下を覗き込む。部屋にある家具といえば、このベッドにクローゼット、あとはその横にある鏡台だけだ。 「別段、抜け穴とかはないようですね」  つられて僕も覗いてみたが、先生の言う通り、僕にもそういったカラクリを見つけることはできなかった。
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