【第1話:ゴブリンの魔王 前編】

1/1
前へ
/44ページ
次へ

【第1話:ゴブリンの魔王 前編】

 その日、世界から一つの国が消え去った。  その国の名は『アラジア王国』。  人族が治める小さな国だったが、つい一月前までは、確かにそこには人々の息づかいが聞こえ、日々の小さな幸せを噛みしめる多くの者が暮らしていた。  しかし今日、アラジア王国最後の街『王都アラジア』は陥落した。  ゴブリンの魔王が率いる『小鬼(しょうき)魔王軍』が現れてから、全ての村や街が滅ぼされるまでに、一月もかからなかった。  その戦力は圧倒的で、眷属のゴブリンと狼や猪の魔物を中心とした魔王軍総勢10万の数の前には、国の守りなど意味をなさなかった。 「くっくっく! 脆い! 脆いぞ人間どもよ!」  その滅ぼした王都の中心にある王城、謁見の間。  煌びやかだった城内は今は見る影もなく、見る者を魅了した彫刻は破壊され、歴史的価値のある絵画は焼け落ち、元いた城の主は既にこの世に存在しなかった。  その最奥の玉座に座していたのはゴブリンの魔王『アンドロ』。  下卑た高笑いに残忍な笑みを口元に浮かべ、人のモノと思われる骨で作られた玉座に座るその姿は、とてもゴブリンとは思えぬほどの巨体を有していた。 「喰って喰って喰らいつくせ! そして我が糧となって、あらたな力となるのだ!」  本来なら人の子ほどの大きさしかないゴブリンだが、その手に持って、今にも握りつぶそうとしているのは人の姿。  優に2mを超える魔王アンドロのその手の中でわずかに藻掻いているのは、このアラジア王国が認定した勇者『アルテミシア』の姿だった。 「は、離せ……許さない。お前だけは絶対に……許さない、んだから……」  近隣諸国にまで轟いた美しきその少女は、尚も気丈に振舞って見せたが、それが何かを変える事はない。  輝いていた鎧は砕け、整った育ちの良い顔立ちと艶のある黄金の髪は血にまみれており、故郷を滅ぼされた悔しさに目に涙を貯めるその姿に、華やかだった美しき女勇者の面影は残っていなかった。  この世界には、多くの神々が存在する。  勇者とは、その中の一柱の神に選ばれ、強力なギフトを授かった者をさし、人々は聖光教会の神託によってその存在を知って、国としても勇者の称号を授けて支援する。  しかし……その優れたギフトを持つ勇者を以てしても、魔王を打ち倒すのは困難を極めた。 「どうしたぁ? 何も守れなかった力なき神に選ばれた弱き勇者よ。もうお前の守るものは何も存在しない。心置きなく逝けるように最後にしてやったのだ。感謝するが良いぞ?」  魔王アンドロは勇者アルテミシアを見下ろし、嘲笑うと、その手に力を込めていく。 「あが、ぁ……みん、な、ごめ、んなさ、い……」  勇者アルテミシアにはすでに抵抗する力などなく、身体が悲鳴をあげるのを遠くに感じながら、惨めな死を覚悟したその時だった。  王城を振るわすほどの轟音と共に、占領した王都に展開していた魔王軍から巨大な火柱が立ち昇った。  その炎はまるで天にも届きそうなほどの業火で、既に住む者のいなくなった街の一角ごと魔王軍の一部隊を消し去った。 「なっ!? 何事だぁ!?」  魔王アンドロが叫ぶ僅かな間にも、馬鹿げた大きさの火柱が立て続けに出現する。  その時、魔王アンドロは感じ取ってしまった。  自身の魔力を遥かに上回る巨大な魔力の持ち主が近づいていることに。 「ば、馬鹿な!? たとえ勇者とて、これほどの魔力を持つ者などいるものか!?」  そう叫ぶと、いたぶっていた勇者アルテミシアを投げ出し、謁見の間に繋がるバルコニーに飛び出して街を見下ろした。 「何なのだ……いったい何が起こっているのだ!?」  魔王アンドロの目に飛び込んできたのは、見た事もない黒い炎に蹂躙される魔王軍の姿だった。  しかも、こうして憤っている間にも、巨大な火柱がいたるところであがっており、既に小鬼魔王軍の半数近くがその業火によって焼き尽くされようとしていた。 「忌まわしき勇者がまだいると言うのか!? この魔王アンドロに挑むと言うのならば、その身の程を知るが良い! 返り討ちにしてくれるわ!!」  その声に呼応し、現れたのは4つの巨大な影。 「我らが偉大な魔王よ! どうかその役目、我ら『小鬼四魔将』にお任せを!」  魔王アンドロに迫るその巨躯は、側近のゴブリンジェネラルたちだった。  普通のゴブリンなら持ち上げる事すら出来ない分厚い鎧を身に纏い、背には人の身の丈を超える大剣と、自身を覆い隠すほどの大盾を背負っている。  それら超重量級の装備を楽々着こなす姿を見ただけでも、その強さの程がわかるというものだった。 「お前たちか! よく申した! ならば我に付き従え! 我も打って出るぞ!」  魔王たる絶大な力を持つ自分と、この小鬼四魔将さえいれば、他のゴブリンたちが全て殺されようと、負ける道理はない。  そう思い当たると、魔王アンドロの口元には残忍な笑みが再び戻っていた。  そしてその思考は、この襲撃者をどうやって嬲り殺すかという事に、次第に切り替わっていく。 「ふっふっふ。手足を一本ずつ引き千切ってくれようか。それとも……がっはっは! 奴はおそらく正門の辺りだ! 行くぞ!」  この魔力の持ち主は逃げも隠れもしないという意思のあらわれなのか、巨大な魔力を抑える事もなく、その居場所は筒抜けだった。  魔王アンドロは、小鬼四魔将に「ついてこい!」と命じると、迷わずその場所へ向けて歩き始める。 「はっ! ただ、王は我らがその者を嬲り殺すさまを、ごゆるりとご覧ください」 「我ら小鬼四魔将にかかれば……」  嬲り殺すさまを想像してほくそ笑んでいた魔王アンドロだったが、いきなり言葉を途切れさせた側近に何事かと立ち止まる。 「なんだ? どうした?」  絶大な信頼を置く側近の不自然な行動を不可解に思い、振り向いた魔王アンドロの目に映ったのは、見知らぬ一人の少年と……上半身を失った4つの巨体だった。
/44ページ

最初のコメントを投稿しよう!

531人が本棚に入れています
本棚に追加