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いつもと変わらぬ、静寂だけが支配する広い食卓……。
だが、他の家族達の朝食はすでに終わっており、僕ら以外、この場には他に誰もいないので、それはいつものように重く陰鬱なものではなく、どこか軽く、むしろ心地よい静けさである。
その場の空気というものは景観以上に、そこに存在する人間によって左右されるものだということを改めて認識させられる。
「先生、御林さん。このようなものしかなくてすみません」
ただ一人、家族の中でも桜子さんだけはまだ炊事場に残っており、せっせと僕らの給仕をしてくれた。
彼女だけならば、この場の空気はけして陰鬱なものなどではなく、その真逆に明るくなったようにさえ感じられる。
「妹が亡くなり、母もあんなですから、奥向きのことをするのもわたくしと藤巻さんしかおりませんもので。それに、ここのところ霧のせいで買出しにも行けないので食材も少なくなってしまいました。せめて、お味噌汁でもご用意できればよかったのですけれど……」
その桜子さんが、お茶を茶碗に注ぎながら、とても申し訳なさそうな顔で僕らに謝る。
このテーブルの上にある、おにぎりと沢庵だけの質素な食事のことを彼女は言っているのだろう。
……そうか。そういえば現在、この大きなお屋敷には家政婦やコックのような使用人はおらず、食事の支度は花小路家の女性陣が自ら行っていたのだ。
その女性陣も今では彩華夫人と桜子さんの二人だけである。さらにその彩華夫人も梨花子さんの死がかなりのショックだったらしく、いまだに部屋で臥せったきり、その姿を見せてはいない。藤巻執事に手伝ってもらったとしても、桜子さん一人ではなかなか大変であろう。
「いえ、そんなことはぜんぜん…」
と、僕が手を振って答えようとしたその時である。
「味噌汁……ああ! なるほど。その手がありましたか!」
突然、先生が頓狂な声を上げた。
先生の生態を鑑みるに、どうやら今その瞬間、何か事件に関する重要なことに気づいたようなのだが、何が〝なるほど〟なのか、僕にはさっぱりわからない。
それは、先生をまだよく知らない桜子さんならばなおさらであろう。その突然発せられた奇声に、ポカンとした顔で手の動きを止めている。
「いきなり、何が、なるほどなんですか?」
わけのわからぬ先生に、僕は少々不満気味な言い方をして尋ねる。
「え? ……ああ、まあ、それはまた後ほどお話いたします。それよりも、私はやっと緑茶を飲むことができて、今、とても満足しています」
だが、怪訝な顔をする桜子さんに先生は微笑みかけると、また事件とはまったく関係ないことを言ってお茶を濁すばかりであった――。
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