家族旅行

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       ―Ⅵ―    いつものように出発して、ミナはブドーとジェッツィの様子に気を配ってはいたけれど、どこか、上の空のようでもあった。 夕方、到着した王都コーリナの城で、部屋に案内され、1人になると、窓を開け、意識を広げる。 ミナは、4種ある異能の力量は、とても小さいけれど、それとは別に、彩石の力を読み取る能力が、とてつもなく大きい。 その力を使えば、彩石の力の及ぶ範囲に対して、働き掛けることもできる。 異能の力を伸ばすのではなくて、感知能力で、すべてを把握し、必要なところだけに、少し力を加えてやる。 自分の異能の力が足りなければ、彩石や、自分以外の人の異能の力を使うことができる。 自分自身でできることは、とても小さいけれど、そうやって、これまでも、多くのこと、大きなことを成し遂げてきたのだ。 それらの事実が、重くないと言ったら、嘘になる。 時々、潰されそうになるけれど。 今は、デュッカがいるから。 大丈夫。 心を強くして、胸の前で、こぶしを握ると、窓を閉めた。 まずは、ザクォーネ王国国王サラナザリエ・クイネ・レスフィールと対面して、明日(あす)、国民に働き掛ける許可をもらわなければ。 もしかしたら、拒否されるかもしれない。 そのときは、ミナにも、どうしようもない。 この国の行く末を、考えるべきは、この国の者なのだから。 時間を確かめて、まだ余裕があることを知り、湯を浴びる。 身支度を整えて、部屋を出ると、廊下に案内の者がいて、デュッカと、ブドーとジェッツィと、ムトがいた。 ミナが最後だったようで、それではご案内しますと、言う男…リフトール城内長のあとに続いた。 昇降機を使うなどして、着いた部屋に入ると、10歳程度と思われる外見の少女が、小走りで来て、ミナの両手を取った。 「ミナ!よく来てくれたな!嬉しいぞ!デュッカ、久しいな。それで、そちらが新たな家族か」 「ええ、サラナザリエ様、こちらが姉のジェッツィ、あ、フレンジェットですけど、ジェッツィと呼んでいます。そしてこちらが、弟のブドー」 「よろしくな!サラナザリエだ。双子だけあって、よく似ている!」 サラナザリエは、ジェッツィとブドーの手を、順に両手で握って、軽く振った。 「さあ、席に着こうか。ムト。ご苦労だな。家族旅行ということだったが、お前たちも必要なのか」 ムトはちょっと笑った。 「まあ、そうですね。必要と言うよりは、不都合の軽減とでも言いますか。一番は、国の者が安心するためですよ。1人で…は、まあ、ありませんけど、とにかく、あちらこちらに行くのに、少人数では、何事か起こっても、何が起こったのかを、知ることすらできないかもしれません。そんなことでは、こちらは不安で仕方がない」 「ふっ。まあ、そんなものかもしれないな。私も、大丈夫だと言うのに、街を1人で歩くこともできん」 「いや、それは…、窮屈ですか?」 「いや、窮屈ということではないな。ただ、ちょっとな。いくらなんでも、人数が多すぎる。せめて1人にしてくれたらいいのに」 「まあ、そうですね…、護衛としては、1人は戦い、1人は守り、1人は退路を開きます。最低3人、あと2人、護衛が分かれる場合などに対応します。何かがあった場合を考えるなら、5人はいないと、王都でも、ほかの者は安心できません」 「うむ…。役目の者の考えに(いな)を唱えるのは、私も、立場としてすべきでないし、おかしな話とも思うのだが。せっかくこの姿なのだ。何も知らぬ子らに交じってみたいのだよ」 ムトは笑った。 「そのように、しっかりした意思を持つ子は少ない。難しいと思いますよ」 「む。それでも、したいのだ!やってみなければ判らんではないか」 「ええ、まあ、そうでしょうね」 ムトは、くすくす笑い、サラナザリエは頬を膨らませていたが、ぷっと吹き出して、一緒に笑った。 「ああ、やはり、ほかの者たちも呼べばよかったな。明日(あす)の夜は楽しもうぞ。ミナたちは、街を見て回るのか」 話しながらも、一同は席に着き、サラナザリエは食事を促していたので、ミナも小刀(しょうとう)(にく)()を手に、食べ始めていたが、話し掛けられて手を止めた。 「ああ、いえ。朝のうちに、やってみたいことがあるんです」 「やってみたいこと?」 「ええ」 ミナは、ちょっと考えて、手に持つ小刀(しょうとう)(にく)()を、皿に置いた。 「あとで、お時間をいただけませんか」 サラナザリエは、一旦、口を開いたが、思い直して、頷いた。 「うむ。国格彩石判定師としてではなく、ということに、関わるのだな」 国格(こっかく)彩石判定師。 この世界で、国格を冠する職業の者は、国家の威信を負う者の1人として、どの国に於いても、最大限の敬意を払うことを求められる。 その名称を掲げるならば、その行動は、国家の威信を懸けたものだ。 けれど、今回、そうではない。 家族旅行であり。 つまり、私人として、ミナはここにいるのだ。 「ええ。そう、判別するならば、四色(しそく)の者として、という、区別の仕方もあるかと思います」 「しそく…4色(よんしょく)?ああ、四色、か。ふむ…、思う以上に、4種の異能持ちは、世界には、いないということなのか」 「ええ。3種まではいますし、身に宿す色は、4色以上もいるんですけどね。そういう人たちは、色はあっても使えないとか、同じ種類の異能を示しているんです。だからたぶん、4種を示す4色の身の色を持つ者は、極端に少ないか、私以外にいないのでしょう」 「ミナ以外にいない…」 「たぶんですけどね。あとで、デュッカと3人で、話したいと思います。いいですか?」 「うむ、分かった。では、食事のあとに」 そのように話してから、あとは、ここまでの道のりについて、ブドーとジェッツィを中心に話した。 サラナザリエの見た目年齢の低さのことは、2人に話してあったので、ブドーは話しているうち、目上の女友だちとの会話になっていた。 ジェッツィは、それより長めに戸惑っていたけれど、食事が終わる頃には、打ち解けているようだった。 食事を終えると、ブドーとジェッツィとムトは、旅の連れたちがいるという談話室に案内され、ミナとデュッカは、サラナザリエのあとに付いて食堂を出た。 「今は、ホステナ様は遠方に?」 ホステナ・ルクト・レスフィールは、サラナザリエの曾孫(そうそん)だ。 次代の国王と目されているが、サラナザリエが、現在、(ゆる)やかに外見年齢が上がっていることで、今後、数十年の統治が続けられそうだと考えられ、即位の時機を計っているところだ。 「うむ。アルシュファイド国への支払いを、名のある彩石で行うので、その採石から選別、運搬など、仕組みを整えさせるために、各地の彩石の…溜まり場と呼ぶべきか。そちらに行かせている」 「ああ。それでは、今回は、お会いできませんね」 「うむ。残念がるだろうなあ。そういえば、ミナが結婚したと知ったときは、かなり落ち込んでいたようだぞ」 「へえ?私、そんなに結婚しなさそうに見えたんでしょうか」 「いや、普通に、気落ちしたのだろう。まあ、まだ、ふんわりとした思いだったのだろうが、それでも、惹かれてはいたのだ」 「え?私、気を引くようなことは何も…」 「そうか?まあ、それで玄孫(やしゃご)が生まれないということには、ならないだろうから、いいがな。さて、こちらにしよう。お入り」 「はい」 入った部屋は、国王の家族が(くつろ)ぐための居間だ。 サラナザリエは、部屋の奥の両扉の入り口を押し開け、ミナとデュッカを招いた。 「さて、こちらがいいかな。おいで」 サラナザリエは、窓の形に沿って、半円に(しつら)えられた、低く柔らかな弾力のある椅子に、体を預けた。 ミナとデュッカは、机を挟んで置かれた、揃いの1人掛けの椅子に、それぞれ腰を下ろした。 「それで、話とは何か」 「はい。リクト国への、この国の対応は、現在、どのようになっているでしょうか」 「リクト…。うむ。現在、あちらには、我が国から連れ去られた子らが多くいるのではないかと考えられるのでな。その者たちの返還を、国王として、求めている。あちらの国王は、最近、実権を握ったようでな。幼いが、聡明で誠実な者らしい。調査の進捗なども(つまび)らかに報告を寄越(よこ)してくれるし、判ったところから、迅速に返してくれている」 「それは、ザクォーネ国民の知るところでしょうか」 「うん?まあ、返された者がいるからな。戻った者らを迎えた者らには、国王の配慮によるものだと、伝えてあるぞ」 「戻った子たちは、どのような様子でしょう?それに、迎えた者たちの反応は?」 「ふむ。それまでの扱いはともかく、返還の(さい)には、手厚くしてくれたらしく、少なくとも身綺麗(みぎれい)には、してくれているし、食べさせてもくれたようで、まずは、どちらも、安心した様子だな。奪われて、あちらで何をされたのか、起こったことは消せはしないが、リクト国の国王には、皆、ある程度、感謝…と言うのも変だが、まあ、それに近いような気持ちではあると、思うぞ」 「そう、ですか…。でも、命を失った人たちは、戻りませんね。それに、怪我をした人も、完全な回復ができなかった人も、いるのでしょうか」 「それはまあ、侵攻の歴史が長いからな。それなりに、医師もいるが、ツェリンスィアも使ってはいるが、多少、足を引きずるとか、手の動きが悪いとかは、医師に掛かる金などと考え合わせて、そのままでいる者も、いるのだろう。どれほどかは、私も把握していないのだが」 ツェリンスィアと言うのは、花と、それから採取される花の蜜を(もと)に作られた、薬の名だ。 患部に塗れば、たちまち悪いところが治るという万能薬で、コーリナ城の地下でのみ栽培されている。 この生育には、水が重要らしいのだが、水の豊富なザクォーネ王国でも、なぜか王城の地下でしか育たないので、作り出す薬は、国民に行き渡るほどではなく、値段を高くして、求められる数を調節している。 この世界では、大抵の傷病は、異能を用いて、医師が、患部を造り直したり、流れの悪いところを、(とどこお)りなく、適当な速度で流してやるので、必ずしもツェリンスィアでなければならない、ということはないが、損傷が大きい場合などは、異能の力量が必要量に達しない医師が多くなる。 また、医師によって、使う異能の種類や術が違うし、精度や熟練度に差がある。 手法からして、まったく違うこともあり、完治するかは、医師その人の、手腕に()るものだ。 アルシュファイド王国では、ある程度、手法が整備されているので、国家資格を持つ者であれば、最低限、小康を保つことはできる。 その(あいだ)に、完治できる医師の(もと)に向かうことができるし、医療費は、薬代も含め、すべて国の負担となるので、適当な医師の都合さえ付けば、治療を受け、健康体に戻ることができる。 そのため、アルシュファイド王国での死亡の原因は、ほかの国より格段に老衰が多くなっている。 どんな医師も、人の体すべてを一新することはできないので、老いて弱った体の一部を造り直したり、機能を助けることしかできない。 同じ医師や、複数の医師に頼んで、順番に体を造り直したとしても、繋ぎ目に当たる部分で、どうしても不具合が生じるらしく、(かえ)って苦しい思いを繰り返すことになると言われている。 さておき、ザクォーネ王国に関して言えば、戦があれば、治療をする猶予もなく、死に至る者が多く、負った傷による不具合が残る場合が多い。 そのような遺恨は深いだろうし、前回、ミナたちの来訪時に発覚した、(さら)われた者は、年齢の低い子たちだったが、凌辱、あるいは子を産ませるための道具として、女たち、働き手として男たちが連れ去られたこともあっただろう。 気の遠くなるほど長い間に、祖国に戻ることなく亡くなる者もいたのだろうし、長年の隷従に()り、今、命があっても、機会を与えられても、国に戻ることができない者も、いるかもしれない。 ミナは、両手を組んで、唇を引き結び、サラナザリエを見た。 「明日(あす)、この国に、風を通したいと思います。具体的には、人々の、心に、干渉します。この国の人々の心を騒がせ、乱すことになるのでしょう。それでも。サラナザリエ様。ザクォーネ国がリクト国との交流を進めるために、私に、できることを、試させては、もらえませんか」 「ミナ」 それは、他国の者が、国格の名を冠するとしても、()して私人としてなど、口出しできることでは、いや、していいことでは、ない。 サラナザリエは、次の言葉を迷った。 ミナがそのような、浅慮をするとも、当事国の者の気持ちを(ないがし)ろに…もはや踏み(にじ)ると言っていい暴挙に出ようとも、思えなかった。 どう、解釈すべきか、迷うサラナザリエに、ミナは言った。 「個人として、国王陛下に、お願いに上がりました。ザクォーネ国として、リクト国に、歩み寄っていただきたいのです。ある、一事(いちじ)のために」 サラナザリエは、それを聞いて、ひととき、問題を先送りすることにして、聞いた。 「ある一事(いちじ)とは」 「デュッカ」 呼び掛けに応えて、デュッカが、強力な結界を張った。 空気を操作する程度でも、充分かもしれないが、異国なので、用心のためだ。 サラナザリエは、結界による、空気の断絶を感じて、ちらりと周囲を見たが、咎めたりはせず、ミナの言葉の続きを待った。 「……リクト国の最北の地に、コモノ(さん)と言う、国王直轄地があります。長い(あいだ)に、その存在は忘れられていたようですが、先日、そこに何があるのか、知る機会を得ました」 「何があった」 「神々の深い眠り」 サラナザリエは、何かの比喩かと思った。 この世界は、男女の双子神により造られた。 このザクォーネ王国にも、神々の言い伝えがあり、ツェリンスィアこそ、彼らに与えられた、恩恵の(あか)しだった。 「神々の深い眠り…」 それは、何を意味するのだろう。 反復してみたが、ぼんやりとしてしまい、結局、首を傾ける。 「どういう意味だ」 聞くと、ミナは、言った。 そのままの、ことです。 と。 そのまま。 隣国の山に、神々の深い眠りがある。 神々の。 「まさか…、そん」 な、という、声が止まる。 息も、同時に、止まった。 「サラナザリエ様。問題は、そのこと自体では、ありません。その事象に対して、私たち人が、どのように対処すべきか。決めることこそが、問題なのです」 サラナザリエは、外見こそ、ツェリンスィアの薬の影響で10歳前後だが、実際は、100歳を超える。 それだけ生きても、ミナの言葉の衝撃から、立ち直るには、それなりの時間を要した。 やがて止まっていた意思が動き出し、空気を求めて、口を開いた。 「は」 ミナは、サラナザリエが、自我を建て直すのを、じっと待った。 サラナザリエは、待たれていることを察し、息を整え、思考を回した。 「……それは。今すぐに何か、動きはあるか」 「判りません。ですが、あちらに御座(おわ)す方々が、お目覚めにならない限り、大きな動きは、ないと思っています。リクト国も、現国王の(もと)、国を建て直そうとしています。表立っては、対立する(かた)は、いないようでしたし、不穏な影は見受けられなかったので、余裕ができれば、周辺の環境整備に取り掛かってもらえるものと、考えています」 「周辺の環境整備?」 「ええ。余計なことは、しない方がいいのかもしれませんが、現状を維持することを、適当と考えるのであれば、周辺の環境から、整えなければならないので」 「現状を、維持…。現状を保てない、何かは…、ないと、考えていいのか」 ミナは頷いた。 「国内は、今、言った状況ですし、周辺各国を見ても、あの場所が荒らされる心配は、ないと思います。あと、心配すべきは、事故と、災害ですね」 「事故とは…」 「んー、まあ、例えば、あの場所には、干渉術が展開しているのですが、それを壊してしまうなどですかね。異能の大きな者が、あの場所の近くで、制御不能に陥るなど」 「あ、ああ…」 サラナザリエは、そこまで聞いて、順序立てて考え直した。 そう。 まずは、リクト王国との国交について。 「…我が国が、リクト国と交流を進めることに、意味はあるのか」 「ザクォーネ国に、求めることは、(じつ)は、ありません。ただ、人の感情というものは、難しいものです。かつて、この地に、絶縁結界を構築したアルシュファイドが、今、リクト国と国交を開始したら、せっかく始めた、アルシュファイドとザクォーネ国の繋がりが、断たれてしまうかもしれません。それは、この国の絶縁結界の維持を、難しくするかもしれないなど、影響が多岐に(わた)ります」 サラナザリエは、頭が冴えていくのを感じた。 そう。 神々の深い眠り、そのものには、目覚めの時でも来ない限り、人々に影響はないのだろう。 そんな山の名など、聞いたこともないし、特別な何事かが、付近で起こっているとも聞かない。 いつからのことかは知らないが、自分の在位中でもないだろうし、となれば、それは、気の遠くなるような長い年月、現状を保ってきたのだ。 問題は、知った今。 アルシュファイド王国が、動く、ということ、だ。 それによって、まず、アルシュファイド王国とリクト王国が繋がる。 それはきっと、ザクォーネ王国の民に、不安を与える。 ザクォーネ王国の国土を守る絶縁結界を、構築したのは、アルシュファイド王国だ。 当然、解除することもできる。 サラナザリエは、右手の指で、無意識に唇を触った。 「アルシュファイド国は、リクト国と国交を始めて、何をするのか」 「それは、正式に、政王陛下にお尋ねになった方がいいでしょう。具体的なことの、詳細な回答があるはずです。簡単に言うと、コモノ山の、動植物や地形と、特に水など、自然環境の維持のため、調査や、環境を安全に保ったりという作業と、環境を変えないための、予防策を考え、できる対処をすることが、目的となりますね」 「それは、リクト国だけではできない?」 「いえ、できないこともないのでしょうが、リクト国は現在、国の建て直しを(おこな)っていますから、まず、取り掛かる時期が、遅くなると考えられます」 「ああ…」 「そうやって、他国が関わることは、余計な耳目(じもく)を引くことになるでしょうから、最善とは、とても言えないのですが、でも、私たち、人が、そうして、あちらに御座(おわ)す方々のために尽力する姿勢を作ることは、私は、少しなりと、良いことを招くと、信じたいのです」 「ふむ…」 サラナザリエは腕を組み、さらに考える。 確かに、そっとしておく方が、安全という考え方もできる。 だが、何もしない…、それでいいのか? 「放っておいても、問題はないのか…、ああ、その、自然に結界が消滅するとか」 ミナは頷いて答えた。 「今後、どれほどの期間、現状が、必要なのかどうか、誰にも判りません。現在、展開している干渉術は、人や鳥獣のほか、一切の動物の侵入を回避するものなのですが、これは、何もしなくても、私の見立てでは、数百年という長い時間、保つでしょう。ですが、5百年以上、となると、無理です。現在の状況を、長く保とうと思うのなら、今から、結界の保持期間を、長く保つ準備ができます。そちらは、既に行っているのですが、加えて、結界では守れない部分、つまり周辺の環境を保つ努力もまた、今からできるし、した方が、無理が少ないと思われるのです」 「ああ…、そうか。最善ではなくとも、それに近付ける努力を、始めようと言うのだな。それが、リクト国との国交開始…。なるほど、他国のこと、ではないな。その影響は、世界に及ぶ。そういう、ことか。この、世界に生きる者として、お前たちは、動き出そうと、決めた、ということか」 「そうです」 ミナは頷き、サラナザリエは、ふむ、と音を出して、腕を組んだ。 「我らには、何もできぬか?」 ミナは、少し目を大きくして、それから、大きく頷いた。 「ああ、そうですね!水の流れは、とても重要ですから、水の国ザクォーネの技術が、役立つかもしれません。それに、そこに何があるのか知らせなくても、大事なものを、皆で守るのだと、そういう、意識を持たせることで、わだかまりは消えなくても、協力していくことは、できるかもしれません」 「うむ」 音を出し、サラナザリエは、国民に、何があるかを、知らせるべきかと自問したが、それは形になりかけで立ち消えた。 考えるまでもなく、これは、多くの者が知るようなことではない。 知らせることで、守られることもあれば、その逆もある。 今回のことに関して言えば、今はまだ、不特定多数の者が知って、いい段階ではない。 そこでサラナザリエは、顔を上げてミナを見た。 「それで、風を通したいとは、どういうことか。民たちの心に干渉とは…」 ミナは、はい、と返事をして、続けた。 「そういうことがあるので、今後、国が動きます。それを見て、人々はまず、不安に思うし、疑いなども持つでしょう。そのような感情は、止められません。すべてを明らかにして、きちんと、説明すべきかもしれません。世界のことなのですから、各国元首の一存で決めていいことでは、ないのですけれど、だからといって、少なくとも今の段階では、すべての人に告げ知らせて、対処する(すべ)などありません」 言葉を切って、続ける。 「説明できない分、サラナザリエ様や、政王陛下のなさることは、人々の不信感を生み、増大させるかもしれません。それらに、対処していく力が、サラナザリエ様や、政王陛下にないと言うのではありません。ただ、もし。助けとなるなら。やってみたい。そう思うのです」 「しかしそれは…、お前自身が、不信を一身に負うことになるのではないのか…」 「私は、この国の者ではありませんから。今後、二度と立ち入れなくなったとしても、帰る場所が、まだあります。でも、サラナザリエ様は、この国を、導いていかれるのでしょう?それに、政王陛下も、アルシュファイドも国として、ザクォーネ国の人々に悪く思われるのでは、今後、動き(づら)くなります。それはそれで、やりようもありますけど、その前に、試させて欲しいのです」 「ふむ…」 サラナザリエは、腕を組み直し、右手の指を唇に当てた。 ミナの手を借りることで、何が起こるのか、判らない。 けれど、このまま、何もせず、ザクォーネ王国の国王として、リクト王国に歩み寄ろうとするなら、それは、大きな、つまずきを強いられるだろう。 やってやれないことはない、とは思う。 思うけれど、その影響は細部に至り、苦しめられ、また、余計な不都合を生み出すのだろう。 「それをすれば確実に、人々の意識を変えられるのか」 「いえ、そうではなく。人々の、1人1人の心に、働き掛けてみるんです。それによって、こちらの人には、慰めを与え、こちらの人には、励ましを与える、ということをします」 サラナザリエは、よくよく考えて、そうして、衝撃に大きく口を開けた。 「は…、この、国の民、全員の、それぞれの心に、働き掛ける!?」 「ええ」 答える、ミナの姿を、まじまじと見る。 そんな、途方もないことが、本当にできるのか。 まず、そう思ったけれど。 すると言うのだから。 信じるしかない。 「それは…、それをして、………。う、む…、それは、効果があるかどうかは、やってみなければ、判らぬのだな…」 「ええ、そうです。もしかして、1人には通じて、良い方向に持っていけるかもしれませんが、多くの人には、通じないかもしれません。私も、やってみないと、何が起こるか判らないので、そんなことを、サラナザリエ様に許可してもらおうなど、身の程を(わきま)えないと言うか、余計なことと言うか、なんですけど。とにかく、自分に、できることだから。やってみようと、思うんです」 「……うむ……」 サラナザリエは、長いこと考えていたが、ふと、顔を上げて、ミナを見た。 四色の者。 この国の民、全員に、働き掛ける、力を持つ者。 隣国にある、大いなる存在。 「……。ミナ。そなたは…、」 何気なく、呟いて、気付いた。 「そなたは。アルシュファイド国の民としてでもなく。この、世界に、ただ1人の者として、動いているのか」 ミナは、緑玉色の虹彩と、鮮やかな青い瞳孔という、珍しい組み合わせの瞳で、じっとサラナザリエを見返した。 「気負っているのでは、ありません。ただ。今、できることがある。その先に、あることに、繋げたいと思う。私は…」 ミナは、両手の指を組み合わせて、視線を落とした。 「私が今、あるのは、この一事(いちじ)のためなのかもしれません…」 そう呟いてから、唇をきつく結ぶと、顔を上げてサラナザリエを見た。 「なんにせよ、私は、今、したいと思うことができるように、努力するだけです。だから今、来ました。アルシュファイドとリクト国の国交が、周知のことになる前に」 サラナザリエも、唇を強く結んだ。 そうして、言った。 「やってみよ。それにより、私にも、本当のところが判ると思う。今、何が起きているのか。何を、為すべきなのか」 ミナは頷いた。 「はい。どんなことになるか、私も確かなことは言えませんが、中途半端なことにはならないよう、できる限りをします」 「頼む。私の、民たちを、よろしくな」 ミナは、その言葉を、胸に刻んだ。 これが、一国の王というものなのだ。 民を思い、民のために、()り、動く。 会談を終えて、ミナとデュッカは、2人でその部屋を出ると、もうひとつの部屋を横切って、廊下に出た。 小間使いがいたので、宛てがわれた客室まで案内してもらう。 部屋に入ると、すぐあとを、デュッカが付いてきて、扉を閉めた。 ミナが気配に振り返って、見上げるのと、抱き締められたのが、同時。 「…デュッカ」 その力は強く、少し痛くもあったが、ミナは、じっと、デュッカの、たぶん、その身の内にある激情が、落ち着くのを待った。 長い時が過ぎて、デュッカは息をつくと、身を起こし、ミナの頬を右手で(つつ)んで、ゆっくりと、長く、深い、口付けをした。 「………デュッカ」 「けして、忘れるな。俺という者が、()ることを」 ミナは、じっとデュッカを見上げた。 その、吸い込まれそうな瞳で。 デュッカは、そのまま、もう一度長い口付けを求めると、ミナの部屋を出た。 ミナは、ぎゅっと、こぶしを握り締めて。 胸に落ちた言葉を、噛みしめた。
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