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―異国の地Ⅱ―
翌朝、いつものように食事を済ませ、身支度を済ませたウラルは、玄関広間で、それぞれに支度を済ませたコーダとニトに合流する。
今日は、その広間に、2人の見掛けぬ女がいて、先に来ていたコーダとニトに話し掛けていた。
近付くと、女の1人が、ウラルに気付いて、あなたがウラル?と聞いてきた。
「はい、そうです」
「私は、エリカ。エリカ・アッカード・ザインと言うの。こちらは、ミスエルよ。ミスエル」
「ああ、はい!よろしくね、私、ミスエル。ミスエル・カミナ・レント」
差し出された手を握り、握手を交わすと、じゃあ、行こうか!とミスエルが言った。
「コーダを送ってから、イエヤ邸に行こうね」
ミスエルが言うと、コーダは顎を上げて主張した。
「おれ、学習場、1人で行ける」
「そうだろうけど、送らせて」
そう言って、エリカは有無を言わせず、にっこり笑った。
コーダは、なんとなく、逆らえないものを感じたらしく、おとなしく従うようだった。
保護施設の者に見送られて、5人で何気ないお喋りをしながら歩く。
それによれば、エリカとミスエルは既婚者ということだった。
「学習場が終わる頃、連絡が付くようにするわ。それじゃあね、コーダ」
エリカの言葉に、コーダが頷く。
「うん」
学習場の前で手を振って別れ、4人で北へと向かう。
店や、公共施設が多い街を抜けると、閑静な住宅街に入った。
エリカが、服の隠しから石を取り出すと、案内鳥、発動、イエヤ邸まで、と呟いた。
石は、彩石だったらしく、小さな鳥に姿を変えて、ウラルたちの前を飛んだ。
「あ、知ってるんじゃなかったんですね」
ミスエルに言われて、エリカは微笑んだ。
「ああ、以前に、行ったことはあったのだけれど、まあ、忘れていると困るから、用心のためにね」
「なるほど。まあ、こんな様子じゃ、迷いそう」
この辺りは、建物が見当たらず、ただ、柵が違うだけで、目的地まで、目印はなさそうだった。
「そうね。あ、案外近かったわ。あちらのようね」
彩石鳥のあとを追って、門をくぐり、馬車も通ることのできる道を進んで、大きな邸の玄関に到着した。
すると、計ったように玄関扉が開いて、年齢のよく分からない男が、ようこそいらっしゃいました、と言った。
「どうぞ、お入りください」
いつの間にか、彩石鳥は消えていて、一行は邸に入った。
案内された部屋に入ると、いらっしゃい、と女の声がした。
部屋の奥には、幼児用の柵が立ててあって、その手前に、一組の男女がいた。
近付くと、女の方が進み出て、ウラルの前に来ると、私、ミナって言うの、と名乗った。
「ミナ・イエヤ・ハイデル。こちらは連れ合いの、デュッセネ・イエヤ。デュッカって言うの。よろしくね」
手を差し出してきたので、握手する。
「藁の日に手伝ってくれるんだってね。助かるよ、ありがとう」
「いえ…」
デュッカが、よろしくなと言った。
聞き覚えのある声だ。
「エリカさん、ようこそ。体調は?」
「大丈夫、適度な運動が必要ですから。すぐ、お出掛けですか?」
「うん、そうなんです。邸は適当に使ってください。出掛けるときは、グィネスたちが対応してくれます」
「分かりました。ニト、この子は、レジーネよ」
ニトは、あまり話さない。
表情もあまり変わらないのだが、今は、自分よりも小さな存在に、興味を持った様子だ。
ミナは、その様子を眺めて、やさしく笑った。
「ふふ。仲良くなれるかな?ミスエル、久し振り。今日は休みなんだって?」
「ええ、そうです。暇なとこ、ちょうどよかった」
「そっか。来週…」
「はい、ええ。楽しんできてください」
そう言われて、ミナは、ちょっと困ったように笑った。
そのとき、玄関でウラルたちを迎えた男が、部屋の扉を開けて言った。
「ミナ様、イルマ様方がいらっしゃいました」
「あ、はい。それじゃ、行ってきます」
「ええ、行ってらっしゃい」
「お気を付けて」
言葉を交わして、ミナとデュッカが出ていき、ウラルたちは、しばらく、レジーネと一緒に柵の内側に入れた、ニトの様子を、観察してみた。
レジーネは、最初は、周りにある玩具をニトに与えていたが、そのうち、ニトを叩いたり、引っ張ったりし始めた。
ニトは、それに対して、なに?とか、いたいよ、とか、滅多に聞かなかった声を発した。
次第に、周りに散らばった玩具を集めて遊び始め、床に転がってごろごろしたり、互いを追い掛け回すなど、2人遊びに夢中になるようだった。
「よかった。仲良くなれたみたい」
エリカが言うと、ウラルが、溜め息を吐いて、呟いた。
「ニトが、喋ってる…」
エリカが振り向いて、聞いた。
「いつもはこうじゃないの?」
「はい。ほとんど、されるがままで、学習場にも近い年の子はいるんですけど、馴染んでなくて」
「一対一だからかもしれないわ。学習場は、同じ場所にいる子が、多いのじゃない?」
「あ、ええ。そのなかで、いつも、ぽつんとしてるんです」
「一対一だと、反応を求められるから、自然と返すのよ。大勢のなかにいると、相手は、反応がなければ、ほかに行ってしまうから」
「ああ、そうかもしれませんね…」
そのとき、何がおかしかったのか、ニトが、笑い声を立てた。
「だめー!レジーネ、こっち!あはは!だめー!」
ニトが玩具を持って、どうもレジーネに、いじわるをしているようだ。
レジーネは、ニトが笑うからか、こちらも呼応して笑う。
幼児の声が活発になり、次第に大きくなっていく。
「元気な声が聞けて良かった。レジーネ様はあまり声を上げられないので、少し心配してしまいました」
いつの間にか、すぐ後ろにいた、最初にウラルたちを迎え入れた男が言った。
「そうなの。もしかして、あなたがグィネス?」
「申し訳ありません、名乗り遅れました。当邸の家令をさせていただいております、グィネス・テトラと申します」
「よろしく、グィネス。私はエリカです。土の宮の者で、黒檀騎士を夫としています」
「あ、私はミスエル。夫はハイデル騎士団なの」
「よろしくお願いいたします。レイ様にも、シェイディク様にも、主がお世話になっております」
「とんでもない!あなたは、シェイドって呼ばないのね」
ミスエルの連れ合いのシェイディク・カミナ・レントは、仲間たちからシェイドと呼ばれているのだ。
「は、直接には、お会いしたことがありませんので」
「ああ、そうなんだ」
「はい。お嬢様の、お名前を聞いても、よろしいでしょうか?」
ウラルは、グィネスが手を差し出したので、自分のことと察し、名乗った。
「あっ、ウラルです。ウラル・ギリィ」
「ウラル様。よろしくお願いいたします。グィネスです」
「あ、はい」
「ニト様でしたか。そちらのお子様は、私どもでお預かりしますので、安心してお出掛けください」
「ありがとう。じゃあ、店が開く頃に、出ようかしら。それとも、もう出ようかしら?ああ、いえ。少し、地図など見て、どこに行くかを決めましょうか。グィネス、レグノリアの地図がない?」
エリカに応えて、グィネスは部屋の壁際にある書棚を示した。
「そちらの書棚にございます。お子様方は、小間使いが見ますので、どうぞ、お座りください。お飲み物などお持ちしましょうか」
「あ、そうね。お茶でいいかしら…」
エリカが、少し悩むように言った。
医師から、豆茶(まめちゃ)と葉茶は、摂りすぎないように気を付けた方がいい、と注意されているのだ。
特に豆茶に多い成分のひとつが、母の腹の内で育まれている状態では、処理されずに、小さな体内に蓄積するのだそうだ。
1日に1杯ぐらいでは問題にならないが、同様の成分が含まれる食品もあるため、1杯の摂取量が、やや多めの豆茶と葉茶は、飲まないか、薄めた方がいいだろうと言われたのだ。
「当邸には、様々な茶を置いております。例えば、穀茶などはいかがでしょう?雑穀茶もございますから、それならば、極端な成分摂取にはなりません」
雑穀茶と言うのは、穀物を色々混ぜて、成分を抽出するものなので、1種類の穀茶より、成分が多種類になり、また、1種の分量が少なくなるので、仮に、妊娠中に好ましくない成分があったとしても、影響は少ないか、現れないと考えられた。
「ああ、そうね!ありがたいわ!では、その、雑穀茶をお願い」
「かしこまりました。ミスエル様はいかがなさいますか」
「えっと…、お茶って何か、悪い?んですか?」
「ああ、まあ、それほど深刻なものではないの。ただ、どんなものも、摂り過ぎは禁物でしょう?お茶は特に、成分が濃かったりするから、用心するに越したことはないの」
「そうなんですか…」
「ミスエルは、そういうことを意識しているなら、妊娠する前だとしても、気を付けてみたらいいのじゃないかしら」
「わっ、私は、その…」
真っ赤になるミスエルがかわいらしくて、エリカは笑ってしまう。
「ふふ。何にする?」
「あ、ええと…」
「ウラルは?」
「あ、私、お茶の違い、よく分からない…」
「なら、みんな、雑穀茶にしましょうか?その方が手間もないし」
「ご配慮ありがとう存じます。ですがどうぞ、お気遣いなく」
「あ、いいわ。雑穀茶、私、飲んでみたいから。同じのを。ウラルはどうする?」
「私も、同じでいい…」
「では、雑穀茶にします。少々お待ちを」
部屋の隅に控えていた小間使いたちが分かれて、2人がレジーネとニトに近寄った。
「そうだ、地図。ああ、観光情報誌だわ。こちらが良さそう」
ミスエルが呟いて、書棚から、薄めかつ大きめの本を取り出した。
「観光情報誌がいいと思うわ。ウラル、あなた、こちらに来て、観光とかした?」
「あ、はい。少しだけ、連れていってもらいました」
最初の週末に、保護施設の者たちと買い物に行って、たぶん表神殿の北側とかで、必要なものを揃え、次の週末に港通りを歩き、次の週末にレテ湖遊覧の船に乗せてもらい、先週末は、チュウリ通りから西に入る大きな通りを歩いた。
ニトがまだ小さいので、行動範囲は広くない。
「どんな感じのところを見たの?」
「ええと、通りを歩きました。表神殿の、北のところとか、南の、西の方とか、あと、港通りと、レテ湖のなかを船で回って」
「なるほど。あまり遠くには行っていないのね」
「はい。正直、位置がよく分からなくて」
「それは困るわね。あ、そうだわ。あなた、これから、レグノリアの中心地に住むの?」
「分かりません。まだ、保護責任者というのが、決まっていなくて」
「そうなの。でも、まだ、もう少しは、この辺りで過ごすのではないかしら。それなら、南通りの辺りの、店のことを知るといいと思うわ。チュウリ通りの西よ。保護施設に近いし、あちらは、菓子の店が多いから、ニトと一緒に行きやすいのではない?」
「そうなんですか。先週末は、よく分からなくて」
「じゃあ、今日は、店が開いたら、甘味亭とか、菓子店とか中心に案内しましょうか」
「かんみてい、と、菓子店…」
「そう。甘味亭は、店のなかで、主に甘いものを食べさせてくれるの。菓子店は、菓子を買って帰るわ」
「それは、よさそうです。ニト、甘いもの、好きだから」
「そう。タクラなんかは、甘いのと、甘くないのがあるのよ。そういう、間食に、いい食べ物とか、飲み物とか見て歩きましょうか」
「はい」
「お昼は、どうしようかしら」
エリカが言い、ミスエルは、首を傾げた。
「それも、南通りで選んだ方が良さそうだけど、こちらに戻った方がいいかしら」
グィネスが、口を挟んで申し訳ありません、と声を上げた。
「ミナ様には、ウラル様は、少し、ニト様から離れる時間を長くした方がよいのではとの、ご配慮を承っております。どうぞ、私どもにお任せください」
エリカが頷いた。
「そうかもしれないわね。じゃあ、戻るのは、コーダが学習場から出る時間にするわ」
「かしこまりました」
ミスエルが言った。
「それじゃ、ウラル。学習場の帰りに、ニトとコーダを連れて寄って、夕食の前に、軽く食べるものを探しに行きましょう」
そう言われて、ウラルは、その状況を思い描くことができた。
そういう、利用の仕方を考えながら歩くのなら、もしかして、位置なども覚えやすいかもしれない。
「はい。よろしくお願いします」
固い言葉を返すウラルに、目的を作ったのは、失敗だっただろうかと、眉根を寄せたが、ミスエルは、とにかく、そのように案内してみよう、と思った。
「度々失礼を…、博物館の裏手に、植物園がありまして、その手前に、庭がございます。レグノリアの建物ばかりの情景より、心和めばと…、」
グィネスが、ことさら上体を低くして、言った。
ミスエルは、その言葉に、表情を明るくする。
「グィネス、それ、いいと思う!あんまり遠くには行きづらいけど、そこなら、今日、行くところに近いし、保護施設にも近いわ!」
「本当ね。うっかりしていたわ。時間があれば、奥の植物園に入ってもいいし、確か、同じ敷地内に、鳥獣の巣という館があるのよ。そちらは、おとなしい獣と触れ合えるわ」
「いいですね!ニトも連れて行けるかしら」
「ええ、大丈夫。ニトぐらいの子も、見掛けるわ」
グィネスが言った。
「では、昼食の後、そちらで合流しましょうか。離れている時間は減りますが、獣との触れ合いは、大人が一度、様子を見た方がいいでしょう」
「そうね!」
ミスエルが元気に答え、エリカが、頷きながら言った。
「小さな子の食事は、気になってしまうから、別に摂れるなら、それだけでも助かるわ」
「然様でございますね。では、レジーネ様は、まだお早いでしょうから、ニト様だけを連れて、家僕と小間使いに向かわせましょう」
「ありがとう!」
「いえ、楽しい時間をお過ごしになれれば、私も嬉しく存じます」
エリカとミスエルは、イエヤ邸の家令の心遣いに和んで、微笑んだ。
仕事としてではない、気持ちが、嬉しいし、配慮の仕方が、とても濃やかで胸に沁みる。
「ところで、明日も、何をするか、悩んでいるのですってね。ミスエルは仕事だけれど、私は空いているの。一緒に過ごさせてもらってもいい?」
エリカの言葉に、ウラルは戸惑う。
「え、っと…、迷惑なのでは…」
「まあ。それを気にするのは私の方よ。くっついて回るなんて、迷惑じゃない?」
「い、いえっ、あの、1人でも、何すればいいか、分からないし…」
「明日も、どうぞニト様を連れていらっしゃってください。レジーネ様と仲良くなれるようなら、ぜひ、今後も遊ばせてもらいたいと、ミナ様が仰っていました」
「あ、はい…」
返事をしたものの、ウラルは、今後、連れて来られるか分からないな、と思った。
知らない人たちに、従弟を預けるのは、世話をしてくれる人にも、ニトにも、悪いような気がしたし、この先、この近くに住めるか、分からない。
なんとなく、沈んだ様子のウラルの気を紛らそうと、エリカは言った。
「ウラル、何か、好きなこととかあるかしら。服を見るとか、ああ、いえ、そうだわ。実際に見る方がいいわね。南通りは、店が多様だから、ちょうどいいわ。今日、店の品物を色々見て、明日は、そのなかで興味の持てたものを見に行けばいいわ」
「そうですね。いいなあ、楽しそう」
ミスエルが、明日の仕事をなんとか休む方法はないだろうかと思案する。
エリカは、ちょっと悪戯めいた笑みを浮かべた。
「ふふ。私、育てたのが男の子だから、女の子と出掛けるのが楽しみ。ちょっとイケナイこと教えたくなっちゃう」
「ちょっ、エリカさん、大胆ですね!」
「うふふ、冗談よ。ああ、わくわくしちゃう」
楽しそうなエリカの様子に、ウラルは、驚きながら、何か、温かさが漂うのを感じた。
この場所に、いてもいいと、思える感覚。
それは、とてもうっすらとしていて、明確な感情とは、ならなかったけれど、ほんの少し、ウラルの緊張を和らげてくれていた。
店が開く時間まで、3人は、観光情報誌を見て、この店は良さそうとか、興味を引かれるかどうか、ウラルに意見を聞いてみたりした。
ニトは、小さな相棒と2人、小間使いたちを翻弄し始め、とても楽しそうな笑い声を聞かせてくれた。
一応、出掛けるねと声を掛けたが、あまり気に留めてはくれないようだった。
あとを頼んで、イエヤ邸を出ると、ウラルたちは、まっすぐチュウリ通りに向かい、その西側の地区に入って、目に付いた店で寄り道をしながら進んだ。
ウラルは、気に掛けなければならない子がいないので、改めて、辺りの様子をじっくりと見た。
住んでいた村や、ここに来るまで通ってきたオルレアノ王国の街とは、まったく違う。
これから、ここで暮らすのかな、と、ウラルはふと、思った。
オルレアノ王国に戻りたいわけではないが、自分は、異国の民だという感覚が、浮き上がった。
「あ、そこの看板。甘味亭ですよ、さっきの観光情報誌の。一旦、休みましょうか」
1時間と半ばほど経って、ミスエルが、路地に誘う看板のなかから、見覚えのある名を見付けた。
頃合いなので、賛成して、看板の示す路地の奥に向かい、小さな店に入った。
この店の特徴は、円柱形の、モルモル白乳を練り込んだフッカを使った菓子を作っているということだ。
フッカを土台にしているものもあるし、フッカに掛ける垂れを工夫しているものもある。
なんにせよ、円柱形のフッカは、その見た目だけで楽しい。
高さが3種類から選べるので、ウラルたちは、一番背の低いフッカに、垂れを掛ける形で提供している菓子を選んだ。
「コーダなら、この、高、の高さでも食べられるかもしれないわね」
エリカが、楽しそうにそう言う。
「そうでしょうか」
ウラルが聞くと、エリカは頷いた。
「ええ。育ち盛りの男の子だもの。まあ、甘いものばかりでは、横に大きくなってしまうけれど」
ウラルは、それはちょっと、困る気がするなと思った。
「お茶を飲んだら、もう少し奥の方まで行ってみましょう。布などがあるのよ。織ったものとか、編んだものとか」
「織ると編むってどう違うんでしょう」
ミスエルが何気なく聞き、エリカが、やんわり笑って答えた。
「織物は、縦糸と横糸があるけれど、編物は糸一本でも作られるわ。あと、織物は機械を用いている、ということも特徴になるみたいね。定義がどうなっているかは知らないけれど、私はそのように区別すればよいのかしらと思っているわ。あと、編む物は、素材は必ずしも、糸ではないわね。木とか、藁とか」
「ああ。案外、区別って難しいのかしら」
「そうね。大抵は、表示を見て、ああ、これは織物で、編物なんだって、知るわ」
「ですよねー。しょうもないこと聞いちゃった」
「ふふ。何気なく聞き流してしまうわよね。でも、たまに、あれって、思っちゃう」
「そうそう。考え出したら切りがない。ああ、でも、そしたら、織物は機械がないからできないけど、編物なら家でできますね」
「ああ、そうね。ウラルは、編んだり織ったりしたことある?」
「おる、と言うのは、知りません。村では、女たちは、編み物を作るのが仕事でした」
「ウラルも編んだの?」
「はい。あまり大きなものは、時間がなくて編みませんでしたけど、上着程度なら、作れます」
「まあ!すごいわ!服が作れるの!」
エリカが、少し大きめの声を上げたので、ウラルは、ちょっと目を見張った。
「ええ…、村では普通です。おばあさんたちなら、ほかの仕事をしないから、もっと大きな布を作ります」
「そうなの。編むことは、好き?」
「あ、はい。仕事だから、やらなくちゃいけないことではあったけど、綺麗に出来上がったものを見るのは好き。自分で作れたんだということが、嬉しい」
「そう。どんな編み方?どうやって編むの?」
「ええっと…2本の棒で、その、えっと…」
エリカは、ああ、と笑った。
「ごめんなさい、口で説明するのは、難しいわね。そう、2本編みなの」
「?1本?でもできるの?…ですか…」
「ええ、そう。もう片方の手を使ってね、使う棒は1本よ。ほかにも色々と種類があって、編み方というのは、違いが様々ね」
「へえ…」
「今から、そういう、編物を中心に見てみましょうか。ああ、いえ、限定しない方がいいわね。とにかく、繊維関係の通りがあったわ。そちらに入ってみましょう」
そう話が決まり、残った茶を飲み干して、3人は立ち上がった。
店を出ると、チュウリ通りから西に延びる大きな通りに戻ってから、もう少し西に進んで、北に延びる横道に入った。
そこは、小さな店が並んでいて、硝子窓には、綺麗な模様の布が飾ってあったりした。
「きれい…」
「入ってみましょうか」
ウラルの呟きを聞き付けて、エリカが促し、店のひとつに入る。
そこは、同じ形を連続して描くことで、大きな模様の1枚布を仕上げ、売っているので、切り売りは、されていない。
布の大きさで置き場を分けており、用途としては、机や椅子や寝台の上に掛けるものらしく、飾りが主な目的のようだった。
ウラルが、模様に注目しているようだったので、形や色ではなく、華やかな模様を扱っているらしい店を探して、いくつか入ってみた。
ウラルは、模様の編み目、織り目を丹念に見て、エリカに求められて説明をしてくれる店の者の話を、熱心に聞いていた。
気付くと、12時近く、慌てて店を出て、食堂を探しに向かった。
「ちょっと時間が足りなかったわね。明日は、ボナ川小規模工場群の辺りに行って、布を見てみましょうか。それとも、編む道具など、見てみたい?」
エリカに言われて、ウラルは、ちょっと眉根を寄せ、悩むようだった。
「えっと…、編み方も、気になるけど、もっと、いろんな模様、見たいかも…」
「では、ボナ川小規模工場群から行ってみましょ。船に乗るけれど、すぐに行って、戻れるわ」
「はい。よろしくお願いします」
「服とかも見せたいわねえ。時間が足りないわ。明日だけと言わず、休みの日に、誘ってもいいかしら」
「えっ、…と…」
「取り敢えず、明後日は、イエヤ邸で頼まれたことがあるのよね。円の日、何をしている?」
「え、と…、何も。ニトを見ているぐらいで」
「そうね。ゆっくり休む時間も必要かも。まあ、取り敢えず、明日の行動は決まったわね!楽しみ…あっ、そちらの店はどうかしら」
エリカが目を留めたのは、東西に延びる大きめの通り沿いに入り口がある店だった。
「ニトを連れて入るのには、適当そうかしら」
「あら、ここ、入り口は玄関じゃなくて門ですよ。ずっと奥に露地が続いてる」
3人で覗き込むと、閑散とした細い道の先に、白木の引き戸があった。
「ちょっと、小さな子向けではなさそうだけれど、行ってみない?」
3人とも、なぜだか心引かれて、頷き合うと、門をくぐって露地に入った。
道の脇には、緑の苔が生えていて、細い茎の小さな花が、ぽつり、またぽつりと咲いて、微かな風に揺れている。
特に隔てるものはないのに、大きな通りの賑わいが遠ざかり、何か、しっとりとした、風の流れが心地よい。
玄関の手前には、今は光の入っていない角灯があって、正面に、風暖簾、側面に、かぜのれん、と書かれていた。
引き戸の横に、営業中の札が下がっていたので、ミスエルは戸を引いた。
がらがらがら、と、軽いが、濁った音がして、遠くから、いらっしゃいませ、と女の声がした。
「大丈夫みたい。入ってみましょ」
露地の前、もうひとつの引き戸があった門の暖簾に、食事処の文字があったので入ってきたが、そうでなければ、なんの店か判らない。
とにかく、3人が、通常の民家よりも広い玄関扉内の空間に入ると、廊下の奥から妙齢の女が、早足で出てきた。
若いとは思うが、何歳かと問われると、返答に迷う。
「ようこそ、3人でご案内してよろしいでしょうか?」
「ええ、お願い。ここは…」
エリカが、下を見るので、女は、はい、と返事した。
「ご面倒とは思いますが、どうぞ、靴を脱いで、上に、おあがりください。脱いだ靴は、そのままに。そちらの履き物に足先から入れて、ご利用になってください」
示されたのは、二段上の床に並べられた布製の履き物で、少し四の宮で使っている室内履きに似ているが、足先しか覆っていないので、引っ掛けやすく、おそらく、脱げやすいのだろう。
3人は、言われた通り靴を脱ぐと、その室内履きに履き替えて、女のあとに付いて廊下の奥に進んだ。
かなり奥行きのある建物らしく、長めの廊下の先にある、広間に招き入れられた。
「どうぞ、お好きな席へ。窓際など、自慢の庭をご覧いただけると嬉しく思います」
ほかに客はおらず、部屋の中央に、小型のシリンらしき鍵盤楽器が置かれていた。
ミスエルが、声を上げた。
「ああ、ほんとう。きれいな庭」
「そちらにしましょうか。窓が大きいから」
エリカの言葉に促されて、3人は4人掛けの席のみっつを埋めた。
「昼は3種類の定食です。右から、品数が多くなっております。大きな違いとしては、右端の花の膳は、家畜の肉の一品と魚介類の一品の両方がありまして、真ん中の彩の膳は、どちらかひとつ、左端の鉢の膳は、一皿にまとまる程度の品数になっています」
「んー、花の膳は、少し多いのかしら?」
ミスエルが、悩みながら聞く。
「そうですね…、女性には、鉢の膳が手頃かと思いますが、多めでも食べられる、というお客様でしたら、花の膳をお勧めします。彩の膳は、一品減りますが、鉢の膳より見た目に華やかで、量よりも味の種類をお求めのお客様に、楽しんでいただけているご様子です」
「鉢の膳は、量が多いの?」
エリカの言葉に、女は頷いた。
「あ、そうですね。ヒュミの量が、いくらか多めです。少なめにもできますので、そのように仰っていただければ、控えめにさせていただきます」
「そう。ウラルにはたくさん食べてほしいけれど、どう?花と彩の膳は、小皿が多いのよね?」
「はい、そのような形にしております」
「一皿だと、すっきりしてるところが食べやすいわ。ウラル、なんとなく、選べそう?」
「あ、はい。私、一皿の方が、いいです…」
値段を見て、遠慮をしているかもしれないが、決めたようなので、エリカは頷いた。
「では、そうね…、ミスエルは?」
「私、一番少なそうな、彩の膳にします」
「では、私は、花の膳で」
エリカが、店の女を見上げて言うと、彼女は微笑んで頷いた。
「かしこまりました。花の膳をひとつ、彩の膳をひとつ、鉢の膳をひとつ。彩の膳のお客様は、今日は、モルモル肉か白身魚でお選びいただけます。どちらになさいますか」
「じゃあ、白身魚」
「かしこまりました。食後に甘味と豆茶をお持ちします。では、お待ちくださいませ」
「あ、待って、豆茶は…」
ミスエルが、そう引き留めて、エリカを見た。
エリカは気遣いに感謝して、にっこり笑う。
「ええ、できれば、豆茶と葉茶以外のお茶がないかしら」
女は、少し考えるようだった。
「豆茶と葉茶以外…、そうですね…、今から、サズ茶をお出ししますが、そちらは問題ありませんか?」
「ああ、ええ。サズなら大丈夫だと思うわ」
「そうですか…、でも、最後のお茶は、別が…、あ、では、黒豆茶ではいかがでしょう?豆茶の原料となる、甘豆(あままめ)の木とは違う種類の植物です」
「ああ、黒豆なら、きっと大丈夫」
「はい。では、そちらにしますね。お待ちくださいませ」
女は一旦、下がって、少しすると、温かいサズ茶を持ってきた。
エリカは、一口飲んで、ほっと息を吐くと、やっぱりお茶はいいわねえ、と言った。
「少し、気を使い過ぎていたようだわ。グィネスが言ってくれたように、お茶にも色々あるのだもの。贅沢だけれど、選べる環境に甘えて、いいのよね」
「そうか、エリカさん、産むのは初めてなんですよね」
ミスエルに頷いて、エリカは、少し照れたように笑った。
「ええ、そうなの。昨日はもう、自分が緊張しているって、思い知ってしまったわ」
ふふ、と笑うエリカに、ミスエルが、大丈夫と心配そうな顔をした。
「ええ、もう、…ああ、でも、そうね。やっぱり、緊張は消えないけれど、ちゃんと、1人ではないし、支えてくれる人を知ったから、大丈夫」
エリカは、息を吸って、言った。
「甥のことを、大切には思うけれど、やっぱり、自分が産むのと、姉とは言え、ほかの者が産み出した命とでは、違うのね。何か、違う思いが、あるの。同じ、命を預かる、親となるのでも、産み出す者へは、そういう、思いを、ちゃんと持たなければならないのね。姉が遺した、思いの意味を、私、今、噛みしめている」
ウラルには、言っている意味はよく分からなかったけれど、やさしい、エリカの表情を、なんかいいな、と思っていた。
「でも、親だからと言うのではなくて、ちゃんと、自分の体、大事にしてくださいね。私は、あなたのことが、大事」
ミスエルが、ぎゅっと眉間に皺を寄せる。
エリカは、ふふ、ありがと、と応えた。
ミスエルは、拗ねるように唇を尖らせる。
「もうー、なんか、軽いなあ」
「そんなこと、ないわよ。ふふ。嬉しいし」
そう言って笑ってから、エリカは顔を上げてウラルを見た。
「ところでウラル、好きな色とかがある?」
「え?ええと…、空の色?」
「好きな食べ物は、ある?」
「え、ええと…、よ、よく、分かんない…」
「じゃあ、甘いものは、好き?食べられるけど、あまり好きではないとか」
そのように、色々と質問され、ウラルは、あまり満足に答えられなかったように感じたが、エリカが聞いたようなことには、人によって、好き嫌いがあるのだと覚えた。
エリカがその質問をする意味は判らなかったが、コーダやニトの好き嫌いぐらいは、自分は知っておいた方がいいのだろうと思った。
話していると、やがて食事が来て、ウラルは、目の前に置かれた器を、目を丸くして見た。
すごく、大きい。
「うわっ、大きい!」
ミスエルがそう声を上げたので、アルシュファイド王国でも珍しいのだと知り、ほっと安堵する。
自分の感覚がおかしいのではないのだ。
その皿は、中央が落ち窪んでいて、広く平らな縁の、向こう側半分に、赤、紫、黄、緑、黒の、違う味付けらしい、種類の違う植物のどこかの部分が、それぞれ小山の形に盛られていた。
中央の窪みにはヒュミが敷かれ、その上に食べやすく切られた肉が、どん、と載っている。
それにしたって、こんなに大きくて、食べ切れるだろうか、と思っていると、皿を持ってきた、部屋に案内してくれた女が言った。
「こちら、周りの小山を交ぜて食べると、また味が変わります。味の組み合わせをお楽しみください。それでは、ごゆっくり」
配膳の女給たちが下がると、3人は、互いの膳を見比べた。
「ちょっと多いようだけれど、そう、食べるのに無理ということは、なさそうね」
エリカが言い、ミスエルが頷いた。
「そうですね。では、いただきましょうか」
そうして、食べ始めたウラルたちは、おいしさに頷き、噛みしめて、よく味わった。
「んー、おいしい!いろんな味が楽しめていいですね!」
ミスエルが感激の声を上げる。
「ええ、そちらは特に、彩り豊か。こちらも負けてはいないけれど、そんな風に食材を分けていると、見栄えがいいわ」
「あ、そうですよね。品数少ないって言ってたのに、確かに皿数は少ないけど、味付けもいくつかずつで同じだけど、食材ごとに分けて盛り付けてくれているから、素材の味の違いを強く意識するし、まったく少ない気がしない。むしろ多い?という感じが」
「これは、よい店を見付けてしまったかもしれないわ。今度、夜の様子を見に、レイとファルセットと来ようかしら」
ファルセット・ミノトは、エリカがずっと、養い子として育て、今は、レイとの子として家族となった、甥だ。
「あ、昼だから、ひとまとめの膳だけど、夜は、一皿ずつ出されるかもしれませんよね」
ミスエルの言葉にエリカは頷く。
「ええ。話を聞くより、実際に味わう方がよく判るし、何より、また来てみたいわ」
「この内容からして、昼でも、ちょっとした贅沢をしたいとき、来たい店ですね!」
「そうね。それに、ミナにも、知ってほしい。機会を作りたいわ」
「ミナとはよく食事に?」
「いいえ、一度も。まず、顔を合わせる機会が、ないのだもの。でも、これからは、状況が変わるし、もっと話がしたいわ。迷惑かしら」
「そんな、時間はなくても、そういう受け止め方はしないと思います。私が相談に乗れたらいいけど、今から出産まで、相談するには、ぴったりじゃないですか?」
「そうね…、ただ、本当に忙しそうだから」
「ああ、それはありますよね。水の宮公も最近のご出産ですけど、そちらとは、あまりお話ししない?」
「ええ。ミナってなんだか、親しみやすくて。どうも、気持ちがあちらに傾くわ」
「ああ。不思議な、方ですよね…」
そう言って頷き、ミスエルは、しみじみと思う心から浮上して、顔を上げた。
「どちらにしろ、来週から、ひと月ほどは、休暇状態なのですって、ミナ。また国外に、今度は家族旅行ということだけど、ただの休暇ではなさそうです。はっきりは言わないんですけど」
「そうなの。ちゃんとした休暇なら、食事くらい、ご一緒したいけれど」
「んー。グィネスって、そういうこと、教えてくれるかな…」
「グィネスに。ああ。確かに、グィネスなら、都合のいい時を教えてくれるかもしれないわ。今日、頼んでみようかしら」
「そうしてみるといいです。そうだ、これから、ニトと合流して、コーダを迎えに行ったら、保護施設に送るんですか?」
「さあ。そうね、ニトと合流するなら、イエヤ邸に戻る理由がないわ」
「ミナに挨拶しないのは、ちょっと気に掛かりますよね」
「ええ。さて、どうしよう…」
2人は、しばらく悩んで、ミスエルが言った。
「グィネスに聞いてみましょうか。フーディーとレナンが来たら、伝達ができるかもしれません」
フーディー・オルコットセットはイエヤ邸の家僕、レナン・ジェンシーは同じくイエヤ邸の、こちらは小間使いだ。
「そうね。土の伝達は、まだ一般的ではないから、気付いてもらえないわ」
「あー、それ、困りますよね!私たち、両方の家に伝言板置いて、そこに書くことにしてるんです」
両方の家とは、ミスエルの家と、シェイドの家だ。
2人は、互いの亡くした家族の思い出もあり、何度か話し合いもしたが、建物の1階と2階という状況も手伝っているようで、現状を変える踏ん切りを付けられないでいる。
シェイドは、朝が早いからと言い訳して、2階の家に毎晩戻るミスエルを不満そうに見送るが、そういう生活が、自分たちの形なのかもしれないとも、思っている。
「なるほど、それはいいわね。土の宮でも使わせてもらうわ」
「何か、いい方法、ないかなあ…。やっぱり、音で伝えるって、便利ですよねえ…」
「そうよねえ…」
そんな話をしながら食事を済ませ、甘味と茶をいただくと、3人は店を出た。
すると、門に彩石鳥が待っていて、声を発した。
「お知らせします。只今、チュウリ通りを、手押し車にお乗せして、南下中です。少し時間がかかると思われますので、そのようにお含み置きください」
エリカが、頷いて言った。
「ああ、ニトが歩くのでは、疲れてしまうものね。それなら、ちょっと、タクラ屋に行かない?そうだわ。イエヤ邸の使用人たちに、買って帰ったらどうかしら。そう、そしたら、数が多くなるから、注文だけして、戻るときに受け取るの」
「ああ!それなら、お邸に戻る口実もできますね!」
「ええ。いっそのこと、私たち、みんなの分も買って、食べさせてもらってから、帰りましょうか」
「ええ、それがいいわ!ウラル、今日は、保護施設で用事がある?」
「いいえ、ありません」
「じゃあ、イエヤ邸で、お茶を飲んで帰る流れで、構わない?」
「あ、はい」
「よかった!そしたら、どのタクラ屋に行きましょう?」
エリカとミスエルは、少し話し合って、具材の種類が豊富なことで有名な店に向かった。
残念ながら、売り切れの品も、いくつかはあったが、それでもまだ、多くの種類を注文できたので、伝達用となっている彩石鳥を通して、フーディーに必要な数を聞き、あとで取りに来るからと、注文をした。
それから3人は、道を南に進んで、博物館のある通りに出ると、目的の敷地内に入り、本屋である博物館の脇を通り抜け、建物の裏手を西に進んだ。
細めの幹がぽつぽつと植わる庭の向こうには、人の目線を遮る茂みがあり、その間の道を通ると、小さな花が、何種類も咲き揃う、広い庭が現れた。
「ああ、もう、来ているわ、ニトたち」
エリカの見ている方に目を向けると、ニトが、フーディーとレナンを相手に、花壇の前で、何か、指差したり、手を伸ばしたりしていた。
引かれるように近付くと、ニトがウラルに気付いて、ウラル、これ、アイロウン、と言った。
「アイロウン?」
「そう!この、はなの、なまえ!」
ウラルは、しゃがんで、ニトの話を聞いた。
それによればどうやら、フーディーとレナンが、花の名を教えてくれたので、ウラルにも教えようとしてくれているようだった。
いつも、側にいる、慣れた人、ではなく。
ウラルは、花の名を教えてあげたい、ニトなりに、存在を認めた者なのだ。
ウラルは、ニトの頭に手を伸ばして、その、柔らかい髪に触れた。
離れたくない。
たった1人の従弟。
叔母の、忘れ形見…。
ウラルは、涙がこぼれてしまい、嗚咽を押し殺した。
しゃがみこんだまま、声が漏れるのを、止められない。
気付いたニトが、ウラル、ウラル、と呼ぶ。
小さな手が、髪を撫でる。
母に教わったのだろうか。
「だいじょうぶ。だいじょうぶだよ」
誰かが、ウラルを抱き寄せた。
女の人だとだけ、判った、その胸に、しがみついて、ウラルは、声を上げて、泣いた。
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