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リクト王国行
―Ⅰ―
チタ共和国には、広大なサズ畑が広がっている。
これは、植えられた時期により、現在、収穫すべき穫季(かくき)の黄金色である場合が多いのだが、ほかの、種を蒔く蒔季(じき)、花の開く花季(かき)、実の熟成期間である熟季(じゅくき)であれば、それぞれの四季の景色が見られる。
リクト王国に向かう馬車のなか、外を見ていると、ある地点から、熟季らしき、緑の葉の鮮やかな畑に変わった。
「うわあ…」
思わず声を上げると、修練をしていたブドーと、読書をしていたジェッツィが顔を上げて、ミナの見ている窓の外を見た。
「わあ、緑がきれい!あれは何?」
ジェッツィに応えて、デュッカが口を開いた。
「サズだな。この辺りは、今、熟季なんだ」
「なんで、ほかと違うの?」
「理由は色々ある。同じ時期に同じ季節にあることで、同じ病に罹り、作物がすべて食べられなくなるのを防ぐとか、収穫時期をずらして、ほかの農家と、競り合わないようにするとか、世間に出回る量を、一年の間、一定に保つとか、あとは、加工品を作る時期に合わせるとかな」
「せりあう?って、なに?」
「競い合う、と書く。ただ、競い合うだと、競争、競べ争うことだが、競り合うは、競合している状態、互いが同じような状況で抜きつ抜かれつしている様子を表す」
「競い合う。競り合う。ふうーん、ちょっと意味が違うんだ」
「まあ、争いを避けているのだろうから、そう言うべきかもしれないな」
「ふうーん。どっちみち、いろんな理由があって、ずらしているんだー。あ、加工品って、どんなもの?」
「酒とか、カッツォルネで味わったろう。調味料とかだ」
「ああ、あれ」
「出来上がりまで、容器が空かないから、容器を移す時期に合わせて、育てていれば、収穫したものをすぐ、加工できる」
「へえー。いろんなこと、考えて、時機を計ってるんだ」
「そうだな」
ふうん、と頷いて、ジェッツィとブドーは、しばらく、窓の外を眺め、やがて、景色が変わらないようだと知ると、また、読書と修練に意識を戻した。
広大なサズ畑は、風が通り過ぎるたび、波のような動きを見せる。
ミナはそれを、飽くことなく見つめていた。
途中、休憩を取るごとに近くなる山並みは、麓からなだらかに傾斜した部分である緑多い裾野が、半ばまであり、そこからぐっと角度を上向けて、岩肌が剥き出しの山頂に続く。
頂には、ほんのり白いものがあって、雪ではないかと話し合った。
チタ共和国の終わりは、荒野が続いていて、建物などなく、人の気配はない。
突き出たり、窪みの多い、植物の生えない地面が続いたかと思うと、唐突に、森のなかに入った。
そしてすぐ、狭い道の前方を、塞ぐ木の壁が現れて、その両脇に、見張りの者がある柱が立っていた。
柱は、塔と呼ぶほど高くはなく、大人が3人立つ程度の広さと思われた。
壁と認識したのは木の扉で、その前に門番が2人と、通る人物を検める役目の者が3人いた。
細かく言えば、1人が文官の風体、2人が兵士の風体だ。
彼らは、少しムトと話して、兵士の1人が、何やら伝達の紙を飛ばしたようだった。
ムトと言葉を交わしたスティンが、イエヤ家の者たちが乗る馬車の窓を開けて、ちょっと面倒なことになったと言った。
「ただの旅行という名目では、納得してもらえなかったから、リクト国王に謁見しに行くと話した。当然、素性を聞かれたので、風の宮公だと話してある」
立場としては、国格彩石判定師のミナの方が上なのだが、身の安全のために、あまり公にしたくないというところがあるので、こういう場面では、デュッカの立場を前面に出すことにしているのだ。
確認を待つ間、数組の旅人が通り過ぎ、難無く扉の内に入る。
どうやら、ここの検めは、それほど厳しいものではなく、ただの家族旅行にしては物々し過ぎる護衛たちを見咎められたというところなのだろう。
やがて、兵らしき者たちの数が増え、さらに待つと、地位ある者と思しき、馬に乗る人物が現れた。
たぶん、この辺りの兵…をまとめる者だ。
彼は、ムトと話すと、馬を降りて、ともにイエヤ家の者たちの乗る馬車の扉を前にした。
ムトが、軽く扉を叩いて、失礼しますと声を掛け、開けた。
「リクト王国防衛軍の東方軍大将ナシカ・レオ殿が、風の宮公にご挨拶をしたいということです」
デュッカは馬車を降りて、ナシカの前に立った。
「アルシュファイド王国双王が配下の風の宮、デュッセネ・イエヤだ。デュッカと呼べ。妻と2人の養い子とともに、リクト国旅行のついでに、挨拶に向かおうと思う」
「リクト王国防衛軍の東方軍大将ナシカ・レオと申す。この国に旅行?」
「前回、招いてもらったときに、妻がザルツベルの土地を気に入ったのでな。最近、引き取った子らと親しむための旅行中、立ち寄ることにしたのだ」
「ああ、なるほど。彼の地は療養地でしたな。それで、国王陛下に挨拶なしにはできないと。なるほど。申し訳ない、陛下に謁見があると言う者を、確認もせずでは通せないのでな」
「役目ご苦労。いずれ、こちらの国が豊かになり、訪問者が増えれば、挨拶しに行くのも、反って煙たがられよう。そうなれば、素通りする」
「いや、それはいけない。風の宮公には、大変に世話になったと聞いている。陛下には、持て成したいはずだ。どうか、これを面倒と思わず、立ち寄るようにしてくれ」
「まあ、考えておく。では、もう、行っていいか」
「ああ、よい旅をな」
「ありがとう」
そうして、デュッカは馬車に戻り、一行はナシカたちに見送られて門を通った。
「北のアマルフェティも、門があるのでしょうか」
前回にリクト王国に入る際に通ったアマルフェティという町に入る道には、門はもちろん、見張りも何もなかった。
「さてな…、まあ、出国は入国ほど難しくないだろう。あのリクト国王なら、一筆書いて渡すぐらい、するだろうし、ガーディに相談すればいい」
ガーディ・コトルモは、リクト王国に駐在するアルシュファイド王国特命全権大使だ。
「ええ…」
ミナは、国王ヴァルが、自分のしたことを許して、一筆預けてくれるなどという親切をしてくれるだろうかと、眉根を寄せた。
それを見て、デュッカは、あまり、人を見縊るなと言った。
「急なことになったのは、あの時は仕方がなかったし、それを咎め立てするなら、俺が許さん」
ミナは、ちょっと目を大きくして、デュッカを見た。
「デュッカ」
デュッカは、ミナの目を見て、言った。
「ミナ。お前にできることは限られている。突然の押し付けとなろうが、相手にできることを求めているだけだ。心配ばかりして、ほかの者のことを考える時間があるなら、俺を見ろ」
突然のわがままに、またミナは目を大きくして、それから、仕方ないなと笑った。
「あは。ありがとう、ございます」
「礼などよりくれるものがあるだろう」
「はい、はい。また今度」
「今夜だ」
「だめです。また、今度ね」
笑うミナを不満げに見るが、焦らされるのも、実はちょっと気持ちがいい。
窓の外に目を向けるミナの横顔を、舐めるように見回して、その瞳に注目する。
やさしい、瞳が。
こちらに向いてくれたら、もしかしてそのなかに、自分への思いが、あったりするのだろうか。
確かめてみたいけれど。
狭い馬車のなか、同乗者の存在は無視できず。
デュッカは、静かに息を吐いて、目を閉じ、それ以上、欲望が膨れるのを、抑えることにした。
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