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―異国の地Ⅵ―
翌朝、起きたウラルは、同じ部屋で寝ている者たちを起こさないよう、そっと部屋を出た。
外は、まだ暗かったけれど、部屋は、扉の下側にある明かりのためか、ぼんやりと様子が判った。
夜中には真っ暗だったけれど、今いる廊下も、ぼんやり様子が判る。
ウラルは、向かいの女客用支度室に入って、昨夜、皆で選んだ服を着ると、身嗜みを整えた。
再び廊下に出ると、足下に光が並んでいて、先ほどより明るくなっている。
なんとなく光を追って廊下を歩き、階下におりると、その玄関広間の奥の方で、人の動き回る気配があった。
正面にある大きな柱時計を見ると、5時を少し回ったところで、次に何をしようか悩む前に、廊下の奥から男が歩いてきた。
家僕と思ったが、家令のグィネスだった。
グィネスは、広間の手前で、おはようございます、と上体を傾けると、近付いてから、密やかな話し方で、何か飲み物などご用意しましょうか、と聞いた。
「あ、」
ウラルは、自分の声が気になって、できるだけ小声で続けた。
「目が覚めちゃった。居間にレジーネがいる?」
「いいえ、まだいらっしゃいませんので、お寛ぎいただけます。どうぞ、私も参ります」
グィネスはウラルの斜め前を歩いて、先に居間の扉を開けると、ウラルをなかに入れた。
居間のなかには、ぼんやりとした明かりが、所々に配置してあって、ウラルは、明るすぎないことに安堵した。
「もう少し明るくしましょうか?」
グィネスの声の調子が、先ほどよりも普通に近い。
ウラルは、それにも少し安心して、普通の声を出した。
「あ、ううん。ちょうどいい」
ウラルは、窓際にある寝椅子に近付いた。
「これ、使ってもいい?」
「ええ、どうぞ、お気の向くままに、ご遠慮はなさいませんよう。寒くはありませんか?」
「えっと…、ちょっと、寒いかも」
「お待ちください」
グィネスは、すぐ横の戸棚を開けて、布を取り出した。
「どうぞ、お使いください」
「ありがとう」
それは、肩掛けや膝掛けではなく、体を包めるぐらい大きくて、柔らかで滑らかな感触の毛が、肌心地よい布だった。
ウラルは、布を肩に掛けて、両腕に掛けた端を、ぎゅっと体の前で交差させた。
暖かさが、身を包む。
グィネスが改めて、寝椅子を使うよう勧め、飲み物をお持ちします、と言った。
「お好きなときに飲めるよう、中身の冷めない工夫をした急須に、雑穀茶を入れておきましょう。ほかに、甘くした白乳など、いかがでしょう?白乳葉茶ですと、少し葉の香りもします」
「それ、飲んでみたい」
「かしこまりました。すぐにお持ちします」
グィネスが部屋を出て行き、ウラルは、寝椅子にもたれて、目を閉じた。
ほんの少し、うとうとしていたらしい。
気付くと、横の小机に茶が用意されていて、伏せられた器がふたつと、湯気の立っている中身の入った器がひとつあった。
手前の、白乳葉茶と思われる飲み物を口に含むと、器に伝わるように温かく、砂糖の甘さと、白乳の柔らかさと、葉の香りが、とてもおいしく調和しており、ほっと息を吐いた。
「おいしい…」
呟いて、もう少し飲むと、落ち着き、ふと、机の上の急須に触れてみた。
グィネスが言ったように、冷めないようにしてあるのだろう。
火傷しない温かさが心地いい。
白乳葉茶をちょっと脇に置き、伏せられた器をひっくり返して、急須の中身を注いだ。
白乳葉茶も、甘くていいけれど、甘くない茶もいい。
飲みかけの雑穀茶を、器と対の皿の上に置いて、再び白乳葉茶を手のなかに包み込んだ。
こんな贅沢、住んでいた村では、考えられない。
でも、あの村の、あの、家にあった温かさは。
なににも、代えられない。
静けさのなか、思い出す。
失われたもの。
そうだ。
まだ、区切りを、付けていない。
そのとき、赤みを帯びた陽の光が、ひとすじ、庭の地面に落ちた。
そう思った次の瞬間には、辺りに、夜明けの薄い光が広がった。
まだ、そんなに明るくはないけれど、未明の時は、過ぎたらしい。
こんな風に。
自分も、自分にもきっと、明ける瞬間を感じることが、必要、だ。
どうしたら、得られるだろうか。
扉が開く音がして、振り向くと、ジェッツィだった。
「おはよ」
近くに来て、ひっそりと声を掛ける。
小机の向こうにある、同じ形の寝椅子に横向きに座って、大丈夫?と聞いてきた。
「え、うん。別に、なんともないよ」
なんともない、というのは、少し、違うけれど。
特別なこともない。
「これ、おいしいね。飲んだことある?」
「え、なあに、それ」
「白乳葉茶」
「白乳、葉茶。えー、飲んだことない。ずっと白乳。変な味しない?」
「えー、変な味って何ー、しないよー」
ウラルは、くすくす笑った。
扉が開いて、小間使いが、ジェッツィのために、温かな白乳の入った器を、小机に置いていった。
ジェッツィは白乳を飲んで、ほっと息をつくと、広い土の地面だけが見られる庭を眺めた。
「何もないのに、なんだろ、いいね。この庭」
ジェッツィが、ぽつりと、呟いた。
ウラルが答える。
「何もないからかな…」
「そっか」
「うん…」
2人、じっと地面を見つめて、それから手のなかの器に口を付け、飲み干すまで少し。
「ウラル、寒いの?」
ジェッツィが、ウラルが体に巻いている布を見て言った。
「ん、今はそこまでじゃないけど、これ、いいね。ふわふわ」
頬をすり寄せる。
すごく心地いい。
「え、触らせて」
「うん」
「わー、ほんとだ。ふわふわ。たまにデュッカが出してくれる鳥みたい」
「彩石鳥?あれ、触れるの?」
「うん。デュッカのは触れる。フーディーのは、触れないよ。学習場のも、触れないよね」
「へえー、そんな違いがあったんだ」
「うん。見た目、同じでも、けっこう、違うことあるんだ。だから、なんでも、確かめないとね」
「ふうーん。そうなんだ」
ふと、どこか騒がしい音がして、足音がするようだった。
「あ、なんか、起きてきたね」
「うん」
話し声もして、どうやら、玄関の扉が開き、静かになった。
「あれ、外に出た…」
ジェッツィが言ってから、少し経って、青少年がわらわらと庭に出てきた。
「あっ、とられちゃった」
ジェッツィは、ちょっぴり、衝撃と共に残念な気持ちを覚えたが、仕方ない。
「ニトがいない…」
デュッカも、オズネルも、レイもいるのに、レジーネとニトがいない。
ウラルが背もたれから身を起こしたとき、居間の扉が開いて、小間使いが入ってきた。
「只今、ニト様はお部屋で、レジーネ様とともにお休み中ですが、小間使いを付けておりますので、お任せくださいませ。飲み物の替えは必要ありませんか?」
「あ、…、まだ寝てるの?」
小間使いは、ウラルのすぐ側に膝を落とすと、低い位置から見上げて、にっこり笑った。
「この邸にいる間は、私どもにお任せくださいませ。ちゃん、と。見ておりますから、大丈夫ですよ」
力強い言葉の抑揚は、とても説得力があって、ウラルは、安心させられた。
「あ、そう…、あ、ありがとう。お願いします…」
「はい、確かに、お引き受けします。…さあ、飲み物をお持ちしましょうか、何か、お腹は空きませんか、ジェッツィ様?」
小間使いは、体を回転させて、ジェッツィにも顔を向けた。
「あ…、うん。小さな、何か、あるといいな。甘くないの。あと、んー、まだあるかな…」
ジェッツィは、急須を持ってみた。
「お2人になりましたから、入れ直して参ります。急須の中身は、雑穀茶にして、食べ物と用意するのは、葉茶にしましょうか?」
「あ、うん。ちょっと濃いめがいいな。でも、豆茶は苦すぎるし…」
「では、黒豆茶はいかがでしょう。苦みはありませんが、香ばしさが際立ちます。それか、緑茶は、少し爽やかなものになりますが、紅茶よりも苦みが強めと存じます」
「そうだね…、ん、苦くないけど、黒豆茶がいいかな。ウラルはどうする?」
「あ、同じにして」
「かしこまりました。すぐ、お持ちしますね。お待ちくださいませ」
小間使いは、そう言って、急須と、雑穀茶に使われて空になった、器と皿のひと揃いを持って下がった。
ウラルとジェッツィは、小間使いを見送ると、正面の庭を見た。
青少年と、大人たちは、剣を使わず、素手で、武術の鍛練を始めていた。
「なんだか、踊っているみたい。きれい」
ウラルが言い、ジェッツィは納得して、何度か頷いた。
「あ、うん。そうか。何か、律動があるなって、思ったんだ。そうか、そうだね。踊りって、こんな感じだよね」
ジェッツィは立ち上がって、横の、少し広いところで、くるりと回った。
「止め、跳ね、蹴り、振り。ああ、なんか、いい感じ」
ジェッツィの動きは、外の男たちの動きに似ていたけれど、見せるための、華があった。
「わあ。なあに、その動き。きれいだね」
「えへへ。うん。舞踊のつもり。すーごく昔には、双子の神様に、くるくる回って、舞って見せていたんだって。お母さんが言ってた」
「そっか」
いつか自分も、こんな風に、穏やかに母の言葉を語れるだろうか。
ウラルは、そうなりたい、と、強く思った。
小間使いが、今度は2人で入って来て、台車に載せた茶などを、小机の上に置いて、空の器を回収した。
見てみると、きれいな黄金色をした、楕円の食べ物が、ひとつずつ置かれている。
とても素朴な形だけれど、興味をそそられて食べてみた。
すると、ほんのり甘いながら、菓子ほどではない、この植物独特の味がした。
少しねっとりとしているけれど、噛むと、ほくほくと、抵抗なく砕ける。
「ん、おいしい」
「私も。…、あ、ちょっとだけ甘いね。でも、お菓子ほどじゃないや」
「うん」
小さいので、すぐ、食べ終える。
温かな、黒豆茶独特の味と相俟って、とてもおいしい。
「ああ、ほっとする」
ウラルがため息をつき、ジェッツィは頷いた。
「うん。なんか、おだやか」
ほっと一息ついて、外の様子を眺める。
どうやら、あちらとこちらに分かれて、何か、取り合いをしている。
「なんだろう、あれ」
「さあ…、編みぐるみ?」
「あみぐるみって、なあに?」
「布切れを寄せ集めて、編物で包むの。それでちょっと、ついでに、動物みたいに作るのよ。小さい子の、おもちゃ」
「ふうん。柔らかそうだね」
「うん、でも、すぐばらばらになっちゃう」
「ふうーん」
そんな話をしているうちに、辺りはすっかり明るくなり、ミナたちも起きてきて、お腹が空いてきた。
外の青少年も、そう思ったらしく、邸のなかに戻ってきた。
賑やかな朝食を済ませると、皆で居間に入って、今日の行動を確認する。
「俺たちは、カリたちが来たら、出掛けよう。ニトを車に乗せて、レジーネを抱けばいいな」
オズネルがそう言って、マトレイが頷いた。
「そうね。大きいから、乗せられるけど、2人で乗ると、暴れそうだわ。探せばたぶん、もうひとつぐらい、手押し車もあるでしょうけど、3台は扱いづらそうだわ」
「それに、ニトはもう少し歩けそうだしな。眠れば、ひとつに2人乗せても、大丈夫だろう」
「ええ」
話がまとまったと見て、デュッカが口を開いた。
「表示用の板を注文してある。細長いもので、手前に置くことを想定して注文した。番号と、代表曲の名だけ書けばいい。それと、複製用の小箱が、朝のうちに届くはずだ。大きさは、元の箱と大体同じものを注文した」
「どうやって書くの?」
ジェッツィが聞き、デュッカはそちらを見た。
「板も箱も、術語のあと、口頭で発した文字が刻まれる。真名が違うとか、片仮名や、敢えて平仮名で表示したい時などは、そのように発言すれば、表示が変化する。決定して、文字を固定させるときは、また術語を使う」
「へえー」
なんとなく、その状況を思い描きながら、ジェッツィが応える。
ミナが言った。
「表示の方は、ブドーとジェッツィと、ウラルとコーダと、あと、オルカが来ますね。それと、デュッカと、エリカさんも、表示組ですね。レイは、お仕事とかですか。ファルセットは、出掛ける?昼か夕方にまた来る?」
「邪魔でなければ、俺も手伝いますけど」
「そうだな、あと、誰が来るんだ?」
レイに聞かれて、ミナが考えながら言った。
「リィナと、テナと、サリと、カィンが手伝いに。ファラは、状況見て、散歩か、作業か決めるそうです。スーは、それに合わせるでしょうね。テオはお仕事なんですって。カリとイズラは、お散歩組でしょ。あ、そう、サシャスティって言う、声楽師も来ます。今回、彩石を譲ってくださった方ですよ。あとは、ユクトとラフィとパリスと私は、部屋にいると邪魔だろうから、別室で作業しようか」
「何?」
デュッカが不機嫌丸出しの声を上げた。
「ははははは、大人げありませんよ、デュッカ。ちょっと、丸一日離れるぐらい、なんですか」
パリスが、好対照の上機嫌で、楽しげに言う。
ますます眉間に皺を寄せるデュッカは、一日…、と低い声で呟く。
「10人以上か。しかし、もう、そこまでいるなら、あと、1人増えても、2人増えても、いいだろう。部屋が大きかったし、俺は手伝いがしたいよ」
「うん、俺も。手伝わせて」
レイとファルセットがそう決めるなか、デュッカが、まだ、一日…、と呟いている。
「録音と、確認は、風があれば、ほかの人でもできるんだ。デュッカは発動者の様子見をお願いしますね。別室ですると、彩石運ぶ人が必要だな。まあ、なんとか遣り繰りしましょう」
「一日」
「もう、大人げありませんよ、デュッカ。彩石運びしますか?」
「する」
オズネルとマトレイが、目を見交わして、年少者は意味が解らなかったようだが、残りの者は、緩く笑った。
「発動者の様子は、ちゃんと見ててくださいね?じゃあ、ちょっと準備しましょうか。作業用に、机とか椅子とか、あった方がいいかも。女子は、準備ができたら呼ぶから、もう少しここにいて。コーダも残った方がいいか」
「おれ、てつだう!」
「そっか。じゃあ、行こっか」
ミナは、コーダと手を繋いで部屋を出て、青少年と、デュッカがそれに続いた。
「はっは、甘やかしたな、オズネル」
レイがそう言って、くつくつ笑う。
「いや、俺も、ああなるとは…。そもそも、人にも物にも、執着したことなんか、なかったんだ」
オズネルは、そう答えて、あれは何か、問題になるだろうかと考えた。
マトレイが、どこか、諦め顔で息を吐いた。
「いえ、思い返せば、ちょこちょこ、ああいうところは、あったわ。ただ、それでも、諦めはよい方だと思っていたけれど…」
そっと、頬に手を当てて、ミナ、大丈夫かしらと呟いた。
「え、何か問題?」
ジェッツィが首を傾げ、エリカが、あれはあれで、羨ましいところもあるわね、と笑った。
「一日、なんなの?どういう意味?」
ウラルが聞き、エリカが、笑いながら答えた。
「デュッカは、ミナと、丸一日なんて、とても離れていられないんですって」
ジェッツィが目を大きくする。
「えー、デュッカ、いつも風の宮に行ってるでしょ?いつものことじゃないの?」
「だから、休みの日ぐらい、一緒にいたいのでしょうね」
「ああ…、仲良しなんだ」
「仲良し…」
レイが呟いて、はは…、と乾いた笑い声を漏らす。
「ふうーん。でも、お昼ごはんとか、休憩とか、顔、合わせるよねえ?」
ウラルが、納得しかねる様子で、首を傾ける。
「ふふ。そう。それだけじゃ足りないんですって」
「ええー、いくらなんでも、それは、くっつき過ぎ…」
ウラルの呆れ顔を見て、レイは困ったように笑う。
自分はしないけれど、気持ちは、わりとデュッカ寄りだった。
今日、手伝うと決めたのも、どちらかと言えば、エリカの側にいたいからだ。
ジェッツィが、首を傾げて言った。
「そうなのかな。私は、そうしてくれるなら、嬉しいかな」
ウラルは、疑わしい、とでも言うような顔で返す。
「嬉しいけど、でも、なんか、普段からそんなに付いて回られたら、困るよ」
「そう?」
「うん。だって、男の人には内緒にしたいこと、いっぱいあるもん」
「えー、そうかな」
「そうだよ。男の人いるのに、ごろごろはできないでしょ」
「え、私、ブドーやお父さんがいても、ごろごろするよー」
「それは、家族だもん。ユクトの前で、ごろごろする?」
「えっ…」
ジェッツィは、想像して、赤くなり、俯いた。
「し、したくないかも…、で、できない…」
「ね?そういうこと!」
「そっ、そうかあ…、ミナ、たいへん…」
「ねー」
少女たちの会話に、大人たちは、ただただ、笑うしかない。
そのうち、注文していた、表示用の板、今回使うものは、棚置札(ほうちふだ)と呼ぶのだそうだが、とにかく、その札と、彩石入れとしての小箱が届いた。
それと前後して、小箱整理要員のリィナ、テナ、サリ、カィン、オルカ、サシャスティと、子守りで散歩に出掛ける、水の宮公カリと、その連れ合いであるイズラ・イル・ユヅリと、2人の息子マディク・レズラ・ユヅリ、そして状況次第でどちらでも手伝いたいと言ってくれた火の宮公カヌン・ファラ、その連れ合いで彩石騎士の1人、緑棠騎士カヌン・スー・ローゼルスタインが来た。
それに加えて、新顔の小さい子がいると聞き付けて、マディクの祖母であるカルトラ・ナ・ユヅリと、祖父のサムナ・ハク・ユヅリも、娘家族に付いて来ており、ニトと仲良くしようと気を引いてみたりした。
そんななか、ラフィの兄のファルと、兄弟の母、セッカ・シア・スーンが来訪した。
朝早くから、焼き菓子を作ったのだと言って、ミナと挨拶する。
「ミナ様には、兄弟でお世話になることになりまして…」
「そんな、世話を掛けるのはこちらです。あの、どうか、ミナと呼んでください」
「はい。ありがとうございます。こちら、お口に合うか、わかりませんが、どうぞ…」
「ありがとうございます。今日はお客さんが多いから、助かります」
「私も何か、お手伝いできれば…」
「そうですか?じゃあ、お言葉に甘えて、全体の様子を見ていてもらえませんか?グィネスに頼んでも、見てはくれると思うんですけど、グィネスは邸の動きをよくする仕事だから、指示を出してお客さんとか動かすのは、ちょっと家令の仕事とは言えないので」
「私が指示ですか?」
「難しく考えないでください。少年少女の様子を見て、休ませるとか、そういうことで構いません」
「ああ、それなら…」
「ありがとうございます。私、別室にいるから、あちこち見に行けそうになくて。助かります」
「どういたしまして。では、早速…、幼い子たちの準備をお願いします。グィネスさん、持ってきた菓子を分けて、お散歩の皆さんにお持ちになってもらえるよう、お願いします」
「どうぞ、グィネスとお呼びくださいませ。すぐ、取り掛かります」
「ありがとう、グィネス。それでは、作業場は2階でしょうか?」
ジェッツィが、うん、と頷く。
「じゃあ、行きましょう。さ、どうぞ、上がって」
セッカは、2階に上がる顔触れを確かめてから、自分も上がった。
そうして、まずは、どんな作業をするか、改めて全員で確認し、女子は小箱担当、男子は棚置札担当とした。
「リィナが女子のまとめ、サシャスティが男子のまとめです。エリカはここに座って、両方を監督してくださいね。さあ、始めて」
それから、デュッカとファルをふたつの部屋を行き来する係とした。
「デュッカは彩石担当、ファルは空箱担当です。さあ、動いて」
ミナたちの作業部屋も確認し、そこで一旦、1階の居間に戻ると、散歩組の装備を確かめた。
「マトレイたちはレジーネ、カリたちはマディク、カルトラたちはニト。ファラたちは全体を見ること。それでは、昼に一旦、戻るのですね。お待ちします。気を付けて」
そのように送り出すと、グィネスに、朝の休憩と、昼食の支度を頼み、そのあとはどうなるだろうかと相談した。
「幼いお子さま方は、お休みになるかもしれませんね。それと、もう少ししたら、大工師が来るでしょう」
「あら、そちらは…」
「2階の、今、ミナ様がお使いの部屋から、横4部屋を繋げて、舞踊室を作るのです。その工事で、今日は、下準備といったところですか。どのような作業になるか、詳しくは存じません」
「そうなの。口出しするわけにはいかないけれど、時間が合うようなら、ミナは食事など勧めたいのではないかしら」
「ええ、そのように心得まして、準備はさせております」
セッカは、グィネスの有能さと、ミナの願いを察知しようとする思いやりの心に、微笑んだ。
家令としても、人としても、信頼できる。
「では、よいわね。ミナたちの作業場が保てるか、確認しましょう。幼い子たちは、お昼寝のあとは?」
「はい。そちらの柵が、この居間の半ばより少し広いぐらいに拡張できますので、その状態で遊んでいただいたり、すぐそちらの、庭で遊んでいただいております」
「では、そちらを見守りながら、大人はお話などですね」
「ええ、そのようになさっておいでです」
「では、昼食後の菓子と、昼休憩の菓子と、お話し中の茶請けが必要ね」
「はい。ひとまず、用意はありますが、滅多にない集まりですから、話題にもよい菓子を、改めて用意しようかと、思案しております」
「そうね。行動が分かれているから、それぞれに違う菓子を用意したら、夕食がご一緒できるなら、その時の話題にもできそうに思うわ」
「それはよいお考えです。皆さんのご都合がよければ、本日は予め、夕食を用意してございますので、機会は作れます。早速、趣の違う菓子を用意させましょう」
「ありがとう。明日は、どうなるかしら」
「はい。来週からご家族でのご旅行となりますので、そのお支度をなさるそうです」
「ああ、聞いているわ。では、今夜はもう、ラフィも泊めない方がよいですね」
「いいえ、ウラル様、コーダ様、ニト様がいらっしゃいますから、賑やかであれば、お三方も気兼ねなさいませんでしょう」
「あら、おうちの方は、いつ、お戻りに?」
「ああ、実は、まだ、保護責任者が決まっていないのですよ」
「えっ」
初めて聞く話に、セッカは驚いた。
この数日、ラフィとは会っておらず、ファルからはただ、弟がイエヤ邸に泊まっているとしか聞いていなかったのだ。
「まあ。それは、心細いでしょうに…」
「然様に存じます。もし、お三方がよろしければ、住まいだけならば、当邸で提供できるとして、私どもも、そのつもりではおりますが、ミナ様とデュッカ様には、保護責任者は、別に必要とのお考えです」
「ああ…、それは、そうね。大家族が悪いとは言わないけれど、手の足りないことや、配慮の行き届かないことは、出てくるのでしょう…」
「はい。まず、3人のお子様が、一度に増えるということは、多くのご家族で、ご自宅が手狭かと」
「それで、住まいだけと、問題を分ければ、その間に、親しんだり、住まいを用意したりもできるということね」
「はい。今すぐ、あれこれ用意できなくとも、気に掛ける者がいる、ということが、重要なのだと、存じます」
「ええ…、そうね」
3人の、姉と弟たち、だろうか。
遺された、状況は判らなかったが、悪いことが、何かしら起きたのだろう。
「では、ええと。夕食を摂った者たちは、どのくらい、泊まったらよいかしら。あまり多くても、用意はできる?」
「ええ、もちろん、ご用意いたします。この、二晩ほどは、男女に分かれて、楽しい夜をお過ごしのようでしたよ。本日、全員となりますと、…少し、分けた方がよいですね。10代と、それ以上か、既婚の皆様には、それぞれでお休みいただきますか」
「そうね。既婚の者は、引き留めない方がよいかしら」
「夜が遅くなりますし、明日も休日ですから、当邸をご利用いただきたく存じます」
「そう?では、そのようにお願いするわ」
「セッカ様は、お泊まりいただけますか?ご伉儷もお呼びしてよろしいでしょうか」
「まあ。よいの?そうね…、甘えさせてもらおうかしら」
グィネスは、にっこり笑った。
「嬉しく存じます。では、私どもの方で、ご伉儷に状況を説明しておきましょう」
「ええ、お願いするわ。お泊まりなんて、ちょっと、どきどきしてしまうわ」
恥ずかしそうに笑うセッカに、グィネスは言った。
「それでは、男女ふた組ずつに分けましょうか。女性同士の夜も、たまにはよいでしょう」
「まあ。ほんとう。そうしてくれる?嬉しい」
少女のように頬を上気させるセッカに、グィネスは微笑んで頷き、彼女の連れ合い、ルフト・シア・スーンに連絡を取るよう手配した。
間もなく来た大工師と話して、ミナたちの作業場を保ってもらい、朝の休憩の時機を見計らい、戻る幼い子らや、大人たちの環境を整えるなど、セッカは、あちらこちらで都合を付けた。
目的の作業の進みは順調で、人手が多かったこともあり、複製作りは、もう少し掛かるが、棚の表示と、小箱の表示は、今日中に済ませられそうだった。
昼食を摂り、適度に休んで、作業を続け、夕方、一旦、区切りを付けられた。
「ああ、本当、助かりました!来てくださって、よかった」
ミナがそう言って、セッカの両手を握った。
「でしゃばり過ぎてはいないでしょうか」
「とんでもない!安心して、落ち着いて、作業させてもらいました。ありがとう!」
セッカは、長男ファルが直接仕え、守る人の、そして次男ラフィに救いの手を伸べ、これから深く関わるのだろう人のことを知ることができて、よかったと思った。
「家族旅行、楽しまれてください。よい思い出となるよう、息子たちが何かしら、お手伝いできるとよいです」
「ありがとう。彼らが付いていてくれることが、何よりの助けです」
そのように話して、2人は笑顔を広げた。
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