スロートークで近付いて――柳田知雪 チームB

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スロートークで近付いて――柳田知雪 チームB

「ねぇねぇ、香月さん! 『マジカルマ』の最新巻は読んだ?」 「まだ、読んでないです」  本当は発売日に買って、もちろん読了している。しかし、彼との会話を早めに切り上げたくて、私は嘘をついた。 「もー敬語じゃなくてもいいって言っているのにー!」  私の素っ気ない返答にも、ニコニコと人懐っこいわんこのような笑みを浮かべて話しかけてくる彼は、入江くん。クラスを飛び越え、彼の明るさとちょっといじりたくなるような雰囲気のおかげで、学年の中でも人気の高い存在だ。そんな彼が教室の隅っこにいるような私にこんなにも話しかけるようになって、そろそろ1週間が経つ。  原因は分かっている。作者には悪いが、マイナー漫画である『マジカルマ』という作品を私が知っていると彼に知られたからだ。マジカルマに登場する私の推しキャラ、アインさまの魔法道具である指輪を模したキーホルダーを、何度回したのか分からないガチャガチャでようやく手に入れた。その翌日、意気揚々と鞄に指輪のキーホルダーをぶら下げて登校した。それがいけなかった。これくらいの飾りなら特別に校則に触れることもないし、陰キャラクターである私がどんなものを鞄に付けていようと、気にするようなクラスメイトはいない。ことあるごとに指輪を見て、灰色の学校生活に少しでも彩りを与えようと、他愛もないことを考えたゆえの行動だったのに。まさかそれを入江くんに指摘されるとは思わなかった。 「それ、アインの指輪じゃん! 俺も『マジカルマ』好きなんだよ! でも、なかなか周りに読んでいるやついなくてさ。うわー、同士を見つけてめちゃめちゃ嬉しい!」  陽キャラクターの代表みたいな彼から話しかけられるとも思っていなかった私は、大層おののいた。話せば話すほど、彼は純粋に『マジカルマ』を好きなことがわかり、私への一言は本心からの言葉だったらしい。正直、私も『マジカルマ』の話ができる人が同じ学年、しかもクラスメイトの中にいることは嬉しい限りだ。しかし、高校を入学してこちらまで平穏に暮らしていた私にとって、ぐいぐい距離を詰めてくる彼の存在には、いかんともしがたい。 「また入江くん、あのジメジメ女と話している」 「物珍しくて構っているだけでしょう。そのうち飽きるって」  教室の反対側でたむろする女子たちの視線が痛い。男子たちの人気者である彼は、当然のごとく女子たちからも人気なのだ。ひそひそと話している声から、自分を否定する言葉だけを敏感に拾った。彼女たちからすれば、私のような者なんかと彼が話しているのは面白くないだろう。「飽きる」確かにそれを待つのも一手かもしれない。彼が発する十の言葉に対して、私が一の言葉しか返せない。そんな私に、彼が飽きるのも時間の問題だった。 「今回もアインの活躍はすごかったよなぁ。敵側だけれど、負けてほしくないっていうか」  最新巻を読んでない、と言ったはずなのに入江くんは楽しそうに話し始める。分かる。すごく分かる。そう、アイン様は今回もめちゃくちゃかっこよかったんだよね。特に自分の親友が負けそうになった時はさ。 「颯爽と現れたのを見た瞬間、『来たー!』って叫んじゃった!」  そう、めっちゃ分かるよ! 気付けばそんな想いが弾けていた。 「そうなんよ! いかんちゃ、ああいう演出! 作者は分かっちょるわぁ。何であの漫画が人気出らんのか、意味が分からんっちゃねー」  はっとしたときには、入江くんがポカンとした顔でこちらを見つめていた。そのときにチャイムが鳴り、入江くんは「じゃあ」と小さく手を振って席へと戻っていく。 やってしまった、そんな言葉が脳裏をよぎり、真上から自分の机を見下ろすようにうなだれた。興奮すると、つい地元の方言が出てしまう。しかもめちゃくちゃ早口なものだから、周りには何を言っているのか理解もされない。  中学の半ばで九州から東京へと引っ越してきた私は、テレビやアニメで聞くような標準語だけの空間に戸惑った。転校したての頃は、それでも普通に方言で会話していた。しかし、妙な空気になりはじめたのは転校して1ヵ月が経った頃だ。 「っていうか、いい加減に標準語に直せば? 何、男ウケでも狙っているの?」 「方言女子ってやつ? あれは、かわいい子がやるからかわいく思えるだけだよねー」 何だそれは、と思った。しかし、言い返そうとした言葉は喉の奥に張りついて出てこなかった。ようやく馴染みはじめたこの場所で波風を立てるわけにはいかないと、憶病な自分がそうさせた。どうにか薄ら笑いを口元に浮かべながら、漫画で読んだ言葉を、テレビでよく聞くイントネーションで発音する。 「そう、だね」 方言は封印しよう、とそのときに決めた。ふいに喉から出てきそうになる言葉を、一旦口の中に置いて標準語に翻訳する。そして唇で紡ぐ。周りと一拍遅れて出てくる私の言葉は、徐々に周りを不快にさせたらしい。中学卒業時には、これといった友人もいなかった。転校した時期もあいまって、高校受験に必死な同級生たちからは幸いいじめを受けることもなく別れられた。  高校に入学してからも、方言は封印し続けたままだ。会話はわずかに不自由だけど、それでも今のところただの陰キャラクターとして静かに過ごしていたのに。入江くんに聞かれてしまった。今ごろ、陽キャラクター仲間の中で田舎言葉だとバカにされているかもしれない。方言女子に幻想を持っていようと、私の顔でそれは半減した現実になってしまうだろう。  あぁ、考えるほどに面倒くさい。まだ入学して数ヵ月しか経っていないのに、今度は卒業を期に逃げ切るには月日がかかる。地元に帰りたい、そんなことを思っている時だった。 「だから言っちょるやろー、お盆は部活の遠征あるけ帰れんっち。そー、また電話をするけ、うん、じゃ」  聞きなじみのある言葉の元にそっと足を向ける。廊下の角を曲がった先、人気のない化学準備室の中を、入り口の扉の隙間から覗き込む。すると、窓際で白衣を着た古賀先生が、溜息混じりにスマホを眺めていた。化学教師である古賀先生、通称こってぃーはよくこの化学準備室にいる。噂によると、全面禁煙になってしまった学校の中で、密かにこの準備室でたばこを吸っているらしい。どうやら噂は本当のようで、うっすらとたばこの匂いがした。 「誰かいるのか?」  突然こちらに視線を向けられ、おずおずと扉を開けて部屋へと足を踏み入れる。先ほどまでとは全然違うスムーズな標準語だった。電話で喋っていたあの訛りは聞き間違いだったのだろうか、と一瞬不安になり言葉に詰まる。しかし、こちらを見つめるこってぃーは思い出したように手を打った。 「もしかして、さっきの会話聞いちょったんか?」 「き、聞いとらんです! ぜ、全部は!」  再び、先生の口からあの懐かしい訛りが響く。それに引き摺られるように自分の言葉が喉から溢れた。自分でも驚きながら瞬きをすると、こってぃーは懐かしそうに目を細めた。 「香月っち東京じゃそんな聞かん苗字やけ、ちょっと気になっとたんよ」  そう言われると、古賀という苗字も地元でよく聞くものだった。からっとした響きのある先生の言葉に、自然と警戒心が解けていく。ずっと張っていた肩の力がふっと抜けたようだった。 「先生も、九州の方なんですか?」 「実家は今も九州の方にあるけん、東京おってもなかなか方言が抜けんとよ」 「うちも! うちも親が家でずっと方言で喋りよるけん、なかなか抜けんのです」  こんなに外でスムーズに誰かと話せたのはいつぶりだろう。気付けば頬が緩んでいた。胸が温かい。教室では、隅の方で静かに息を止めていたのに、今はこんなにも息がしやすい。 「俺も地元で就職しちょったら、こんな感じで喋っちょったんかな」 「先生も地元戻りたいっち思うんですか?」 「まぁ、たまにやけど」  そのとき、入り口の方でばさばさと派手に物が落ちる音がした。驚きながら振り返れば、入江くんが課題提出用のノートを床にぶちまけている。 「な、な!」 「あーあ、それみんなのノートだろ。大事にしてくれないと」  こってぃーがノートの散らかし様に溜息をつく。入江くんが来たせいか、すっかり言葉は標準語に戻っていた。しかし、入江くんは目を白黒させたまま口をわなわなと震わせている。 「どうしたんだ、入江。大丈夫か?」  こってぃーが入江くんの異変に気付き声をかけると、なぜか彼はわっと泣きそうな顔で叫んだ。 「何で! 俺だってまだ香月さんに笑顔向けられたことがないのに!」 「は?」 私とこってぃーの声が合わさった。それに対しても地団駄を踏みそうなほどに、入江くんの叫びは続く。 「入学したばっかりの頃に俺、香月さんが何かの本を読んでいて、すごく嬉しそうな顔をしているのを見て、それからずっと俺は話しかけられないものかなって思っていたのに!」 「え、それは何の話?」 「そうしたら同じ漫画が好きって知ってめっちゃ嬉しくて、でも話しかけてもあのときみたいな嬉しそうな顔はしてくれなくてどうしよう、ってずっと悩んでいて。それでも今朝、ちょっと香月さんの素を見れたのかもしれないって喜んでいたのに!」 「い、入江くん、落ち着いて」  入学式したばかりの頃、といえば確か『マジカルマ』の小説版が発売されて、それを読んでいたような気がする。まさか顔に出ていたとは不覚だった。というか、その姿を見られていたのは恥ずかしいし、それに入江くんが私とずっと話したかったなんて事実は初耳だ。動揺する私をよそに、入江くんはきっとこってぃーを睨んだ。 「落ち着いていられないよ! こってぃーと喋っているところなんて今まで見たことなかったのに、2人ですごく楽しそうに話していて! ずるい、こってぃー!」 「ずるいってお前な」  困ったように頭を掻きながらも、こってぃーはなぜか楽しそうに笑っている。そして、何かひらめいたように、にやりと口元に笑みを浮かべた。不思議に思っていると、先生の腕がぐいっと私の肩を抱き寄せる。あぜんとする私に対し、入江くんは声にならない叫びをあげた。 「せ、せ、セクハラ教師!」 「誰がセクハラ教師だ。俺たちはもう少し2人でゆっくり地元トークに花を咲かせたいんだよ。部外者はさっさと出ていくんだな」 「ぶ、部外者じゃねーし!」  突然伸ばした入江くんの手が私の腕を掴む。思いの外するりとこってぃーの腕が解かれ、そのままバタバタと彼に引っ張られるままに走る。 「ねぇ、ちょっと待って。どこへ行くん!?」  中庭まで走り出たところで声をかけると、ようやく入江くんが足を止めた。そして、自分が掴んでいる私の腕を見て、ぱっと手を離す。 「あ、ご、ごめん!」  走っている途中でチャイムが鳴るのが聞こえた。もうすでに授業が始まっているおかげで、人の姿は見当たらない。入江くんはそんなことを気にする余裕がなさそうなほど汗をかいていて、落ち着きなく視線をきょろきょろと動かしている。 「あのさ。さっきの話は、本当なの?」 「へっ!?」  こちらから話しかけると、入江くんは大げさなほどに肩を跳ね上がらせた。何だか私がいじめているような感覚におちいってくる。 「だから、あの、入学した頃に、っていう話」 「あ、あぁ。あれ、ね」  言葉を濁しつつも、どこか照れるような彼の表情からは嫌な感じはしない。じっと彼の言葉を待っていると、やがて、決意するように一度大きく深呼吸をした。 「ほ、本当だから。『マジカルマ』が確かにきっかけで話しかけたけれど、それよりももっと初めから、俺は香月さんと仲良くなりたいって思っていたから!」  言い切ったことに満足をしたのか、最後にはへへっと子犬のような顔をして笑う。胸の奥がきゅんと音を立てた。トクトクと高鳴る心臓に合わせて、顔が熱くなってくる。私の推しはどちらかというとキリッとしたお兄さん系が多いけれど、こういうワンコ系キャラも嫌いじゃない。 「あのね、入江くん。私は標準語で喋るのに慣れていなくて。ゆっくりしか、喋られないんだよね」  会話が一拍遅れること、彼がいつかそれを不快に思う日が来るかもしれない。でも今は、彼の言葉を信じて歩み寄ってみようと思った。 「それでも良かったら、よろしくお願いします」  こういうときは握手だろうか、と手を差し出す。それを握りしめた彼の手は私のものより少し大きくて、そして温かい。 「青春やねー」  聞こえた声にはっとして手を離す。声の主を探せば、近くの窓からこってぃーがニヤニヤと眺めているのだった。 <了>
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