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情報伝達紙クレーデル
―ヘカテ・リガッタ船上にて―
情報伝達紙。
一般に、そう言われて通っている、世界に配布されている広報紙には、一応、名がある。
最初に、この紙束を世に出した、1人の男が、最初の伉儷となった妻の名を付けたのだ。
彼女なしに、このような取り組みは生まれなかったことを、覚えておくために。
後の世に、知ってもらうために。
「いや、気持ちは解りますよ?解りますけどね、やっぱり、なんて言うか、せめて、継いだ家の名じゃいけなかったんでしょうかね!?」
「知らねえよ、いいじゃねえか、別に。お前、酔ってんのか」
アルシュファイド王国の彩石(さいしゃく)騎士の1人で赤璋騎士のふたつ名を持つアルペジオ・ルーペン、通称アルは、面倒事体を見る顔をして、目の前の発信師(はっしんし)を見た。
この世界にただひとつ、情報伝達紙、と言えば、情報伝達紙クレーデルのことを指している。
彼は、その内容を作る一員である、発信師の1人だ。
ほかの情報伝達紙は、経済情報伝達紙だとか、農牧情報伝達紙、気象情報伝達紙など、同じ分野の情報を集めたものと、各国で、国内向けの情報だけを発信しているもので、アルシュファイド王国なら、アルシュファイド王国内情報伝達紙という名称で、提供されている。
あとは、国内でも、さらに地域を狭めて、情報をまとめてあるものは、その地域の名を持っている。
「酔ってませんよ!ほかの国に行っても、私は、アルシュファイド王国の飲酒制限は、人にとって有用な取り決めだと信じてますからね!守ってるんです!」
「へえ。そりゃ、いい心掛けだな」
「そうでしょう!…じゃなくて!命名の感性ですよ!」
「おまえ、なあ。命名の経緯知ってんなら、酌んでやれよ、そんで俺の感情も酌んでくれよ、狭い部屋に閉じ籠って仕事したくねえんだよ」
そう言って、頭を掻きながら、アルは手にした書類を読み進める。
もちろん、同国の者とは言え、部下ではない、しかも情報を発信する職業の発信師がいるのだから、書類の内容は、漏れても構わないものを選んでいる。
「ちょっと!友だち甲斐ありませんね!私たち友だちでしょう!?」
「図々しいなあ、嫌いじゃないけどよお…。そう言うなら、頼む、仕事をさせてくれ」
「はいはい。黙りますよ…」
そう言って、発信師の男…カイ・キリリスは、ひととき黙ったが、すぐに退屈になったらしく、口を開いた。
「ところで、そのリーヴィ様は、美人ですか?」
一瞬でも、仲間の彩石騎士で碧巌騎士のカィン・ロルト・クル・セスティオと似た名前だと親しみを持ったのは、間違いだった、と、知り合って数時間で、アルは早くも後悔し始めた。
ここは、隣国シャスティマ連邦の領海内、世界にただひとつの大陸の、すぐ南の海だ。
アルたちはここを、大陸西端の国のひとつ、サールーン王国目指して航行中だ。
今、カイが口にした、サールーン王国の現国王が第一子、第1王女リヴィエラクシュケ・サー・ルーン、通称リーヴィを迎えに行くのだ。
国王の息女として、外交について権限を持つ彼女には、サールーン王国に各国と結び付きを持ち、また、強化してもらうため、諸国を歴訪してくれるよう、依頼しており、アルは、彼女に同行するために、アルシュファイド王国を離れた。
これは、彩石騎士の広報活動でもあるので、情報伝達紙の発信師を伴い、その行動を発信してもらうことになっている。
彩石騎士が広報など、これまでしたことはなかったが、アルシュファイド王国は今、変わろうとしている。
アルたち彩石騎士も、変わらなければならないのだ。
お喋りなカイのことは、アルは案外、気に入っていて、このように迷惑を掛けられても、どこか面白がっている部分がある。
だが、移動中に、こなさなければならない仕事もあるので、少しばかり、邪魔だと思ってしまう。
「ああ、いた、カイ。さっき、サグラナに聞いたら、防犯の都合上、明かせないところもあるが、記事にしていいと言っていたぞ」
この旅の同行者である、マトレ・レディナが来て、そう言った。
彼は、アルシュファイド王国双王の1人、政王アークシエラ・ローグ・レグナ、通称アーク直属の騎士隊、政王機警隊の一員だ。
後ろには、仲間のボズ・ケイレンとクイル・センツェもいる。
カイは、先ほど、案内係の者に、船内を取材したいので聞いてみてくれと頼んでいたのだ。
マトレは、航行予定など聞くために、船長サグラナ・フィリッツの許へ行っていたので、戻るついでに知らせに来たのだ。
「えっ、本当ですか!ありがたい!では、私は行きますよ。お仕事、頑張ってください、アル」
「おう、海に落っこちるなよー」
「あはは、いやだ、落ちませんよ、子供じゃあるまいし」
そう笑いながら、カイは、急いで写真の撮影師を連れて、この喫茶室を出た。
「ふう、助かった。うるさいのが玉に瑕」
「え、あれ、玉ですか?」
クイルが疑わしげな表情で聞く。
玉…宝石とはまた、立派な比喩だ。
「言い回しひとつに突っ込むなよ。それに、俺は、人ってのはそれぞれが、玉だと思ってるぜ。どんなに欠けているように見えようが、生まれた時から、そいつは完璧なんだよ。世間に揉まれて、汚れたってさ。瑕が付いたって、基にあるのは、輝く宝石なんだよ」
クイルは、驚いて目を大きくした。
「意外です。度量が大きい」
「おい、失礼な奴だな」
「え、いや、申し訳ない。もっと、その、あなたは、さばさばしているから、そんな風に相手を受け入れるより、悪い部分は切り捨てる方だと思っていました」
アルは、ちらりとクイルに目をやって、言った。
「そういうのは、どっちかっつーとファイナの担当。でも、そういうことも、必要なんだぜ。守るためにはさ。あいつがそれを選んだのは、あいつの強さだ」
「ああ…、ええ。解るような気がします。軽率な発言でしたね。すみません」
「いや。なんでも口閉じてりゃいいってもんでもない。思いやりで口を閉じる必要も、誰かのために腹ん中を見せる必要も、その時々で、ある」
「そうですね…」
「ああ。まあ、そう、気にすんな。それはそうと、ちょっと給仕呼んでくれ。ひと休みひと休み!」
風の異能で呼ぶより、クイルにちょっと振り向いてもらえば、気付いて来る。
こんなことで、この大陸の人々は、異能を使ったりはしない。
異能とは、この大陸のすべての人が持つ、土、風、水、火の力だ。
大きさも配分も違うため、異能、と呼ばれている。
なかには、身の内に、それら4種のいずれも持たない者もいるが、それは、そのような、ひとつの異能だし、彼らは、身の内に力がないだけで、4種すべてを扱うことができる。
この大陸の人々は、そのように、様々な形で、この世界を形作る要素と接し、過ごしている。
机の上を片付けたアルは、ついでに体を動かそうと、一旦、書類を部屋に戻すことに決めた。
書類入れに入れ直して、すぐ横の椅子に置くと、マトレとボズとクイルは、近くから椅子を、もうひとつ持ってきて、同じ机を囲んだ。
それぞれが注文した飲み物が来ると、一口飲んで、一様に息をつく。
「ああ、豆茶(まめちゃ)はやっぱいいな!」
豆茶は、大陸の北西に位置する、カザフィス王国の特産品だ。
これは、大陸で広く飲まれていて、知らない者はまず、いないだろう。
黒い液体は、独特の苦みがあり、産地によって味は違うが、共通して、香りがよい。
その産地違いの豆を、適当な配分で混ぜ合わせたりもするので、それだけでも味は多様だ。
「サールーン王国は葉茶(はちゃ)の国ですよね。豆茶はないんですか?」
マトレは、サールーン王国に行くのは初めてだが、アルは2度目だ。
記憶を辿って、見付けたことを口にする。
「いや、確か、あったぞ。ファイナが飲んでた」
「自分では飲まなかったんですか」
「うん。だって、葉茶の代表産地だろ。その場で飲まずにどうする」
「ああ」
なんとなく、アルには、ほっとするものがある。
変わらないもの、と言うのだろうか。
なんでも柔軟に受け入れるが、それは自分を曲げているのではなく、大いなる許容とでも呼ぶべきものなのだろう。
年下なのに、やはり彩石騎士は、異能の力量の大きさだけで選ばれているとは思えない、ほかの騎士にはない何かが、ある。
それは、異能が強大である、ということで、生まれる何か、なのかもしれなかった。
「明日の朝には、サールーン王国に着くんだっけか」
「ええ、ラッカ港に。バーナ港だと、少し到着に時間がかかるので、手前で降りた方がいいだろうと言っていました。多少、陸路は延びますが、土地の形状からして、所要時間に、そう違いはないだろうということです」
「ふうん。サグラナが?」
「ええ、はい」
「さすがだな、海のことだけじゃなく、陸路も把握してる」
「そうですね。乗船の時は、都合のいい港で構わないそうです。ただ、バーナ港の場合、港付近は浅いので、ヘカテ・リガッタは入れません。小船で船の方まで、出てきてもらうということです」
「ふうん。そんな乗り方もしてみたいな。どうせだから、そっちに向かう陸路を採るか?」
「ええ、いいかもしれませんね。最初の寄港地はレア・シャスティマですから、到着は朝に調整できるでしょう」
「おう。またパコに乗れるんだな。楽しみだ!」
「サールーン王国の移動で使える動物ですね。楽しみです」
「おう。あいつら、すげえぞ!まあ、体験してみろ!」
アルは、この旅が嬉しくて仕方がない。
アークと離れるのは、まあ、少し心配なところもあるが、今はファイナが付いているし、アルシュファイド王国に戻れば、シィンたちがいる。
信じて今は、自分のすべきことをするだけだ。
「お、海鳥か。こんな近くを飛ぶことって、あるんだな」
窓の外に、鳥が10羽以上飛び、少しして、離れていった。
海鳥と呼ばれるべき鳥かは、正直に言えば判らないが、大陸からは、それなりに離れているので、きっとそうなのだろうと思う。
海上の安全に配慮して、ほかの国の船より速いアルシュファイド王国の船のなかでも、高速船と呼ばれるヘカテ・リガッタは、大陸が見えない程度の沖まで出て、航行している。
周りには、海から突き出た奇岩しかないが、そんな景色が続くのも、たまにはいい。
「これからしばらく、よろしくな」
改めて、旅の挨拶をして、マトレとボズとクイルを見ると、頷きを確かめ、アルは窓の外を見た。
旅立ちにはよい、いい天気だ。
途中で別れたアークたち、そして、国に残してきた者たち。
さらには、他国で暮らす、知人、友人たちの上に。
等しく、あの青い空はあるのだなと、思った。
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