ノベル・ウォーズ

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 その昔、急激な発展とそれによる混乱が続いていたころ、ある小説が出版された。それはどこまでも希望に満ちた小説だった。 「読むと元気になる」 「心があったかくなる」 「明日も頑張ろうって思える」  読んだ人は必ずと言っていいほど前向きになった。そんな力を持った小説だった。小説は瞬く間に広まり、社会現象になった。その時代、物事はよい方向に向かっていると誰もが信じていたが、いまではこの小説の影響が強かったと言われている。  どこまでも明るいその小説の作風は他の小説家にも影響を与えた。自分もそんな小説が書きたいと、著者のマスダヨウに弟子入りする者も現れた。マスダヨウはそれを受け入れ、優秀な弟子を育てては世に送り出した。こうして希望に満ちた作品が次々と世に出ることになった。それが読者にも受け入れられ、やがてこうした作品群は、絶大な人気を誇るひとつのジャンルになった。  こうして誕生したのが光の小説、すなわちライトノベルだった。  それから時は流れ。 「うーん、悪くはないんだけどね」  受講生が持ってきた小説を読み終えて、オビノゲンイチは言った。 「やっぱり影があるんだよな、きみの小説には」 「はあ」 「物語はたしかに明るいよ? でも、文体に悲しみが混じっちゃってるんだよね。悲しい声で明るい話しをされても、楽しい気持ちにはなれないだろう? それと一緒だよ。むしろ文体こそ明るくなくっちゃ」 「ということはつまり……」 「うん。これじゃあまだ紹介できないかな」  受講生であるアマキソラは「またかよ!」と思った。いつになったらデビューさせてくれるんだよ。  一大ジャンルとして多くの読者を獲得し、いまや文学界の覇権を取るまでに成長したライトノベル界には、ライターズと呼ばれる組織が生まれていた。ライターズは、もちろんライトノベル作家(略してラノベ作家)による集団で、ライトノベルを通して世界に希望を与えることを目的としていた。またそのために、ラノベ作家の権利を守ったり、新たな世代を育てるために養成講座を開いたりしていた。  アマキソラはラノベ作家になるためにライターズの開く養成講座に通っていた。そのうちに現役ラノベ作家でもある講師オビノゲンイチに才能を認められ、個人的に指導を仰ぐことになった。ふたりはいわば師弟関係みたいなものだ。オビノゲンイチはアマキソラに短編を書いてくるように言った。いいものが書けたらライターズが出版している小説誌『グローリー』に載せてもらえるよう紹介しよう、とオビノゲンイチは約束していた。  だがオビノゲンイチは、アマキソラが持ってくる小説に必ずダメだしをして「これじゃあ紹介できない」と言うのだった。 「もう少しだよアマキくん」とオビノゲンイチは言った。「あとほんの少しできみの小説はみんなの希望の光になる。それまで腐らずに頑張るんだ。きみ自身が希望を失っては、ライトノベルは書けないからね」  ほんとかよ!  アマキソラはそう思いつつも「はい、頑張ります」と答えた。  オビノゲンイチと別れてから養成所内を歩いていたアマキソラは、とつぜん声をかけられた。 「アマキくんだね?」とその人は言った。  声をかけてきた人物にアマキソラは驚いた。マスダヨウと並んでライトノベル黎明期から活躍し続けている大家、スダヒデヤスその人だったからだ。スダヒデヤスに手招きされてアマキソラは誰もいない部屋に入った。ふたりっきりになったところで、スダヒデヤスはしわがれた声で言った。 「さっきの会話、聞いていたよ。まだ『グローリー』に載せてもらえないようだね」 「ええ、まあ」とアマキソラはうなずいた。 「アマキくん、騙されているよ。あれはね、きみを養成所に通わせ続けるために、ああやって期待させているだけなんだ。きみには才能があるとかなんとか言ってね」 「やっぱり!」  アマキソラは思わず叫んだ。何か裏がある気がしていたんだ! 「やはりアマキくんは薄々勘づいていたんだね。わたしの読み通りだ」とスダヒデヤスは言った。「きみには真実を教えてあげよう。このライターズという組織は腐っている。最初こそ『世界に光を』という目的のために活動していたが、マスダヨウがいなくなってからというものこの様さ。ラノベ作家の権利ばかりを主張し、既得権益をむさぼり、受講生からは金をむしり取る、そんな組織に成り下がった。そこでわたしはライターズを脱退し、新たな組織を作ることにした。ライトノベルなどという嘘で塗り固められた希望ではなく、本物の小説を書く組織だ。それでなんだが、きみもその組織に入ってくれないか?」 「え?」アマキソラは困惑した。「どうしてぼくなんかを? それにぼくには、才能がないのでは?」 「いや、ある。ライターズの連中が気づいていないだけだ。きみの心の奥にあるどろどろとしたもの、それを解放しろ。そうすればやつらには絶対に書けない傑作ができるはずだ。わたしがその環境を用意してやる。わたしが必ずや、アマキくんの作品を世に出してやる。どうだね? わたしについてくる気はないかね?」  少し考えてから、アマキソラはその提案にうなずいた。  やつらはぼくを騙そうとしたのだ。このままライターズについていっても未来はないだろう。  スダヒデヤスのもと、アマキソラはライトノベル作家(略してラノベ作家)としてデビューすることになった。それは鮮烈なデビューだった。デビュー作はいきなり書き下ろしの単行本だった。しかもラノベ作家の大家スダヒデヤスの太鼓判によって、出版前から大々的な宣伝がなされた。新たな希望ここに誕生、という具合だった。ライトノベルの創始者マスダヨウの再来とまでウワサされた。それらはすべて、スダヒデヤスの策略だった。  ライトノベル愛好家たちはこぞってアマキソラのその小説を買った。いったいどんな希望が描かれているのだろうか。愛好家たちはわくわくしながらページをたぐった。そして衝撃を受けた。  その小説は魔法少女となった女の子たちの成長を描いたものだった。悪い人をやっつけ困っている人を助ける、王道のストーリーだった。そして他のライトノベル同様、希望の光に溢れていた。少なくとも、最初の2章までは。  3章目にして、魔法少女のひとりが死んだ。  ライトノベル愛好家たちは困惑した。 「えっ、えっ? 死んだ? ほんとに? これって、希望の光に溢れたライトノベルですよね?」  ある読者は、その部分を読んだ時点でショックのあまり倒れた。  ある読者は、いや死んだっていうのは比喩か何かでほんとは死んでいないんだよ、と目を逸らした。  ある読者は、いやいやこれってライトノベルだよ? このあとじつは生きていましたみたいな展開になるに決まっているじゃん、と思って読み進めた。  しかし死んだ少女は、なかなか生き返らなかった。それどころか4章からは怒濤の鬱展開だった。魔法少女が死に、魔法少女の友達が死に、助かったと思ったらやっぱり死に、善人だと思って助けた人に騙されて死に、ときには死ぬよりもひどいことをされてから死んだ。  倒れる読者。目を逸らす読者。まだ希望を諦めず、読み進める読者。  最後まで読むことができたライトノベル愛好家がどれだけいただろう。最後の一行まで希望を持ち続けられた読者がどれだけいただろう。  だが結局、最後の最後までその小説に希望はなかった。アマキソラが書き上げた小説はライトノベルに見せかけた、ダークノベルだったのである。  アマキソラのその小説が社会現象になったころ、スダヒデヤスは高らかに宣言した。 「偽善と欺瞞に満ちた上っ面だけの作品、それがライトノベルだ。我々はそれに別れを告げ、新しい小説を作り出す。怒りや悲しみ、不安や恐怖、妬みといった人間の負の感情、死に代表されるこの世の理不尽、そして絶望。ライトノベルがなかったことにしてきた闇の部分を、我々は思いのままに書く。そして読者にはそれを読む権利がある。それこそが小説の自由、ひいては人類の自由なのだ。この欲望は誰にも止められない」  その宣言とともにスダヒデヤスとアマキソラは、ライターズに別れを告げ、水面下で準備しておいたダークノベルを生みだす組織、ダーカーズを表舞台にさらけ出した。  希望の光と絶望の闇。  ライトノベルとダークノベル。  ライターズとダーカーズ。  文学界の覇権を賭けた、長い戦いの始まりだった。  ライターズの人々は当初、裏切り者スダヒデヤスが生みだしたダークノベルなど流行らないと踏んでいた。人々は希望を見たいのだ。なぜわざわざ絶望するために小説を読む? アマキソラの小説にあれだけの反響があったのは、あの宣伝があったからにすぎない。だから、ダークノベルはもう続かないだろう。そう予想していた。  しかしライターズの予想に反して、ダークノベルは読者を獲得した。 「救いがないところが心に突き刺さって、ある種の感動がある気がする」 「この世界の真実が描かれている気がします。ぼくも会社でこんな目にあっているなって、共感するっていうか」 「非日常的な刺激で満ちていてとてもいい。ってか、女の子が死ぬところって興奮しない?」  そして世の中にダークノベルが蔓延し始めた。夢や希望を持てない人が増えていった。ちょうど不況が重なったことも影響があるかもしれなかった。彼らにとってライトノベルに描かれた希望の光は、まさに偽善であり欺瞞であった。こんな希望がどこに転がっているというのか。そんな気分が漂い、ライトノベルは少しずつ衰退していった。  このような状況になって初めて危機感を覚えたライターズは、政治的に対処しはじめた。ダークノベルを読むと退廃的になる。道徳や倫理に反する行動をするようになる。ダークノベルを好むの人は犯罪者予備軍。そういった情報を流し、ダークノベルを規制するよう各所に訴えた。  これに対してスダヒデヤス率いるダーカーズも対抗した。 「これこそがライターズの闇だ。ライターズは読者を信じていない。読者は本に書かれていることを丸呑みにして、そのまま行動に移すバカだと思っている。読者をバカにするライトノベルこそ、読む価値のないものだ」  ライターズとダーカーズの戦いは続いた。お互いにお互いを批判しあった。小説家らしく基本的には言葉による論争なので、暴力に訴えることはなかったが、激しいことに変わりはなかった。一方がどこかで批判すれば、もう一方もそれ相応にやり返した。その応酬は様々なメディアに取り上げられて、さらに加熱した。お茶の間の人たちのほとんどは、その様子を娯楽として消費した。戦いは長きに渡って繰り広げられた。  そんな中、アマキソラは小説を書き続けた。最初はライトノベル作家(略してラノベ作家)を目指していたアマキソラは、じつはダークな世界観こそ得意な作家だった。その才能をスダヒデヤスは見抜き、開花させた。おかげでアマキソラはダークノベル作家(略してダノベ作家)として、第一線で活躍していた。  アマキソラは、ライターズとダーカーズの戦いに興味がなかった。いや、正確に言えば最初はライターズを恨む気持ちがあった。ぼくを騙しやがって、あいつらぶっつぶしてやる、と思っていた。しかし、いまはどうでもよかった。ライターズもダーカーズも相手を倒すことばかりに力を入れているようだが、自分はそんなことがしたくてライターズの養成所に入ったわけじゃない。ぼくは小説が書きたかったのだ。アマキソラはそのことを思い出し、小説の執筆に専念するようになっていた。そうしているうちに作風にも変化が起きた。ただひたすら暗いだけではなく、希望があるものも書くようになっていた。  そうして小説を書いては出版していくうちに、アマキソラはあることに気がついた。  これは……、戦っている場合じゃないぞ。  アマキソラはある話しをするために、ライターズの代表になったオビノゲンイチと、ダーカーズの代表スダヒデヤスを騙して、ひとつの会議室に呼んだ。  オビノゲンイチとスダヒデヤスは、会議室で顔を合わせるなりアマキソラに怒りをぶつけた。 「なんだ、かわいこちゃんがいるというからきてやったのに、なぜこいつがいる! きさま、騙したな!」 「新作に関する相談ではなかったのか! わたしはこんなやつと話しなどしたくない! 帰らせてもらうぞ!」  わかってはいたが、ふたりの仲は険悪だった。だが、アマキソラは冷静にふたりに言った。 「あなたたちはいったい何をしているのです? オビノさんもスダさんも、小説家ですよね? 小説家は、小説を書くのが仕事です。自分の気に入らない相手を倒すのは、小説家の仕事じゃない」 「なんだ、きさま。どっちの見方なんだ?」 「そうだぞアマキ。最近はどうも希望のある作品も書いているそうじゃないか。それでもダーカーズか!」 「ぼくはさまざまな側面に光を当てたい、それだけです。いや、いまはそんなことはどうでもいい。これを見てください」  アマキソラは持っていた資料をふたりに渡した。  それは読書量についてのアンケートを集計した折れ線グラフだった。そのグラフによると小説を読んでいる人の数は、近年になって絶望的なまでに減っていた。 「ご覧の通りです」とアマキソラは言った。「あなた方が文学界の覇権を取るべく互いの批判に躍起になっているあいだに、文学そのものが衰退してしまったのですよ」  政治と文学の時代はとっくの昔に終わり、小説を読む人も少なくなったいま、ライターズとダーカーズの戦いなどまったく注目されていなかった。いまやテレビすら衰退し始め、スマホで動画を見る時代だ。ライトノベルやダークノベルが社会に与える影響など、これっぽっちもなくなってしまっていたのである。ふたつの組織が、論争を繰り広げているあいだに。  オビノゲンイチとスダヒデヤスは、なかば呆然とした表情でお互いの顔をちらりと見た。 「さて、どうしますか?」  アマキソラがふたりに問いかけた。
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