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コンコンコン…!
一方、相変わらずそんな情趣はまったく感じていないらしい先生は、気がつくと、この雰囲気にはまるでそぐわぬ警戒なリズムで玄関のドアをノックしている。
「もしも~し、どなたかいらっしゃいますか~」
そして、力の抜けるような声でそう呼びかけると、しばらくして重そうな木のドアがゆっくりと開いた。
「はい。どちら様ですか?」
そのドアの裏から出てきたのは、30代後半か40くらいの中年紳士だった。燕尾服を着たその男性は、髪をきっちりと七三に分け、細面の顔には丸縁の眼鏡をかけている。
年はだいぶ違うが、そのビシッとした身なりや顔立ちに、どこか先程まで一緒だった執事の藤巻さんと同一人物であるかのような錯覚に捉われる。
「おや? 藤巻さん?」
先生も、どうやら僕と同じ印象を抱いたらしく、思わずそんな言葉を漏らすのだったが、相手の紳士はきょとんとした顔で小首を訝しげに傾げている。
……ああ、いつものあれか……この人、先生が視界にはいってないな?
よくあることで特に珍しくもないのだが、影の薄い先生はその存在すら気づいてもらえない状況がままとしてある。きっと今、この人の眼には僕しか見えていないのだろう。
……そう、これまでの経験則上、僕は推察したのだったが。
「……いかにも私は当屋敷の執事で藤巻と申しますが、どこかでお会いしましたでしょうか?」
だが、僕のその推理は外れていたようだ。紳士は先生の口にした質問にちゃんと答えている。彼はその言葉をしっかり聞き取り、先生の存在をわかっていたのである。さすが、この豪華なお屋敷の執事さんだ。
しかし、彼の返事を聞くと、それとはまた別の新たな疑問が生じる……どうやらこの人も執事を生業とする者で、しかも名前を〝藤巻〟というらしい。
けれどもこちらの〝藤巻〟さんは僕らのことをまるで知らない様子で、よくよく見れば顔立ちも微妙に違うし、何よりも年齢がまったく違う。普通に考えれば当然のことではあるが、先程まで一緒にいたあの藤巻さんとはもちろん別人なのだ。
ただ、顔は似てるし、名前からすると親戚か何かなのかもしれない。
「あ、いえ、あなたとよく似た執事の藤巻さんにここまで送ってきていただいたので…」
「はあ? ……あの、いったいどういったご用件で?」
なんとなく疑問が解け、先生も僕も苦笑いを浮かべながらそう答えたが、やはりこの藤巻執事は何のことだかわからないらしく、怪訝な表情のまま僕らのことをじっと見つめている。
「ああ、これは申し遅れました。私、花小路のご当主の依頼でこちらに参りました私立探偵の秋津影郎と申します」
どうやら話が通っていないらしいことを察し、先生はかぶっていたソフト帽を取ると、丁寧に頭を下げて名を名乗った。
「助手の御林です」
続いて、僕もおまけのようにそう名乗ってぺこりとお辞儀をする。
「当家の主人から? ……いえ、そのような話は聞いておりませんが?」
しかし、それでもまだわからないのか、さらに僕らの方を怪しむような眼差しで睨むと、この若い方の藤巻執事は妙なことを言い出す。
どうも話が噛み合わない。本当にこの人は僕らのことを何も聞かされていないのだろうか?
あ、そういえばさっき〝当家の主人〟とか言っていたな。となると、ここの主人も花小路というのか? ってことは、この屋敷に住んでいるのはあの花小路家の親戚筋か何かなのだろうか?
まあ〝花小路家の古い屋敷〟なのだから、同姓の同族が住んでいるのも当然といえば当然か……ああ、そうか! そういうことか! どちらも同じ花小路姓なんで、それで先生の話を聞いて自分のとこの主人の依頼だと勘違いしたっていうわけだ。
僕は頭の中でそう解釈を下すと、ようやく納得したというようにコクンと頷いた。
「いえ、こちらのではなく、ええと、ご本家になられるのかな? 元伯爵家の花小路氏の依頼です」
やはり先生も同じことを考えたらしく、手をひらひらと振ってそんな説明を加える。
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