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―異国の地Ⅳ―
翌日の朝食は、賑やかだった。
少年たちは、一晩で、何やら遠慮が消えたらしく、掛け合う言葉に、少し乱暴なところが見られたが、悪意のぶつけ合いなどではないので、安心して聞いていられた。
武術場に行くと言うブドーに合わせて、少年たちは出掛け、これにコーダも付いて行った。
あとのことは決めていなかったので、家僕のフーディーに同行してもらう。
7時頃、侍女と護衛らを連れたフレイとシェナが来て、ジェッツィを学習場に誘い、ウラルは少し話して、これに付いていくことになった。
エリカも同行して、イエヤ邸を出る。
ジェッツィは、今日も奏楽室で、楽器を触りたいのだった。
「今日は、シリンを触ってみたい!」
頬を上気させて言うジェッツィに、ウラルは何か、励まされる気がした。
何かをしたい、と思う、強い気持ち。
そういうものを、自分も、持っていいのだ。
ミナがウラルに聞いたのは、そういうことだ。
柔らかな、でも、芯の強い声が、繰り返し聞こえたようだった。
…ウラルは、自分はどうしたいか、決まった?
胸元に手をやって、ぎゅっと、こぶしを握った。
私が、どう、したいか…。
学習場の門のところで、シィアと合流し、奏楽室に着くと、ジェッツィは、相談員の1人のところへ足早に近寄って、挨拶もそこそこに、シリンの奏で方を教えて!とねだった。
熱心な様子が嬉しいらしく、相談員は笑って、大きなシリンの前に、背もたれのない、2人ぐらい座れる椅子を、ふたつ並べると、真ん中辺りに座った。
「白い鍵盤は、基本の音………、こうね。黒いのは、聞いて。…こう、半音、上がる。流すと、こう…」
ひとまず、順序よく音が上がるのを聞いて、ジェッツィは、相談員の横に座ると、真似をして指を動かした。
シェナが座り、フレイも座ると、相談員は立って、手前にいたウラルに座るよう促した。
「じゃあ、ちょっと、みんなで弾いてみようか。あなたも、座ってごらん。ちょっと詰めてみて」
少女たちは、どこか笑いを誘われたらしく、くすくす笑いながら動いて、なんとか全員、お尻を椅子に乗せた。
「じゃ、こう………、こんな感じで、音を出してみて。………そう、そうね、上手。じゃ、低い方から、順に弾いてごらん。…今、今、今、今。そう、次は隣の人の音を聞きながら、準備はいい?はじめ!」
少女たちは、同じ旋律を順に弾く動作を、何度か繰り返し、慣れた頃に、相談員は、旋律を少しずつ増やしていった。
少女たちの、穏やかな波音のような笑い声のなかに、ウラルのそれもあって、エリカは、自分が、ほっとするのを感じた。
今日のところは、そうして、5人で楽しんだが、次はまた、1人ずつ弾こうか、と相談員が言った。
ジェッツィは、それもしてみたいなと頷いて、彼女含む少女たちは、侍女や護衛らを連れ、始業前の説明を聞くため、ウラルとエリカと別れて、編入者用区画に向かった。
2人になって、ウラルとエリカは、時計を見ると、歩いて船着き場まで行けば、ちょうど店が開く頃合いだと頷いて、学習場を出た。
途中の道沿いにあったフッカ屋に入って、ウラルは、ここがミスエルの職場だと知った。
本人は、ちょうど休憩中だということで、エリカとは顔見知りとなっていた奥さんが、ちょっと形が悪いの、と言って、甘いクラムを練り込んで焼き上げた小さなフッカを、ひとつずつ紙に挟んで渡してくれた。
ちょっと行儀は悪いけれど、食べながら歩いて港に出て、不要になった紙を塵箱に捨てる。
乗船券を求めて、何か飲もうと話し、持ち運びしやすいよう、工夫された紙の器に入った茶を求め、船に乗り込んだ。
目的の繊維工場群は、ボナ川の河口から、少し奥に入ったところだ。
ウラルとエリカは、暴露甲板の椅子に座って、茶を飲みながら、目的地に近い桟橋に到着するのを待った。
船を降りる頃には、茶は飲み終わっており、器を捨てると、板を渡って桟橋に移る。
「さてと。まずは、地図、かな。きっと無料のものがあるから、探しましょ」
エリカが言って、2人、建物のひとつに近付くと、入り口の内側の壁に、いくつかの紙が差し込む形で並べてあり、そのなかから、繊維工場群周辺の、店の内容が分かる地図を手に入れることができた。
ついでなので、その入った建物内を見てみると、ここはザクラ織りの工場ということだった。
手前の売り場から、奥に入ると、そちらが、透明の硝子窓で仕切られた工場で、見てみると、中央から外側へ、回しながら、布が機械で織られているところだった。
その織り方から、模様が中央を起点に、外側に向かっているのが特徴で、1回転ごとに模様が区切られるものが多いのだが、最近では、1回転ごとの模様の継ぎ目を工夫して、ひとつの模様として違和感のない布に仕上げる手法もあるのだそうだ。
こちらの工場は、昔ながらの手法だが、1回転ごとの模様を、同じ図柄の繰り返しではなく、別の図柄を織り上げており、その説明を受けて、改めて売り場の模様を見ると、なるほど、1回転ごとの図柄の違いが際立っている。
そういう布なので、切り売りはされておらず、厚みもあるため、用途としては、床に敷いて、その上で寛ぐなどが多い。
もちろん、それだけでは商売にならないので、回転数を少なくした、手頃な大きさの布の数々も、収入源となっている。
小さめの布は、特徴ある模様を活かして、枕袋や綿袋、少し大きくして椅子の上掛けに使われていたのだが、最近では、糸を変え、服に使える程度の厚みの布が作られたため、それを素に、劇や舞踊の舞台衣装が作られて、人気を集め、そこから、一般向けにも求められ、現在、服飾師は、この特徴ある模様を、どのように普段着にできるかと頭を悩ませている。
舞台衣装では、背面に使い、演者が背を向けたとき、両腕を広げれば、袖に取り付けられた部分が広がって、模様の全体を見ることができる。
だが、普段着となれば、どうしても、体に合わせて切らなければならない。
切られた端の処理も大変だし、どの部分で模様を切り取るか、非常に難しい問題だ。
結局、小さめの布を繋ぎ合せて服とする流れだったのだが、城駐服飾師アルゲリート・ロワンナが考案した服は、体の横に模様の中心を置いて折り、前面と背面に現れた部分を楽しむ、という形だった。
袖の部分などには、敢えて違う布を使い、いくつかの布を組み合わせて、ひとつの服としてしまった。
大胆な意匠に、意見は様々で、ひとまず様子を見ているが、これが案外、40代、50代の女たちを中心に、好まれる傾向にあるようだった。
その年代は、劇や舞踊を観る者が多く、舞台衣装を見て、憧れる思いが強かったのだろう。
確かに、構図としては大胆だが、色遣いが上品で、悪目立ちするようなものではない。
実際に着ている者を見ると、特徴ある模様が目を引きながらも、落ち着いた色合いで統一され、心地の良い印象を与えるのだ。
ザクラ織りは価値を高く見られているので、値段は少々張るが、納得のできる出来栄えと言っていい。
ウラルとエリカは、売り場担当の男からそのような説明を聞いて、同じザクラ織りとされる、厚手の布と、薄手の布を触って、肌触りを確かめた。
糸の違いはあるが、織り目は滑らかで、どちらも肌心地はよい。
「この繊維工場群では、奥の方に行けば、糸を作ったり、紡いだりする工程から見ることができます。ボナ川に近いところでは、染色した糸とか、既に布としてしまったものが多いです」
「私たち、布の模様に注目しているのだけど」
「そうなのですか。特徴的なものと言えば、有名なのはコルナ編みですね。あとは、色遣いで違いを持たせているものがほとんどですか。うちも、この模様は、色の違いで作っていますけど、コルナ編みは、色の違いも使うんですけど、基本は、編み方なんですよ。糸を飛ばして穴を作ったり、糸を重ねたりして、模様と言うよりは、布の形を作っている。機械でも、まあ、できないことはないんですけど、あの自由さは、さすがの手編みと、称賛せずにはいられません」
「手編み」
「ええ。機械は、一定の動きを繰り返させるために、あるものですからね。ここだけ違う模様、というわけにはいかない。操作も多少はできるけど、手間が掛かって仕様がないから、もう、機械である意味がない」
「へえ…」
ウラルは、うまく想像できなかったけれど、なんとなく、男の口調や言葉から、察した。
「それでも、編み機は、糸を絡み合わせているのが特徴で、動きが複雑ですから、直線で構成する織り機と違って、丸みのある模様も自在に作れます。このザクラ織りは、回転させているから、円形になってますが、それ以外で、例えば波のような曲線を作ろうと思ったら、糸の色を変えたもので織り上げるか、表面に現れる横糸が、縦糸を通る位置をずらして、横糸が通る度に作り出される模様から、曲線に見えるようにしなければならない」
「え、ええと…」
男は、横にある布を示した。
「よぅく見てください。この、一番下の横糸は、ここからここまで、裏側に隠れてる。こんな感じ。でも、同じ模様を作っている、この一番上の横糸は、一番下の糸が隠れている、ここまでずうっと縦糸の間を移動してきて、顔を出してますが、ここでちょっとだけ飛んで、反対側に出ている。一番下から上まで、これを、縦糸を1本ずつずらして、織り上げているから…」
「ああ!位置が違うのを、繋げて、見た目で、1本の線になってるんだ!」
男は、理解してもらえたので、にっこり笑って頷いた。
「そういうことです」
「へえー、へえー…」
ウラルは感心すること頻りだ。
何度も頷いて、布をひっくり返して、溜め息をつく。
「織り方で見るなら、まっすぐ織り上げるものが主流ですが、斜めに織り上げるものもあります。でも、模様が見たいなら、まず、コルナ編みは外せないでしょうね」
「じゃあ、ウラル。コルナ編みから見に行く?」
「あ、うん!」
「何も買わなくてごめんなさいね。でも、素晴らしさがよく分かったわ」
「それが何よりです。またのお越しをお待ちしています」
「ええ、きっと!」
そう言い交わして、ウラルとエリカは、その建物を出た。
「さてと、コルナ編み、は…、あ、あった。ちょっと奥まったところね。行きましょう」
地図を見ながら、細い路地に入り込んで、コルナ編みを売る店を見付けて、入る。
店内は暗かったが、それは入口だけで、奥に行くと、建物の上部にある窓から、光が落ちていた。
その明るいなかで、ウラルはコルナ編みというものを見て、自分が編んだものとは、ずいぶん違うと知った。
ウラルが編んだものは、まず、糸が太い。毛羽立った、独特の糸だ。
だがこの、コルナ編みの糸は細く、飛び出る毛のようなものは、ないと言っていいだろう。
「これも、人が編んだものなの…?」
「そのようね。これが手編みだなんて、人って、思うより、もっとずっと、多くのことができるのね…」
ウラルは、何枚か近くの布を出してみて、その肌触りと、模様を確かめた。
模様自体は、いずれも円形に、広がるように、咲いていた。
だが、その模様の作り方は様々で、糸を同じ場所に重ねていたり、編み幅を変えたり、編み方を変えたり、もちろん、色違いの糸もあれば、太さ違いの糸も使われている。
「すごい。こんな編み方は初めて」
「大きなものもあるはずだけれど、この辺りではなさそうね」
「大きなもの?」
「ええ、寝具の上掛けとかよ。ちょっと聞いてくるわね」
そう言い置いて、エリカは勘定台の向こうにいる店の者のところへと向かった。
ウラルは、取り出した布を適当に戻して、そのあとを追い、入口付近に戻った。
「今、下ろしてくれるから、待ってて」
「下ろす?」
繰り返して、天井を見上げると、たくさんの布があるのが見えた。
「わ」
「普段はああして、通りやすくしていたのね」
ひとまとまりの吊り下げ棒が下りてきて、ウラルは早速、近付いて見てみた。
その間にも、次々と布が下ろされ、すっかり通路が塞がれると、明かりが点けられた。
「ありがとう!」
エリカが、店の者に礼を言い、ウラルは、夢中になって、その布を確かめた。
模様の小さなものも、工夫が素晴らしかったが、大きなものは、これこそがコルナ編みだと言わんばかりの、技巧が凝縮されてそこにあった。
その模様のために、それらの技巧があるのだと、知らしめるようだ。
「ああ…、なんて、素晴らしいんだろう」
呟いて、ウラルは息を吐く。
飽きることなく、眺めていると、やがてエリカが言った。
「そろそろ、ご飯にしましょうか」
「はっ、あっ」
ウラルは、この国に来て、初めて買い物に行ったとき、買ってもらった腕時計を見て、顔を上げた。
「はい…」
その、残念そうな様子を見て、エリカは、笑って言った。
「また、来ればいいわ。今日のところは、あとは、色違いのものを見てもらいたいわ」
「色違い?」
「ええ。あなた、どうもありがとう!きっとまた、来ます!」
「ええ、お待ちしています」
店の者がそう答え、ウラルとエリカは、再び布が上げられ、通路が姿を現してから、そこを通って店を出た。
「えっと、食事は、この辺りでいいわね。一旦、川沿いに出ましょうか」
「うん」
今、いるのは、大体、川沿いの工場の裏側だ。
少し入り組んだ道を戻っていると、途中に小さな喫茶店をいくらか見掛けたが、やっぱり川沿いがいいかな、と、なんとなく通り過ぎ、川に面する通りに出た。
「さてと…、あ、そこでいい?」
特に食べたいものもないので、エリカは、コズリ料理の店を見付けて、手軽そうだと声を上げる。
「あ、うん」
「ウラル、そうだわ。どうせなら、好きな食べ物は?」
「え、と…、食べられれば、なんでも…」
「まあ、贅沢だけれど、食べる物って、選んでいいのよ。そうだ。肉がいい?魚がいい?それとも、ヒュミ?コズリ?」
「えっと…、コズリって何?」
「紐状の食べ物よ。これまで出なかった?」
「えっと…、たぶん、食べてないと思う」
「じゃ、食べてみましょ。お腹が膨れるから、どちらかと言うと、手軽な食事よ。大抵、一皿だし、選べば、好きな具材も食べられるの」
そう言いながら、最初に目に付いた店に入った。
川の見える窓際に座って、昼食の限定献立のなかから、食べたいものを選ぶ。
最初に、中皿に、なまの葉野菜が彩りよく盛られた、玉子料理が出た。
「ウラルは、卵は好き?」
「卵は、ええ、うん。たまご料理は、けっこう、好き」
「そっか。掻き混ぜるのと、そのままの、茹で玉子なら、どっちが好き?」
「ゆでたまごって、何?」
「殻ごと、茹でてから、殻を剥いて食べるのよ」
「ああ!それは、正直、あんまり…味、ついてないし」
「ああ、煮玉子、食べたことないのね。それは、あとから、自分の好みで、多くは塩を付けて食べるのよ」
「え、そうなの。なんだ…」
「フッカに付けて食べてもいいのよ。崩して、卵醤(らんしょう)っぽくしてもいいわ」
「らんしょうって何?」
「茹で玉子が中心となる、液体ではないけど、まあ、付け垂れと言うのが近いわ。これは、知っていた方が便利よ。そうだわ。夕方、イエヤ邸の料理師に頼んで、見せてもらうといいわね」
「迷惑じゃない?」
「うーん、ちょっと邪魔をしてしまうかもしれないけど、まあ、でも、聞いてみましょう」
そう話して、最初の皿の料理を食べてしまうと、主食のコズリ料理が出た。
「コズリは、自分だけで食べてもいいけど、分け合えば、違う味も楽しめるわ。こちらも、食べてみる?」
「え、いいの?」
「構わないわ。取り皿に取ればいいのよ。…あなた、取り皿をもらえる?」
「はい、すぐに」
声を掛けられた女給は、言った通り、すぐに中皿を2枚、持ってきた。
「ありがとう。そちらを、少しだけこの皿に乗せてもらえる?えっとね、このくらいでいいかな」
ウラルは、エリカに倣って、同じくらいの少量を取り皿に分けた。
「はい、交換。いただきましょう」
2人はまず、自分で注文したものを食べて、いい味だと頷き、相手の料理を口に入れた。
「ん、そちらもおいしいわ」
「うん。その赤いの、こんな味なんだ」
「これはレスツを煮込んだものが使ってあるのよ。コズリ料理では、定番と言っていいわね」
「レスツ」
「そう。赤くて、酸っぱいのが特徴よ」
「すっぱいの…」
「酸っぱいの嫌い?」
「あんまり得意じゃない…。でも、これはすっぱくない」
「そうね。いろんな味付けがしてあるから、酸味が弱まっているわ」
「さんみ?」
「そう。酸味は、酸っぱい味を指すわ」
「へえ、なんで?」
「あら。なんでかしら。酸性だから?」
「さんせいってなに?」
「うーん、難しい…そういう、性質かな。その性質が濃ければ濃いほど、酸味、酸っぱい味も強くなるわ」
「性質…」
「うん。逆だと、苦くなるそうよ」
「逆?」
「そう。酸性の対極にある性質が、塩基性ってものになるの。両方の中間、どちらの性質とも言えないものは中性って言って、それは、酸っぱくないし、苦くもない」
「ふうん…」
なんとなく、分かる気もしたし、分かっていない気もした。
「まあ、その辺りは、知らなくても、日常ではあまり意識しないわね。ただ、酸味と言ったら、酸っぱいってことだと覚えておくといいわ」
「さんみ。うん」
コズリを食べ終えると、甘味が出て、茶が出た。
「今から行くところは、ここ。鮮やかな色合いが特徴って書いてあるでしょ」
「えっと…、あざやかな色合いがとくちょう…」
「あ、もしかして真名が読めないかな」
「うん…」
「大丈夫よ、これから覚えれば。本を読むと、自然と覚えたりもするわ」
「本」
「ええ。書物。教科書とか使ってない?」
「あ、うん、使ってる」
「それも、本よ。書物とも言うわ。でも、ただ、本って言ったら、多くは、読み物を指すわね。物語の書かれた本よ」
「ものがたり」
「そう。作り物の、お話が多いわね」
「ふうん…」
「書物も、色々見た方がいいかもしれないわね。さて、行きましょうか」
「あ、うん」
2人は、席を立ち、勘定を済ませると、店を出た。
「明日は、小箱の整理ね。何時から始めるかしら。9時より前に行ったら、迷惑かしら…」
「今日は泊まらないの?」
「うーん、そうねえ。あまり、お邪魔しても悪い気がするけれど…、まあ、誘われなければ、帰るわね」
「そう…」
「あら。ふふ。寂しいと思ってくれるの?」
「え、と、…う、うん」
「ふふ」
エリカは、手を伸ばして、ウラルの頭を撫でた。
ミナのように、住まいを提供する、ということが、自分にもできたはずだった。
けれど、あんな風に、保護責任者には、なれないと、区切りを付けさせることは、できなかったろう。
それが、正しいとか。
言うわけでは、ないけれど、でも、きっと、ウラルに、ひととき、安らぎを与えるなら、充分だった。
ゆうべ、ウラルが、すんなり眠れたのは、そういうことなのだと、思う。
自分にも、何か、できるだろうか。
こんな考えを持つべきでは、ないだろうか。
エリカは、ウラルから手を離して、前を見た。
持つべきでは、ないのだろうか…。
「エリカ?」
ウラルが、何か、不安を感じたのか、声を掛ける。
反射のように、エリカは笑みを浮かべて、ウラルを見た。
「ん?」
土の宮で鍛えただけはある、その鉄壁の笑顔に、ウラルは、何を感じたのか、なんでもない、と口をつぐんだ。
失敗した。
この子は、敵ではないのだ…。
自分の至らない対応に、遣り切れない気持ちになって、気付かれないように、そっと息を吐いた。
それから、気を取り直して、案内したい店を探した。
せめて、大人らしく、年少者を持て成そう。
2人が次に入った店は、地図に少しだけ説明されていた通り、鮮やかな色を組み合わせて、模様を作り上げていた。
これは、編物だということで、別々に編んだ糸を繋げて、1枚の布に仕上げているのだそうだ。
繋げる作業は手作業だが、編む作業は、専用の編み機を利用することで、編み上げている。
この編み機は、彩石などで一定の動きを自動的に行うものではなく、編みやすいように、糸を固定する役割を主としているのだそうだ。
「編み方って、どこに行けば、見られるかしら」
エリカの問いに、店の女は、にっこり笑って頷いた。
「レゾン地区に、編目館という館があります。修習生が通いますが、様々な編み目を見たいなら、そちらがご満足に適うかと思いますよ」
「まあ!それは、ぴったりね!そのまま、そこで、学ぶことだって、考えられるわ!」
ウラルは、近くで布の様子を見ながら、エリカたちの話を聞いていたが、大きな声と、その内容に、目を大きくした。
学ぶ。
この、編み方を…だろうか?
自分を見るウラルに気付いて、エリカは頷いた。
「編むという作業が、もし好きなら、学んでみるといいわ」
「編むことを、…学ぶ」
エリカは、店の女を振り返って、質問した。
「もしかして、織目館なんてものがあったり…」
女は笑顔で頷いた。
「ええ、同じレゾン地区に、ありますよ。詳しい場所は…たぶん、学習場でなら、判ると思うのですが」
「ありがとう!聞いてみるわ!」
エリカは、このまま繊維工場群を回るのと、学習場に行って、編目館の場所を聞き、行ってみるのと、どちらがいいだろうかと考えた。
「ウラル、どうしようかしら。編目館に、行ってみない?今日、これから」
「えっと…、」
ウラルは、ちらりと、自分が見ていた布を見た。
「何か、気になることがあるの?」
聞いてみると、うん、と頷いた。
「あの、この色の種類が、すごくたくさんあるから、見てみたいなって思って」
エリカは、笑顔で頷いた。
「あら、なら、行きましょうよ。ここまで、遠くないけれど、1人では、来ない方がいいわ」
エリカはそう言って、振り返ると、糸の色違いが見たいのだが、と、店の女に聞いた。
「んー、そうですねえ…。糸で、一番、色の種類があるのは、刺繍だと思います。布にするようなものは、特別注文が多いのですよ。だから、普段から糸屋に置いてあるものというのは、よっぽど急な注文が入りやすいものなんです。あとは、注文の予備。両方、見てみた方がいいと思いますが、そんな時間はありますか?」
「そうね…、一応、両方、場所を教えてもらえる?時間を調整して行けるかもしれないわ」
「ああ、はい。では、ちょっとお待ちください…、あ、はい。これ、こちらが、刺繍糸、こちらが、私たちとか、編物を扱う者が行くことが多い店、あ、と。こっちは、織物に使われる糸を専門としているそうです。織物は、機械で織るから、彩石を使って自動で織るものは特に、ある程度強くないと、切れちゃうんですよ」
「ああ、なるほど。どうもありがとう!買わなくて、悪いわね」
女は、ふふふ、と笑った。
「まあ、これで作家さんが増えるなら、こちらとしても嬉しいですし。何が利益になるかは、判りません」
エリカも笑って、そうねと返した。
「それじゃ、失礼するわ。助かったわ、本当、ありがとう」
「どういたしまして。お気を付けて行ってらっしゃい」
店の女に見送られて、エリカは、渡された紙片にある地図を頼りに、ウラルを案内した。
一番近い、刺繍糸の、店と言うよりは倉庫に辿り着いて、なかに入ると、エリカは、ウラルと2人で、はしたなくも大きく口を開けて、しばらくぼんやりしてしまった。
「はっ、行きましょ、ウラル。近くで見てみないと」
「うん!」
ウラルは、目を輝かせて、走って棚に近付いた。
わずかな色違いが多いなか、ウラルは、あちらに行ったり、こちらに行ったりと、夢中で見て回った。
エリカはさすがに、付いて行けないものを感じて、自由に見ていらっしゃいと声を掛け、できるだけ全体を見渡せそうな位置にある椅子に座った。
目を向けると、ウラルが駆け回っているのが見えて、おかしくて笑ってしまった。
ほんとう、かわいらしい。
お腹の子は、どちらだろう?
もちろん、どちらでも、歓迎だけれど、あんな様子を見ていたら、女の子が生まれることを、夢想してしまう。
「ふふ」
幸せな気持ちで、しばらく過ごして、時計を見ると、そろそろ次に行こうかと立ち上がった。
ウラルを捕まえるのは、なかなか難しそうだ。
エリカは、店の者に頼んで、風の力でウラルを呼んでもらった。
「それじゃ、次に行きましょうか」
言うと、ウラルは、さすがに息を弾ませて、でも、とても満足そうな顔で、うん!と頷いた。
ようやく、少女らしい顔が見られた。
自分も少しは、彼女にとって、何か、役に立てたろうかと、エリカは、ウラルを促して店を出ながら、思った。
そうであれば、嬉しい。
次の店に向かいながら、エリカは、大きく息を吸った。
できることは、限られるけれど。
この子の、力になりたい。
そう、強く、思った。
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