02 カナとリョウ

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02 カナとリョウ

「誰だよ、ビール瓶こんなところに捨てた馬鹿は」  半分ほどが砂に埋まったガラス瓶を拾い上げながら、リョウが憤慨の声を上げた。なんだかリョウはいつも怒っているなぁ、とカナは他人事のようにそう思った。 「踏んでケガしたらどうすんだよ……」  拾い上げた瓶を手にしたビニール袋に回収していくリョウ。カナはそんな彼の後ろを同じく回収袋を持ったままブラブラとついていく。  それから間も無く、二人の脇を低学年の男子が数人はしゃぎ合いながら走り抜けていった。彼らは皆んな裸足だった。リョウの言う通り、欠けた瓶などが埋まっていたらそれだけでも大怪我は必至だろう。 「おーい、足元気を付けろよ」  リョウの呼びかけに、ニコニコと無邪気な笑顔を返してくる子どもたちを見て、カナも何となく気分が軽くなる。彼らが負傷して泣きべそをかく姿など確かに見たくはなかった。 「リョウ、ありがとね」 「……何が?」 「んー、色々」  カナは適当に返事をして自分もゴミを拾う。缶や瓶も迷惑だが、もっと怖いのは使用済みの木炭だった。分解されない上に燃え残りに触れたら火傷の危険がある。リョウではないが、利用客にはもっとマナーを良くしてほしいと思う。 「いつも通りって落ち着くからさ」 「これがいつも通りは困るんだけどな……」 「困るって何が?」 「……色々だよ」 「色々」  リョウはそれっきり何も言わなくなってしまい、カナもつられて黙り込む。変な沈黙がしばらくの間ふたりに流れて消えた。そうするうちにカナはなんだか可笑しくて、思わず吹き出してしまった。リョウも微かだが、頬に綻びを見せていた。 「ま、カナが元気になったんならいいよ、別に」 「そう? 自分じゃよく分かんないけど……」 「最近楽しそうだよ。なんかあった?」 「……別にないよ、何も」  嘘だ。本当はある。幼馴染のリョウにさえも言えない、自分だけの秘密。半月ほど前に起きた、驚くような出逢いのことが。  だがそれを話したところでリョウは信じないだろう。いや、人の良いリョウのことだから信じてはくれるだろうが、確実に大騒ぎになる。そんな予感がした。 「ふーん……」  カナの言葉を聞いてリョウは疑わしそうな目線を向けてきたが、それ以上は何も言わなかった。微妙に面白くなさそうな顔をしているのは何故なのか。  リョウは、カナと同じ小学五年生。物心ついた時から殆どずっと一緒にいて、遊ぶ時も勉強する時も、行動を共にするのが当たり前になっていた。男子とか女子という概念はふたりの間には無いに等しい。リョウの日課である海岸のゴミ拾いにこうして時々付き合っているのも、面倒という気持ちよりも帯同しない不自然さの方がカナの中で勝るからだ。  なのに最近、カナにはリョウの考えていることが分からないことが多くなっていた。仲の良い幼馴染が自分の知らない何かへと変わっていくようで、カナは少しだけ寂しい。 「あっ、何やってんだあいつら!」 「ちょっとリョウ、危ないよ。やめときなよ」  リョウが突如として声を上げたのは、浜辺に車で乗り付けて馬鹿騒ぎしている二人組を目にしたためだった。恐らく都会から来た学生で、昼間から酒を飲んでいるらしくけたたましい奇声を上げ、行儀の悪い猿みたく跳ね回っている。  それだけならまだしも、缶や瓶などのゴミを片っ端から海目掛けて投げ捨ててはその飛距離を競い合っている。普段から海岸掃除をしているリョウにとっては、何より許せない行為だったのだろう。 「おい、やめろよお前ら! 大人のクセに恥ずかしいと思わないのかよ!」 「やめなってば、リョウ。誰でもいいから大人呼んで来ようよ」 「あんなの、カナのパパだって許さないだろ」  そう言われるとぐうの音も出ない。カナの父は自分が生まれ育ったこの地元を愛していて、マナーの悪い観光客を何より嫌っていた。カナの父は老若男女を問わず町中の人間から慕われる人物だったが、リョウもそのひとりだ。リョウはカナの父を、ある意味カナ以上に尊敬していた。 「それはそうだけど……でも駄目だよ。リョウってば、怒りっぽいのに喧嘩はいつも負けてばっかりじゃん。この前だって二組の岩井くんに」 「い、今はそれ関係な……」 「危ない!」  カナが咄嗟にリョウを砂浜に押し倒して、その頭上を大きめのビール瓶が掠めていった。注意に腹を立てた学生たちが投げつけてきたのだ。もしも頭に当たっていたら大怪我どころでは済まなかっただろうに、学生たちはそんな真似をしておきながら、揶揄(からか)う様にピューピューと口笛を吹いてくる始末である。 「なに、あの人たち……ホント最悪」 「あの……カナ……」 「あっ、ごめんリョウ。痛くなかった? 立てる?」  咄嗟のことだったので、カナはリョウの上に倒れ込んだままだった。カナが退かなければリョウも身動き出来ない。砂を払って立ち上がり、手を差し伸べたが、リョウは結局自分ひとりで立ち上がった。怒り過ぎた所為なのか、顔が赤くなっている。 「ごめんね、急だったから」 「いいけど……恥ずかしいだろ、ああいうの」 「えっ。ああ、岩井くんとのこと? 仕方ないじゃん、ホントのことなんだし。それに、あんな人たちと喧嘩したら怪我だけじゃ」 「……もういいよ」  リョウはそのままそっぽを向いてしまった。そんなに傷つけてしまっただろうか。リョウは正義感が強くて純粋なところがある。後でもう一度謝っておこう。そう思った。 「ホント……なんであんな連中ばっか町にくるんだろ」  リョウのぼやきを他所に、学生たちはゴミの投擲(とうてき)大会をやめ、今度は前触れもなく海に駆け込んで海水浴を始めた。ああいうのは何も考えてないある意味幸せな人たちだ、と誰かが言っていた気がするが、カナにはよく分からない。どの道不愉快な存在には違いなかった。  ドロっとした、黒い嫌悪感のようなものがカナの中で渦巻いて消える。すると次の瞬間、 「あっ」 「溺れてるぞ、あいつら!」  カナとリョウの目の前で、海に入っていた学生ふたりが水面に半端に顔を出しながらゴボゴボもがき始めたのだ。足がつかないような深さではないハズなのに、どうしたことか。  カナだけは咄嗟にその理由に気付いて、サッと青ざめた。手首に嵌めたブレスレットに目をやり、慌てて手を添え念を送る。 (駄目!)  カナの祈りが通じたのか、間も無く学生たちはまともに泳げるようになり、殆ど死にものぐるいで砂浜へと戻ってきた。血の気が引いて怯えきった表情は実に哀れで、先程あれだけの蛮行をされたにもかかわらず、リョウは気の毒そうに様子を見に行っていた。 「おい、にーちゃんたち大丈夫か? 酔っ払って泳いだりするからだよ」 「かっ! かっ! かぱっ!」 「かぱ?」  リョウが不可解そうに尋ね返す。学生たちは気が動転しているらしかった。 「河童が! 俺たちを引きずり込もうとして!」 「あはは、馬鹿だな。ここは海だよ。川だったらともかく、なんで海に河童がいるんだよ」 「本当なんだって!」 「まーだ酔っ払ってら」  リョウはまともに取り合わず、笑いながらカナのところに戻ってきた。 「なんだか知らないけど、海を汚すからバチが当たったんだよな、きっと。いい気味だ」 「……」 「あっ……ごめ……」  声も出ないほど動揺しているカナを見て、リョウは自分が地雷を踏んだと思ったらしかった。それもそのハズ。他ならぬカナの父が、海の底に消えているのだから。 「カナ!」  踵を返し砂浜から走り去るカナを見て、リョウはどうしようかと大変慌てている様子だった。尤も、カナを動揺させていたのはリョウの無神経な言葉などではない。  ほんの一時のこととはいえ、自分の発した想いが他人を死なせかけたという、リョウにはてんで知る由もない事実によるものであった。
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