06 隠巣町狂想曲

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06 隠巣町狂想曲

 ダーちゃんの不安な感情を察知して、カナは夜中に目を覚ました。うまく言えないが心臓がドキドキしている。傍の時計に目をやると、あと一時間ほどで日付が変わるところだった。  部屋中に嫌な空気が充満している気がして、布団から出て急いで窓を開ける。冷たい空気が流れ込んでくると同時に、物々しい雰囲気で道を行き交う大人たちの姿が目に入った。彼らは手に手に漁具やら猟銃やら、見るからに物騒なものばかり携えている。 「カナ!」  向かいの家の窓から声がした。リョウだ。ふたりの家、それに部屋は互いに隣り合うようになっていて、こうしてよく窓越しに話をすることがある。 「リョウ、これって何があったの?」 「ダゴンが出たんだって。大人たちが、半魚人を捕まえるって言って大騒ぎしてるんだよ」 「……っ!」  カナは一瞬、頭の中が真っ白になった。それからすぐにブレスレットを使ってダーちゃんに呼びかける。今すぐ岩場の洞窟から、町の傍から離れるようにと念じる。しかし伝わっている気配はない。ダーちゃんが怯えている所為なのか、カナが焦っている所為なのかはよく解らなかった。 「どうした、カナ?」  急に目を瞑って何かを念じ始めたのでリョウに不審がられていた。迷っている暇などない。カナはリョウが呼ぶのにも応えず、パジャマの上に上着を一枚だけ羽織ると部屋を出て玄関に向かって走った。 「カナ、こんな時間に何処行くの!?」  流石に母には見つかってしまった。それも無視してカナは靴を履き、一直線に外に出ようとする。問答無用で腕を掴まれ制止された。 「待ちなさい、お外は危ないから出ちゃダメ」 「離してよっ」 「お家にいなさいって言ってるの。ママをこれ以上困らせないで、カナ」 「ならもう捨てちゃえばいいでしょ、お父さんのことだって忘れようとしてるクセに!」  ぱしん、と乾いた音が玄関に響いた。ヒリヒリ痛む頬に手をやり、潤み出した目で母の顔を見上げる。その母までが、今にも泣き出しそうな顔をしていた。 「……お母さんなんて大っ嫌い!」 「カナっ!」  カナは母の手を振り切り、家を飛び出した。  人目を避けながら洞窟まで辿り着くと、幸いにもまだ捜索の手は及んでいなかった。カナは何度も転びそうになりながら、声が潰れるかと思うぐらい懸命に叫んだ。 「ダーちゃん! ダーちゃん!」 「……ダァ?」  良かった。ダーちゃんは無事だ。  怯えたように水面からちょっとだけ顔を出した彼は、カナの姿を見とめるとほんの少し安心した様だった。水べりに駆け寄っていって、カナはひしとダーちゃんの頭を抱きしめる。 「よかった……よかった……もう会えないかと思った」 「ダァ……」  ダーちゃんのひんやりした手が、そっとカナの足首に触れる。ピリッとした痛みを覚えて、カナはその時はじめて自分の足がボロボロなのに気が付いた。靴ずれに加えて、岩場で転倒を繰り返した所為だろう。  ダーちゃんが心配してくれているのだと分かり、カナは胸がいっぱいになった。 「ダーちゃん……ダーちゃんは……ダゴンなの?」  ダーちゃんは不安げな声を漏らすだけで何も答えない。  可能性を考えなかった訳ではない。昔この町が恐ろしい怪物に襲われたことは聞いていた。それが半魚人の様な見た目をしていることも。  けれどまさか、ダーちゃんがそうだなんて。カナは信じられなかった。信じたくなかった。カナは知らず知らずのうちに、その考えを頭から締め出していたのかもしれない。  カナはダーちゃんから身を離すと、ハッキリとした口調で語りかけた。 「ここから逃げて。もう何があっても、戻ってきちゃダメだからね。ダーちゃんの家族が海にいるんでしょ?」 「ダァ…………」 「今までありがとね……助けてくれてありがとね……でももう一緒にいられないの……」  出逢ってから今日までのここで過ごした日々が、カナの脳裏に浮かんでは消える。思い出が涙に変わってぽろぽろ目の端からこぼれ落ちた。その時、背後から大人たちの声がした。 「いたぞーっ、ここだーっ!」 「この半魚人野郎、もう逃がさねえぞ!」  怖い顔つきをした町の人たちが、ワラワラ洞窟の中に押し入ってくる。たちまち出入り口は塞がれてしまった。最後に入ってきたタカヤマが、ずいと先頭に出てきてカナに言った。 「カナちゃん、いい子だからこっちへおいで」 「やだっ!」 「その怪物はペットとは違うんだ。いつか君をガリガリ食べてしまうんだぞ。そうなったら、お母さんだって悲しむことになる」 「本当はその方がいいクセに!」 「な、なに」  タカヤマは思わぬ反撃に面食らっていた。 「お母さんのことが好きだからって、私に優しいフリなんかして! ニコニコ笑ってるのに、嘘ばっかり! タカヤマさんなんかお父さんには一生勝てないもん!」  タカヤマのこめかみに青筋が立ってピクピクと震えていた。これでも懸命に怒鳴りたいのを堪えているのだろう。そこへ今度は母のハナエがリョウを連れて現れた。二人はダーちゃんとカナが一緒にいるのを見て、しばし呆然としていた。 「カナ」 「お母さん、リョウ、助けてよ! ダーちゃんは何も悪いことしてないよ。溺れそうになった私のこと助けてくれたんだよ!」 「……」 「おい、アンタの娘だろ! どうしてくれるんだ、半魚人なんかの手先になりやがって!」  周囲の大人たちの矛先が、一挙にハナエに向かい始めた。 「町が全滅したら責任取れるのかっ!」 「ま、まあまあ、皆さん落ち着いて」  ハナエが標的になり始めたことで、タカヤマは繕うような笑みを浮かべ、この場はひとまず母子を擁護することに決めたようだった。 「カナちゃんだって悪気があった訳じゃない。きっとダゴンに騙されているだけなんだ」 「騙されてなんかないよ! 私の話聞いてよ!」 「ラチがあかねえ」  業を煮やした町民のひとりが猟銃を構え、ダーちゃんに目掛けてぶっ放そうとした。カナが撃たれるものと思ったリョウが咄嗟に飛びつき、銃弾をあさっての方向に逸らした。 「カナに手ぇ出すなよっ」 「このクソガキ、邪魔すんじゃねえ!」 「あっ!」  容赦なく殴りつけられ転がるリョウを見て、カナが悲鳴を上げる。するとその感情が伝わったのかダーちゃんがサッと飛び出し、銃を持った町民を掴まえてあっという間に水中目掛けて叩き込んだ。 「畜生、やっちまえ!」  人々はもう無我夢中で、手にした漁具やら何やらでダーちゃんを殴りつけ、倒れ込んだのを更に取り囲んで蹴りつけ始めた。圧倒的人数差のため、ダーちゃんも遂には地面に横たわって動けなくなってしまう。どちらが野蛮かもはや分からなかった。 「やめて! ダーちゃんを殺さないで!」  カナが悲痛な叫びを上げ止めに入ろうとするが、大人たちに敵うはずもなくあっという間に跳ね除けられる。地面に転がったカナの元にリョウとハナエが駆け寄ってくる。リョウは殴られた所為で鼻血を出していた。 「カナ」 「お母さん」  何も出来ずに泣き崩れるカナを、ハナエがただ黙って力強く抱きしめる。リョウはリョウで大人たちを止めることも、幼馴染を抱擁してやることも出来ずに、己の無力さを痛感して立ち尽くすばかりであった。 「ハナエさん、お手柄です。カナちゃんのお陰でダゴンを捕らえてやることが出来ました……私から町の連中にそう説明します」 「……タカヤマさん」  彼女たちが顔を上げると、殆ど息も絶え絶えになったダーちゃんを町民たちが洞窟から引っ張り出していくところだった。政府に引き渡すのか、港で晒しものにするのか、いずれにせよ運命は絶望的だ。  ハナエは少し迷ったが、縋るような思いでタカヤマを見上げて言った。 「あの……ウチの子の話、もう少しだけちゃんと聞いてあげてみて貰えませんか。変なことを言ってるのは分かってるんです。でも」 「大丈夫ですって!」  タカヤマは皆まで聞かず、自信たっぷりげにハナエの肩を叩いて言った。 「万事上手くいきます! 何も心配いりませんから! あとは全部任せて下さい、ねっ!」  何も言うなという、笑顔から滲み出た言外の圧。  ハナエはその瞬間、これまでに無いぐらいはっきりとタカヤマに失望するのを感じた。彼の中でもはや、ハナエの言葉は何ら意味を成していない。同時に、一度でもこんな男に頼ろうとしていた自分の判断を悔やみ、心から恥じた。  その時だった。  どどおん、と洞窟全体に凄まじい音が轟き、地面が大きく揺れた。タカヤマですら足をふらつかせる程の振動。座っていなければカナたちも危なかった。 天井から小石が降り注ぎ、外からは先に出ていった町民たちの恐怖の声がした。 「なんだっ!?」  慌てて駆け出したタカヤマが、洞窟を一歩出るなりひゅっと窒息した様な悲鳴を漏らす。  カナは予感がして、よろめきながらも立ち上がって、外に向かい走った。ハナエとリョウが一瞬顔を見合わせてから、カナを一人にはしまいとその後を追いかけていく。 「こ……このこの……ここここ……」  タカヤマの潰れた様な声の理由はすぐ判明した。  巨大ダゴンがそこにいたのだ。上陸した海岸に滝のような海水を全身から降り注がせ、その大きな瞳でダーちゃんやその周りにいる町民たちの姿を睥睨(へいげい)している。山のような巨体が蠢動(しゅんどう)して、月夜に野太い雄叫びが轟いた。  町民たちは一斉に逃げ出してしまった。町内会では威勢のいいことを言っていた連中も一人残らずである。反対に、タカヤマだけが何故かそれを見て、まだ動けないでいるダーちゃんの元に駆け寄っていった。 「来れるもんなら来てみろ、この野郎!」  タカヤマは町民が投げ捨てていった(もり)を拾い上げ、ダーちゃんの喉元に突きつけ、さながら人質を取るようにして、巨大ダゴン相手に喚きたてた。誰が見ても無謀としか言いようの無い行動だったが、タカヤマは真剣だった。  かつての“小太り少年”が、今の自分がそうではないことを証明しようと躍起になるのを、巨大ダゴンは実につまらなそうに見据えた。 「一歩でも近づいてみろ、こいつを……」  巨大ダゴンが口から泡のようなものをドバッと吐き出し、次の瞬間にはタカヤマを直撃した。タカヤマは恐ろしい叫び声を上げてひっくり返り、海岸をのたうち回った末にジュウジュウと煙を立てながら溶けていった。  輪郭すら残らない赤桃色の肉塊が、打ちつける波にさらわれて消えた。 「……っ!」  ハナエは一部始終を見せないよう、カナとリョウを思いきり抱きしめていたが、残った泡の下からダーちゃんが無傷で出てくるのを目撃し唖然となった。同じダゴン同士には無害なもののようだった。 「……ダーちゃん」 「カナ、行っちゃダメ! ……ダメ……!」  どうにか顔を出したカナが、解放されたダーちゃんの元に行こうとするのを全力でハナエは引き止める。カナが悲しそうに見てくるが、たとえ娘に憎まれようとも、この場は止めるしかなかった。  用事を済ませたかのように海に戻っていこうとする巨大ダゴン。当たり前のようにその後を追って行くダーちゃんだったが、一度だけカナの方を振り返った。 「……ダァ」  それは別れの挨拶のように聞こえた。実際、それを最後にもう二度とダーちゃんはこちらを振り返らなかった。直後に弾けるような音がして、カナの右手のブレスレットがひび割れて、足元に落ちた。  押し寄せては消える波の音が、すべての悲しみを覆い尽くしてくれていた。カナはお互いの想いが永遠に届かなくなったことを確かめ、そっと心の中でさようならと呟いた。
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