承応二年のドラゴン殺し ―玉川水神社縁起異伝― ――井戸乃くらぽー チームE

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承応二年のドラゴン殺し ―玉川水神社縁起異伝― ――井戸乃くらぽー チームE

プロローグ  玉川上水といえば、太宰治の入水事件で知る人も多いだろう。現在も羽村市から四谷までの43kmを流れている小川だが、かつては江戸市中へ飲料水を供給する大事なライフラインでもあり、「人食い川」とも呼ばれる激しい流れだったことは意外と知られていない。  上水の歴史については、寛政三(一七九一)年に江戸幕府普請奉行上水方の記録として『上水記』や享和三(一八〇三)年に提出された報告書『玉川上水上水起元』が残されているが、どれも開削当時の一六五三年からはだいぶ年月が経ちすぎている。  しかし、今から数年前、取水口である羽村市とは離れた埼玉県川越市の旧家から、古文書が発見された。さして大きなニュースにはならなかったが、鑑定の結果、玉川上水開削工事があった年代により近いものと推定されたのである。  古文書の名は『玉川水神社縁起』。羽村(はねむら)の取水口側に建てられた神社の由来である。 承応二年のドラゴン殺し ―玉川水神社縁起異伝― 井戸乃くらぽー 1. 彼は、相当傷ついていた。もしかしたら重傷だったかもしれない。でも同じくらい私も傷ついていた。彼の仲間には傷を癒せる力を持つ人がいて、私にはいない。ただ、あと一回の攻撃で私は彼らの命を奪えることを知っていた。 これが終わってもまた別の人たちが来るだけ。どれだけの年月、こんなことを繰り返したことか。何度、そしていつまでこんな戦いを続けなければいけないの? そして、今目の前にいる彼。あなたのことを、殺したくない。ああ、でもその目は、私を殺す気で満ちている。 私を滅ぼすための呪文が聞こえる。彼らの最後の戦いが始まったのだ。 もう、できることはないのかな? 私は倒れることは絶対にできないのに。 ねえ、私たち、別の形で出会うことはできなかったのかな? 彼が、剣を振り上げた。 そして、私は命がけで最後の賭けに出ることにした―― 2. 「おい、お前、生きてるのか?」 「う……」 (ここは……どこだ? この男は?) 「おい、そっちの娘っ子も」 (俺の知っている言語じゃない。翻訳魔法を使うか) 「……」 (この娘は……? 俺が空間移動してきた衝撃を食らったのか) 「二人とも息はあるみてえだな」 「済まない……俺は旅の者だ。どこか病院か医者を教えてくれ」 「おっ、喋った! 言葉は通じるみてえだな。医者じゃねえけど、まずは禅福寺まで行こう。和尚さんがきっと助けてくれる」 「この娘は……」 「えっ、あんたの連れじゃねえのかい? 同じような怪我してるが」 「いや……。おそらく俺が……そうだ、馬車に轢かれた時に巻き込まれたんだろう」 「へっ、馬車?」 (この村には馬車がないのか……?) 「馬が……」 「ああ、馬ね! 馬に当られたんじゃ大怪我だ。ちょうど荷を下ろしてきたところだから、娘さんだけでもこの荷車に乗っけてくれ」 「ああ、俺は歩いていけるから大丈夫だ」 「そうかい? たくましいな、まるで不死身みてえに見える」 「あんたは、そうでもないな」 (それに、見慣れない髪型をしている……。髪を結って頭の上に束ねているのか) 「言ってくれるな。こちとら貧しい水呑み百姓よ。それでもこんな山道でめっかっただけでも、ありがたく思いなよ」 「ああ、そうだな。感謝する」  ガラガラガラガラ……。 「そういえば、あんた、名前は? オラは喜助ってんだ」 「俺の名は、エゼル」 「えぜる? おかしな名前だな。呼びにくいからエイさんって呼ぶぜ」 「好きにすればいい」 「お、見えてきたぜ。オラたちの村、羽村だ」 (村というよりは、ずいぶん小さな集落だな……)  ぽくぽくぽくぽく……。 「あそこが禅福寺だぜ。この村にはビックリするくらい立派だろ」 「ああ……」 (どうやら、宗教施設のようだ) 「和尚さん!」  ぽく……。 「どうした、喜助」 「行商の帰りによ、旅の人が怪我してたの拾ってきちまった」 「おまえはほんとに、なんでも拾ってくるのう」 「えっ、駄目だったかい?」 「駄目とは言っとらんが……、そちらが旅の方?」 「そう! エイさん」 「済まない、世話になる」 「ほう。わしは福文(ふくぶん)という」 「そうだ、和尚さん。エイさんよりひどい怪我してる娘がいるんだ」 「何? それはいかんな。布団を出してやろう」 ガラガラ 「エイさんは肩の方持って。俺は足の方持つから」 「わかった」 「せーの!」  とさっ。 「……」 「あっ、目を開けた!」 「……み、みおか?」  ……コクリ 「えっ、和尚さんの知り合い?」 「わ、わしの姪じゃ。寺男が寄る年波には勝てずに辞めてしまって、次が見つかるまで来てくれることになっていたんじゃ。てっきり来るのは明日かと……」 「なんだ、そうだったのか! じゃあオラの拾い癖も捨てたもんじゃねえな」 「……彼女はたぶん、俺のせいで怪我をした。大変申し訳ない」 「いや、傷は浅い。また気を失ってしまったようじゃ。ここまで連れてきてもらったのはむしろ礼を言わねばのう」 「和尚さん、助けたのはオラだってば!」 「そういうことにしておけ。村にとって、この人はよそ者だからな」 「ちぇっ、仕方ねえな」 「俺を……許してくれるのか?」 「……これも、仏の御心のうちじゃ。ほっほ」 「じゃあ、オラもう帰っていいか? たぶんかかあが角生やして待ってそうだからよ」 「ああ、そうするがいい」 「本当に助かった、喜助」 「エイさん、和尚さんのところにいれば安心だからな。養生してくれよ!」  ガラガラガラガラ……。 「さて、エイさんとやら。傷の手当てをしようかのう」 「ああ、だが俺より彼女の方を先に……」 「みおの方は傷を見た時に軽く止血をしておいた。あんたの方が重傷そうじゃ。よく歩いてきたな。何処からじゃ?」 「え? それはその……」 「ふーむ。なにやら訳がありそうじゃな。もしや、何かから逃げておるとか」 「いや、それは違う!」 「……まあ、なんでもよかろう。ここ禅福寺は来るものは拒まんでな。ほっほ……」 「話がわかるな、オショウサン」 3.  ザーーーーーーーー……ッ (あれからもうひと月になるか……) 「すごい雨だな」 「ふむ、今は梅雨という時期でな。一年でもっとも雨が降る」 「……そうか」 「引っかかったな、エイさんよ。今はまだ弥生じゃ」 「……っ?!」 「ほっほ、おまえさんが異国の者であることはとっくに気がついておるよ。それよりも、この雨で玉川が荒れておるかどうかのが心配じゃ」 (この、狸ジジイ……)  カラッ 「皆さん、夕食の支度ができました」 「おお、みおか」 「……」 「二人とも仲が良いのは結構ですが、おつゆが冷めてしまいますよ」 「わかった、俺も手伝おう」 「エイさん……。まだ怪我が治ってないんだからいいですよ」 「かまわない、もうほとんど治ったんだ」 「じゃあ……、お願いします」  じーっ 「……」 「何だよ、和尚」 「いや別に」 「言いたいことがあるなら言えよ」 「わしの寺なのに、わしが客みたいな気がしてのう。初々しい夫婦の家に来たみたいじゃ」 「お、おじ上ったら……っ」  かああああ……っ 「何言ってるんだ和尚、からかうのはよせっ」 「ほっほ……」 「それに、俺にはやらなくちゃいけないことが……」  ダダダダッ。 「和尚さん! 大変だ、雪解け水とこの雨で、玉川が……っ」 「喜助?」  すっく。 「わかった。岸辺の家にはもう伝えたか」 「他のやつが行ってる」 「よし、皆、東の丘の方に逃げるぞ」 「な……っ、これからか?!」 「エイさん、ぼさっとしてねえで、早く行くぞ!」  ザーーーーーーーー……ッ 「……なあ、これは川が静まるまで、丘に避難するしか策がないのか?」 「何言ってるんだエイさん、この玉川は『暴れ竜』と呼ばれる厄介な川なんだ。毎年大雨の季節には田畑がやられちまう、ここ羽村だけじゃなくて、もっと下の方の村はさらにひどいことになったりするんだ」 「『暴れ竜』だと……?」 「これ、エイさん、どこに行くんじゃ」 「その暴れ竜を、俺が退治してやる」 「待って、エイさん!」 「みお、あんたは和尚と一緒に丘に避難するんだ」 「でも……」 「みおちゃん、危ないからオラたちと一緒に!」 「エイさん‼︎」 4.  ドォォォォォォォォォォォォォォォォォォ 「なるほど、これが玉川の『暴れ竜』か……」 (HPもMPもほぼMAXまで回復した。今の俺の持てる力で、この川をねじ伏せてやる……) 「あっ、エイさんが玉川に入っていく!」 「なんじゃと? あの流れではひとたまりもなく流されてしまうぞ!」 「……っ」 「あっ、これ、みお、どこへ?」  タタタタ…… 「く……っ」 (すごい水圧だ……。だが、あいつの衝撃波に比べたら、なんてことはない) 「なんだありゃあ……。エイさんの周り、光ってませんかねえ?」 「何を言っとるんじゃ喜助、それよりもみおを追いかけんか!」 「へ、へえ!」 (火炎魔法で水を蒸発させ、水流魔法で流れを少しでも変えれば……) ドカッ! 「く……っ! 流岩か……」 (こればかりは避けようがないな) ピカッ! バリバリバーン!! 「うう……っ」 「い、今エイさんに雷が落ちたような……」 (今のでゲージが減ってしまったな……。どうしたものか) 「エイさん!」 「み、みおか……」 「雷と岩は私が止めますから、エイさんは水を……」 「なんだと?」 「早く! また氾濫が起こります」 「……わかった」 「あ、あそこにいるのはみおちゃん……? 水が、おさまっていく……?」 「おお、雨雲が……引いてゆく……。あの者は、一体……」 5. 「だから、あの時エイさんの体が光って、そのあと雷が落ちて、『暴れ竜』がおとなしくなったんだってば!」 「ほっほ、夢でも見たのかのう、喜助は」 「俺はただ、その辺のでっかい岩を転がして水を少し堰き止めただけだ」 「絶対違うだろ〜!」 「それよりなんだ、最近村が騒がしいような……」  ざわざわ…… 「なんでも、この村の辺りから江戸の町まで水路を引く普請をするんだそうです。水路と言っても、飲み水となる上水路を」 (ほう、上水工事か) 「よく知ってるな、みお」 「昨日おじ上と一緒に村の寄り合いに行ってきたんです。お代官様と、この村の出身の庄右衛門と清右衛門の兄弟が、普請のあらましを話しに来て、人夫を募っていたんです」 「おっ、そりゃいいや。エイさんこないだの話をして人夫に志願したらどうだい?」 「ニンプ? ニンフなら知ってるが」 「おほん、その普請の手伝いということじゃ。エイさんは力自慢じゃし、悪くないかもしれんのう」 「小石川の上水の時は、普請で功を立てた者に茶釜が下されたって話だぜ」 「なに、茶釜じゃと……?!」 「おじ上、どうかなされましたか」 「ゴホン、いや、なんでもない」 「それに、オラは聞いたぜ。やりたいことがあるんだろ、エイさんにゃ」 「っ、それと工事となんの関係が……」 「普請をする場所には川の底にみくまり様っていう小さな祠があるんだって言い伝えがある。それを救ったものにはなんでも願いを叶えてくれるらしいってな」 「それならば、わしも聞いたことがあるぞ。水分神とは、天と地の水脈を分ける神のことじゃ」 「ミクマリ……天と地の水脈を分ける……」 (もしそれが本当なら……水脈を辿ってもしかしたら元の世界へ戻れるのか?) 「エイさん? どうかしたんですか?」 「……いいや、何でもない。確かにこの川の勢いを殺ぐためにも、都市部への引水は良策だと思う」 「よーし、話が決まったな。これからちょっくらお代官様方にお目にかかりに行こうじゃねえか」 「待て喜助、俺はまだ行くなんて一言も……」 「いいってことよ、エイさんの気持ちは、まるっとお見通しだからな」 6. 「なるほど、その方がエイキチと申す旅の者か」 「はい。寺の和尚さんの親族に怪我をさせてしまい、その詫びもかねてこの村に貢献できるならしてえと、そういうことです」 (喜助、それは全部俺の台詞だ……。道々こう言えと言いながら全部自分で喋ってしまっている) 「それで間違いないか? エイキチよ」 「は、はあ」 「お代官様、エイキチはこないだの大雨の時にこの羽村を救ってくれた英雄でさあ。すごい遠くの田舎から旅してきてるもんで、訛りがキツいからオラが話した方が早い。一つよろしく頼んまさあ」 「おいこら喜助、お代官様に対して言葉が過ぎるぞ、無礼者が」 (ん? この派手な着物のよく似た二人組は……) 「おっ、出しゃばってきたな。庄右衛門に清右衛門。江戸に出てちょっと垢抜けてきたからって大きな顔をしやがって」 「こちとらお上のお墨付きをもらってるのよ。逆らうなんて考えねえ方がいいぜ。なあ兄貴」 「おうよ、だいたいそのエイキチとやらも胡散臭いやつだな。見慣れない格好してやがるが、まさかほんとは隠れ切支丹かなんかじゃねえだろうな」 「お前ら、そんなこと言って前の普請では二度もしくじったんだろ。お上から金を巻き上げるためにやってるんじゃねえのか」 「ぐっ」 「あ、あれは仕方なかったのよ。『水食らい土』や岩みてえなところを掘り当てちまった人夫の方にだって責任がある。そのせいで俺たちも田畑や家屋敷を売り払ってんだ」 (こいつらは、公共事業のために私財を投げ打ったスポンサーということなのか) 「それで人夫たちも付き合いきれねえって逃げ出して、人手が足りなくなってるんだろ?」 「もう良い、それぐらいに致せ。幕府のお下げ金だけではもう賄いきれず、それでも人夫の給金が払えるかという際で、この水道奉行、伊那忠克も困っておるのだ。幕府はとうとう川越藩にこの件を任せようとしているらしい」 「えっ、やっとここまで来たのにですかい?」 「ああ、川越は松平知恵伊豆様のお膝下でもあるからな。安松金右衛門なる者がもうじきこちらに来るということだ」 「そんな、俺たちの手柄が!」 「お話し中、済まないが」 「だ、誰だ?」 「先程紹介に預かったように思うが……それがし、安松金右衛門にござる」 (それがし……何の菓子だろうか) 7. 「それで、無事に人夫の方にはなれたのか? エイさんよ」 「ああ。……ヤスマツという新入りがとにかく合理的なやつというのか、俺を見てこれは人夫の十倍、いや百倍は働けそうだからその分給金が浮くと言ってくれて」 「ほっほ、それは良かったのう」 「…………」 「みお、さっきから浮かない顔をしているな」 「えっ、な、なんでもないです」 「……では、わしは風呂でも入ってくるかのう」  しーん…… 「「あの」」 「……みおから言ってくれ」 「いえ、エイさんからどうぞ」 「おまえはこないだからずっと何か言いたそうだった。何か気になることがあるのか?」 「……エイさんの、やりたいことは、叶えたいことは、ここではできないことなんですか?」 「え……っ」 「エイさん、みくまりの祠のことを聞いてから、ずっと心ここにあらず、という顔してました。あなたの幸せはここにはないんですか?」 「……っ。聞いてくれ……。俺は、ずっと遠くから来たんだ。ここみたいな平和なところではなく、大事な仲間の命が常に危険に晒されているようなところ……」 「……エイさんはこの普請が終わればそこに帰るおつもりなんですか?」 「ああ、そうだ。終わらせなければならない戦いがある」 「この村だって、常に平和とは限りません。現に玉川は、いつ暴れだすかわからない……」 「ああ、でも今はそれをどうにかする手立てを皆で話し合ってるじゃないか。それに、工事が終わればこの村は安泰になる。おまえも平和に暮らせる」 「……違う、そうじゃないの。あなたがいないこの村なんて……」 「みお、俺からも訊きたいことがある。あの大雨の日、おまえも何か力を使ったな。あれは何だ?」 「……」 ぎゅっ 「み、みお……?」 「お願いです、行かないで。ここに、私と一緒にいて」 「どういうことだ? まさか、お前もあそこにいたのか? 俺たちの戦いに巻き込まれて……」 「いいえっ、違います」 「じゃあ、一体……」 「桜が、桜が咲いたらお話します」 「桜……庭にあるあの木のことか?」 がらっ 「いい湯じゃったぞ。エイさんも入ってくるといい」 「あ、ああ……」 スタスタスタ…… 「……あやつに話したのか?」 「……いいえ」 「行かせていいのか。村にとっても普請が進むのは歓迎じゃが……」 「……」 ちゃぷ…… (どういうことだ? 俺にここに残ってほしいなんて……) ドクン! 「まさか……、みおは……!」 8. ブンッ ブンッ 「はっ! はっ!」 (結局あれからみおに避けられているような気がする……。やはり思い違いだったのか……) 「朝から精が出るな、エイキチどの」 「っ、ヤスマツか……。アンタ、俺をだしにしてうまくこの計画に混ざってきたな」 「ふっ、それがしはここではよそ者にて、同じ立場のエイキチどのが一緒ならば心強いと思ったまでのこと」 (こいつ……あの兄弟とは違った意味で算盤ずくだな。そこまで陰険でもなさそうだが……) 「いや、今は算術にばかり感けていても性根は武士。実際エイキチどのにはただならぬ風格を感じる。箒をまるで大業物のように扱うさま、もしや、どこぞの剣士ではないのかと……」 (やはり、わかるやつにはわかってしまうのか) 「……俺は確かに、『ドラゴンスレイヤー』の異名を持っていた」 「何でござろうか、その、どらごんすれいやーとは?」 「端的に言えば竜殺し、ってことだ」 「おお……なるほど。それで玉川の暴れ竜も相手に戦ったということであるかな。その竜殺しのエイキチどのに、ちと相談がござる」 「一体何だ」 「この玉川から水を引く場所の見当をつけに、一緒に来てもらいたい」 「えっ、なぜ俺に……」 (いや、しかしここは祠のことを確かめるチャンスかもしれんな) 「……わかった」 ゴー……ッ 「相変わらずすごい水の量だな」 「江戸の城下も、この玉川の水があれば干上がらずに済むだろう」 「そのエドってまちには水源地がそんなにないのか」 「ああ、江戸の城は海沿いにあってな。はじめは人も少なかったので池から水を引いていたのだが、今はもうそれでは賄いきれなくなってしまった。それがしには老中伊豆守様から直々に命を下された。江戸の発展に関わる急ぎのお役なのでござる」 (なるほど、なんとなく朧げにだが状況がわかってきた……) 「つまり、あの金ピカ兄弟に任せていたら工事の完成がいつになるかわからないから、お偉いさんたちも焦ってるってことなんだな」 「おお、わかってもらえたか!」 「民の平和はいつも俺の望むところだ」 「しかし、今のところ水路をどこに掘るかいくつか指図を引いてみたのだが、どう思うか聞かせてもらいたい」 がさがさ 「ふむ……。三つの案があるんだな」 「それくらい用意しておかねば、あの兄弟の二の轍を踏んでしまう」 「確か、水の吸い込んでしまう土や、工具を通さない岩盤があったりするんだったな」 (これは、大地魔法で土の具合を調べた方が良さそうだ) 「エイキチどの、突然何を……?」 「しっ、静かに……」 (大地の精霊がこの世界にもいるとしたら、きっと教えてくれるはずだ……) 「じかに大地に触れて何をさぐっているのか、まるで仙人のようだな……」 (……よし、視えた!) 「いくつかの箇所は行ってみた方が確実にわかるが、おそらくこの三つ目の案が良さそうだ」 「三つ目……この丸山の裾から水を反して、水神の社の所に堰を入れるのか……! これは村の者から文句が出るかと思ったのだが」 「ああ、そういえば水神の祠が今は川底に沈んでしまってると聞いた。それをすくい上げて、別の場所に祀ったらいいんじゃないか」 「なるほど……、エイキチどのはこちらの思う以上の答を出すな。頭に算盤でも入っておるのか?」 「いや、むしろ、背中の紋章といったところかな」 「む? それは刺青なのか?」 「俺たちのところでは勇者はみんな体のどこかに紋章を持っているんだ」 「そうか……異国の風習ならば何も言うまい」 「ああ、では早速行こう。……ああヤスマツ、一つ聞きたいことがあるんだが」 「何かな」 「桜は、この国の者たちにどういう意味があるんだ」 「ん? 桜か……。われわれは桜が咲くと、春の喜びを花見として皆で楽しむのだ。花の命は早くて三日、その儚さにわれわれは自身の命の儚さをもみているのだ。つまり、すべてはひとときの宴に過ぎないと」 「運命に抗おうとは思わないのか?」 「さだめ? さだめは受け入れるもの。それでも、守る者のために手を尽くさないというわけではない」 (ああ、こいつにも……) 「もうじき桜も咲く、その頃には普請に取りかかるようにしよう。きっとお役の間の慰めになる」 9. ザーーーーーーーッ 「これが春の長雨か……、なかなか止みそうにないな」 「川の普請もやっと始まったばかりなのに、その間に桜も散ってしまうかのう」 「! 和尚、アンタ今何て……」 「ふむ? 桜もこの雨で散ってしまうかの?」 「そ、それは困る!」 「そうは言われても、天の気のことはいかんともできんじゃろうが……」 ダダダダッ 「和尚さんエイさん、大変だ‼︎ 玉川の水がまた増えて、堰の近くがまた溢れそうなんだ! みんなで丘の上に逃げろ‼︎」 「! ヤスマツや金ピカ兄弟はどうしている」 「あいつらはとっくに逃げちまったよ、でも安松様は堰の様子が気になって一度見に行くとおっしゃってたなぁ」 「あのバカ!」 「エイさん、また堰止めに行くのかい?」 「そうじゃない、ヤスマツを止めに行くんだ。喜助は和尚とみおを頼む」 「わかったよ」 「エイさん、気をつけてな」 「ああ……」 ダッ 「行っちまった……」 「それじゃあ、わしらも行くとするかの。みお!」 シーン…… 「あれ、もしかしてみおちゃん今の全部聞いて……?」 「……あの約束は、もしかしたら叶わんのかもしれんのう……」 ドォォォォォォォォォォォォォォォォォォ 「ヤスマツ!」 「おお、エイキチどのか」 「こんな所で何やってるんだ、アンタはさっさと避難しろ」 「いやしかし、このような天候の場合を測っておかなければ、万が一の事態が起こっても丈夫な堰を造れないではないかと……」 「そんなことよりあんたの命の方が大事だろうが」 「おそらく堰き止めるだけでは駄目なのだ、堰を二重にすれば、いやでもしかし……」 「ああもう!」 (まずはこの雨を止めることの方が先か) 「……っ、水神の祠……」 「まだ引き揚げていないあれか? しかしこの水の量では……」 「任せておけ。アンタはもっと高い所へ行くんだ」 「おい、待たんかエイキチどの‼︎」 ザブンッ 10. (さすがにこの急流の中は視界が利かないな……。水防陣が必要だ) (あ、あそこに何かがある……光だ) (これが……ミクマリの祠なのか。今にも流されそうな……) 『……余の眠りを妨げるものは誰か』 「申し訳ない、ミクマリの神よ。ただ、このままではいずれこの祠が流されてしまうと思い、手を貸しに来た」 『要らぬことを……』 「地上に上がった後は、丁重に祀らせてもらう」 『信用できるのか? ここの人間たちを』 「ああ、信じてもらってかまわない。俺もよそものだが、皆良くしてくれた。その恩返しに、俺はここまで来たんだ」 「嘘!」 『誰だ? その娘は……』 「みお……? どうしてこんな所まで」 (こんな流れの中、息をしているなんて……) 「あなたは結局、自分のためにここまで来たんでしょ? 元の世界に戻るために」 「元の世界? みお、お前はやっぱり……」 『そのような形をしているが、どうやら余と同じ神格のようであるの』 「? なんだと……」 「私の願いは、ここでも叶わない……」 「まさか、お前はあのドラゴンなのか?」 「…………ええ。もしどうしてもあちらに帰るというのなら、ここで私を倒してから帰りなさい」 「なぜ、なぜなんだ……。まさか、この世界に来たのも、お前の力なのか?」 『ほう……因縁だな』 「あなたたち勇者は、私たちモンスターの世界を蹂躙し、滅ぼしてきた。そんなことはもう二度とさせない」 「お前たちモンスターこそ、俺たち人間の平和をいつも乱しているじゃないか! こうしてる今も、罪のない人たちが虫のように殺されているんだぞ!」 「そうやって、人間同士のいさかいですら私たちモンスターに濡れ衣を着せているくせに!」 『クックック、面白い……。余はここで少し高見の見物をするとしよう』 「あなたを、行かせはしない……。あなたは、ここで私とずっと暮らすの」 「ということはみお、お前も俺のことを……?」 「どうしてもというなら、ここで刺し違えるのが本望よ!」 「待て、聞いてくれ、みお! 確かに……俺はずっと元の世界に帰る日を夢見ていた。だが、これまでやってきたことは全部、この村の人たちのためにやっていたことだ……。和尚や喜助……、そして、お前のために」 「……! だからどうだっていうの、私を置いて帰ろうと言うの?」 「そうじゃない、そうじゃない……だからお前には、一緒に来てほしいんだ。人間とモンスターの戦いを無くすためにはどうしたらいいか、俺と一緒にこれからも考えてほしい」 「でも、あちらの世界に戻ったら……私はもうこの姿ではいられない。またドラゴンの姿に戻ってしまうの。そうしたら、きっとあなたをまた殺そうとする……!」 「……それでもいい、それでも」 「……エゼル……」 「ふっ、やっと俺の本当の名前を呼んでもらった、それがこんなときだなんてな」 『いい雰囲気のところ……水を差すようだが』 「え?」 『その娘どらごんとやら、余と同じ力を持っているようだが……余がそれを半分もらうとしよう』 「? それは一体……」 『そうすれば元の体を保っておられず、自ずと別の姿になるであろう。そして余の力も増し、玉川を自在に操ってくれる』 「……いやしかし、なんの縁もない神に、そこまでしてもらうとは……」 『気にするな、みな損はない話であろう。これは、取引と考えれば良い』 「エゼル……。私、あなたと一緒に生きたい」 「……わかった! ミクマリ神、取引だ。そして、世界の水脈を開けて、俺たちの世界に繋いでくれ」 『承知した』 『用意はできたか、二人とも』 「あ……和尚や喜助に挨拶ができなかったな」 「二人なら大丈夫……、きっと、わかってくれる」 「そういえば和尚はなんでみおのことを親戚だって言ったんだ?」 「察してくれたんでしょう、化けてるもの同士」 「……?」 『では、ゆけ』 「みお、しっかり捕まって」 「ええ」 ぎゅっ 「帰ったら、一緒に桜の木を探しに行こう」 「……はい!」 『いつまでも、睦まじく暮らせよ……』 エピローグ 『玉川水神社縁起』には、突然村に現れた男エイキチとみおという娘の消息はその後途絶えたとある。その代わり、玉川水神社には水分神とともに弥都波能売神(みずはのめ)という水の女神が一緒に祀られるようになった。 玉川上水工事は、安松金右衛門考案による投げ渡し堰との二重堰によって無事難所を切り抜け、八カ月の期間をもって翌承応三年から江戸市中に通水が開始されたという。 玉川上水は現在も四谷大木戸まで続いている。 参考文献 「玉川上水」東京都水道歴史館発行
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