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―風に鳴く―
ゼパ造船所で使われる土の術を確認して回ったミナは、レグノリア中心部に戻って、土の宮に入った。
管理責任者である土の宮公ロアに挨拶したかったが、留守にしているとのことだった。
「創建局で会議があって。本来なら、私も行くんですけど、身重と判ったので、今、別の者に仕事を引き継ぎしているんです」
この土の宮の一切を取り仕切るエリカ・アッカード・ザインは、そう言って、ミナの求めに応じて、書庫に案内してくれた。
彼女は、黒檀騎士レイの連れ合いだ。
ミナは、頷いて、歩き出しながら、楽しみですねと言った。
「予定では、何月頃ですか?」
「8月だそうです。その…、ちょっと、怖い気もして」
ミナは、立ち止まって、合わせて立ち止まったエリカを、両腕で柔らかく包み込んで、少し力を込め、抱きしめた。
「だいじょうぶ」
何かもっと、気の利いた言葉があったかもしれなかったが、エリカには、充分、伝わったようだった。
少し、震える息が聞こえて、しばらくそうしていると、ありがとう、と小さく呟いた。
身を起こして、エリカは、ちょっと目尻を払うと、にっこり笑った。
「こちらです」
再び歩き出し、案内された書庫で、ミナはエリカの説明を受けて、過去に土の宮公が、または、土の宮で扱った、公に与える形で、現在までに利用されたことのある術を確認させてもらった。
もちろん、そのすべてを確認することはできないので、少し内容を見ると、エリカにいくつか質問し、変更してもらいたい形など話し合って、テナに記録をさせた。
「土の宮で行ったこととして、ここにあることはいいんですが、やはり分類の仕方など、図書師の力を借りた方がいいと思います。これらすべて、製本していないところを見ると、ただの手記として扱われているのでは」
図書師と言うのは、アルシュファイド王国では、図書を扱う者に与えられる資格だ。
印刷物などを綴じて表紙を付け、形を整えるなどの製本師や、図書室や図書館で図書の保管や案内、貸出などを行う司書師、複写を行う複写師、図書や図書にする内容を収集する収集師など、専門によって分かれている。
テナは現在、収集官として働いているが、収集師は、収集官として王城、または収集師見習いとして民間で、一定期間勤めた後、試験に合格すると与えられる資格だ。
王城の収集官でも、資格を持っていない者はいるし、王城の収集官でなくとも、資格を持って、働く収集師はいる。
エリカは、王城書庫の者ではなく、資格を持つ者がよいのだろうかと考えながら、答えた。
「ええ、まあ、代々の土の宮公ですとか、現在も使われている術の関連書物は、使っているようですけれど、それ以外は、放置と言っていいでしょうね…」
「改築を…建て直し?とにかく、それを機会として、こちらも改めた方がいいと思うので、ロアが戻ったら、そのように伝えてください。祭王陛下には、私の方から進言しますから、妥当と思ってもらえれば、改めてお言葉があるでしょう。取り敢えず、考えてみてほしいです」
「ええ、そのように」
「それはそれとして、彩石判定師として依頼したいのは、現在も作動している術のために、どこにどのような彩石が設置されているのかという情報のまとめです。なかには、発動が古すぎて、忘れられているものも、あるかもしれないので、一度、すべてを書き出して、現状を確認して、そこまで、報告してもらいたいんです。土の宮だけでできなければ、環境省、またはその地区の騎士などに確認してもらってください」
「え、ええ…、あ、テナさん、ちょっと、書くものを…」
エリカは、慌てて言われたことを書き留めて、必要な事項の詳細を確認した。
「それじゃ、私、これから環境省に行って、頼みたいことができたので、これで。あ、今の依頼は、私以降は、城駐彩石選別師に引き継ぎますから、そのつもりで」
「はっ、はい!」
「では、失礼します。あの、エリカさんは、無理なことしなくていいですからね?」
「あ、ええ。ええ、ありがとうございます」
エリカは、そう言って、ふふふと笑った。
書庫を出たミナは、急いで王城に戻って、環境省長官スメルス・ベスツに対面した。
「突然すみません。でも、早い方がいいと思って。早速ですけど、今、土の宮に行って、彩石の使用状況の確認を頼んできたんですけど、現場は環境省の管轄が多くなってくるのかなって思うので、ちょっとその辺りを確認してもらえますか。あと、現場の確認に割く人手が、土の宮にはないと思うので、地区担当の騎士でもいいかもしれませんけど、環境省が把握してた方がいいかもしれないので、その辺り、確認して、配慮していただけると助かるんですけど、できますか?」
スメルスは、いきなりの彩石判定師の来訪に驚いていたが、話を聞いている間に、自分を立て直した。
「ええと、それは…、彩石判定師としてのご依頼かな?」
「いえ、これは依頼ではなく、土の宮側と、話し合う必要があるだろうと思うことです。必要がないと思うなら、あなたの判断を信じます。それで、こちらは彩石判定師としての依頼ですが、彩石の使用によって、どのような環境が、どのように変わったか、または変化を抑えられたかを知りたいと思います。この仕事は、私以降は、城駐彩石選別師に引き継ぐので、そのように」
「え、ええと…、それは、宰相はご承知なのか…」
「いえ、先ほど思い付いたので。でも、これは環境省がすでに把握しているものと思っているのですが。その情報をいただくのに、何か、手続きなど必要でしょうか」
スメルスは、そう聞き返されて、自分がとんでもない発言をしていることに気付いた。
彩石判定師は、宰相の上位者である四の宮公の、上位者なのだ。
宰相に、何かをする許可など、求める必要はないし、そうである以上、自分がこのように疑問を差し挟む余地はないし、環境省の持つ情報であれば、彼女に対して、開示する義務がある。
慌てて、言った。
「い、いや、もちろん、ええと、しかし、その、我々は、環境の変化を彩石の使用結果とは照らし合わせていません、術の使用結果を確認しているので…」
「では、調べてください。これは必要なことなので。彩石を使った結果と、彩石を使うことによって環境に影響を与えるかどうかは、全く別のことです。例えば、黒土石を使用して、地面を隆起させることで、そこに影ができる、地に落ちた雨の流れが変わるなど、環境は変わりますね?ですがそれと同時に、黒土石は土の力を発しています。この力が、術語や、石の使用者の意図に従う際に、ただ、発生する、ということによって、周囲の植物の活動を、一時的に活性化させるなどの現象があれば、それにより、環境は、たとえわずかだろうと、変わっているのです」
「そ、それは…、しかし、そんなこと、今まで…」
「ええ、まず、そのような影響は、ないのかもしれません。ですが、そうなのですか?」
聞かれて、スメルスは、そうとは言い切れないことに気付いた。
「し、調べます…」
「お願いします。使用した術によって、結果が変わってくるのかどうかも知りたいです。まずはそれだけ、報告してください。何か、不明な点などあるでしょうか?」
「い、いや、ありません…」
ミナは、にっこり笑った。
「よかった。では、お願いしますね。失礼します」
そう言って、部屋を出たミナは、時計を確認してユクトとテナを見た。
「聞いた通り。今のことに関して、ユクト、対処の準備をするようにマニエリに伝えて。テナ、土の宮と環境省に、王城書庫として手助けが必要かどうか、確認するようにテオに伝わるよう、上司に報告を。今日はここまで」
「はい」
ユクトとテナは声を揃えて返事し、今日のまとめを行うために、ハイデル騎士団居室に向かった。
2人にはまだ、決まった作業場がないのだ。
「あ、うっかり。セラム、ちょっと行って、ユラ-カグナに、あ、いや、城内庁長官に、ユクトとテナの机をハイデル騎士団居室内に設けてくれるよう言ってくれる?そのあと、ユラ-カグナの所に行って、ユクトとテナの机だけでも、彩石判定師室に入れられるよう、調整に組み込んで欲しいと言ってもらえる?」
「ああ、分かった」
「お願い。じゃ、私は思い付きをちゃんとまとめてユラ-カグナに持っていくね。あとで行くって言っておいて」
「分かった」
「うん」
そうして別れ、ミナは彩石判定師室に戻った。
テオやマニエリが忙しく歩き回るなか、彩石に声を込めると、イルマに、黒檀騎士レイに向けて、届けてくれるよう頼んだ。
今日は、早くエリカの許に帰って欲しい、と。
詳しい説明はしなかった。
ただ、余計な世話と思うと言い添え、そうしてほしいと強い願いを込めた。
そのあと、書くものを取り出し、今日の思い付きを紙面に書き起こして、頷く。
確認が必要だが、彩石の、その使用の結果を把握しておく部署が必要だと、考えたのだ。
今日のところは、土の宮と環境省に個別に依頼したが、自分の代でその部署の仕組みを作れなければ、城駐彩石選別師に引き継ぐ。
ミナがしなければならないと思っているのは、情報の管理だ。
現在の土の宮と環境省で別々に情報を持っているのでは、それらの結果に対して、迅速で適切で確実な対処ができないと思うのだ。
それに、ミナが注目しているのは、彩石そのものが与える影響であって、彩石で行われる術ではない。
従って、土の宮や環境省ではなく、彩石判定師、不在であれば、城駐彩石選別師が、把握していなければならないのだ。
火壊石の使用結果から、彩石を使う、という行為により、それを使用する者の意図しない働きが起こるのだということが、判っていると言える。
火壊石の場合は、使用者本人に影響が出ているが、そのほかの彩石は判らない。
だが、長期間彩石を設置する場所が複数存在するのだから、影響が表れるのは、まず、その周辺の環境だと思うのだ。
それに、思い返せば、長期に彩石が置かれていた地面は、彩石がなくなったあとも、草も生えない裸地だった。
深刻な、あるいは目に見える影響が、現在ないのなら、それはそれで構わない。
だが、監視者は、いなければならないのだ。
なぜなら、その影響は、人に、現れていて、気付いていないのかもしれないし、周辺の彩石の出現結果として、表れていることも考えられる。
そのようなことも書き添えて、まずは調査、その後は監視を中心に据えて対処ができる部署が必要だと記した。
それが終わると、終業少し前。
ミナは、ハイデル騎士団居室で、宰相執務室に寄ったあと、そのまま帰ると言って、挨拶を交わした。
「イルマ、悪いけど、デュッカにそう伝えてくれる?あ、その前に、ラフィ、今日はこれから、時間あるかな」
「あ、はい。一緒に行っていいですか」
「うん、もちろん。イルマ、ユクトはどうか、聞いてもらえる?」
「はい」
「パリス…」
「大丈夫だ」
「ありがと!それじゃ、行こうか。じゃあ、また、明日」
そうして、部屋を出ると、再び宰相執務室に向かって、用事を済ませた。
終業時間を過ぎて、イルマと別れ、待ち合わせをした玄関広間に下りて待っていると、ユクトは間もなく現れた。
「3人とも、ありがとう。じゃ、行こうか」
デュッカは、途中で合流すると返事が来たので、そのまま王城を出る。
歩きながら、3人を食事に誘い、途中でデュッカと合流した。
「デュッカ。帰って大丈夫でしたか」
「問題ない。行くぞ」
「はい」
変わらない表情ながら、少し、不機嫌なのかな、とミナは感じた。
だが、とにかく、急いでイエヤ邸に戻ると、今日はデュッカの両親、オズネル・イエヤとマトレイ・イエヤが遊びに来ていた。
「いらっしゃい。いつからこちらに?」
「ついさっきだ。急に会いたくなってな。後ろは…護衛?」
「いえ、パリスはいつもはそうですけど、今日は別の用事で。見ますか?」
「ん?何か珍しいことか?」
「ちょっと、最近作った術を見てみてください。改善できるところがあれば、意見が欲しいです」
「うむ、よしきた」
「マトレイもいらっしゃいませんか」
そう言いながら、ミナはマトレイの抱くレジーネの頬をつついた。
「いいえ、私はそれほど術のことを知りませんし、レジーネといたいわ」
「はい。それじゃ、オズネル、2階に」
この邸の改築を頼みたい大工師に、18時に来てもらうことになっているので、少し気が急く。
2階の、小箱の保管部屋に入ると、ブドーとジェッツィと、リィナとサシャスティが作業中だった。
4人と挨拶して、ユクトたちを振り返る。
「それじゃ、始めようか。ラフィ、録音の準備をお願い。今日は思い切って、複数入ってる彩石を2個にするね。ブドー、ジェッツィ、特に聞いてみたい曲がある?」
「選んでいいの!」
「うん、何曲か入ってる彩石がいいな。1人ひとつずつ選んでいて」
「うん!」
2人が声を合わせて返事するのを聞いて、ミナは頷き、
ユクトとパリスに準備を頼む。
まずはブドーの選んできた彩石に力を戻し、曲を流して透虹石に録音し、問題がないか確認する。
それから、ジェッツィの選んだものも同じようにして、オズネルに意見を聞き、それを書き出していると、大工師が到着した。
「それじゃ、ジェッツィ、おいで」
あとをリィナたちに頼み、ミナたちは大工師と話をして、部屋を見てもらい、4部屋の壁を取り払って繋げ、舞台を作ってもらうことになった。
「横長の舞台となると、観客が見難いから、奥行きのある舞台にしよう。舞台というのは、アルシュファイドでは、決まった形はないんだ。円形の舞台で、前後左右に観客がいる舞台だってある。だが取り敢えず君は、すごく広い空間で舞いたいと考えているようだから、その考えと、観客の見やすさを考慮するなら、この場所ではこうなる」
「うーん…、どうかな…」
大工師の言葉に、悩むジェッツィに、彼は言葉を続けた。
「奥行きがあれば、舞えるだけの空間は作れる。練習をするなら、それで事足りるし、舞台を変形できるようにすれば、横に長く舞うところを見てもらうこともできるだろう。今は、まだ君は成長途中だから、大掛かりな舞台小屋を建てるよりも、ここにある空間を活かして、ここで練習できる舞を舞ったらどうだろうか。どうしてもそれでは満足しなければ、満足できる舞台を借りて舞ってみてから、改めて、舞台小屋を建てるかどうか、考えるといい」
ジェッツィは、どうすればいいか判らず、ミナとデュッカを見た。
ミナは言った。
「私は、それがいいと思うな。今のあなたにとって一番大事なのは、舞台と言える広さで、舞うことだと思うんだ。披露するときだけ、別の舞台を借りるなら、観客席はなくていい。ただ、奥行きのある舞台と、それを観る観客席があれば、充分な広さで練習ができるし、奥行きのある舞台に合わせて構成した舞を観てもらうことはできる」
息を継ぎ、ミナは聞いた。
「どう?あなたはここで、何がしたい?」
ジェッツィは考えてみた。
「うん、と。からだいっぱい、踊りたい。それには、大きさは、充分だと思う。どっちを向いて、その踊りを見せるかってこと?」
「そう。来て。こっちを正面にして、ずーっと奥まで舞台があるの。奥の方は観えにくいから、細かな指の動きなんかを見てもらいたいなら、手前に出て来るしかない。まあ、遠くても判ることはあるかもしれないけど、とにかく、そうすると、横に移動できる広さが、このくらいになる」
それは、けして狭くはない空間だ。
ただジェッツィは、リィナの立った、自分も立たせてもらった舞台を知っているので、すごく狭く感じる。
でも、確かに、奥の方に広ければ、壁を観客席として、そちら向けの踊りを作って、見せられなくても、練習はできるのだ。
「見せたいときは、舞台を借りるの?」
「うん」
ジェッツィは、また考えてみた。
ここで、踊れる。
毎日。
それが、いちばん、大事じゃないだろうか。
「私…毎日踊りたい。見せるんじゃなくて」
「じゃ、練習用として、広い床を作ってもらう?」
「そしたら、ここでは、見てもらえないってこと」
「うーん、まあ…、まあ、立って観ることはできるよね。特に座る席を作らなくても」
「座る席」
「うん」
どうだろう。
立って見てもらう。
座って見てもらう。
母は、立って動いて、色々教えくれたけれど、見るときは、ちょっと高いところに腰掛けて、じっと、顔を動かして、見ていた。
リィナの舞台を見たとき、ジェッツィも、少し低いけれど、舞台全体が見られるところで、座って見ていた。
「見るときは、座って、落ち着きたいね」
ジェッツィが言うと、そうだね、と大工師が答えた。
「なかには、動く観客席もあるんだよ。それもそのための演出があるから、悪くはないんだけどね。でも、同じ場所から、舞台全体を感じる方が、落ち着けるし、観るということに、意識を傾けられる」
ジェッツィは、大きく頷いた。
「私、ここでは、練習がしたいよ。でも、ちょっとだけ、たまに、みんなに見てほしいな。壁に沿って、椅子を置くんじゃ、だめ?」
「いや、まあ、舞台全体を見るには、ある程度の距離が必要なんだ。しかし、少し高くから見下ろすようにすれば、それは多少、改善されるね。横並びの席になるけど、そういうものを壁際に作ってみようか。ちょっと待って」
大工師は、廊下側の壁を確かめ、それから、ふと、振り向いて、外に面した窓側を見て、そちらに寄った。
そうして、かなり長いこと、壁や柱の様子を見てから、1階に下りると断って部屋を出ると、しばらくして戻ってきた。
「どうでしょうね。横に長い観客席となりますが、外に突き出すように、露台の観客席、まあ、屋根作ってもいいですがとにかく、舞台にするときだけ、壁を取り払って、外からなかを見る形で、舞台を作っては」
「ああ、それ、面白い!」
ミナが目を輝かせ、ジェッツィが首を傾げた。
「どういうこと?」
「つまり、この部屋の中、全部を舞台にして、観客席は、外に、あっち側に、今、露台があるけど、あんな風に突き出して、置くの」
ミナが言い、大工師が付け加えた。
「見やすいように、今ある露台よりかなり高くしますけどね。アルシュファイドはあまり、雨降らないし、虫避けをしたり、空気を操作したりして、夜でも、壁を取り払うことで生じる不都合にも、対策すればいい。そういう仕掛けを作っておいて、普段はその形で披露するために練習するんです。一応、奥行きのある方向で、壁を取り払わなくていい舞台にもできるように作ってみましょう」
「助かります!ジェッツィ、どうかな。なんとなくわかる?」
「ええっと…外から見られるってこと…」
「そう!」
ジェッツィは、想像してみて、それなら、外の空気を感じながら、踊れるんだと思った。
それが、いい。
「うん!私、それがいいと思う!」
大工師はにっこり笑って、じゃあ、それで設計しましょう、と言った。
「明日、一日ください。もう少し邸の造りを確かめて、設計して、その図面を明後日、お見せします。それで良ければ、調整して、改築に取り掛かりますよ」
「お願いします!あ、デュッカ、いいでしょうか」
「ああ、むろんだ。俺たちは、来週からひと月ほど、旅に出る。その間に、作業してもらえるか」
「分かりました。では、今日のところは、これで。あちこちと連絡取って、仕事が始められるようにしますから、失礼します」
「ああ、頼む」
「よろしくお願いします!」
「はい、お任せを。では、ごめんください」
大工師は、そう言って帰っていった。
ミナは、思いの外、よい形に仕上がりそうなので、気分が踊った。
ジェッツィも、期待するように、柔らかな頬を赤く染める。
小箱の保管部屋に戻ると、ユクトたちも手伝って、小箱を置き終えたということだった。
「あとは、置き場の表示をして、複製の方も表示をして、できるなら、その複製も、適当に内容を書いた箱に入れるといいですね」
サシャスティの言葉に、デュッカが頷いて、箱を注文しよう、と言った。
それから、話していると、夕食の時間になったので、一同は食事を摂り、藁の日の打ち合わせなどしてから、オズネルたち訪問者は帰っていった。
「ミナ、デュッカ。一緒に、聞いて」
ジェッツィがねだり、4人で2階に上がると、昨日、今日と複製した彩石から、イライアの歌を聞いた。
少し、余韻に浸ってから、今日は寝ることにして、就寝の挨拶をして部屋に戻る。
レジーネは、デュッカが連れて来ると言い、ミナは先に自室に入って、湯にゆったりと浸かった。
すっかりいい気分になって、ふたりの寝室に入ると、レジーネは、うつらうつらしているようだった。
抱き上げて、その重みと温もりに憩ってから、そっと寝台に戻す。
遅れて部屋に入ったデュッカが、こちらの声がレジーネに聞こえないようにしたので、今日、エリカに会ったことを話した。
「ちょっと、余計なこと、しちゃいましたけど。気を悪くしないでくれると、いいな…」
「そんなことを思うわけがないだろう。それより、来い」
少し乱暴に寝台の上に引き上げられて、なんだろうとデュッカの顔を見ると、やや不機嫌に見える。
「あ、と。何か、…しました、か…」
「何かしたか?もう、ひとつひとつ思い出すのも腹立たしい」
「あっ、えっ、と…」
何か、かなり怒らせたらしい。
心当たりはないのだが、なんだか、こわい。
デュッカは、腕組みをして、ミナの裸の足先から、夜の衣が覆う体の線を眺め回し、その顔の輪郭から唇、鼻筋、目へと視線を上げると、しばらくその顔を眺めて、ふと、時計を見た。
「明日は会議だったか…」
一人言で、答えを求めていないようだし、何か、声を上げると危険な気がしたので、ミナは息を詰めてデュッカの次の行動を注視していた。
逃げた方がいいような気が、ものすごくしてきた。
「あっ、あの私、自分の部屋で寝ようかな…」
ここは、ふたりの寝室で、隣の自室には、1人用の寝台がある。
まあ、1人用と言っても、さすがのイエヤ家で、広く立派なものが用意されている。
「なんだと?」
デュッカが目を細める。
「えっ。えっ、あの、えっと、その、あ、あの、その、つ、疲れてまして…」
「もう一度言ってみろ」
なんでそんな要求するんだろう、と思いながら、言う。
「あの、今夜は、私、1人で寝ますね…」
デュッカは、拒まれることに、容易に手に入らないもどかしさと、それによって、軽い興奮を覚える。
嫌がったり、抵抗したり、する姿はさぞ扇情的だろうと、期待する気持ちが、心を騒がせるのだ。
「それもいいな。お前の寝乱れた様を眺めながら体に手を這わせるのも、かなりそそられる」
ミナは、ぎょっとして、身を引く。
そこは、遠慮してくれる、領域だと、思っていた。
そのための、個人の部屋だ。
「え…?あの、しませんよね…?」
「どうかな。いや、それは、かなり、したい」
ミナは目を大きくしてから、ちらりと視線を走らせると、寝台の端との距離を目で計った。
これは、逃げられる距離だろうか。
「あ、あの、デュッカ。何か、ありましたか…」
ミナはなんとか、デュッカの意識を自分から遠ざけようと試みた。
「何か?第一に、お前は、俺の手の届くところにいてくれない」
それは、仕方のないことだ。
自分のことから離れないなと、ミナはほかの話題を探す。
その間に、デュッカが、視線を落として、ミナの、上から下まで、区切りなく繋がっている夜の衣の、下衣部分の裾に手を伸ばし、口元に運んだ。
幸い、ある程度は横に広がるので、少し足の肌が現れた程度だが、ミナはむず痒い心地がして、服を膝のところで押さえた。
「あ、あの」
「それなのに、ほかの者に気を使うわ」
じろりと、目を上げて、デュッカはミナを見る。
「仕事を増やすわ。隠し事をするわ」
ミナは、なんとなく、悪いことをしている気になった。
いや、実際、悪いことを、しているのだろう。
独断で、人の気持ちを顧みていない自覚はあった。
目を逸らして、恐る恐る口を開く。
「ご、ごめんなさい…」
「ふん…。それだけでは、足りないな」
視線を落として、露わになっている足の肌を舐めるように見回し、息を吐く。
指を這わせるか、舌を這わせるか。
とても悩ましい問題だ。
「それで、落ち着けないから、旅の間は1人がいいと?」
びょくりと、ミナは肩を揺らす。
後ろめたかったことのひとつだ。
「あ、あの…」
困ったように眉根を寄せる。
ああ、かわいらしい、と思いながら、デュッカは貪り始めようとする気持ちを、ぐっと堪えた。
まだだ。
まだ、味わい足りない。
「ご、ごめんなさい…。その、宿とかの部屋は普通より、狭いし、その、そんななかで、いつもより、近いと、緊張するし、そ、その、い、いつもより、求めてしまいそうで。その。それにあの」
こ、声が気になるし…。
囁くように呟かれ、もう、堪え切れん、とばかりに、デュッカはミナに襲いかかった。
その白い喉に食らいついて、震える息を聞くと、唇から奥へと侵入する。
しばらく貪ったあと、深い息を吐いて、その瞳を覗き込む。
「同じ部屋にしたいと言え」
ミナは弱く首を横に振った。
「だめ。そんな、身近で、してること、突き付けたくない」
それからまた、しばらく、抑えられない情欲のままにミナを求めてから、デュッカは身を起こした。
「まず、暁の日は、円形水路公園から戻ったら、俺の相手をしろ」
「あ…」
「レジーネの相手は、禁止だ」
「………」
ミナは、なんと言ったものか判らず、デュッカを見つめた。
考えが読めないので、デュッカはほんの少し、不安を持つ。
「失望したか。俺に」
聞くと、上体を起こして、そっとデュッカの頬に手を添えた。
「いいえ。デュッカはデュッカで、レジーネはレジーネだもの。私、今は贅沢に、どちらも求めてしまうけど、欲しいのは、あなたの方」
驚いて、目を見開き、少しの間震えた息を、深い安堵とともに吐き出し、自分の頬に当てるミナの手を包み込んだ。
「次第に、双子たちのことも、存在が大きくなっていくのだと思う。でも、きっと、私は、あなただけが欲しいの」
もう片方の手を差し出してきたので、デュッカは指を絡めた。
「きて。あなたが、欲しい」
その、ひとことで、支配された。
いやらしい行為に耽溺しようとした企みが、吹っ飛び。
ただ、ミナの求めに、応じるしかない、隷従こそが、今のデュッカの、至上の行為となった。
その肌に与え、また、与えられる感触と強い刺激が。
夜の闇に編み込まれる奏で声が。
デュッカには、なににも換え難い、恩賞。
大切な、たからもの。
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