ラダールの花薬師(かやくし)

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おそらく心の(おり)を声にして身体の外へ吐き出すうち、かたくなだった気持ちもしだいに安らいでいったのだろう。 幾晩かたったのち、大粒の涙をこぼして、突然少女は号泣した。大丈夫よ、とたしかチハルはその時、細い肩を抱き寄せて言った気がする。 ――大丈夫、恐れないで進んで。あなたの選んだ道はきっとまちがっていない。だいたいその年でイベリス山の頂まで上がろうなんて……普通やろうと思ってもなかなかやりきれるものじゃない、それだけでもすごいわよ。 不知火詣での願いが天に通じれば、星は願いを叶えてくれる。その代償に記憶を失うことも、チハルは包み隠さず少女に教えた。 それでも少女は引き返すとは言わなかった。 「あの子は強かった。だから結局、なにを願ったか知らないけれど、たぶんうまくいったにちがいないと、私は思ってる……」 「本当にそうかな」 え、とチハルはナユタを見た。 「なあチハル。トキマサとその子を頂上までつれていったなら、あんたもその時、海の上に浮かんだ火を見たんだよな。あんた自身はなにも願わなかったわけ?」 どくん。なぜか胸が深く鳴った。 「え……私? 私は、なにも……」 「本当に?」 ナユタの目はかたくなにこちらを向いている。 「だって」 チハルは喉を鳴らした。 「花薬師の常識だもの。私は鬼火に願かけしたら、代わりに記憶が飛ぶってことも知ってたし」 「嘘だ」 ナユタは妙に知ったふうな顔で眉をしかめた。 「あんた本当は、『トキマサとこのままずっと一緒にいたい』と――願ったろ」 「そんな。願ってない!」 「いいや。絶対に願った」 しつこいな。なんでそんなこと言われなきゃならないの。 だいたいこれはナユタのために思い出して話しているだけなのに――。 反論する間もなく視界が急に揺らぎ、チハルは思わず胸を押さえて前屈みになった。 あ……どうしたんだろう。 いきなり目の裏に浮かぶのは、斜面に咲く一面の花――。  ――花束を作るの、手伝ってくれてありがとう。たくさんあるから大変だったでしょ。 誰かの声が鮮明に脳裏に蘇る。 あれは山頂近い、白い綿帽子のような白蔓花(ヤッシ)が群生する丘だ。 花薬師たちが生業(なりわい)で使用するための花を採取する、秘密の場所。  ――でも大量でもいいの。だってもし誰も治療しに来なければ、白蔓花(ヤッシ)は花屋で、普通の花として売られていくんだから。 チハルは目を細める。嘘でしょ。これ、私が言った言葉じゃない? そう……花薬師が扱うのはおもに生花だから、土付きで採集してもせいぜい二週間ほどしか持たない。 その間に店に来た客が治療を求めれば花は薬に、贈り物を求めれば花は花として使われてゆく。  ――花薬師って言ってもね、元々はただの花売りだったらしいの。冬場の花のない時期、副業で始めた薬売りが発端なんだって。 私……一体、誰に話しかけていたんだろう。 離れた大岩に座って、にこにこ自分を見下ろしていたトキマサ。 花薬師に道案内を頼んだ以上、道中で本業の花の採集に時間を取られるのは必定で……しかたがない、と待ってくれる護衛士の視線は柔和で暖かく、太陽のように私だけにむけられていた。 そう。私はたしかにあの人に愛されていた。なのにどうして、あの大切な瞬間を、今の今まで心の底に封印していたんだろう――。 「私……」チハルは額に手を当てた。 そして動転する。自分の指先が震えていることに。 「私はトキマサと、やっぱり一緒にいたかったんだ。それが無理ならせめて、なにか形が欲しかった」 「……だからあんたは、息子を産んだの?」 ナユタの言葉に目を見開く。唇と喉が急に渇いた。 そう。そうだ、私の一人息子の父親は……、誰が父親かと問われれば、当たり前にちゃんと答えられるのに。 なぜトキマサの子供が欲しいと思ったのか、その想いだけは綺麗に忘れていた。 ひどく目眩(めまい)がしてきて、目の前に置かれた自分の茶を(のど)を鳴らして飲み干した。 胸が重くなり、冷や汗が吹き出す。 「これも飲むか?」 さしだされたナユタの茶を思わず受け取って口にし、ああしまった、こちらは治療用に特別に調合した薬茶だったと心の片隅で後悔した瞬間。 猛烈に胸が熱く、胃の()()めつけられるように苦しくなって――。 「っ」 両手で喉を押さえた。身体ががくがく震え出す。呼吸がうまくできない。 するどい恐怖が腹の奥からこみ上げてきた。天を仰ぎ、気ぜわしく息をする。 ああ、この光景。 知ってる、落ちつけ、仕事で何回も見ているじゃない。 ただ今日は立場が反対なだけ。そうか、そういうこと――。 次になにが来るかは、もうわかる。 じっとり汗ばんだ手を感じながら観念したように目を閉じると、チハルの口からごぼっ、光る(たま)が飛び出した。(こぶし)大くらいの。 そのまま鬼火は巨大な蛍のように空を彷徨(さまよ)い、窓をすり抜けて外へ飛び出すや、太陽のほうへゆらゆらとむかっていった。 「苦しいなら、我慢しないで吐け、チハル」 ナユタがおもむろに前掛けを広げた。
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