死んだ男の子――日野光里 チームG

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死んだ男の子――日野光里 チームG

 突然チャイムが鳴ったのは、午前中の講義が終わった昼下がり。 「はい」  麻美がインターホンの画像をオンにすると、警察手帳が目に入った。 「五条警察署の者ですが、ちょっといいですか?」 「はあ、少し待ってください」  麻美はドアチェーンを外すために玄関先へと行く。背後で心配そうに、気配が淀むのを感じた。 「大丈夫。別に何でもないよ」  誰もいないひとり暮らしの部屋に向かって、麻美は呟く。少し歪んでいるため開閉に力がいる扉を開くと、男性と女性の警官が立っていた。 「ご協力感謝します。実はこの近所で男の子が行方不明になっていまして」  男性の警官が麻美にそっと写真を見せる。目のくりくりとした男の子だ。 「知りません。子供の顔は、どれも同じに見えて」 「独身の女性なら、そんなものですよね。では、こちらを」  次に女性警官が別の写真をいくつか見せてくる。そこには年齢のさまざまな男性が写っていた。 「この写真の中で見覚えのある人はいますか? もしくは近所で怪しい行動をしていた人とか?」  写真を渡された麻美は、一枚ずつじっくりと見る。その中で、野球帽の若い男の写真で手をとめたのは、背後でひっという声が聞こえたからだ。麻美の動きに気付いた男性警官が、すかさず質問をしてきた。 「この男、引っかかりますか?」 「い、いえ、特には。ただ見たことがあるかもって思っただけです。でもどこでとか、何も覚えてません」 「そうですか。いえ、十分な手がかりです」  こんなあやふやな受け答えなのに、男性警官は我が意を得たりという顔をする。 「この男たちは誰なんですか?」 「今、誘拐の線で捜査をしています。これらの写真は、近辺の異常性癖をもつ男性たちです」 「異常性癖というと」 「小さな男の子が好きな人間です。類似の猥褻事件などで、逮捕歴のある者らを見てもらいました」  警察はそういうリストアップが直ぐにできるんだ。しかも数がたくさんいる。一般人である私は、そんな男たちが世の中にいることを、捜査が起こらないと知らされない。 「さっき、私が見たことがあると思った男も、ですか?」 「その男は、過去に男児を絞殺しています」  どくんと体の奥が震えた。 「え、それじゃあ」 「未成年だったので、今は社会にいるんです」  その言葉にさっと血の気が引く。 「みず……」  思わず口をついた言葉は、麻美の服の裾を引っ張る、小さな手からのメッセージ。 「はい?」 「いえ、何でもありません。喉が渇いて」 「ああ、そうですか。それでは失礼します。どうぞ、ゆっくり召し上がってださい。緊張させてすみません」  ふたりの警官は恐縮して去っていった。ドアチェーンをかけた麻美は玄関先で座り込む。 「もう、生きていないってこと?」  隣には半透明な男の子がしゃがんで、麻美を見上げていた。 「さっきの男が殺したの? ともくん、それがわかるの?」  ともくんと呼ばれた男の子は、悲しそうに頷いた。 「ごめん。ともくんにわかっても、さすがに言えないよ。警察になんて言うの? 私だけには、小さい頃に池で落ちて亡くなった幼馴染の子が見えるって? その子が、みんなには見えないことを私に伝えてくるって言える?」  よろよろと立ち上がる麻美を見上げたまま、ともくんも立ち上がった。 「それに、もう死んでるなら一緒でしょ。どうせ間に合わない。今さら!」  激しく言うと、ともくんは眉尻を思いっきり下げて、ベランダへ歩いていく。そして、闇に溶けるように姿を消した。 「……! ともくん」  (ともくんが向かった方向を見ていなかった私は)慌てて部屋を見回すけれど、どこにも姿がない。 「まさか、あの子のところに行ったの?」  翌朝のニュースでは、近くのため池から行方不明だった男の子の遺体が上がったと伝えていた。 「やっぱり死んでたね、ともくん。首を絞められて殺されていたって……」  いつものように部屋にともくんがいるつもりで声をかけたけれど、返事がない。 「ともくん?」  ともくんが亡くなってから、こんなに長く気配が消えたことはなかった。部屋はしんと静まりかえっている。 「ということが大学生の頃にあったの。あれ以来、ともくんは消えちゃった」  麻美の昔話を、タクミはバーウンターの中で黙って聞いていた。すると、彼女の腕の中で眠っている赤ん坊がむずがった。 「あーごめんごめん。ママがうるさかったよねー」  子供をあやす麻美の手元を覗くふたりの男の子。彼らが嬉しそうに笑いあう姿が見えていたが、それをタクミが告げることはなかった。 「その後、男は逮捕されたの?」 「うん、それが」  麻美が言葉を濁したのと同時に、男の子たちの目から光が消える。顔に濃い陰影を落とす。 「すぐに出所してきて、また殺したの。今度こそ、出てきてほしくない。この子のためにも」  麻美が話している間、男の子たちの顔からはどんどんと肉が削げ落ちて目つきが恐ろしくなる。 「出てこないでほしいね」 「そうであってほしい。違ったなら、それこそホラーだわ」  眉をひそめる麻美を後にし、ふたりの男の子がどこかへと行く姿を、タクミは見送った――。
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