一 突然の依頼

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「――旦那様、秋津先生方が参られました」 「……ああ、これは秋津先生……急にお呼びたてしたにもかかわらず、ようこそお出でくださいました……本来ならば、こちらからお伺いせねばならぬところ……このような老いぼれの身ゆえご容赦願いたい……」  主人よりはよほど若く見えるが、やはり白髪をした丸眼鏡の執事が耳元で声をかけると、老人はそれまで瞑っていた眼をゆっくりと開き、時折、ぜいぜいと荒い息遣いを折り混ぜながらそう告げた。  すっかり白くなった髭を皺だらけの顔の上に生やし、鼻には酸素吸入のためのゴム管を着けて病床に横たわる痩せ細った老人――その人こそが日本有数の大富豪であり、今回の依頼主でもある花小路翁だ。  あれから電話をかけ直し、アポを取ってエドガー記念病院へ先生とともに向かうと、受付には執事の藤巻(せばす)さんがすでに出て来ていて、僕らはすぐに最上階の病室へと案内された。もちろん一人部屋の、ゆうに一般的な1LDKのマンションくらいはあるであろう広さの豪華な病室だ。 「それにしても、こんなにお若い方だったとは……御高名な名探偵と聞いておりましたから、もっと年上の方だとばかり……」  そのラグジュアリーな雰囲気漂う部屋の中央に置かれたベッドの上から、半身を起こした花小路翁は僕の方をじっと見つめてそう続ける。 「あ、いえ、僕は秋津先生ではなく、その付き添いといいますか、簡単に言ってしまうと助手みたいなことをしている御林という者でして……」  ずっとこちらへ視線を向けてるので薄々感じてはいたが、やっぱり僕を先生と勘違いしている……案の定、花小路翁も影の薄い(・・・・)先生の存在に気づかなかったようだ。まあ、いつものことであり、それが通常運転なので驚きはしない。 「ああ、では、そちらにいる方が秋津先生なのですね。それは失礼いたしました。いや、誰なのかと疑問には思いましたが、偶然居合わせた病院関係者か何かだと……」  しかし、いつになくその病床の老人は、先生の存在自体には気づいていたようである。通常、いないものと見なされることも多いので、先生にしては上出来である。  もしかしたら、自身も病人という生気の薄らいだ状態にあるために、いるんだかいないんだかわからない先生とは相通じるものがあったのかもしれない。 「それで、さっそくですが、天下に名高き花小路グループの会長様ともあろうお方が、私などのような者にいったいどのようなご用がおありと?」  自分の存在に気づいてもらえた先生は、なんだかうれしそうな声色で自ら花小路翁に尋ねる。  影が薄いだけでなく、先生は表情の変化やリアクションも薄いので他人にはわかりづらいかもしれないが、僕のように普段一緒にいる者の目から見ると今日はかなりご機嫌な様子である。 「なに、先祖の名声と財力にすがって生きてきただけの無能な老いぼれ爺ですよ。秋津先生の方こそ、その道では知らぬ者もおらぬ名探偵……そこで、ぜひとも先生にはある場所(・・・・)へ足を運んでもらい、そこで起きた不可解な事件の真相を突き止めていただきたいのです」  照れ隠しなのか、挨拶もそこそこに本題を切り出す先生の言葉に、花小路翁は謙遜というよりも過剰に自分を卑下しながら、息の漏れる雑音(ノイズ)混じりの声でそんな気になることを口にした。 「不可解な事件?」    やはり他人にはわからないかもしれないが、先生の細めた目に幾分、興味の色が浮かぶ。 「ええ。詳しいことは現地で聞いていただければと思うのですが……そのある場所というのは東京郊外にある古い花小路家の屋敷です。そこで以前、ある不可解な事件が起きました……いや、まだ私の中では、その事件は続いております。ずっとそのことを考えてきましたが、どうしてもその真相を解明することはできませんでした。いえ、そうではないですな……おそらく私は真相を知っていた。だが、それを証明する確たる証を見つけることができなかったのです」  思わず訊き返す先生に対し、花小路翁は堰を切ったように心の内を吐露し始める。 「先生、あの(ひと)を……彼女達を救ってやってください。あの事件が起きて以来、あの(ひと)達はずっと苦しんでいるのです。いいえ。彼女達ばかりじゃない。私もずっと苦しんできた。私は見ての通り、もう長くはありません……だが、このままでは死んでも死に切れません!」  病の身にはあまりよくないようにも思えるが、言葉と共に溢れ出した感情が老人をさらに興奮させる。 「先生! どうか、あの事件の謎を解き明かしてください! そして、あの(ひと)や私達のことを救ってやってください! これまでにも数々の難事件を解決してきた秋津先生ならば、必ずや真相を突き止めることができるはずです。私は花小路家を継いで以降、何不自由ない暮らしをさせていただいてきました。今ここでこの命尽きようとも、その境涯に少しの文句もありません……だが、この事件のことだけが心残りです。お金なら一千万でも一億でも、先生の言い値でお支払いいたします。だから先生! どうか、どうか私の願いを聞いてやってください!」  花小路翁は感極まり、声を張り上げて先生に頼み込む。相変わらず荒い息遣いではあるが、それはとても病床に伏す老人とは思えないくらい、強い響きを持った声である。
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