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―Ⅲ―
翌日、結果として早くに就寝していたため、早い目覚めとなったミナは、不寝番のアニースとともに、デュッカのいる談話室に行った。
今朝は、なんだか無性に甘えたかったが、人目があるので我慢する。
「この宿、中庭なかったんですか?」
「ああ。敷地はどこも、用途があった。まあ、屋上に、広い平面があったから、外から回って、体を動かしてきた」
「そうなんですか。次の、ザッツは、どんな所に泊まれるのかな…」
「さあな。お前と寝られないなら、どこも同じだ」
あからさまな発言に、ミナはちょっと目を大きくして、ちらりとアニースを見る。
仕方ない、とでも言うように笑っているので、許容範囲らしいと胸を撫で下ろし、それから、自分も、仕方ないなと微笑む。
「あの…クドウ城では、…」
「なんだ?」
「あ、ええと…、そのときで、いいかな…」
そう呟いたとき、ブドーとセラムとパリスが部屋に入り、挨拶を交わす。
それから、あまり間を置かず顔触れが揃ったので、食事に行くかと部屋を出た。
宿泊している客たちも、朝は予約ではなく、決められた時間内に、決められた膳を食べるが、宿泊していない者と違って、料金はこの場では払わない。
部屋番号を取り付けられた鍵を見せれば、調理場の方で番号を確認して、宿泊客数に応じた膳を出してくれるのだ。
ミナたちの場合は、予め、宿泊料金に含まれているが、事前に言えば、食事の付かない、素泊まり、という泊まり方もできる。
一同は食事を摂ると、部屋に戻って支度をし、時間を見て、談話室で少し過ごしたり、荷物を持って、玄関広間に設置された椅子に座って待ったりした。
やがて時間になり、宿の前に旅の仲間が集まり、馬や馬車が整えられた。
それぞれ乗り込んで、一行はゆっくりとゼロの町を出ると、北西に向かう道に入った。
ゼロまでは、深い森だったが、その先からは、畑の続いているところや、川、草原や、遠くに森など、変化に富む眺めだった。
鉱物を採掘しているらしい岩山などでは、遠くから、人々が働いているところも見られたし、広い道では、その鉱物はもちろん、畑の実りを運搬する荷馬車なども見られた。
野生馬を見ることもできたので、ミナは、以前に聞いた話を、ブドーとジェッツィに聞かせたりして、前回の旅での話を、多くした。
昼食は、イエヤ家が泊まった宿で、旅の仲間全員の弁当を作ってもらっており、ちょうどよい草原に休んで、外で食べた。
食後、裸足になって、草の上を、くるりくるりと舞うジェッツィの様子など見て、一行は和み、休息を得て、再び出発する。
次の町ザッツは、賑やかな街で、乱暴な様子の男たちを見掛けたりした。
ゼロよりも、喧騒があり、大きな通りには酒屋が多いのか、夕暮れの時間にも、足元のふらふらと定まらない者がいたりする。
「安全とは、言えないかもしれないね…」
ミナが呟き、ブドーとジェッツィは、ほかの街とどう違うのか、よく判らずに眺める。
だが、宿のある通りに入ると、急に静かになって、人通りも少ない。
周りは、どうやら、国の役目を果たす建物らしく、しっかりした造りで、なかに人の気配はあったが、仕事中、ということなのかもしれない。
先に着いた宿には、イエヤ家の者たちと、付従者であるテナとユクト、あとはハイデル騎士団のほとんどと、ラフィとカチェットが泊まる。
なかに入ると、立派な造りで、要人を迎えるのにも良さそうだ。
少し、固い印象もあるけれど、細やかな装飾が多く目に付き、華やかさが勝る。
馬や客車などは、こちらに置かせてもらうことになり、ハイデル騎士団のマルクト、ファル、シェイドと、警護隊のジェンとティル、そして馭者たちは、自分たちの荷物だけ持って、別の宿に歩いていった。
それほど遠くはなく、夕食は共に摂るそうだ。
イエヤ家の面々は、先に部屋に案内してもらい、なかを確認する。
軽く湯を浴びる区画があるが、完全に仕切られたものではなく、使う時だけ、天井から吊り下げられている布を広げる。
浴槽と言えるものはなく、つるりとした陶磁器のような面と、ざらつく石の面のある床で構成されており、頭上にある、陶磁器のような湯桶の先に付いた注ぎ口から、手元の紐を引くことで、湯を落とすようになっている。
湯は、別のところで沸かして、配管を伝って、常に一定量が湯桶に溜まっている状態なのだそうだ。
ただし、温かさを保っていられるのは、せいぜい、日付が変わる頃までということだった。
「あまり遅くに浴びると、冷たくなっていますから、早めに浴びることをお勧めします。あとはまあ、共同の浴室であれば、夜遅くまで、浴槽に温かな湯を張っています」
湯浴みの区画があるのは、イエヤ家の4部屋だけだそうで、テナたちは共同の浴室へ行く。
ミナとジェッツィは話し合って、自分たちもそちらに行くことにし、支度をして浴室に向かった。
こちらの浴場は、広い空間で、浴槽が、いつつほどだろうか。
白と黒の、つるつるとした四角い板が交互に張ってある床だ。
ほかにも客がいたので、急いで体を洗い、浴槽へと向かう。
ここでの浴衣は、黒い色だ。
肩まで浸かっている者は少なく、足だけ浴槽に入れている。
壁際にある、左の手前の浴槽から見ていくと、ジェテックス冷水、ジェテックス低温水、ジェテックス高温水、とあって、ふと右手を見ると、ジェテックス中温水とあり、それが最も大きな浴槽となっていた。
入口からは、壁があって見えなかったのだ。
「ジェテックスってなんだろう」
ミナの声に応えて、テナが、あちらに書いてますよと言った。
大きな文字が並ぶ、壁に貼り付けられた説明書きの下には、赤錆色の湯があり、それは、鉄低温湯らしかった。
入ってみると、最初の湯には良さそうだったので、肩まで浸かり、壁の説明書きを読んだ。
それによれば、このザッツの近くでは、ジェテックスと言う鉱物がよく採れるそうで、その加工場で出る屑を高温の湯で温めると、ゆっくりと溶け始めたのだそうだ。
手を入れると、少し、ぴりぴりと刺激が刺さるが、湯から出すと、肌の表面に薄い膜がある感触がする。
撫でると消えるが、そのお陰か、傷口の血が止まったり、ずっと疼いていた火傷の痛みが引いたりしたのだそうだ。
あと、湯から上がったあとも、温かさが持続するなど、成分を調査したわけではないが、人々の実感を聞いて回って知ることのできた、効果のいくつかが紹介されていた。
「へえー。あとで入ろう」
ちなみに、赤錆色の鉄の湯も、鉄屑を利用して作ったものだそうだ。
ジェテックス同様、この近辺では、多く採れるらしい。
ただ、赤錆が付着しているので、商品として利用する者は、少ないようだ。
浴槽はほかに、鉄中温湯、鉄高温湯と、ここでも蒸気浴の部屋があり、これはやはり、ジェッツィは利用できそうになかった。
ミナたちは、湯の張られた浴槽すべてを試して、自分に合った場所で長くを過ごし、やがて、軽く洗い流してから、脱衣所に戻った。
ここにも、洗濯場があったので、用意された道具と、自分たちの異能を利用して、洗い、水気を取り除いた。
そのあとは、部屋に戻って道具など置き、談話室で夕食まで寛いだ。
時間になると、用意された個室に向かい、ほかの宿に行っていた仲間たちと食事を摂った。
食後の茶を片手にすると、次の目的地、王都クドウまでは、少し距離があると話された。
「早めに出て、早めに着いた方がいいと思って、朝食を1時間早く、6時で頼んである。それでもまあ、着くのは夕方だと思うが、まだ明るいからな。昼食も宿に頼んでいる。ほかの宿の者たちの分もな。朝食だけ、そちらで済ませてくれ」
マルクトたち、別の宿に泊まる者は頷き、一同は個室を出た。
それから少し、談話室で会話など楽しみ、早めに各部屋に戻って就寝する。
翌朝、いつもより早くに食事を摂ると、さらに早くから支度をしていたステュウとヘルクスを1時間早くに送り出し、旅の本体は7時に宿を出発した。
到着した昨日とは打って変わった静けさのなか、ザッツの街を馬を歩かせ進んでいると、目の前に1人の男が、文字通り吹き飛ばされて転がった。
先頭はハイデル騎士団のゼノ・カンツォーネとラシャ・ベルツィオで、素早く馬から降りて、状況を確認する。
すると、吹き飛ばされてきた建物から、大柄な男が出てきて、何だお前たち、と恫喝した。
「ただの通りすがりだ。喧嘩か?」
「ふん、だったらさっさと行け…あ?」
男は、旅の一行に気付き、そして、彼らの身なりが、整っていることを認めると、急に恐れを覚えたらしく、身を引いた。
「あ、あんたたちは、何の一行だ」
ラシャは、男の表情を見て、言葉を選ぶ。
「異国の者だが、東方軍大将より国王陛下への謁見を認められて旅をしている」
「と、東方軍大将…」
男は、逃げ腰になり、けれど、どうやらそれまで痛め付けていたらしい男への、脅すような言葉は忘れなかった。
「とっ、とにかく、約束は約束だ!夕方、また取りに来る!それまでに揃えてなきゃあ、分かってるな!」
そう言い捨てて、仲間らしき男たちと、そそくさと駆け去った。
建物の戸口から様子を見ていた、最初に見た男の家族が、とうさん!とか、あなた!とか、叫んで出て来る。
男の怪我は、まあ、動ける程度だったので、治療は必要なさそうだった。
「あ、ありがとうございます…」
男の連れ合いらしい女が、そう言って頭を下げる。
「いや、俺たちは何もしていないが…」
ラシャは、振り返って、近くに来ていたムトを見上げた。
「どうする」
事情を確かめたいところだが、今日は、特に先を急ぐ行程だ。
とは言え、誰かに任せるにも、事情を知らずでは、どうにもできないので、一行は馬車を道の端に寄せて、手早く事情を聞いた。
すると、付近の採掘場では、ジャコレルと言う獣が、凶暴化していて、これを退治するのに、先ほどの乱暴者を雇ったのだそうだ。
「ところが、その退治料が、とんでもない額で。払えないなら、採掘権をすべて寄越せと、そう言うのです」
リクト王国の土地はすべて、王のもので、人々は、そこで活動するための権利を買い取ることで、仕事をしている。
農夫なら耕作権を、鉱夫なら採掘権を持つ。
この権利は、広さに応じて数を求めることができるので、多くの権利を国から買い、人を雇って、広い土地で、耕作や採掘をさせる、ということもできる。
1人で、狭い土地だけで働いても、それなりに稼げるが、特に採掘は、どこに何が埋まっているか判らないので、広範囲の権利を得て、多くの者と協力して、価値の高い鉱物を探し、手順よく採掘して利益を大きく得る、ということをしている。
この男、メリー・リーケルは、代々の採掘師で、親から譲り受けた採掘権により、広い土地での活動ができるので、多くの者を雇い、彼らとともに日々、汗を流している。
「退治してくれたことは感謝しているし、できる礼は金で払いました。でも、ジャコレルの出現回数が増えて、退治料も日増しに高くなり、昨日は、それが倍以上に吊り上がったところで、なんとか、今日、工面すると言ったのですが、朝から来て、約束だから、寄越せと…」
「当てはあるのか」
「はい…、今回限り、雇っていた者たちと話して、金を集める予定でした。ですがもう、採掘権を返上するより、ないのかもしれません。ジャコレルは、また出現するでしょうし…」
「採掘権を返上?」
「はい。今、雇っている者たちの給料も、ままなりませんし、今後は、私自身が雇われて、採掘することになります。まあ、雇ってもらえればですが…」
「そもそも、退治するのに、国に助けを求めなかったのか」
「いえ、話してはみたんですが、軍を待機させても、現れなかったと言うんです。見掛けたとしても、逃げてしまうと。しばらくはそれで、平穏だったんですが、軍が引き揚げると、また現れて…、なんとも、具合が悪いことで」
「それで、都合良く、あの乱暴者が現れたと?」
「え、ええ、まあ…、しかし、相手は獣ですから、偶でしょう…」
作為的なものを感じるが、証拠はない。
確かめたいところだが、ハイデル騎士団としては、ミナの家族旅行を、平穏に続けさせたいし、そうすべきだ。
ミナたちに知らせると、様子を見るよう、時間を取るのだろうかと、ちらりと考える。
ものすごく、やりそうだ。
そう思っていると、客車からミナとデュッカが降りてきて、ちょっと様子を見てみようかと言った。
デュッカに風を運んでもらって、事情を聞いていたのだろう。
「ミナ」
ムトの抗議の声音に、ミナは、ちょっと笑った。
「分かってる。なんでも解決は、できないけど。判らないまま通り過ぎるんじゃ、ずっと気になっちゃうよ。それに、獣が凶暴化するには、理由があるはず。退治するより、そっちを知らなきゃね」
ミナはそう言って、メリーを見た。
「それは、例えば子育ての時期で、気が立っているとかじゃないんですか?」
「いえ、それだって、わざわざ、採掘場に来る理由がないんです。だって、食べる物も何もないんですから」
「その、ジャコレルは、肉食?雑食?草食?」
「ええと、たぶん、肉食では?自分より小型の獣を狩ります」
「ジャコレルはどんな獣ですか?姿は」
「動きは、ニモに似ていますね。姿も、まあ、たぶん、あんな感じですが、大きさは、人の腰のあたりまでの高さで、頭から尻までが、まあ、大体、人の背丈と同じか、それより大きいかですね」
「えーと、じゃあ、四つ足で移動して、かなり大きいと言える獣?」
「ええ、そう思います」
「素早いですか?」
「ええ、恐ろしいほどの速さで、ただ、凶暴化していると、後ろ足で立ち上がって、あまり動き回らないですね。それでなんとか、逃げ切れている状況で」
「そっか…」
ミナは、ちょっと考えて、デュッカを見た。
「今日は、この町に留まってみませんか。ちょっと、様子を見に行って、何も分からなければ、仕方ないですけど。何か判れば、誰に何を頼めばいいかも、判るんじゃないでしょうか。私たち、そんなに先を急いでいるわけじゃないし、いい機会だから、鉱物の採掘場、見せてもらいません?」
「部屋を同じにできるならな」
「いや、まず、泊まれる宿から探しましょうね。ムト、泊まれる宿を探してもらえる?泊まれないようなら、一部、先にクドウに行ってもらっていいかな」
ムトは諦めて、言った。
「俺たちは君の護衛だし、テナとユクトは、君の付従者だ。ステュウとヘルクスを呼び戻す。ひとまず、さっきの宿から当たってみる」
そう決まって、メリーに採掘場への案内を頼むと、一旦、宿に戻った。
さいわい、部屋は空いているそうで、数人、同室になるなどの変更はあったが、全員が同じ宿に泊まれることになった。
一部の荷物を宿に置いて、一行は、支度をして来たメリーと、仲間の鉱夫2人に馭者台で案内してもらい、採掘の現場に向かった。
ザッツの町から1時間ほど、ゼロの町に戻る道を行くと、その辺りで東の道に入って、時間半ばほど進んだところで、森の木立が途切れ、岩壁のそびえる左右に、道が分かれていた。
その道を右に折れ、また時間半ばも進むと、森を背後に、岩肌が剥き出しになった、草もまばらな土地が広がった。
「わあ、近くで見ると、こんななんだね」
「うん。なんか、変な匂いする」
ジェッツィが言い、ミナも、すんすんと匂いを嗅ぐ。
「あー、ほんとね。なんだろ」
窓を開けて、顔を出すと、ほのかに鼻を刺激する匂いがある。
ところどころ、地熱が高いのか、蒸気らしきものが上がっていて、よく見ると、岩には、黄緑色の付着物があるようだった。
「鉱物の一部が熱で熔けて、匂っているんだろう。こことは聞いていないが、倒れる者もいるらしいから、蒸気の出ているところなどには、近付くな。空気は清浄に保つが、熱では火傷もするだろう」
デュッカの言葉に、ミナとジェッツィは頷いて、それぞれ返事した。
やがて馬車が止まり、外に出ると、メリーが、私の採掘場はこの辺り一帯です、と言った。
「ジャコレルの巣か何か、普段から集まっているところか、水場はありません?」
「ああ、水場なら、あっちです。近付きたくないんですが、見える所に行っても?」
「あ、ええ。お願いします」
見える場所なら、すぐ近くだと言うので、そこまで、ミナたちは歩いて向かった。
道らしい道はなく、歩きやすそうなところを選んで進み、軽く息を弾ませて着いたところからは、ずっと下方に、緑の濃い場所が見られた。
「以前は、私らもあそこから水を汲んで、休憩に飲んでたんですが、ジャコレルが来るから、最近は避けてるんです」
なるほど、長いこと人が利用していたのだろう、細い道がある。
水場の周りは、背の低い草が敷かれ、集まる獣たちのなかに、ミナたちはジャコレルを見た。
「うわ、おっきい」
「かっけえ…!」
ジェッツィとブドーが、離れてはいるけれど、声を抑えて、けれど感動は抑え切れずに、口にする。
その水場では、狩りは行われないらしく、小型の獣も、ちょろちょろとジャコレルの鼻先を走っていく。
ジャコレルは、水を少し舐めると、その場に伏せて、長い時を過ごし、水場から離れていった。
「普段は、ああなんですね。何が切っ掛けなのかな。何か、音とか、匂いとか、思い返して、気付きません?」
「音とか、匂い…!あ!そうです、何か、変な匂いがするなって、ジャコレルの近寄った匂いかと思ってたんですが…」
「例えば、最近、蒸気の上がる場所が変わって、これまで匂いを発しなかった鉱物が匂いを発しているとか…、まあ、…と。あっちは、別の人の、採掘場ですか?」
水場の向こうに、多くの人がいて、働いているようだった。
「ええ、あっちは別の…、彼らのところにも、ジャコレルは来てるそうですが、今日はまだ、採掘できてるんですね…、うちは、ちょっと、人を動かす金がないですが…」
「あれ、なんだ?」
ブドーの指差す方を見ると、岩陰に隠れるように、数人の男たちが、こそこそと移動している。
ミナたちは、上方にいるので、周囲を見回す彼らも、注意を払っていないようだ。
そのうちの1人が、懐から何かを出し、赤いものを手のひらに載せたと思うと、風が飛ばしたのだろう、それはすぐに消えてしまった。
少しして、作業場の者たちが、警告の声を発し、作業を放り出して集まり、周囲を警戒する。
それと前後して、ものすごい、悲鳴、とでも呼ぶべき荒れ狂う声が聞こえ、岩の間からジャコレルが飛び出してきた。
その動きは何か、もがき苦しむようで、跳び上がり、体を捩らせたりしながら、作業場の一団に近付いていく。
そこへ、岩陰に潜んでいた男たちが現れ、作業場の男の1人と話すと、辺りに散って、そのうちの1人が、今度は青いものを取り出し、それは、たぶん異能の風に運ばれて、ジャコレルの顔に降りかかった。
「ギャウッ!」
その場で前足を顔に当て、地面を転がるジャコレルに、弓を番える男たち。
「デュッカ」
動こうとするブドーの肩に手を置き、ミナが呼び掛ける。
男たちの放った矢は、風に煽られてジャコレルに届くことなく、集まって地に落ちた。
デュッカは、風に乗って、1人、ジャコレルに近付くと、様子を見て、ファルを呼んだ。
いくらか話して、ファルは、ジャコレルの顔の周りに、水を出現させて、どうやら、付着物か何か、洗い流すようだ。
ジャコレルは、のたうちまわる苦しみからは解放されたようだが、まだ何かあるのか、空中に、鋭い爪のある前足を振って、暴れている。
デュッカは、先ほど、赤いものや青いものを取り出した男に近付き、いくらか話すと、袋を受け取り、ファルと話して、離れたところから、中身をジャコレルの口に入れたようだった。
ジャコレルは、疲れてきたのか、動きが次第に鈍くなり、やがて、うずくまって、休むようだった。
そこまで見届けると、デュッカは、ジャコレル退治をしようとしていた男たちを相手にいくらか話し、それから、ムトを呼んだ。
「なあ、もう、行っていいよな!」
「うーん、私も行きたいけどなあ…」
ミナが呟くと、風に乗せて、デュッカが、まだそこにいろ、と言う声を届けた。
「もう、なんだよ…」
ブドーが焦れて、呟くと、デュッカがムトと話す、声が届いた。
「…この者らが、あの水場に薬を仕込み、それに反応する薬を風に交ぜて飛ばし、ジャコレルの目や耳や痛覚に幻覚を与えて、暴れさせていたそうだ」
「それは、人には影響しなかったのか」
「あったとしても、気付かなかったんだろう。とにかく、首謀は、この者らだ」
デュッカは、ただ命じるだけで、人から真実を聞き出すことができる。
それによって、あの男たちから、事の真相を知ったのだろう。
「なんと、まあ…」
メリーは、言葉をなくし、ブドーは、ひでえな、と呟く。
「え、なに、あの人たちが、ジャコレルを暴れさせて、弓で、退治…、してたの!?」
ジェッツィが叫んで、メリーを見た。
「ジャコレル、死んじゃったの!?」
「え、ああ…、うん…」
「ひどい!!」
ジェッツィは、涙を浮かべて叫び、両のこぶしを握り締めた。
ブドーは、ジェッツィの頭を撫でた。
「今、あそこにいるジャコレルは、どうなっちゃうの?どうなっちゃったの?」
そこに、デュッカの声が届き、大丈夫だ、と言った。
「今は疲れて、動く気力がないようだが、大きな傷もないし、薬は効力をなくしたから、すぐに回復する」
「見に行っちゃ、だめ!?」
「だめだ。獣には獣の認識がある。お前が撫でようと上げる手を、攻撃だと判断したりもするだろう。今は、そっとしておいてやれ」
「うう…、分かった…」
ブドーはまた、ジェッツィの頭を撫でて、2人、下の様子に目をやった。
ミナも下を見たが、すぐ、水場に視線をやる。
まだ、水を飲む獣たちは多い。
「セラム、あの水場を」
「分かった。シェイド、ひとまず、水を飲めないようにしてくれ」
ミナは、頭を回して、遅れてやって来ている、ステュウとヘルクスを見付けた。
片手を上げて、合図し、2人は、充分近付いたところで馬を降りて、手頃な岩に手綱を巻いて縛り、やってきた。
「ヘルクス、あそこの水場に、薬を仕込まれたらしいの。取り除けるかな」
「見て来よう」
「お願い。ステュウ、周囲を探って、親を亡くしたような、あそこの獣の子供がいないか、探せるかな」
「やってみる」
「お願いね」
そうして、ヘルクスは水場まで下りていき、ステュウは、しばらく周囲を探って、3頭のジャコレルの子供を風で運んできた。
「たぶん、この子らには、親がいない」
「ステュウ、ちょっと風を貸して。今、探った時に、あそこにいるのと同じ獣の大人がいたでしょ?その辺りに、風を届けてほしいの」
「分かった」
ミナは、ステュウの手を取って、風の先を探り、ジャコレルの子供たちを、そのうちのひとつに送るよう言った。
そこには、ジャコレルの、ほかの子供の母がいて、様子を窺った限りでは、排除はされないようだった。
「あの子たち、どうなったの?」
ジェッツィが心配そうに聞く。
ミナには、大丈夫とは、言えない。
「うん。別の母親に近付けてみたよ。あのままでいるよりは、生存の望みがあると思う」
「人には、育てられない?」
「すごく難しいね。とにかく、被害はここで止められた」
やがて、休んでいたジャコレルが動き出し、去っていった。
「メリーさん、騙し取られたお金は戻らないかもしれないけど、国に、被害額を届け出て、なんとか、助けてもらえないか、話してみてはどうでしょう」
「ええ…、そうですね。少なくとも、最後の退治料を払う必要は、なくなりました」
首謀の男たちは、異能封じの手枷を嵌められ、ムトは、マルクトとファルとシェイドを、この場に残していくことを決めた。
「ナシカ殿にあとを頼んだから、すぐに近くの東方軍が来る。俺たちは、ザッツに戻ろう」
「もう、薬を飲んじゃったジャコレルは?」
ジェッツィに聞かれて、ムトは表情を柔らかくした。
「そんなに長く、体内に留まるものでは、ないらしい。もう一方の薬を与える者は、もう、いないはずだから、すぐに影響はなくなるだろう」
「そっか」
「ああ。じゃあ、いいか?馬車に戻ってくれ」
こうして、一行はザッツの町に引き返し、途中の草原で、宿で用意してもらっていた昼食を摂ることにした。
メリーたちの分はなかったので、町まで、それほど遠くなかったこともあり、先に戻ってもらった。
去り際、メリーたちは、一行に篤い礼を伝えていった。
よいことをした、と言うよりは、原因が判り、ジャコレルがこれ以上、悲惨な死を迎えずに済んだことが、一行にはただ、安らぎとなった。
食事を終えると、これからどうする、という話になり、町は、ちょっと危なそうだという意見で、一致した。
「さっきのメリーに、ほかに特徴ある採掘場など見られないか聞くか」
ムトとそう話して、聞いてみると、案内してくれると言うので、一旦、ザッツに戻った。
町の入り口でメリーと合流し、案内を受けて、ザッツに近い採掘場へと向かう。
そこは、大きな池で、中央辺りから下に向けて掘ると、タライライトという、リクト王国で唯一の鉱物が採れるのだそうだ。
ミナたちは、デュッカに風の膜を作ってもらって、水底の採掘現場まで運んでもらうと、そこにいる鉱夫たちが、体全体を水に沈め、その水に濡れ、水圧の影響を受けて、顔に空気を送りながら作業する様子を見せてもらった。
そのあと、ザッツに戻って、鉱物の選別場を案内してもらい、さらに鉱物の加工場も見せてもらって、夕方、メリーによく礼を言うと、別れた。
思いがけず、よい観光となり、ミナは満足したし、ブドーとジェッツィも楽しんでくれたようだった。
夕食は、メリーに紹介してもらった食堂に行くことにして、まずは湯を浴びる。
それから、いつもより少し早い時間に宿を出て、教えてもらった店に入った。
町には、昨日は乱暴者がいたようだが、鉱夫たちが多く見られるそこは、話し声は盛んだったが、言葉は穏やかなようだった。
ここの名物料理は、ジェテックス鍋と呼ばれる料理で、ジェテックス製の鍋で煮込まれた根菜や肉類は、特別柔らかく食べやすくなるらしい。
また、葉菜はぴんと張って、熱を加えているのに、しゃきしゃきとした歯応えを与える。
味は、この近辺でよく捕まえることのできる、ラビュットと言う、小さめの獣から煮出しており、砂糖のような甘みは強いが、ぴりりと辛い香辛料が入っているらしく、均衡がとれていて、アルシュファイド王国の者にも、おいしく味わえた。
「んー!これはこれで、いいね!おいしい!」
「うん。こんな料理も、おもしろーい」
興味深く味わい、食後の茶を味わうと、宿に戻って、玄関広間で、翌日は今日と同じ出発だと確認した。
そこで分かれて、多くの者は談話室に行き、少し話して、それぞれの部屋で就寝した。
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