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その教師、困惑につき
それからすぐに金品を要求されたり、ましてや乱暴されることも無く解放された。
「先生、おはよぉ」
「おはよーございまーす!」
「ああ、おはよう」
多くの生徒達がキャッキャしながら朝の玄関を歩いてくる。
若々しいその姿が眩しいのは、晴れた朝の光のせいだけじゃなさそうだ。
自分だってそんな時期があっただろうに、10年近く前というと……ああ、遠い記憶だな。
「茶久先生」
そのまま廊下を歩いていると、ふと後ろから声をかけられると同時に何かが肩に触れた。
ごく自然に振り返る。
しかし用意していた挨拶の言葉は口をついて出なかった。
「た、橘」
「おはよ、先生」
俺より数センチ高いその生徒は、明るい色の緩やかなくせっ毛風のパーマをかけたであろう頭髪。
涼し気な目元に称えた笑みと、相変わらずの気だるげで飄々とした雰囲気。
「ほら先生、朝の挨拶は?」
そっと耳打ちする彼は、生徒と教師にしては距離が近い。
慌てて身体を離しながら。
「え。あ、ああ。おはよう……」
と、呟くように答えた。
「はい。よく出来ました」
鷹揚に頷く態度は、どちらが教師か分からない。
その余裕に内心ムカつきながらも、そっと拳を握りしめる事で何とか耐える。
「先生ぇ。また『生徒指導』してくんない?」
「お前ッ……」
ふざけるな、と怒鳴りつけたかった。
あんな事をさせて。まだ足りないのか、と。
「なぁ、飯島と今日もキスすんの?」
「なにを言ってる」
「……知ってるクセに」
唇をかみ締める。
知ってるもなにも、あいつが写真に撮ったんだ。俺と彼女が校舎内で口付けした瞬間を。
「もうやめときなよ? 誰が見てるか分かんないんだから、さ」
そう囁いて彼は通り過ぎて行く。
足元の自分の靴の爪先を眺めながら、胸と足に重りがついたような気分を抱えていた。
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