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反省文の執筆という慣れない雑事を消化した後、卓上ランプの灯をそのままに、私は父からの手紙と睨み合っていた。
娘へ、という簡素な書き出しで始まった手紙は、私のこちらでの生活を心配する旨から始まっている。それから、静養が済んでいるなら帰ってきたらどうか。そのときに会ってみて欲しい人がいて、父はその人を、お前の縁談相手にと考えているから、どういう人か教えよう……ときて、以下相手の紹介文が続いていた。
父の書いた内容はいいとして、恨めしいのは断りにくい、相手の優れた人柄だった。
此度の縁談、我が家にとってこれとない好条件だということは、私も重々承知していた。母を早くに亡くし、父と私の二人で生きてきたのだ。一人娘だから婿を取らなければいけなかったのだが、商売事に秀でた目利きの父は、やはり上等の相手を見付けてきた。
良いのは家柄だけではない。この家の財産と名誉を任せられるだけの器が、その相手にはあるということなのだろう。私が凄い人間でないというのは謙遜ではなかったけれど、家自体は、華族と深く繋がっていたから。
私は手紙から目を離して、半分ほど開けた引き戸を見やった。北に横たわる土手を乗り越え、やわらかな夜風が吹き降りている。冬は季節風が襲う土地だというが、私はまだそのしたたかさを知らない。
結婚相手、将来。今の女性にとっては、同じ意味を持つ言葉だった。うら若い学生の身分でも、良い縁談が舞い込めば学校を辞める。そのまま相手の家に嫁ぐか、あるいは婿を迎えるのが常識で、かえってそうする女子の方が社会から高い評価を受けるのだ。
静養という目的でここに来たのに間違いはない。しかし土地が体に合ったのか、春のひと月で空咳は治ってしまった。居心地がよいので帰京を先延ばしにし、その後も心身のびやかに過ごしていたけれど、縁談の話が来てからはどうだろう。
思えば東京にいた頃から、気分が塞ぐことといえば友人たちの縁談だった。それは別に嫌な話ばかりでなく、多くは祝福されるものだったけれど、やはり自分に置き換えては見られなかった。
結婚をして家に入る。女性の道って、本当にそれだけなのだろうか。
もう少し猶予が欲しい。心の中で何かが燻って……いいや。私はそもそもの火種を欲している。
しばらく考えていると、長い広縁を来るばあやの声がした。もう遅いから、布団で休んではどうかとのことだった。
大切な水を風呂桶に注ぎ込んでしまったのだから、素直に言うことを聞こう。私は「はい」と返事をし――次いで今日の泥事件のことを再度謝ってから、眠りについたのだった。
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