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―Ⅱ―
ゼロは静かな街だった。
ただ、リクト王国の南で、玄関口のひとつとなっているので、それなりに人の往来はあった。
大きな宿は見当たらなかったが、ミナたちの宿泊するところは、見た目にもすっきりとした、手入れの行き届いた外観で、なかも、すっきりとして、落ち着ける雰囲気だった。
ここでは、イエヤ家の4人と、イルマ、セラム、パリスと、不寝番の4人と、ムトが宿泊する。
隣に、ただ泊めるだけで、食事も湯もない宿があり、そちらに、ステュウ、ヘルクス、サウリウス、マルクト、ファル、シェイドが泊まる。
持て成しは最小限だが、部屋の鍵がしっかりしていて、不審な客は入れない、という点で、安心できる宿だと、こちらの国に滞在する者…王城書庫の収集官からの情報だ。
そのように、湯のない宿も少なくないので、この町には湯屋もある。
ちょうど、宿の前が、その湯屋なので、ミナは、ブドーはデュッカとそちらに行ったら、と言った。
ブドーは喜んでそうすると言い、デュッカは少し迷って、頷いた。
どのみち、浴室だけは、ミナとともには、入れないのだ。
イエヤ家の者たちが泊まる宿の浴室は、個別のものと共同のものとに分かれて、1階の奥に設置してある。
食堂は、泊まり客以外も食事できるようになっているので、個室を予約し、別の宿に分かれる者たちも、ともに夕食を摂れるようにした。
明日の朝食は、宿でもなければ用意されないということなので、予約はできないが、隣の宿の者も、こちらの宿の食堂で、決まった食事を摂ることができるそうだ。
テナやユクトら、付従者の一団は、また別の宿で、少し離れた、町の端の方だった。
彼らは、夕食だけ共にして、朝食は、泊まる宿のものをいただく。
共同の浴室があるが、あまり大きなものではないそうで、そちらの宿の近くにある湯屋を使うことを勧められ、明るいうちに行くそうだ。
ミナたちは、まだ陽が高いので、部屋に荷物を置くと、ちょっと町の様子を見ようかと、出掛けることにした。
この町で一番の通りは、イエヤ家の者たちが泊まる宿の目の前の通りだそうで、そこを端から端まで歩く。
往来はあっても、人声は少なく、店の外にいくつか置いてある見本を見て、何を売っている店かを知る、という形のようだ。
外にある品を手に取ると、じゃらり、と金属の音がして、鎖に繋げられていることが判った。
盗難防止なのだろう。
ミナが手に持ったのは、湯沸かし用の金物の容器だ。
アルシュファイド王国のものは、注ぎ口が人差し指程度の太さと長さがある筒状だが、これは短く、筒状の部分すらないもので、少し先を尖らせて、液体を注ぎやすくしている程度だ。
「これは…湯沸かしじゃないのかな。料理用?」
右利きの者が注ぎやすくなる位置に、取っ手らしき、まっすぐな棒が突き出ている。
鍋にしては細いが、上部の開口が大きいので、ちゃんと底が見られるし、掻き交ぜたり、大きな具材だって入る。
「なかに入って、店主に聞くか」
デュッカが言ったが、ミナは首を傾ける。
「そうだなあ、何も買わないと悪いからなあ…」
「ここだけのものでもないだろう。クドウで街を歩ければ、そちらで探せばいい」
「そうですね…」
ジェッツィが、通りを見回して言った。
「なんか、何、置いてるか、ちょっと判りづらいね」
「ああ、うん。見た目で新たな客を呼び込むより、昔からの付き合いで買ってくれる客を大事にしているのかもね」
少し物足りなく思ったが、陽が落ちる前に宿に戻りたかったので、取り敢えず、疑問はそのままに、通りを進むことにした。
やがて、店ではなく、ここから民家だと思われる、通りの端に来ると、何やら縦長の布に、作り立て百花豆、と書いてある店があった。
「ん、なんか、ロルっぽい匂いが…」
ロルとは、白豆から作られる、崩れやすいが一応固形の、食べ物だ。
この店は、客が数人、戸口から出て、並んでいる。
ミナは一番後ろの者の後ろに並んで、この店は食べ物屋さんですかと聞いた。
前の女は、驚いた様子でミナを見て、え、ええ…、と答えた。
「ひゃっかまめって読むんですか?」
「え、ええ、そうよ。白くて柔らかいけど、安くて満腹になるし、汁物とかに入れると、ちょうどいいから」
「じゃ、甘くはないんだ」
「いえ、甘いよ。日持ちはしないけど、すぐ食べちゃうから、毎日来るの」
「へえー、どのくらいの大きさ?」
「このくらい」
女が示したのは、手のひらぐらいの大きさだった。
「もっとおっきいのもあるけど、これぐらいで1人分だから、判りやすいのよ」
「もっと小さいのもあります?」
「ああ、ええ。ちょっと高いけど、小さな器に入ったのがあるよ。まあ、でもあれは、菓子みたいなもので、料理には使わないみたいだけど」
「そうなんだ!それ、買って食べてみよう!」
「ああ、試しに食べるには、いいけどね」
「どうもありがとう!」
ミナは礼を言って、デュッカたちに、食べてみましょうよ、と誘った。
どのくらい並ぶかと思ったが、列は、進むごとに並ぶ者が来るので、並んでいる者の数は変わらないが、それほど待たずに店のなかに入れた。
「なんか、特徴ある匂い…」
ブドーが、ちょっと眉根を寄せる。
「苦手かな」
ミナが聞くと、んー、まあな、と言った。
「薬草っぽい感じもするし、花のようでもあるかな…、草が近いかも」
ジェッツィが、鼻をすんすん言わせて、匂いを嗅ぎながら言う。
すぐにミナたちの番になり、透明の硝子に覆われた棚を覗き込むと、ミナには見慣れた、ロルのような見た目の品だった。
「こちらの棚は見本になります。どちらにしますか」
「えっと、小さいの…あっ、それだ!その、素地と、赤花、黄花、緑花を…」
ミナは、振り返って人数を確かめるが、護衛たちは首を振って、セラムが、俺たちはいい、と言った。
「分かった。ブドー、ジェッツィ、何色がいい?」
「俺、赤!」
「私、緑ー」
「デュッカはどうします?」
「では、黄を」
「はい。じゃ、その4種類をひとつずつ、お願いします」
「かしこまりました」
店の者が、注文表に印を付けて、本体から1枚だけ切り離し、すぐ後ろの頭上にある留め具に挟んで、さっと壁側に飛ばした。
留め具がよい重りになっているようで、壁に空いた横長の隙間から、なかに入っていく。
「こちらの札の番号でお呼びします。店内で少し、お待ちください」
「あ、はい」
ミナたちは、列から離れて、店内を見回した。
店には、ほかにも、日持ちのしそうな、焼いて水分を抜いたらしい、硬そうな食べ物など置いていて、何気なく手に取ると、裏面に、消費期限として、ひと月ほど先の日付が記してあった。
ミナは、改めて店のなかを見回し、先ほど並んでいた列の上に、生百花豆注文台、と掲示してあることに気付いた。
「なま百花豆、か。あ、そか、こっちの側は…、あっ、書いてる!こっちは焼き百花豆、と、そっちは揚げ百花豆、乾燥百花豆、油百花豆、蜂蜜百花豆…漬けてるんだ!」
呟いていると、番号が呼ばれて、自分の持つ札を確かめると、次に呼ばれそうだ。
「あっ、ミナ、そこ!豆が置いてるよ!」
その棚のところに近付いたところで、自分たちの番号を呼ばれ、急いで行く。
品物の入った箱を受け取ると、デュッカが支払いを済ませてくれた。
ミナは、ブドーとジェッツィの方に戻って、もうちょっとお店を見ようか、と言った。
「ああ、いいよ」
「うん!」
ジェッツィが大きく頷き、こっち!と、先ほどの棚にミナたちを招く。
そちらには、たくさんの種類の、乾燥豆が置かれていて、百花豆の名は、豆の名ではなく、この店独自の、ロルの商品名だということだった。
この店のロルは、花茶に使う花弁を独自の配合で煮出し、白豆に香り付けをし、リクト王国によく見られる、レタという植物から得た甘い成分を加えたそうで、素地と表示されたものが、主力商品となる。
甘味抜き、と表示されたものは、レタは入っていないが、花弁を煮出したものは入っている。
「あ、じゃあ、香りの違う、甘いロルだと思えばいいのか」
「ロルって、アルシュファイドの食べ物?」
「うん、だと思う。カザフィスにもあったけどね。ほかの国では見なかったけど、そういえば、お城とかの滞在が多かったからなあ…」
とにかく、ほかに置かれた商品も見て、ミナは、レタが原料となっている砂糖を求めてみた。
生百花豆の注文台は、常に並んでいるが、勘定台は並ぶ必要がなく、すんなり買えた。
ミナたちは店を出ると、宿に戻って百花豆を食べ、その味に満足した。
デュッカとブドーとジェッツィが食べたものは、ミナの食べた素地の上に、色と味の違う、甘い垂れがかかっていて、ほんのり酸味があったり、辛みがあったり、苦みがあったりしたということだった。
百花豆を食べると、明るいうちに湯でも浴びようかと話して、ブドーとデュッカは、向かいの湯屋へと行った。
ミナとジェッツィは、イルマとアニースとともに、着替えなどを持って宿の浴室へと向かった。
個室は、事前に予約が必要だが、共同の浴室は、ちょうど湯を張ったところで、今から夜遅くまで、自由に入ることができる。
今はまだ、宿の泊まり客自体が少ないので、ほかに浴室を使う者もなく、4人だけの独占状態で利用することができた。
まずは入り口で、必要なものを渡され、返却場所を説明される。
リクト王国では、体を洗う以外では、体に簡単な服をまとうことになっているので、ここでは、薄く茶色の入った白い服が渡された。
「前に利用した宿では、真っ黒だったんだよ」
「へえー」
脱衣所に入ると、中央に縦長の扉のある棚があり、ひとつひとつに腕環付きの鍵が付いている。
壁の一面が、扉も仕切りもない棚になっていて、そちらには、籠がひとつずつ並べられている。
扉付きの方に、外套など、大きな荷物を置いて、壁際で、その下の服や肌着を脱いで置けばいいらしい。
中央の棚は、鍵付きではあるが、あまり信用していいものではないらしく、浴衣と呼ばれる湯浴み用の着衣を渡された時に、貴重品を入れるようにと、紐の色が違う袋を渡されていた。
袋のなかに、宿の部屋の鍵や、財布など入れると、浴衣を着て、洗剤や体を洗う布など、湯浴み道具とともに持ち、浴室に入った。
そこは、円筒内部のような形で、天井は高く、硝子窓に夕暮れの温かな空色が見えた。
「わあ…」
ジェッツィは声を上げて見回し、ミナも、明るいねと言って見回す。
壁は、白に青っぽい色が交ざっているもので、その明るさは、この夕暮れ時にも、失われず保たれ、空間全体の印象を明るくしている。
そこへ、宿の女が入って来て、明かりを入れますねと声を掛け、要所に置かれた角灯に火を入れていった。
「暗くなったら、それはそれでいい感じなんだろうね」
「そうなのかな。見てみたいなあ」
「ちらっと見るぐらい、また来てもいいんじゃない?」
そんな話をして、体を洗う区画に向かう。
そこには、貴重品袋を入れるのにちょうどいい、固定された箱があり、鍵はないが、開けるときは、土台を押しながら掛け金を回し、嵌め板を外すという動作が必要な留め具があるので、体を洗っている時でも、盗まれる恐れはなさそうだ。
浴衣を脱いで、手早く体を洗い、再び浴衣を身に付けて、4人は浴槽のある区画へと向かう。
この宿の浴槽はよっつあり、みっつは段差なく入れるが、ひとつだけは、短めの階段を上がって、円筒形から突き出たような部屋に入るものだった。
その、ひとつだけ外れた浴槽は、湯は入っておらず、腰掛け用の段差だけがある、蒸気浴用の浴室だった。
「うわ、あつい!」
扉を開けた途端に、ジェッツィが悲鳴を上げる。
「あはは、これ、蒸気浴だよ」
「じょうき…浴?」
「そう。蒸気って、水を温めたら、湯気になってしまうでしょ?あの水蒸気を浴びるの。ここは熱いけど、温度には、かなり幅があるらしくて、入りやすいところもあるんだよ。まあ、無理することでもないし、今日は止めとこうね」
そうして、4人は、階段を下りて、ほかの浴槽を見てみる。
ひとつは低温、ひとつは高温、もうひとつはその中間ということらしい。
低温のものは、ジェッツィには、ちょうど良かったらしく、ミナは中間湯を利用し、イルマはミナと同じ浴槽、アニースは高温の浴槽を利用した。
お喋りしながら、半身浴などしていたので、いつの間にか暗くなり、角灯の明かりによる、落ち着いた雰囲気も味わうことができた。
長湯からあがって、脱衣所から入る洗濯場で、汚れものを洗って水気を飛ばす。
そうして浴室を出る頃、多くの泊まり客が到着したらしく、宿のなかは、少し人の気配などが多く、慌ただしくなったようだった。
洗濯を済ませた服や、入浴道具を部屋に戻すと、4人は揃って、談話室に入った。
旅の仲間の男たちは、全員揃っていて、ブドーに、湯屋はどうだったと聞くと、広かった!と答えた。
「屋上に、露天の浴槽があったぞ!湯からあがったら、ちょっと寒かったけどさ。なんか、いい気分だった!」
「そっちも、じょうき浴あった?」
ジェッツィに聞かれて、ブドーは、顔をしかめた。
「あったぞ!すげえ、熱かった。入れねえよ、あんなの」
「はっは、ブドーにはまだ早かったな」
パリスに言われて、ブドーは口を尖らす。
「えー、そういう問題?」
たわい無い会話に、ミナは和む。
やがて時間になって、一同は食堂の個室に移動した。
ほかの宿に泊まる旅の仲間たちは、すでに来ていて、ともに夕食をいただく。
食後、茶を飲みながら、次の町ザッツまでは、朝から夕方まで移動だと話した。
「リクト国王から、返信があって、クドウでは皆、王城に泊まれることになった。2泊の予定だが、延ばしてくれてもいいとの言葉をいただいている。まあ、どうなるかは、話次第だ」
ミナは、コーリナ城で送った手紙の返信を受け取っていないので、あれ、と思ってデュッカを見た。
すると、あとで渡すと言われ、着いてはいるのだと頷いた。
旅の確認を終えると、ミナはデュッカに頼んで、返信を確認することにした。
部屋に置いていると言うので、付いていき、なかに入れてもらう。
渡された文箱を受け取ると、腰を取られて、寝台に座るデュッカの前に座らされた。
「俺にも見せろ」
こういう体勢でなくともいいはずだが、もう、反論するのも空しくなって、ついでに体を撫でられたり、肌に口付けられるのを、無反応で通すことにした。
それは横に置き、文箱を開けて、なかを確かめる。
リクト国王ヴァルは、まだ、今年9歳になる少年王だ。
さすがに、美しい文字で、きちんとした文面が連ねられており、なんとなく圧されるものがある。
ヴァルは、まずは、ミナの、都合も確かめずに王城に傷病者を送ったことへの謝罪に、気にするな、と書いてくれた。
自分がすべきことだと思うから、と。
彼らは現在、看護を受けており、ザクォーネ国王サラナザリエとも遣り取りをして、ツェリンスィアと、それを扱う医師が来れば、故郷に帰せるだろうということだった。
また、彼ら以外の、各地で保護を求めてきた、ザクォーネ王国から攫われてきた者たちについても、対処を始めているのだそうだ。
「何が最善かは、まだ、考えているところだが、取り敢えず、保護をして、故郷に帰すよう、準備を始めている。起こったことは、変えられないが、彼らへの配慮から、我らは、大切なものを取り戻す、一歩とできるのだろうと思う。利用すべきではないと、考えもするが、物事は、きっと繋がっていて、切り離せないこともあるのだ。とにかく今は、彼らに対して、ザクォーネ王国に対して、リクト王国国王として向き合ってゆく」
ミナは、その考えに、ほっと息をついた。
そこには、力強く地を踏みしめ、歩く、確かさがあった。
ちらりと、リクト王国でも、風を通した方がよいのだろうかと、思ったが、それは何か、対処が違う。
リクト王国も、侵略行為を行っていたとは言え、応戦されたことで命を落とした者たちもいたはずだ。
もしかして、ザクォーネ王国側に捕らわれた者も、現在、捕らわれている者もいるのだろうか。
なんにせよ、リクト国民にも、ザクォーネ王国に対して、遺恨など、あるのかもしれない。
でもきっと、風を通すべきだとしても、今は、時機ではない気がする。
今は、様子を、見るべきだ。
ザクォーネ国民の動きも、この先どうなるか、判らないのだから。
「読み終えたか」
「あ、いえ…」
ミナは、手紙の文字に意識を戻し、訪問を歓迎するなど、残りを確認すると、手紙を文箱に戻した。
その途端、文箱が手を離れて浮き、腰を取られて寝台に上げられる。
「えっ!ちょっ、あのっ」
「今夜は泊まって行け」
「だっ、だめっ」
「声なら、誰にも聞かせたりしない。俺だけのものだからな」
「そっ、それもだけど、そんな、あからさまに、何したか、示すようなこと、したくないってっ、前に!」
「あー、もう、どうでもいい」
「よくないっ!よくないですよっ!」
しばらく攻防が続いたが、力も、体の動きを制する技も、デュッカに敵うわけがない。
ミナはなんとか、この場を乗り切ろうと、頭を働かせ、アルシュファイドに帰ったら、丸一日、好きにしていいですから、と言ってみた。
「足りん」
好きにしていい、という、状況には、ものすごく心引かれたけれど、何しろ、旅がいつ終わるか判らないし、現実に、丸一日、ミナを独占できるとは思えなかった。
何かと言い包められて、レジーネのことだとか、ブドーやジェッツィのことだとかを、間に挟まなければならなくなるのだ。
こうして、抵抗されるのも悪くはないけれど、今はとにかくもう、肉欲に溺れたい。
強引に、体を繋げてしまえば、抵抗が止むかもしれないと、思ってミナの足を割る。
いよいよ追い詰められて、ミナは、叫んだ。
「クドウ城で!なら、して、いいですから!ここではやめてっ」
ひたりと、動きを止めて、デュッカは、ゆっくりとミナの顔を見た。
荒れた息を繰り返し、羞恥と快感に耐える表情は、扇情的ではあったけれど、デュッカは、先に確かめることにした。
「クドウ城では?」
ミナは、反応があったので、こくこくと急いで頷く。
「はっ、こっ、ここには、湯っ、浴びるとこ、ない、から…」
つまり、行為のあとの生々しさは、最低限、消したい、ということか。
デュッカとしては、それも、ミナが自分の者であるという主張にできると、思えば、むしろ見せ付けたいところだが、その姿は一際扇情的で、ほかの者の目に曝したくないと、思う方が、いくらか大きい。
「ふ…ん」
デュッカが考えるようなので、ミナは急いで、寝台の上ながら身を遠ざけ、上体を起こす。
「そ、それだけは、せめて、繕わせて…」
そう、懇願する、表情や、身を縮める仕草、釦を外された上着の前を握り締める手の、か弱さ、細さ、そして思い詰める様子が、反って欲情を煽っているのだが。
デュッカは、片方だけ靴下を脱がせた、左の素足に、艶かしさを感じて、手を伸ばす。
「デュッカ…」
落胆の声が聞こえたが、無視して、裸の腓に唇を付け、軽く吸い付いて、離す。
一旦、身を起こして、寝台の下に落ちていた、長い靴下を拾う。
「いいだろう、クドウ城まで我慢してやる。だが、今日は、俺に時間を寄越せ。部屋に戻るまで」
目を上げて、答えを問う。
ミナは、迷うように視線を揺らして、聞いた。
「え、と…、その、どのくらい…?」
「それは、これから決める」
そう言って、身を寄せると、先ほど外した釦を、留めていく。
「え、と…、何もしない?」
「そうは言ってない」
ミナは考えたが、先ほどの状況に戻るよりは、きっといいと、思えた。
「は、はい…」
答えた唇に、唇を重ねて、深く求め、ミナが耐えきれずに後ろに倒れるのを、やさしく受け止めて、寝かせる。
「…そうだな。お前が俺を満足させたら、靴下を返してやろう」
言われて、ミナは、先ほどデュッカが拾ったものを思い出した。
下衣の腰衣も、その下に穿く筒服(つつふく)も長いので、靴があれば、多少の違和感はあるだろうが、部屋に戻れる。
いざとなったら、そうしようという、ミナの考えを読んだのか、デュッカは続けた。
「置いて帰るなら、あとで返しに行く…そのときは、悪戯ついでに、眠っているお前に、色々とするかもな…」
「うっ、はい…」
デュッカは、少し首を傾げる形で、ミナに目をやった。
「で?何をしてくれる」
「うえっ、えっと、その…」
「あまり、考えられると、退屈だな…」
そう、言いながら、裸の足に手を伸ばし、下から上に撫で上げる。
途中から、筒服の上をなぞり、腰の縁まで来ると、弄ぶように、ゆっくりと下にさげる。
ミナは思わず、腰衣の上から押さえて、止めるが、止まらない。
「ま、待って…」
「そもそもこの筒服は要るのか。腰衣一枚あればよくはないか」
国によって、多少の違いはあるが、女たちの下衣部分は、内側から、肌着、筒服、腰衣と3枚重ねが一般的になる。
筒服は、男たちにとっては下衣の装いだ。
女たちのそれは、あまり見せるものではない下襲、男たちには、通常目にする上襲となるので、見た目もそれに合ったものなのだ。
女騎士たちが利用する服のように、筒服が上襲として見ることのできる服もあるが、それらにも、短くても腰衣が付いているものだ。
まあ、騎士や兵士は特に、男たちも、長さに違いはあるものの、規程の服には、筒服の上に腰衣が付く。
そういうところもあってか、きちんとした装いをしようと思うなら、男たちも腰衣を身に付けることが多い。
デュッカやロアやオズネルは、騎士ではないが、四の宮公という立場があってか、両脇か片側だけが開くよう、切り込みの深い腰衣を付けている。
彩石騎士たちも、立場があり、外交に姿を見せる必要もあるので、普段から、短くても腰回り全体を覆う腰衣を身に付けている。
王城に勤めるテオやサムナやイズラなどは、普段は筒服までだが、登城の時は、膝下程度までの腰回り全体を覆うが、切り込みが深く両脇に入っている、長めの腰衣を付ける。
「そ、そりゃ、だって、ないと、素足が、見えちゃうじゃないですか…」
「ほかの者に見せろとは言わない。今、ここでは要らないだろう…?」
脱がせる気満々となっているらしいデュッカの意識を、なんとか逸らそうと頭を働かせるが、あまり有効そうな事柄が浮かばない。
「そっ、そういえば、今回は、夜会とか、あるんでしょうかねえっ」
「ん…、城でか。ああ、あの晩は、すごく、よかった…」
ミナは、以前来たときの、あの晩のことを思い出して、顔を赤らめる。
レジーネを産んで一年、復調しなかった体を気遣って、さすがのデュッカも、求めることを控えていたのだ。
けれど、コモノ山の奥で得た花によって、完全に回復したミナは、あの晩、自分から、求めてしまった。
もう、大丈夫。
あの言葉ひとつが。
たぶん、デュッカの心の留め金を、外してしまったのだ…。
「また、1人では脱げない服を選ぶといい。脱がしてやる」
「いや、そういう選び方はしませんが。第一、今回は、あんまり公のことは、しない方がいいんじゃ?」
「国王に挨拶に行って、何もなしには済まないだろう。人数は抑えるにしても。うむ。やはり、いつもと違う雰囲気のお前を愛でたいな。そしてそれを脱がしていこう。決めた。国王に会ったら、何か夜会を願い出る」
「う…、わ、かりました…」
「いやか?」
「そういう目的だと思うと、ちょっと、気後れと言うんですか。そんな気持ちです…。どっちかと言うと、ああいうことは、勢いで、色々、目を瞑ってしまっているというか…」
デュッカは、脱がせることを考え直して、ミナの腰の素肌を撫でていた指を引き出し、彼女の頬を包んだ。
「だが、たまには、俺を見ろ」
ミナは目を上げて、デュッカの、緑の双眸を見た。
いとしい、ひと。
ミナは、不自然な体勢から身を起こして、膝を立て、デュッカを見下ろすと、深い口付けを求めた。
辿々しいような。
求め方が、なおのことデュッカの情欲を掻き立てたが、断ち切るのが惜しく、ミナの行為を妨げることがないよう、控えめに応えてやった。
空気を求めて唇を離し、ひと息つくと、ミナは、寝て、と求めた。
肩を押し、仰向けになるデュッカの上に覆いかぶさり、首筋に深い口付けを施す。
二度、三度と、場所をずらして繰り返し、身を起こすと、デュッカの上着を開けさせた。
深い息を吐いて、目を上げる。
「上に、乗っても、いい…?」
「好きに、しろ…」
ミナは頷いて、跨いでいたデュッカの腰に、自分の体の重みを与えた。
それから、デュッカの首の素肌に指を乗せ、つ、と下げて、襟のなかに忍び込む。
ちょっと首を傾けて、それから上体を倒し、唇を喉元に這わせながら、デュッカの襯衣の釦を外していく。
いつもなら、下に肌着を付けているが、湯上がりで、あとは寝るだけだったのと、ヴァルからの返信を、ミナを部屋に連れ込む道具にしようと目論んでいたので、余計な手間になると思い、付けていなかった。
そんなこととは、もちろんミナは知らない。
露になった素肌に、唇を当て、息を吐き、指を這わせ、辿る。
「寒い?ですか…?」
「そう、言ったら、温めてくれるか…お前の、肌で」
そう言うと、ミナは、起きて、もちろん服は脱がずに、ぴたりとデュッカの胸に張り付いた。
「はい、ここまで!て、言うか、もうちょっと、上に乗っかってたいな…だめ?」
顎のすぐ下から、見上げる、この存在を、もう、どうしてこのまま部屋から出せるのか。
「……、上が、いいのか…」
別の性的欲求が湧き上がり、もう、そうしてもいいんじゃないかと、思いつつあるデュッカに、何かを感じるが、明確なものが掴めず、ミナは首を傾けた。
「?…んー、なんていうか、安心というか。頼もしい…このまま、寝ちゃいたいなって…あっ、だめだ、戻らなきゃ」
慌てて起き上がるミナの腕を、掴む。
「待て。まだ砂時計、何個分だ」
「え、分かんないけど…このままだと、ほんとに眠っちゃうもん」
「寝るだけなら、構わんだろう。泊まって行け」
「え、悪戯とかしない…?」
「しない」
「でも、この服、着たままじゃ…」
「脱げばいい」
「え?ほんとに悪戯しないですか?」
「しない」
「いや、やっぱ、1人の方が落ち着けるし…」
「俺はお前がいないと落ち着かん」
そんな遣り取りのすえ、ミナは長い時間を掛けて靴下を穿かせてもらうと、身嗜みを整えてデュッカの部屋を出た。
廊下で、今の時間の不寝番担当のスティンと就寝の挨拶を交わすと、自分に宛てがわれた部屋に戻る。
最後に与えられた官能で、どこか体の奥が熱いけれど、抑えて、急ぎ夜の衣に着替え、寝具の間に潜り込んだ。
デュッカが恋しい。
体を宥めるために求めるなんて、彼は嫌がるかもしれない。
でも。
こういう、どこか、人、らしい、欲求が。
自分を、この場所に、繋ぎ止めてくれるような気もする。
まあ、それは、置くとして。
自分も、クドウ城での夜を、心待ちにして、いいだろうか。
一晩だけ。
自分の部屋に戻ることも、戻すことも、考えずにいられるように。
同じ、部屋に、してもらおうか。
そんなことを考えながら、いつしか、ミナは、眠りに落ちていった。
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