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 後はできるだけ早く帰りなさいと言われたので、私たちはそそくさと帰路につく。私の住まいで身を清めてもらうために、三人で同じ道を行く。  女学生の穿く袴をさばき、着物に染み込んだ泥水を絞りながら、サヨはしみじみと私の顔を覗いた。 「ツッコというお嬢様は、不思議なことを考えるなぁ」  ツッコ、とは私のあだ名だ。この開拓地に来たばかりの頃、早く皆の輪に入れるようにと付けてもらった、ここだけで通じる私の愛称。  その名付け親であるサヨは興味深そうに私を見る。私は彼女の格好いい、凛々しい面に向かって唇を尖らせた。 「あれだけ言われたら、私だって反抗したくもなります」 「そうじゃない」  サヨは首を横に振った。てっきり先生――もとい社会全体に根付いた、女性像の押し付けについてだと思ったのだけれど。 「仮にツッコが脇で眺めるだけだったとしても、恥ずかしくなんかなかっただろ」 「そうそう。ツッコの着物が一等綺麗なんだから、むしろ汚したのが勿体ねぇべ」 「いや、それもあるけどさ」  リツの横からの発言すら、サヨはハズレだと言う。 「泥に入っても入らなくても、変わらないよ。皆同じ――」 「友達だべ!」  リツが先読みすると、サヨは満足げに頷いた。  視界がまた滲む。私はこの友人たちに、どれだけ感謝すればいいのだろう。 「ありがとう」  こっそり目尻を拭い、感慨に耽りながら、暮れなずむ道をひたすら前進した。三人が通った跡には、袖の先から滴る雫が、点々と今日の座標を落としていた。各々繋げば、それはまっすぐ平行に伸びる三本線となる。  やがて農場の敷地内にある、私の仮住まいに到着した。誰にも見つからないよう急いで縁側へ回り、東京にいた頃から世話になっている使用人のばあやと、それから通いで勤めているサヨの母親にお願いして、たっぷりの風呂を沸かしてもらう。  その間にリツが周囲を見渡して、ほう、と感嘆の息を吐いた。 「立派なお家だなぁ。ここに住んでいるツッコは、やっぱり凄いお人なんだな」  そうは言いながら、リツはうんと首を伸ばす。小動物のような丸い目は、今私たちがいる和風邸宅ではなく、その隣に建つ赤煉瓦の洋館を映している。 「そんなことないわ」  無邪気な乙女を見留めながら、私はふふ、と笑みを綻ばせる。それに気付いたのかは知らないが、リツは膨らませた頬で振り向いた。論が来る。彼女は部屋の化粧台に飾られていた、白黒の写真を証拠に挙げた。 「でも、間違いなくやんごとないお人だべ」 「そりゃあ、家主はそうだけれど」  リツが示したのはこの家の持ち主のことだった。写真に写る悠然とした立ち姿は、確かに彼女の話す通り。正装の着こなしは流石と言うべきで、いつ見ても勇ましい。けれど。 「私は親類を頼って来ただけであって、私そのものが凄いわけではないのよ。あの方と私の共通点って、姓くらいだわ」  元々の話、私は静養という名目でここ那須野が原に来ている。この家は華族の縁故を頼って、一時だけお借りしている別邸だ。そのやんごとない御方と話した機会は、ないことはなかったが、とにかくお忙しい御人だった。どちらかと言えば写真の中の人物。華族の間ではよくあることだが、それくらいの繋がりなのだ。 「はたして、同じ苗字ってだけで英雄様の別邸に住めるかな」  私の本音でしかない弁解をつついたのは、サヨだった。からかう調子で笑う友人に、私は眉尻を下げる。 「……もう、意地悪ね」  そうこぼしたとき、お風呂が整いましたよ、とサヨの母親が姿を見せた。途端、使用人の娘は背筋を伸ばす。母親がいるときだけ、私に向かって「お嬢様」などとへりくだるのだ。けして裏表があるわけではないのだが、少し悔しい、と私は下唇を噛んだ。
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