政王不在

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       ―旅の楽しみ―    風の宮内での会議は、なんとか、昼食が食べられる時間に終わった。 「今度、15時から、祭王陛下含めて、創建局の会議室で会議です!祭王陛下がご出席!意味解りますよねええええっ!」 「ああ、うるさい」 「せめて耳の奥に刻んでんですよ!」 「ふん。王城に行く」 「ちょっと、そのまま」 「うるさい。用がある。ああ、ミナに会いたい」 「欲望垂れ流し!」 ゼクの叫びを背中で弾き、デュッカは急ぎ足で王城に向かった。 彩石鳥の位置から、ミナの位置も判るが、会って確認できる方が嬉しい。 彩石鳥の位置を探るのを後回しにして、ひとまず王城に行き、食堂を覗いて、がっかりする。 いない。 仕方なく、居場所を確かめると、リュウシ工業地区の対岸にある、ゼパ造船所にいるようだ。 ああ、と声を伴う息を吐いて、そのまま食堂で食事を摂る。 食欲も同時になくなったので、定食から主食のヒュミを抜くように求め、主菜などを口に入れる。 茶を飲むと、彩石判定師室にミナの残り香があるかもしれないと気付き、ふらりと向かった。 なんだろう、今日はもう、無性に恋しくて仕方ない。 いつも、どう過ごしていたかと考え、そういえば謁見をしていたなと思い出す。 それなりに、目の前の者に意識を傾けなければならないので、そのときばかりは、ミナを求める気持ちが追いやられるのだ。 あれはあれで、気を(まぎ)らすには、役に立っていたのだと気付いた。 とにかく1階に下りて、彩石判定師室の扉を開けると、数人、人がいて、何事かと思う。 「何をしている」 「デュッカ」 たまたま、一番近くにいたカィンが、顔を上げてこちらを見る。 どこか、憔悴(しょうすい)している様子が気になる。 旧知のロア…四の宮公の一角(いっかく)、土の宮公ロアセッラ・バハラスティーユ・クル・セスティオの甥であり、亡くなった女友だちクリムシャ・ロルト・ヒサヤ・セスティオと、男友だちオムステッド・ロルト・レン・セスティオの間に生まれた息子、カィンのことは、かなり気に掛けている(ほう)だ。 「どうした」 「ああ、まあ…。デュッカはどうして?」 答えのないまま聞き返され、デュッカは、ちょっとな、と答えて、もう一度聞いた。 「ここで何をしている?」 「ああ、ちょっと、彩石の確認を…」 「そんなことは…」 テオの部下にさせればいい。 言い掛けて、当のテオが正面を横切るのを見た。 「何があった」 カィンは、ミナから聞いていないのだと気付き、えっと、とルークを見返った。 デュッカが、風に頼らない、大きめの声を出した。 「ルーク。何をしている」 はしご椅子の高いところに座るルークが、書物から顔を上げて、デュッカを見下ろした。 「あ?デュッカ、何しに来てんの。ミナならいないよ、残念でした」 「そんなことは知っている。答えろ」 「シィンに言ってないんだから言えないよ」 「言え」 「もう、ちょっとは手順を気にしなよ…」 「呼ぶから、今すぐ。だから落ち着いて」 そう言って、カィンは、大至急来てくれるようにと、シィンに向けて伝達を放った。 「お前が言わないなら…」 デュッカが不穏な視線を、ぴたりと獲物に当て、その視線にぎょっと身を(すく)めるテオが、手に持つ書物を落としかけた。 「もう、もうすぐ来る!来るから!」 カィンが慌てて間に入り、デュッカの体を押して長椅子に座らせた。 ルークは、深い息をひとつ吐いて、腕時計を見てから、もうこんな時間、と呟く。 「テオ、マニエリ。引き続き、分類頼むよ。僕、創建局に戻らないと」 「ああ、分かった、やっておく」 テオの返事と、マニエリの首肯(しゅこう)に頷きを返して、ルークは、はしご椅子から降りた。 応接用の背の低い長椅子に体を預け、息を吐いていると、シィンが現れ、デュッカが、さっさと話せと()かす。 「なんだ?何があった」 「シィン。ちょっと話がある」 座るように促して、ルークは、今朝、ユラ-カグナから(もたら)された話を聞かせた。 「僕も確認してみた。そのなかだけのことだけど、(さいわ)いなのは、効果が絶対の威力を発揮する石は、力量が、対象とする現象を完全に打ち消すことができない場合には、石の発動者の力量が石のそれを上回っていても、発動されないということ。つまり、力量の小さな石で大きな術の一部に穴を開けようとしても、石自体が、術そのものの完全消失を行うものと限定されているので、それ以外の用途には使えないんだ」 「例えば、この国を覆う絶縁結界を、絶対の効力を持って破壊する場合は、これに匹敵する強大な効力を発揮するだけの力量を持つ彩石でなければ、使われる恐れはないと」 シィンの言葉に、ルークは深く頷いた。 「そういうこと。もし、ここにある彩石が盗まれて使われても、その効果の範囲は、小さい」 「範囲が小さいからと」 「分かってる。結果が悲惨なものにならないわけがない。だから、前代の判定師が掛けている、目眩(めくら)ましの術以外に、強力な管理結界が必要かどうかとか、考え中」 「ふう…」 シィンは声を漏らして息を吐き、両腕を組んだ。 「そうか。それもあって、もしかしたら、開かずの()にするよう、指示されたのかもしれないな…」 「いや。それはどうかな。こういう、ひとだったんだもん。僕は、遺された人たちが、閉めちゃったんだと思う。畏敬と、悲しみを込めて」 それには、シィンも、共感できた。 こういう、遺し方を、する人物。 人々の、ために。 「そうか。それで、禁書庫と同じ処置が、この国の王の主導で、行われる必要があるというのが、彩石判定師としての、ミナの結論か」 「そういうこと。だから、アークが戻ってからの話し合いにはなるけど、現状を把握する必要があるから、テオとマニエリに調べさせてる」 「ほかの者は」 「うん。どういう限定解除か判らないんだけどね。少なくともエコーとレトールには、僕らと同じものを認識することができない。見えないんじゃなくてさ。どうも、僕らが、そのものを扱っている辺りから、視覚や聴覚に幻覚が混じって、何をしているのか、正確な認識をしていないようなんだ」 ルークは、顔を上げて、この部屋にいたエコーとレトールを見た。 距離はそれほど離れていないので、会話は聞こえたはずだ。 「エコー、レトール。僕、今、なんの話、してた?」 聞くと、困惑の表情で、あの…、と呟き、互いに目を合わせる。 先ほどから、何度か確認されて、どうも自分たちが、見当違いの発言をしているらしいと知ったのだ。 「いいから、言ってみてよ。種明かしすると、この部屋全体に術が掛かってて、君たちは正確な認識能力を(ゆが)められてるの」 レトールが、勇気を出すように発言した。 「その、ユラ-カグナやミナを褒めているように聞こえましたが…」 「俺も…、何を言っているのか、正確に思い出せないというか、繰り返せないんですけど、とにかく内容がユラ-カグナとミナのことで、褒めているというか、好意的な発言をしていたというのが近いですけど、そういうふうに、なんて言うか、記憶しています…」 「今度は、簡単な質問。今、テオはどこにいる?」 2人は、テオの現在地とはまったく違う場所を示すばかりか、2人で同じ方向を指差すことすらできていないのに、互いが指差す方向が違うことに、気付いている様子すらない。 「君ら、互いの指差してる方向見て、なんとも思わない?」 「いいえ。テオのいる方向を指差していると思います…」 「こんな感じ。いいよ、ごめんね、あとで説明する」 「はい…」 シィンは、息を呑んで、これは、と呟いた。 「強力な…、干渉結界?」 「判らない。空間が隔てられているのかどうかも。とにかく、初代からずっと消えないで残っていることからして、尋常じゃない。たぶんこれ、ミナが継続しているものじゃないよ」 デュッカが口を開いた。 「恒久的な術の継続なら、透虹石を使えばいい。発動者が判定師なら、強力なのは、別の力が働いている」 「別の力って?」 「王城に出入りする者から、自然流出している異能だ」 カィンが、あ、と声を上げた。 「そうか、吸い取って…」 透虹石は、特に意図しなくても、近くにいる人から漏れ出ている、異能を吸い取る。 そこに術を掛ければ、接触しなくても、石の能力の範囲で、指定された種類の異能を、指定された分量だけ、吸い取るだろう。 「う、うわああ…」 ルークは(たま)らず、声を上げた。 術を扱う、自分は言わば、専門家だ。 異能統制事業を始めてから、気付いた。 祭王として、自分は、そのように政王を支えるべきなのだと。 それまで、絶縁結界の維持にばかり意識を傾けていたけれど、それでは、不充分なのだ。 祭王である自分が、この王城に仕掛けられた術を、見破れないなんて、力不足と言うのか、迂闊(うかつ)と言うのか。 とにかく、すごく、恥ずかしい。 「僕、もっと、なんとかならなきゃ…」 「今夜は、もう、仕置きをしてやらねばならん」 デュッカが、ぼそりと呟き、ルークは、一瞬あと、何を言っているのか、理解したと思った。 「ちょっと!今、そんな淫靡(いんび)なこと発言しないでくれる!」 「ルーク…」 シィンが、がっくりと肩を落として顔を伏せる。 デュッカの、こうした発言には、もはや触れない方がいいし、ルークがそんな単語を発することの方が、シィンには衝撃だ。 カィンは、俺は何も聞いてない、聞いていないと呟く。 「ああ、もう、会議なんてなくなればいいのに」 「会議なくても仕事はあるでしょ!て言うか、そもそも、ここに何しに来たの!」 「お前たちがいるから台無しだ。よりにもよってこの場所を乱すなど」 ルークは察して、口を大きく開ける。 何かしら、ミナの痕跡を、味わいに来たのだ。 この執着には、ミナの身を案じずにいられないし、なんていうか、求め方がいちいち、(みだ)りがわしい。 「もう、呆れられたらいいのに」 デュッカは、目を細めてルークを見た。 「仕向けるようなら全力で阻止するし」 時計を見て、立ち上がった。 「もしそうなるなら、すべて捨てさせても、俺だけの者とする。俺はどちらでも構わん。いや」 デュッカは、そうなったときの、ミナを想像してみる。 自分を、憎む、だろうか。 そんな、目を。 そんな目も。 見てみたい。 「正直に言えば、俺は、そちらも、引かれる。…かなり」 ルークが、何か言おうと、口を開くが、何も言わないようだった。 少しだけ、デュッカは待って、それから言った。 「まあ、今は、()らされるのも、悪くないが。何事にも限度があるだろう」 それをお前が言うか、と。 ルークは、言いたかったけれど、何か、不安のようなものが胸に張り付いて、言葉が出てこない。 「とにかく、こうして預けたんだ。ミナの手を(わずら)わせるな。ただでさえ、構ってくれる時間が減ったんだから。…まあ、…、それはそれで、困った顔が、見られていいかも…」 もう、我慢できない。 「このっ、変態が…ッ」 シィンが、またもや衝撃を受け、カィンが、ああ、聞こえない、聞こえない、と、とうとう両耳に手をやって、ふたをする。 色々意味はあるが、この場合、性的倒錯者と罵る思いから選んだのだろう。 ルークが、なぜそんな言葉を知っているのか、少し疑問に思ったり。 さておきデュッカは、その言葉に、どこか情欲を刺激された。 「その言葉、ぜひ、ミナの口から、聞きたい」 ルークが、(ひら)いた口を震わせている(あいだ)に、デュッカは扉を開けて部屋を出た。 閉めた扉の内側で、どうなのあれ!とルークが叫び、シィンが、お前もな…、と呟く。 デュッカは、そんなことはどうでもいいので、足を止めることなく隣室に向かった。 ルークたちは気付いていないようだが、もう、昼からの仕事を始める時間だ。 隣の部屋のハイデル騎士団の者たちは、居室で来週からの旅に向けて準備と、ほかに何か、頭を悩ませているようで、ふた手に分かれていた。 片方には、見知らぬ男が付いていて、何か書き留めているようだ。 「デュッカ。なんだ?何かあったか」 中央の応接用長椅子に座っていたムトが、気付いて振り返った。 「来週の旅のことで話がある」 そう言うと、ムトは、旅とは別の話をしているらしい集団から離れて、そっちだ、と、手前の高めの机に促す。 「どういう話だ?」 「観光を組み込んで欲しい」 「観光、か…」 「時間がかかるのは解っている。その(あいだ)、レジーネを放っておくことになるが、ゆとりのある旅としてもらいたい」 ムトは頷いた。 「そうか。これまで、どちらかと言うと急ぎ旅だったから、休みは少なかったものな。ヘルクス」 ハイデル騎士団の一員、ヘルクス・ストックが、何か書いている用紙から目を上げて、振り向いた。 「ん?」 「すまんが、旅程変更してほしい」 「え、どういうふうに」 「そうだな…」 デュッカが引き受けて言った。 「寄らなくていいところ、つまり、時間もないのに寄港する予定のないところや、目的地へ向かう経路から離れる場所には行かなくていい。所々、旅の休憩日のようなものがあれば、適度な観光ができるはずだ」 「観光」 ムトが頷いて言った。 「今回、ミナは休暇で旅をする。そう考えれば、観光は普通のことだ」 「ああ。それは、そうだな。うっかりしていた」 デュッカが付け加えた。 「それと、ブドーとジェッツィには、旅行中なりの、学習が必要だ。それは俺たちで教えたりするが、例えば、(いち)で支払いの計算をさせるとか、確認しやすい自然現象を確認して、知る時間を取るとか、してほしい」 「ああ。うん。そうか。楽しい旅にしたいな」 ヘルクスは、気持ちが(なご)んだらしく、微笑んだ。 「頼む。それに、今回の旅では、体を休ませながらがいい」 「ああ、そうだな。ん、だが、急ぐところは急いだ方がいいだろう。アルシュファイドで、預けてあるとはいえ、レジーネのことを考えないわけにはいかないはずだ」 「それはそうだな。その辺り、ほどよくしてくれるといいんだが」 ヘルクスは微笑んで頷いた。 「うん。努力したい。それなら、デュッカ。どの辺りに滞在するといいと思う?」 ヘルクスが立ち上がって、地図を広げた。 「最初、船の移動時間は、アルシュファイド船籍の普通速度の船なら、エラ島での審査時間も含めて、35時間かかる。休暇ということだったから、高速船を使うかどうか、今でも迷ってるんだ。高速船だと、25時間。どちらがいい?」 「そうだな。船では、文字を書いて練習することができるから、滞在時間が長いことはそれなりに歓迎するが、やはりそこは、移動時間の短縮をした方がいい。船を速くすることは、ミナの体への負担とはならないからな」 「うん。そうなると、エラ島での観光は、なしだな」 「ああ、そういう計画だったか。うん。そうしてくれ」 「分かった。あとは、馬車の移動時間だな。セムズ港から、ザクォーネ王国までは、この3年で、道路が流土石の入ったものになっているから、以前に行った時より、移動時間が格段に短縮されてる。馬車も改善されていて、まあ、馬はアルシュファイド王国のものほどではないそうなんだが、それでもかなり、楽ができる。それで、途中の、立ち寄り先じゃなかった村とかの特産品なんかが見直されたりもして、道沿いの宿が増えてるんだ」 「ああ、以前は、首都カッツォルネで1泊するまで、丸一日、馬車移動だったか」 「そうなんだ。観光に時間を取りたいということなら、その、移動時間を区切って、半日移動にすることもできる」 「そうだな…、馬車移動は半日ずつで、大きな街に立ち寄ったとき、そこで1泊、休日とするなどがよさそうだ」 「うん、そうか。その時間配分で、宿とか考え直す。ひとまず、1泊余分に取るとして、変更して連泊ができるなら、体調など見て、宿泊を延ばす対処なども考えた方がいいかな」 「ああ、そうしてくれ。藁と円に限らず…、いや、5日程度で、連泊して体を休める方がいいか…」 「そうするか?」 「うむ。そうしよう」 「分かった。じゃあ、藁と円は移動は、なしで。ザクォーネ国でしようとしていることだが、それによって、あちらのこちらへの態度が急変することはないか?国を追い出されるなど」 「さてな。俺も、ミナが何をしようとしているのか、知らない。しかし、憎しみに、干渉しようというのだ。その理由が何であれ、憎しみ、悲しみには特に、人は不用意に干渉など、されたくない」 「うむ…」 ムトとヘルクスが眉根を寄せ、隣や向かいで机を接している仲間が、顔を上げて心配そうな顔をした。 「ザクォーネ国では、観光は、考えない方がいいかもしれないな」 「分かった。滞在期間も、少なめにしよう。藁と円の日があったら?」 「そこは、休日とは考えない方がいいな。だが、悪い結果になるとも限らない。計画は2種類あるといいと思う」 「そうだな。そのあと、リクト国はゼロから入りたいと思うので、まず首都カッツォルネで滞在、そのあと、チタ国のハボットという街で1泊、リクト国のゼロで1泊。リクト国というのは、全体的に貧しい国なので、観光向けとは言えない」 「そうだな。それに、目立つ行動も避けたい。国王に挨拶するのが(すじ)と思うが、そのために少し遠回りをする程度で、滞在期間は少なめで考えた方がいいだろう」 「うん。帰りは、ザルツベルから、アマルフェティを通って、ネッカ港で船に乗ろうと思う。それだと、アルシュファイド船籍なら、普通でも高速でも、2日間だ。行きは、民間の高速船を雇うが、帰りは、どちらでもいいと思うんだ。それで、ネッカ港からは毎日、朝8時に、アルシュファイド向けの定期便が出ていて、これは大型の普通船なんだ。どうする、そういう、貸切ではない船も、観光とするなら、楽しめると思うが」 「ああ、そういう楽しみか。うむ。しかしお前たち」 「警護の心配なら、しなくていい。借り切りの方がもちろん、俺たちも安心だが、アルシュファイド船籍だから、警備の者もいくらか見回っていて、犯罪を抑止している。それ以外の船員もよく教育されていて、船上の秩序が保たれているそうだ。だから、一般の旅行者も、安い料金設定の部屋を選んでも安心できると、評判がいい」 「ふむ。確かに、そうだな。では、帰りは、その船にしてくれ」 「分かった。ということは、ネッカ港で1泊、翌朝、出港だな」 「ああ。ところで、部屋は同じなんだろうな」 「ミナからの要望で、個室が取れれば1人ずつ、同室の必要があれば、4人で同室とするよう、言われている」 「あ?」 途端にデュッカが不機嫌になったが、ヘルクスは動じない。 「旅行中というのは、やはり、それなりの負担があるからな。1人になれるなら、その方が落ち着くし、ゆっくりできる。同室が必要となるなら、宿の安全性を考えれば、子供とは離れない方が安心だろう。ミナの心身のためだ」 デュッカはヘルクスを、少しの間、じっとりと睨んだが、相手は意に介さず、馬車はアルシュファイドのものを使う、と話を続けている。 「今回は家族旅行だから、イルマは遠慮して、後続の、荷物を多く置ける貨客車(かきゃくしゃ)に乗る。付従者もいるから、乗客は6人のものだ。このため、馬車は2台借りて、同時に馭者を2人雇う。移動時間を短く区切るから、馭者も交替の者は必要ないだろう。彼らは馬車とともに、ザクォーネ国のファランツで待っていてもらう。リンシャ国のハバナ湖では、馬は替えることになるが、車はそのまま船に載せられるから、荷物の入れ替えなどの必要はない」 デュッカは諦めて話の続きを聞くことにした。 「ザクォーネ国内の水上移動では、前回と同じ形の船がいいだろう。人数がいるから、今回も3艘で考えている。あと、何かと手が要りそうなので、ジェンとティルも同行させる」 ジェン・ドナフィアとティル・グローナーは、ラフィたちと同じ彩石判定師付従者(ふじゅうしゃ)警護隊の一員だ。 デュッカは、かなり人数が多いとは思ったが、ラフィとカチェットには、手助けがあった方がいいし、長旅なので、ハイデル騎士団も、何かしら人手が必要となるだろう。 荷持ちはもちろん、その時々で雇うが、やはり信頼できる同行者は、それなりに必要だ。 デュッカが、分かったと答えると、ヘルクスも頷きを返して続けた。 「ザクォーネ国内で水上移動をする小船は、荷物の置き場には、そう困らないと思うが、そこまでに買っている土産が多ければ、それはファランツの貨客車に置いていく」 「ああ」 「車は、セムズ港からネッカ港までずっと同じだから、旅の間に馴染めるだろう。今回、移動時間を短く区切るから、寝台付きではなく6人乗りの普通客車としようか?」 「そうだな。そうだ、客車のなかには、食事をするための台を出し入れできるものがあるはずだが」 「ああ、それがいいのか?」 「台の強度にもよるが、文字を書けなくても、学習用の書物を置くなど、何かと役に立ちそうだ」 「分かった。まあ、長距離用の客車には、ほとんどその台があるようではあるがな、気に留めておこう」 「頼む」 「うん。さて、あとは…、と。ああ、そうだ。今回、ザクォーネ国内の宿泊は、宿を頼むことになっている。前回は領主の城だったが」 「構わん。何か問題でも?」 「まだ確かめていないんだが、城と違って、専用の船着き場がないだろうと思うんだ」 「ああ。いや、上等な宿なら、大抵、近くの水路から直接、宿に入ることができる。ただ、船を係留する場所は、遠くなったりするだろう。あと、宿は上等でも、水路が少なめの街なら、まあ、確かに、船着き場から遠い場合がある」 「そうか、情報助かる。確認が必要だな。あちらとの伝達は、今のところ問題ないが、何かあれば頼ってもいいだろうか?」 「もちろんだ。指定内容を付けてこちらに飛ばすか、用があれば来い。今はそんなところか」 「ああ、そう思うな。ムト、何かあるか」 「いや、大丈夫だと思う。お前たちは?」 近くの机の者たちが顔を上げて、ファル…ラフィの兄でハイデル騎士団のファロウル・シア・スーン、通称ファルが、答えた。 「いや、俺たちは、今は休憩場所とか食堂とか宿を調べているところなんだ。また、形ができてきたら、調整がある」 「そうか。では、頼む。お前たちも、頼む」 デュッカは、振り返って、残りの騎士団員たちを見た。 そちらの者たちも、なんのことか察して、返答を示す。 「ところで、あいつらは何をしているんだ」 ムトに聞くと、軽く頷いて答える。 「ん?ああ、ミナの指示でな、俺たちがこれまでやってきた、ほかの国の兵士たちとの連携の取り方や、異能の使い方、使っている術、警護隊への指示とかから、これから立ち上げる機関に必要な護衛たちの配置、個々の動き方、指示の仕方など、役立てられるよう、文書に整えている。そういう形で、俺たちの働きを、遺せとさ」 ムトが、微笑む。 デュッカは、ミナの配慮を知り、こんな表情を他者にさせていることに、嫉妬した。 俺の妻はどれだけの者に影響を与えれば気が済むのだ、と。 それだけ、自分のことを考えている時間は減っているし、ミナを見る者が増えるのだ。 どちらも、すごく、ものすごく、面白くない。 しかしミナの思いは、満たされる、あるいは、果たされるべきだとも、思う。 「では、努めろ。風の宮に戻る」 そう言って、部屋を出た。 いくつか、思いがけない事情など知り、無視できない不満を抱えたが、ひとまず、旅の段取りは支障なく整えられそうだ。 ミナを楽しませる旅となるだろうことを、デュッカは確信し、それから。 自分の不満を、ミナに慰めさせる効果的な手法を、考え始めた。 気を抜くと、妻の羞恥に喘ぐ姿態を思い出してしまうが、大事に胸の奥にしまいこんで、今夜はもちろん、旅の間、制限されてしまった彼女との触れ合いに、最大限の満足を求めるのだ。 不満や不足に感じることは、まあ、面白くはないけれど。 そういう思いを抱えることも、ミナがいるからこそ、得られるのだということが、また、彼女へのいとしさを深める。 それに、それらを解消、回避、あるいは慰めるために、あれこれ考えることは、思いの(ほか)、楽しい。 ミナのことに、それだけ、心を傾けていられるし、別の思考を、様々に与えられて、心弾む。 旅など、1人で行けば、あっという間のことだけれど、ミナを得たことで、大事にしたい行程と、時間に変わった。 きっと、始まれば、多くの楽しみが、待っている。 いいや、もう、楽しみは、ここから。 始まっている。
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