政王不在

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       ―風を聞くⅡ―    デュッカは砂時計みっつ分程度で済むが、ミナは、もう少し、支度に時間がかかる。 砂時計と言うのは、大陸に住む人々に共通する、時間の数え方だ。 この大陸の人々は、あまり細かな時間を気にしない。 アルシュファイド王国の者が多く身に着ける、針を回す腕時計で判るのは、1時間ごとの時間と、時間半ばの前後か、ということぐらいだ。 ほかの国の者たちは、夜明けと、陽の高さと、夕暮れで、食事を摂る時間を判断して、それを区切りとする。 そのため、家を持ち、仕事を持つ者たちは、毎日3食、食べるのが日課だ。 もちろん、貧しい者たちはこの限りではないが。 幸い、アルシュファイド王国は、とても、裕福な国だ。 そのなかでも、代々風の宮公となる者が続いてきたイエヤ家は、長い歴史で桁外れの資産を獲得し、現在に継いでいる。 普段はそんなことを意識しないが、新たに加わった家族に、与えてやりたい環境を用意できる資産があることに、デュッカはそれなりに感謝していた。 それはさておき、ミナが身支度をするまでの退屈を(まぎ)らわすため、デュッカは、ふたりの寝室に戻り、息子レジーネを抱き上げて、あやす。 この部屋の窓は、天井に近い所にある。 高い所から、陽か月があれば光が射すが、今の時間は、光が入ると言うよりは、窓の外にうっすら見える、という程度だ。 その窓を見上げて、デュッカは、そういえば、以前はこの時間は、外で風に乗っていたなと思う。 そのデュッカの(あご)を叩く手があり、見下ろすと、こちらを見上げて両腕を振り回す。 「元気だな…」 お陰で、ミナが嬉しそうにしてくれることが、デュッカは嬉しい。 レジーネは、ミナが与え、また、デュッカが与えたものだ。 ミナが自分を見る時間は、明らかに減ったけれど、この存在があるのも、自分あってこそと思えば、少しは慰められる。 少しして、ミナの部屋の(がわ)の扉が(ひら)き、覗かせた顔が(ほころ)ぶ。 この瞬間の感動を、デュッカはミナを奪い尽くすことで示したいと、いつも思う。 「ふふ。そういう姿、好きです」 「レジーネ込みか」 「当然ですよ。でもまあ、単独でも、会えたら嬉しいです」 「俺はそもそも、離れたくないがな…」 「ふふ」 ミナは幸せそうに笑って、下に行きましょうかと言った。 まだもう少し、(みだ)りがわしい行為に(ふけ)っていたかったが、つい先ほどまで、睡眠時間を奪ってまで体を求めてしまったので、少し休めてやった方がいいのだろう。 ああ、と短く答えて、先を歩くミナのあとを追う。 階下におりると、グィネスが、おはようございますと挨拶した。 挨拶を返すと、すぐにお食事できます、と言う。 「ありがとう、ブドーかジェッツィが下りてきたら、一緒に」 ミナが答え、グィネスは上体を倒して礼を示しながら、かしこまりましたと、品よく承る。 「本日は、リィナ様とサシャスティ様のご来訪と、大工師の打ち合わせのほかに何かございますか」 居間に向かいながら確認するグィネスに、ミナは順序よく予定を頭に並べる。 「ないと思うな。もしかして、3人程度、連れて帰ってくるかもしれない」 「夕食の用意が必要でしょうか」 「そうだな…、来てくれたら誘うけど…」 「承知しました。そのように用意させます。ほかには何か」 「ないよ。今日もレジーネをお願い」 「はい、ご安心ください」 「ありがと」 ミナが、きちっとしていながら、(ゆる)やかな印象を与えるよう、上体を傾けるグィネスを見て、微笑む。 ほかの言葉でも、きっとよいけれど。 安心するようにと、ミナの心情を気遣ってくれた言葉が、また胸に沁みる。 そんな気持ちを察して、デュッカは、長く雇う()(れい)がグィネスであることに、改めて満足を覚えた。 グィネスが用事を片付けに向かい、ミナとデュッカは、居間の奥に設置した、異能対策を施している幼児用柵に近付いて、レジーネをその内側に入れた。 広くすることもできるが、取り敢えず、歩き回る範囲を適度に(せば)めておく。 (かど)はないが、適度な硬さと、重みのあるものも含め、玩具がいくつかある。 それらを差し出して、反応を見たり、歩く様子や、そのほかの動きを眺めて過ごす。 「今週末は、レジーネと遊べないな…」 デュッカは、そんな約束はできるだけしたくなかったが、仕方なく口にした。 「暁の日がある」 ミナが、ぱあっと表情を明るくして、そうですね!と笑顔を見せた。 ほんとう、こんな約束はしたくない。 「3人でゆっくり過ごせばいい」 「ええ。レジーネはちょっと、出掛けたいかもしれませんね。外歩き、気に入ってるんじゃないかって、思うんですけど。どうかな」 「朝だけ少し、ベーグ地区の円形水路公園に行くといいだろう」 「そうですね!私も外、出たいし。デュッカ、1人になりたいこと、ありません?」 「なりたいのか?」 「いえ、私は…。前は、そういう必要があったけど、今は…、その、抱きしめてもらえると、それで、充分だなって、思うから」 デュッカは、ミナを見た。 以前は、1人で閉じ(こも)っていたのだ。 自分の腕の中が、新たな、安らぎとなったのだろうかと、そうであれば、願ってもない成り行きだと、幸福に思う。 「あの、デュッカは?」 少し、自信のないような、不安に近い表情を見せた。 もう少しで、ひとつになりたい、と、あからさまなことを言い放つところだったが、思い(とど)まった。 きっと恥ずかしい思いをするのだろうと、そういう、姿を見たいとも思ったけれど、もうすぐ、ブドーかジェッツィが起きて来る。 「ふたりきりになりたい」 そう言うと、少し困ったように笑った。 もう、ほんとう、毎日、仕事に行かせるのが、いやでたまらない。 どうしてくれよう、と思っていると、居間の扉が(ひら)いて、ジェッツィとブドーが顔を出した。 「あっ、おはよ!」 ミナが笑顔で立ち上がり、デュッカも、2人に近付くミナを追い、4人で挨拶を交わした。 食事にしようと話して、レジーネを置いて食堂に行く。 レジーネの朝食の時間は7時と決めているので、ミナたちはいつも、それ以前に済ませ、時間になってから与えている。 昨日(きのう)はミナの体調が優れなかったので、グィネスに頼んだ。 小間使いと協力して与えてくれている様子で、今朝のように用事があるときも、任せて出掛ける。 世話をしてくれる者を雇うかと話し合ったとき、イエヤ邸の使用人たちは、自分たちが協力をして当たるので、問題ないと言い切ってくれた。 そういう、気持ちに応えたかったが、手当(てあて)を増やしたりするのでは、そぐわないと思ったので、何もしていない。 こういう、伝えきれないような感謝が増えていくのも、家族が増えてくれた、温かみというものだろうかと、デュッカは考える。 少し今日の予定など話しながら、食事を終えると、支度をしに自室に戻る。 身なりを整え、彩石を持って、部屋を出る。 デュッカは、廊下で少しミナを待って、2人で階下におりると、居間で少しだけ過ごした。 レジーネと遊ぶジェッツィに、先に行くと声を掛けて、ブドーと3人で邸を出る。 待ち合わせ場所に来たのは、ルーカゼリ・ロー・バル・アガッタ、通称カジィと、ボルド・イスマヌエル・レベシス・クリアと、シュリエ・リ・シェリュヌ。 あとは、カジィとボルドの侍従と護衛たちだ。 ボルドは、オルレアノ王国の現国王の甥、カジィは、その学友として親しめるようにと、ともに、留学者としてこのアルシュファイド王国に滞在している。 シュリエは、レシェルス区出身のアルシュファイド国民で、ボルドの親友だ。 現在、士官学校の生徒として学んでいる。 先週末は、この4人を中心に、騎士たちなどが集まって、楽しんだ。 それもあって、親しみつつあるのだ。 ブドーは、カジィと年が近いので、なんとなく横に並ぶ。 一行は、シュリエとボルドを先頭にして歩き、士官学校の近くにある武術場に到着した。 カジィとボルドとシュリエは、すでに、ここの利用者として登録しており、決まった師がある。 子供4人が持ってきた着替えをそれぞれ、更衣室の棚に入れると、ブドーとミナとデュッカは、カジィたちと別れて受付に行き、ひとまず体験させて欲しい、と申し出た。 突然だったので、少しばかり、ごたついたが、まあまあ、あることだということで、対応してもらえた。 カジィたちと親しいのだと言うと、では、そちらがよいでしょうと案内され、彼らの師と引き合わせてもらった。 きれいな白髪の男は、50歳前後と見えたが、実際はもう少し上で、60歳近い。 健康のためと言って、毎日、武術場に通っていたが、最近では、決まった門弟子(もんていし)はいなかった。 かつての教え子は、皆、長じており、現在は騎士や兵士として活躍している。 彼は、第一声で、久しいな、デュッカ、と言った。 「ダリ」 デュッカは、そう呼び掛けた。 ミナとブドーが不思議そうな顔で見上げ、デュッカが、ダリと呼ぶ、ダルレイ・レスを紹介した。 「先代の黒檀騎士だ」 「あ、よろしくお願いします。デュッカと結婚しました、ミナと言います。ミナ・イエヤ・ハイデル」 ダリは、やさしく目元を細めて、握手を求めた。 「よろしく、ダリと呼んでくれ。会えてよかった」 「はい。こちらは、サーシャ国からきた、ブドー・セエレンです。私たち、この子と、この子の双子の姉と、私とデュッカの息子のレジーネ・イエヤと、家族として、歩き出したところなんです」 「そうか。よろしく、ブドー。ダリと呼びなさい」 「はい。よろしくお願いします」 握手をした、その手は、デュッカとはどこか違ったが、力強い。 「ふむ。今、3人、教え始めたところだから、この子もと言うなら、数は合う」 「できれば、お前に頼みたい」 デュッカがそう言うと、ダリは笑った。 「はっ。親らしい顔だな、デュッカ。うん。俺は、楽しみだな。さて、君はどう思う、ブドー」 ブドーは、ダリを見て、デュッカを見ると、表情を改めて、背筋を伸ばした。 「ダリ、俺に武術を教えてください」 ダリはにっこり笑って、いいだろう、と言った。 「カジィに、準備運動を教わりなさい。すぐに行く」 「はい!」 そう言って、ブドーは少しの距離を駆けて、カジィに声を掛けた。 ダリは、デュッカに向き直って、確かに預かった、と言った。 「こちらに来たばかりなら、今日は9時から、学習場で授業か」 「ああ、そうだ。俺もこれから行く。教師には8時の始業から、話をしたい」 「分かった、そのように伝えよう。手続きは受付だ」 「ああ。よろしく頼む。彩石騎士並みの力量だ」 「承知した。ミナ、デュッカをよろしく」 「はい。でも、お互い様ですけど」 ダリは笑みを深めて、そうだな、と言って、手を振り、ブドーたちに向き直った。 ミナとデュッカは、準備運動を始めたブドーを、少しだけ眺めると、ここまで案内してくれた受付の者とともに戻り、手続きを(おこな)った。 武術場の運用資金は、退役騎士などの遺産が(おも)だ。 兵士は家族を持つ者が多いのだが、騎士は独身を通す者が多く、ほかに遺す者がいないからと、こちらに向けて寄付をする者が多いのだ。 そのため、世話になるからと言って、特別な費用は求められない。 手続きが済むと、デュッカは受付の者に言った。 「建物の改築の必要などはないか」 「え?確かに、古いですが、保護の術を掛けているので、傷んではいません」 「長い間に、使い勝手が悪くなることもあるだろう。資金があれば改築するということなら、こちらで出す」 「ええっ」 「検討するよう、責任者に声を掛けてくれ。では、連絡を待っている。行くぞ」 「はい」 「あっ、ありがとうございます!」 受付の女はそう言って、勢いよく頭を下げ、ごつ、と重い音を立てた。 ミナが驚いて振り向くと、額をさすりながら恥ずかしそうに笑って、では、また、と、もう片方の手を振った。 歩きながら、良いように使ってもらえるといいですね、とミナが言った。 「そうだな。改築の必要がないのなら、また何か考える。できれば、同じ寄付でも、武術場の不都合を改善するか、先のことに繋げてもらいたい」 「ああ、現在の運用のために使われるのでなく」 「もしそれで困っているのなら、それでもいいがな。セラムが出勤したか」 武術場の敷地を出る辺りで、ハイデル騎士団居室に飛ばしていたデュッカの彩石鳥が戻った。 正確には、2羽に増えて、片方だけ飛んで来たのだ。 「今、どこですか」 セラムの声が届き、武術場を出たところだ、とデュッカが答えた。 「このまま俺が送る」 「途中まで迎えに行きます」 「では、一度、大通りに出る」 「分かりました」 用が済んだので、こちらの彩石鳥は消したが、セラムの(もと)にいる彩石鳥は、案内鳥に変化した。 「今日はどこに行く」 「ええ、土の大きな術は、工場とかに多いみたいなんです。場所を限定して、(おも)に重い物を運ぶのに使われているんです。だから、レグノリアでもちょっと遠いんですよね。石切り場とか、木材の伐採地区とか。でも、元となるのが、流動石の使われている往復路だから、いっそのこと、そっちの研究部に行ったらどうかってことになったんです。だから今日は、船でリュウシ工業地区に行くんです」 「遠いな…」 「大丈夫。湖の向こうですから。移動はすぐです」 デュッカは、腕をひと振りして、彩石鳥を出した。 「連れていけ」 ミナは、笑って、ありがとうございます、と言った。 ミナの肩に彩石鳥を乗せて、デュッカは前を向いた。 教師との話が終わったら、今日はミナのところへ行こうか。 「デュッカは今日は、会議とかするんですか?」 聞かれて、デュッカは、あまり変わらない表情ながら、少し動かす。 そういえば、今日は会議をするから、絶対出席してください、と強く言われていたのだった。 物憂(ものう)くなって、息を吐く。 「ああ…、会議に来いと」 ミナは、少しばかり気分の落ち込んだらしいデュッカを見ながら、首を傾ける。 「色々、調整しないといけませんよね。明日(あした)はまた、御前(ごぜん)会議室に集まるってことでしたね。アークがいなくても、(ひら)くんだ」 「政王不在の想定はしていなかったろうが、ルークが発言するなら、場所の限定は必要だ」 「ああ、そうですね…」 「そんなことより、お前の席が離れていることが問題だ」 「いや、そこは…。…ふふ」 途中まで、反論しかけて、ミナは何か、気を変えたらしい。 短い笑い声を立てると、左手を伸ばして、デュッカの手を握った。 「嬉しい」 もう、そのときの衝撃をなんと言おうか。 立ち止まって、突き上げる衝動のまま、何をしようとしたのか、自分でも判らない。 「ミナ!」 イルマの声が、無条件反射のように、デュッカの手を()めた。 ミナが、少しだけ不思議そうな顔をしたが、イルマとセラムとパリスを見て、笑顔で迎える。 「夜でも、変更があるなら、言ってくれたらいいのに」 不満そうにイルマが言い、ミナは笑って答えた。 「うん、でも、やっぱり、ちゃんと休んで欲しいから」 「ミナ…」 ミナは、仕方ない、と言うように笑って、だが、謝らなかった。 「また、変更があるときは、朝に彩石鳥を飛ばしてもらうね。早く出勤したって無駄だよ。時間計るからね」 イルマは、諦めの息を吐いて、不承不承(ふしょうぶしょう)、分かりましたと返事した。 「さっき、シュリエに会ったよ。ブドーが、同じ師に学ぶことになった」 歩き出しながら、ミナが言う。 シュリエは、イルマの弟なのだ。 イルマも同じ方向に向き直って歩きながら、先代黒檀騎士と聞きました、と言った。 「会いましたか?」 「うん。ちょっと、レイに雰囲気似てたかな…年を重ねたら、あんな感じかも」 衝撃から立ち直ったデュッカが、それはもう気怠(けだる)げに、黒檀騎士になったら、レイが似てきた、と言った。 「レイは黒檀騎士になった当初は、もう少し奔放だった」 ミナは、その様子が少し気になったが、触れず、そうなんですかと応えた。 「ムトもそうなるかなあ…」 「あいつは君がいる限り、年取っても団長でいるだろう」 セラムの言葉に、ミナは目を大きくした。 「えっ…」 「聞いたわけじゃないけどな。ほかが若ければ、続けられるだろう」 いつか、役目を外れなければならなくなる。 そう思うと、セラムは今から憂鬱だ。 それは、イルマもパリスも同じらしく、揃って沈黙した。 団長は、多少、年齢が上がって、身体(しんたい)の能力が落ちたとしても、団員をまとめる力が何より重要なので、(とど)まることのできる期間は長めだが、そのほかの団員は、身体の能力が落ちれば、そこまでとするしかない。 騎士としての仕事は様々なので、任務に就くことはできるが、それは、ミナの(そば)にいるような、何より、護衛ではないのだろう。 「お前たち、どれだけミナを独占する気だ」 デュッカの言葉に、3人がすごい勢いで顔を上げて、デュッカを見た。 顔には、なんという言い草、と書いてあった。 「ああ、もう、連れ帰りたい」 デュッカは、心底、溜め息が出る。 ミナは、本気らしいと気付いたが、何言ってるんですかと軽く返した。 デュッカは、ちろりとミナを見て、もう、今夜は、寝かせなくていいかもしれない、と思った。 とっても強く。 「デュッカ、もう、王城です。そろそろ風の宮に戻ったらどうですか」 イルマが()(ぎし)りでもしかねない表情でデュッカを見る。 「奥まで送る。今日は時間がある」 せっかく、ミナが手を繋いでくれたのだ。 こんなに早く放したのでは、あじきない。 ミナは途中から、手を繋いでいるのが恥ずかしくなったが、結局、ハイデル騎士団居室の前に来るまで、離しましょうとは言えなかった。 扉の前で、放さなくていい理由を(ひね)り出そうとするデュッカだったが、思い付けず、長い逡巡(しゅんじゅん)のあと、ようやく放した。 「それじゃ、学習場の方、お願いします」 「まだ早い」 言われて、ミナは時計を見た。 確かに早いが、ここに居られても、何もすることがない。 「えっと…、じゃあ、ここで座って待つのでは?」 そこで、デュッカは思い出した。 「船に乗るんだろう。どこからだ」 「あ、はい。黒檀塔から、乗せてもらえるんです」 「送る」 「え?と…」 ミナは時計を見た。 「出発は8時半ばだから、それに合わせて行くんです。デュッカはそれより前に学習場に行かないと」 「それまでどうする気だ」 「ほんとう、邪魔だって言ったらいいのに」 パリスが聞こえるように呟く。 ミナは困ったように笑い、デュッカを見た。 「デュッカ、確か医師は、オルカも7時から始業だったはずです。話してきてもらえますか」 オルカ・センは、心的外傷を(おも)に扱う、ブドーとジェッツィの通う学習場の医師だ。 2人が、つい先日まで過ごしていたサーシャ王国での体験から、ミナは、そのような医師が常勤していると聞き、特に彼らのことを頼んであるのだ。 デュッカは、それは確かに、この機会に話すべきと考え、気持ちを切り換えた。 「分かった。行ってくる」 「お願いします」 見送られて、デュッカは通路を戻り、王城から出ると、学習場に向かった。 レグノリア区の、この中心地にある学習場は、広い敷地の中にある。 創立は古く、建物も古いものだ。 だが、こちらは、国の事業なので、資金も潤沢にあり、必要に応じて改築しているはずなので、建物としての不都合は、そう多くないはずだった。 デュッカは、ひとまずオルカの席を設けてある、精神科医務室に向かった。 そこは、医務室のなかに広い休憩区画を設けてあるので、どこか調子が思わしくないけれど、身体に対して治療を行う身体科医務室に行くほどではない、と考える症状の場合にも、利用されている。 玄関広間に近く、多くの教室に向かう通路沿いなので、ただの時間調整のために使う、という者も多いし、なんとなく、だるいとか、前夜に夜更かしをして眠りたいなどで、仮眠室を使うこともある。 すぐ隣室が、即時治療を行う、身体科医務室なので、状態が悪化する場合も、迅速に対応できる。 ここの休憩室が、談話室や喫茶室と違うのは、1人で過ごす広さごとに、薄い仕切りがあるということだ。 人がいることは判るが、大きな身体的特徴でもなければ、ぱっと見ただけで、それが誰かは判らない。 空間が1人ずつなので、お喋りもなく、静かだ。 オルカのような、資格を持つ精神科の医師のほかに、精神科の医師見習いと、身体科の医師見習い、教師見習いである相談員と呼ばれる者がいて、話のできる区画では、結界のように空間を隔てるのではない風の術によって、余人に声を届けない仕掛けがなされている。 休憩室の奥に位置する相談区画のさらに奥には、教師が医師に相談する部屋や、学習場に通う者の家族が、医師に相談する部屋もある。 デュッカは、休憩室の部分から見える相談区画などまで、見回すことで確認し、オルカの姿がないことを知ると、彼の作業用個室に向かった。 個室の扉には、ただいま離席中とあり、扉の横に、奏楽室と書かれた札が下がっていた。 その札の横には、複数の札が収められており、一番手前に進路相談室があるところを見ると、現在いる予定の場所を示しているのだろう。 ふと、背後に人の気配を感じた直後、おはようございますと声が掛かった。 振り返るとオルカが立っており、軽い会釈を見せた。 「デュッカ。相談室に行きましょうか」 デュッカは頷いて、ああ、と答え、オルカは、離席中の表示をそのままに、札を付け替えて、相談区画とした。 オルカに案内されて、相談区画の奥の個室に入ると、透明だった硝子窓に白い色が入って、外が見えなくなった。 「先ほど、ジェッツィに会いましたよ。年上ですが、仲の良い女の子ができたようですね」 座りながらオルカが言い、デュッカも、丸い机の反対側に座って、応えた。 「ああ、オルレアノ国の留学者か」 「ええ。まだ、深い話はしていないようですが、似た経験が、2人を結び付けるかもしれませんね」 オルカが言うのは、ボルドの姉の、オルレアノ王国現国王の姪、オリシア・レスラエルス・クォンティット・クリア、通称シィアのことだ。 彼女には、学友としてオルレアノ王国から同行した、フレイリリスィナ・ロー・デル・コルロ、通称フレイと、アルカンシェナ・ロメンシィ、通称シェナが付いており、今朝、2人は、ジェッツィを迎えにイエヤ邸に来ていたはずだ。 オルカの口振りから察するに、フレイとシェナとは滞在する邸の違うシィアも、学習場で合流して、現在はジェッツィとともに、奏楽室にいるのだろう。 「そうか」 応えるデュッカの顔に何を見たのか、オルカは、よい影響となるかは、判りませんね、と言った。 「ただ、今は、ここで親しめる者がいることを、よしとしてはどうでしょうか。ジェッツィはブドーと比べると、少し、他者に対して恐怖心が強めのようだ」 「そうだな。俺たちもまだ、様子を見ている。何かをすべきか?」 「いえ、すべきことがあるのなら、様子を見ている方が、察することは多いでしょう。今は、接する時間を多く取ってやることではないでしょうか」 「うん。何か、特に興味を引かれる楽器はあるようだったか?」 「ええ、ベンリュートは気に入っているようでしたよ。あと、シリンの音色に興味を持っているようでしたね」 ベンリュートは、(あご)の下にその端を挟むという、独特の姿勢で、弓に張った馬の尾の毛を、弦に当てて動かしたり、弦を指で(はじ)いたりして奏楽する、擦弦楽器(さつげんがっき)のひとつだ。 また、シリンは、鍵盤を持つ、大型の打弦楽器(だげんがっき)なので、持ち運ぶことはできず、奏楽室に設置してあるのが常だ。 イエヤ邸の奏楽室にも、縦型(たてがた)シリンと呼ばれるものがあり、通常、床に平行に張る弦が、垂直になっているので、形状が縦に長く、奥行きが浅く、設置に必要とする床の面積が、その分、小さい。 「あれらの母が遺した声の伴奏に、シリンが使われていたからかもしれない。もしかして、曲作りの時に多く使ったのなら、これから多く聞くのだろう…」 「母親の遺した声ですか?」 「正確には歌声だ。先日、あれらの母に師事したと言う歌い手と会ったんだ。その者が託されていた彼女の歌声を、譲ってくれると、今、邸で整理しているところだ」 「そうなんですか…、かなり多い?」 「ああ。歌声を収めた彩石や、保管している部屋など、新たな執着となったかもしれない」 「そう、ですか…。それは、ちょっと確認してみたいですね…」 「うむ。では、今週末の藁の日に、人手を集めて棚に表示をするなど、大掛かりな整理をする。その手伝いに来てはどうか」 「いいですか?助かります」 「ああ。まだ、手伝ってくれる者は決めていなかったんだが。早めに声を掛けるべきだな…」 「何人ほどですか?」 「うん。5人程度と話している。ほかに3人、別のことをする者が来る」 「部屋の大きさもありますし、あまり大勢にはできませんね。ブドーとジェッツィには、誰か、1人ずつ呼ぶようにと、声を掛けてみてはどうです?大人ばかりより、近い年齢の子がいた方がいい。でも、棚の整理となると、言い出しづらいですね…」 「うむ。リィナと言う、年の離れた友人ができて、これがシィアの滞在先の者なんだ。そちらから、シィアに声を掛けてもらうことはできそうだが」 「それはいいですね!では、そちらの結果を見て、ブドーも年の近い子を呼んでは、という流れにできないでしょうか。ああ、そうだ。ボルドがいましたね」 「そうだな。彼女の娘と、家族で来てもらえれば、ちょうど5人だ。テオは仕事かもしれないが、4人でも良さそうだ」 「そうですね!私のことは、今日、話した成り行きだと、言っておけばいいでしょう」 「うむ。ん。いや、そういえば、留学者たちは、今週末は留学者たちだけで過ごすと言っていたな…」 「そうなんですか。じゃあ…」 「うん。リィナの娘は、今年19歳になるはずだ。離れすぎか」 「そうですね…、既に働き始めているのですよね?」 「ああ。ん、そうだ。そういえば、シィアたちとともに、オルレアノ国から孤児が来ていたな」 オルカは、思い出して、こぶしの横を手のひらで、ぽんと打った。 「ああ!ウラルですね!」 「ああ。名は、俺は聞いていないが、確か娘が風の宮に修練に来ていると聞いた。何歳だ」 「13歳です。ああ、まあ、今年14歳ですけどね。まだ、引き取り手を考えているところで、未成年者保護施設に滞在していますよ、今年11歳になる弟と、今年3歳になったばかりの従弟(じゅうてい)と。3人なので、引き取り手も、特に部屋の用意が難しくて、今はまだ、調整中です」 「そうか。レグノリアの引き取り手ならば、今後も長く付き合えるが」 「そうですね。ちょっとその辺り、確認してみましょうか」 「ああ。何か書くものがあれば、俺が書く」 「はい。では、こちらに。それなら、藁の日に、私がそちらに連れて行きましょうか。3歳の子は手伝えませんが、ウラルに、手伝ってほしいと頼むことはできます」 「うむ。3歳の子は、レジーネと遊ばせるのは無理だな…、いや、見る者がいればいいか」 「ええ。少し火を持っていますが、そうそう危険なことはないはずです」 「では、3人とも連れて来てくれ。あとは…、リィナと、テオとテナの手が空いていれば、そちらでいいか」 「はい、では、そのように。ブドーは、昼間は、元気に過ごしているようですよ。夜はどうでしょうか」 「ああ。母の声を聞いてから、少し慰められたようではあると思う。今のところ、夜中に突然、飛び起きる回数は減っている様子だが、まだ、注意して見ている必要がありそうに思う」 「そうですね。まだ、ひと月も経っていないのですから。それで、来週から旅に出るそうですね」 「ああ。問題ありそうか?」 「いえ、旅に次ぐ旅暮らしではありませんし、きちんと、戻る家があるのですから、その点は、気持ちの落ち着くところがあるでしょう。まあ、どのように受け取っているか、我々には判りませんが、あなたとミナが、(そば)にいる時間が多くなることは、望ましいことだと思います。仕事も含むとは言え、休暇であるということなら、楽しまれてください」 「うん、そうしよう。旅程に少し、ゆとりを持たせて、観光の時間を設けるよう言う。うん。会議が終わったら、王城に行くか」 ミナはいないが、もしかしたら、早めに帰ったところで会えるかもしれない。 「あとは…、今朝は、ブドーは武術場でしたね。通うんですか?」 「ああ。いい師となる者がいたので、頼んできた」 「ともに学ぶ子もいるのですか」 「ああ。カジィと年が近いから、今のところ、そちらと馴染みつつあるようだ。あとは、ボルドと、士官学校の子が1人」 「なるほど。やはり、士官学校に行くのですか?」 「ああ、カジィもそちらに行くそうだからな。気持ちはそちらに向かっている。ジェッツィは、技能学校ではなく、奏楽館に利用登録して、修習生となるかもしれない」 「そうですか。ああ、その辺りの相談に今日は?」 「そうだ。8時から話を聞けたらと。…もうすぐか」 そう言って、デュッカは、オルレアノ王国から来た3人の孤児の、預かり先がどのようになっているのかを確認する、手紙による伝達を放った。 「色々、ありがとう。引き続き、2人を頼む。では、藁の日に、また」 「ええ。時間は、9時がいいでしょうか?」 「そうだな。昼食は邸で用意する。時間があるなら、夕食も奢らせろ」 そう言って、デュッカは立ち上がった。 オルカは、深い笑みで応えた。 「ありがとうございます。ウラルたちは保護施設に確認しますね。では、また」 「ああ。よろしく頼む」 そのように話して週末の予定を決め、デュッカは、医務室を出ると、教員室に向かった。 ブドーとジェッツィは現在、2人だけの授業をしてもらっており、来週から、ほかの者も受けている授業に加われるのではないかという話だった。 担当の教師は、ミベル・ボードリンと言う、30代…と思われるが、落ち着いているだけで、実際は、まだ20代かもしれない。 とにかく、若い女教師だ。 デュッカは、教員室内の、学習場に通う者の家族用相談室で、ミベルと机を挟んで向かい合った。 教員室側の仕切りとなっている窓は、適度に向こう側が見える硝子だ。 先ほどは男同士だったので、人がいる、ということしか判らなかったが、今回は男女の一組なので、仕掛けられた術が、なかの様子が判りやすい形で、作動している。 同性同士でも、何事かが起こらない、という保証はないが、せめて、男女の不名誉な噂は断ち切ろうという考えだ。 心や身体(しんたい)に与える、言葉や殴打による暴力的なことは、もちろん予防しているが、噂、という、間接的な暴力に対しても、できる対策はしておきたいのだ。 「まず、お伝えしている通り、来週から、少し人の多い教室で、授業を受けてもらいます。場所は、こちらの編入者用区画です。しばらくの間は、私も、授業内容に、ついていけない、などの相談を受けますが、そのうち、それもなくなるでしょう」 「分かった。ミベルが対応する期間は、決めないんだな」 「ええ。これは個人差がありますから、1人1人に違う対処が必要です。見たところ、2人とも、基礎知識は非常に少ないですね。ただ、植物のことだけは、なぜかよく知っている」 「父が、植物学者だったようだ」 「ああ、それで。すごく偏った真名(まな)の覚え方なので。そうですか。それが、彼らの父親の遺してくれたものなのですね」 ミベルは少し考えて、提案した。 「植物図鑑や、色名辞典などを与えることは、難しいですか?」 「いや、邸の図書室に置くことはできるし、必要なら、個別の学習室に置いてもいい。何か考えが?」 「ただの思い付きですが、このまま、忘れてしまうのでは、切ない。彼らにとって、よいこととなるかは判りませんが、せめて、思い出す、(よすが)となればよいと思うのです」 「ああ…、そうだな。ミナと話してみる。ありがとう。色名辞典は、植物の名が使われているからか?」 「そうです。植物を(もと)にした薬となると、危険なものもありますが、色を見ることが、植物そのものを見るように、思い出す一助(いちじょ)となればよいかと」 「ああ、それはいい考えだと思う。ミナとも話して、今度買いに行こう。あの子らのことを思ってもらえること、感謝する」 ミベルは、にっこり笑って、その感謝の心を、温かく受け取った。 「それで、基礎知識を身に付けるには、まだもう少し、時間が必要です。2ヵ月ほどになりますか」 「ああ、すまないが、来週からひと月ほど、旅に出るなどで、学習場に通えなくなる」 「そうなのですか。できれば、学習は継続した方がよいですね。乗り物では文字を読むのは避けた方がいいでしょうが、アルシュファイド船籍の船なら、揺れが少ないと思います。でも、船なら、移動時間は一日ですよね」 「まあ、俺が揺らさないが、旅に出るのだから、周囲の景色を見せる方がいいのではないか」 「ええ、でも、景色が変わらない、というところはあると思います」 「まあ、そうか。学習させるなら、何がいい」 「ええ。旅ということですから、まず、地図と現在地の確認は、した方がいいですね。船上では、まとまった時間が取れますから、基礎的な真名(まな)を覚えてもらいたいです。そうですね…、では、そういったことをまとめてみましょう。取り敢えず、教えられる自然の現象があれば、それはひとつひとつ、教えた方がよいです。目の前にあるのですから」 「ああ、分かった。では、旅の途中で経験することも、例えば支払いの計算をさせるなどもいいか?」 「ええ、そうですね。旅でできないこともありますが、旅だからこそ、体験ができます。ご家族で、同じ体験ができるのもいいですね」 「分かった。順序立てて教えることはできないと思うので、その辺り、よい書物などがないか」 「ええ、では、それも、調べておきましょう。半の日までに用意します。取りに来ていただけますか」 「ああ、もちろん。何時頃がいい」 「そうですね…、また、この時間に来ることはできますか?」 「ああ、できる。大丈夫か。出発は朔の日なので、暁の日なら、まだ間に合う」 「いえ、もし、書物を手に入れる必要などあれば、藁と円の日があった方がよいですから。旅の間は、覚えてほしいこと、継続してほしいことを指定します。できない場合は仕方ありませんので、無理はなさらず」 「ああ、ありがとう」 「旅から戻って、また、学習場に通えるようになったら、ひとまず、また、知識の確認をさせてもらいますね。それから改めて、入ることのできる教室を考えます」 「ああ。変更させることになったな、すまない」 「とんでもないことです。これが私たちの、選んだ仕事です。させてくれなければね」 ミベルは、ちょっと悪戯(いたずら)めいた笑い方をした。 「そうか。だが、ありがとう。それで、ブドーだが、やはり、士官学校に入ることになるかもしれない」 「ええ、そのようですね。ジェッツィは技能学校ですか」 「いや、修習生となるかもしれない。声楽、器楽、舞踊などに興味があるそうだ」 「そうですか。では、それは少し時間がかかりそうですね。楽器は種類が多いですし、舞踊は舞台を見て回った方がいいでしょう」 「やはりそうか。決まるまで、学習場で預かってもらえるか?」 「ええ、もちろん。見て回る(さい)に、付き添いが必要であれば、対応します。手続きはできませんが」 「ああ、助かる。そのときは頼む。取り敢えず、話したかったのはこういうことだ。旅から戻ったら、また、話す必要がありそうだな」 「ええ、そうですね。では、また、半の日の朝に、お待ちしています」 「ああ、頼む。色々と、ありがとう」 ミベルは、笑って、どういたしましてと答えた。 教員室を出ると、デュッカは、風を飛ばして、ブドーとジェッツィの居場所と、周囲にいる者を探った。 どうやらどちらも、新たな友人たちと過ごしているようだ。 声を拾うこともできたが、それはせず、学習場を出て、風の宮に向かった。 なかに入ると、まっすぐ執務室に向かい、扉を開けると、入口から、机に載る書類の(たば)が見えて、こんなことのためにミナとの時間が減るなんて世界の造りは間違っている、と考える。 「あっ、あああああっ!デュッカあああっ!来たあああ!」 不意に大声がして、駆け寄る人物が耳元で続けた。 「もう、来ないかと思ったじゃないですか!会議まであと少しですから、消えないでくださいよ!」 風の宮の一切を取り仕切るゼク・リドゥーだ。 まあ、嫌いではないのだが、いやむしろ気に入っているのだが、この大声だけはいただけない。 「うるさい」 「連絡もなく遅刻したら叫びたくなります!風の宮公が風の伝達しないなんて詐欺です!」 あ、もう、無性にミナに会いたい。 外方(そっぽ)を向くデュッカに、まだまだ言い足りなかったが、ゼクはなんとか息を整えて、それじゃ、時間まで書類片付けてください!とデュッカを執務室のなかに押し込んで扉を閉めた。 まったく気分は乗らないが、残しておくと、ミナとの時間を削られる原因になってしまうので、大人しく片付ける。 書類の処理をする傍ら、ミナに持たせた彩石鳥から、彼女の吐息を感じる。 こんなことをしているなんて知ったら、ミナはどんな反応を示すだろうか。 恥ずかしがってくれたら嬉しいが、もしかして鬱陶(うっとう)しがられるんだろうか。 それはいやだ。 だが、()められない。 これは絶対、知らせてはいけないなと思いつつ、書類の処理を済ませ、ひと息ついて、今朝の寝台からの()り取りを思い返す。 彩石鳥から、流れる吐息。 その気になれば、声も聞けるけれど、ほかの者に対して発するそれを聞けば、飛んでいってこちらを向かせたくなってしまう。 ああ、ミナが恋しい。 この手に抱ける夜が恋しい。 風に乗る、彼女の吐息だけが、慰めだ。
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