ラダールの花薬師(かやくし)

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「……おそらく十年前のゴタゴタの頃でしょ、あなたが不知火(しらぬい)(もう)でをしたのって」  脇机に二人分の茶器を置き、籐椅子の背を引いて対面に陣取ると、チハルは上目遣いにナユタを見やった。 「オズマンドの王様がいきなり身罷(みまか)られて、三年くらいだったかしら? 玉座を争うひどい政変だったわよね。人が大勢アダージ街道を抜けて、カルザ国側に逃れてきて。私、まだ花薬師として()け出しの頃で、ちょうどあの山麓を(めぐ)ってたから、よく覚えてるのよ」  話を振ってやると、ナユタは遠い目をした。 「そうそう。あの頃のオズマンド人は、藁にもすがりたい想いのやつらばっかりだった。俺の親父も都に帰りたくて、『霊山から見えるという青海の火に参拝すれば、なんでも願いが叶う』なんて言い伝えに、つい飛びついちまった馬鹿の一人でさ」 「ナユタ。なんでもいいから、その時のことで覚えていること、話してくれないかな」 軽い音を立て、白磁の器に清涼な香りの茶を注ぐ。 心を落ちつかせ、集中力を高める花茶――もう花薬師の仕事は始まっている。 「うーん。それがじつは俺、どうも記憶が曖昧(あいまい)でさ。行った事実は覚えてるのに、その時の感情や動機がまったく白紙っていうかー」 「そう」 「……俺って、やっぱ少しおかしいのかな」  ナユタは頼りなげにチハルを見た。 「ううん。そうじゃないと思う。不知火詣でをしたら、そうなる人が多いの」  この世には医学だけでは解決できない病が存在する。かといって、なら(えやみ)と呼ばれる妖魔に取り憑かれたにちがいない、祈祷師(きとうし)さえ呼べば万事解決だ、というのも安直すぎるとチハルは思う。  花薬師は医師のように病んだ部分を取り(のぞ)いて治すのではなく、たとえば風雨にさらされて曲がった木に添え木をあてるような……病んだものは受け入れた上での対処をする。 病は病とし、なおまっすぐ生命を全うする(すべ)に特化した、薬花のみでの治療。 だから花薬師は職業上は草木を扱う職人扱いだ。 なのに正式な花薬師になるのはなかなか難しく、修行は完全な徒弟制だった。 一人前になるには野山を最低でも三年は流離(さす)らい、組合主催の修了試験に合格しなければならない。 「ナユタ。あなたはたぶん不知火――鬼火に願掛けして、受け入れられた人なんだと思う。海に浮かんだ鬼火の正体は、光世から堕ちてきた神霊だって説、あなた信じられる?」 「霊?! まさか幽霊とか亡霊と同じ類いの?!」 ナユタは気味悪そうに胸に手を当てた。チハルは注意深く丁寧に説明する。 星の病っていうのは、病人の身体の中に願いを叶えるために入った神霊がいてね、その霊が放つ熱が原因なの――。 花薬師はありのままの真実を、まず患者に受け入れさせる。 特別なことはせず地味に話を聞き、身体に溜まった黒霧を吐き出させる。 治るか治らないかは本人次第だ。 「それじゃ、俺の記憶が曖昧なのも?」 「うん。たぶん霊がまだ、あなたの身体に憑依しちゃってるからだと」  うっわ冗談じゃない、とナユタは毒づいた。 「その霊を取り除く方法は。どうやるんだ」 「なにか忘れたことを、思い出せばいいのよ」 「なるほど……そうだな、俺があの山に登ったのは早春で、それから……」 ナユタは頭をがしがし()くと、 「あーダメ。いつもこうなんだ、うう気持ち悪い。なあチハル、あんたも同じ頃、あの霊山に登ってたんだろ。その時の様子を話してくれれば、俺も少しは記憶が戻るんじゃないか?」 そうね、とチハルはため息をついた。 どうやらナユタの治療はけっこう時間がかかりそうだった。b924f00b-5764-4273-8d07-c386f7aac53c 花屋兼茶屋の仕事の休憩中に、二人でお茶を飲みながら昔語りをする。 なにも知らない常連客は、花薬師見習いでも入ったのかと決まって聞いてきた。ナユタがいつのまにか前掛けまで締めて、店の中で働いていたからだ。 だって他にやることないし、草木は好きなほうなんだ。ナユタはチハルの息子のフウともすっかり打ち解け、学校帰りのいい遊び相手になってやっていた。 「――で? 今日はなんの話?」 催促され、チハルは首を傾げつつまた回想を始める。 ナユタはこちらの話ばかり聞きたがった。そういう症状の患者もいたから、この人もそうなのかもしれない。 十年前――。 花薬師組合からの通達で、チハルは白蔓花(ヤッシ)の採集をしに山へ入っていた。 薬花の採集は当番制だ。悩み多き人々が山頂めざすほど白蔓花(ヤッシ)の需要も増える一方、当時は摘んでも摘んでも、まったく供給が追いつかなかった。 「そうね……じゃ、今日はとっておきを」 雪解け水のせいで、ぬかるんだ山道……鬱蒼(うっそう)とした針葉樹の森を抜け、雪と緑がまだらになった草原を登り――あの日、私は妖魔に襲われた一行に出会ったのだ。
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